プロローグ
青い、どこまでも青い空を、4つの機影が風を切り裂きながら飛んでいた。
太陽はほぼ天頂。しかし、上空からの光を受けて下方に待つのは、大陸も、海洋も無い、全く何も無い、ただの「空」だった。
上空に広がる青空は、界平線を境にして徐々にその色を濃くし、下空の中央に視線を向ける頃には、思わず飲み込まれてしまいそうな蒼黒さが待ち構えている。重力に従うとどこまでも落ち続ける、およそ支えるもののない、上下どこまでも続く空間。
「絶床空間」、人々はそう呼んでいた。
その絶床空間を、亜音速で駆ける機体の色は鮮やかな紅。討竜部隊の規定色だ。
全長約20メートル、戦術航空騎兵と呼ばれる4機の戦闘航空機は、およそ50メートルという密接した距離をお互いに保ちながら、四つ指編隊を組んでいる。
それらの4機は、それぞれが紐のようなもので繋がっていた。無線が使えない状態で、音声などの情報をやりとりするためには欠かせない、機能高分子繊維で出来た光神経線維だ。
「12時方向に大型積乱雲の群れ、電離流域を確認、これより有線通話に移行する」
『了解』
スズ・オラシオンによる隊長機からの通達に、隊員たちの声が返ってくる。
「隊長、これ、居ますね……」
後部座席の攻撃手、オンラードから声が掛かる。
「あの電離流域の張り方、間違いない」
感覚を研ぎ澄ませつつ、前部座席の操縦者、スズが答える。予想された彼女の言葉に、後部座席の男は身震いした。
「間違いなく居るぞ。オラシオン小隊、戦闘準備、各自、IFレンジを報告」
『5千2百』
『4千……』
『6千2百!』
「こちらは5千5百。索敵担当は4番機操縦者、トゥシェ」
『了解!』
積乱雲の群れは間近に迫っていた。
無線機からバリッという破裂音がし、電離流域に入ったことが分かる。電離流域に入ると、光神経線維による有線通話しか行えない。
「各操縦者はトゥシェのIFレンジに意識を合わせろ。見敵後、即時散開、三連撃で仕留めるぞ」
『了解!』
4機は編隊を維持しながら、スズの隊長機を先頭に、積乱雲の群れに突っ込んだ。ぶ厚い雲の中、視界はほぼ利かない。稲光を伴う強い乱気流に機体が揺れる。
「オンラードは攻撃に集中」
「了解! 隊長、信じてますよ!」
後部座席に声を投げると、力強い応えが返ってきた。
スズは機体制御を保ちつつ、光神経線維が伝達する、トゥシェのIFレンジに意識を合わせた。渦巻く雲の中を、彼女が懸命に索敵する様子が脳裏に伝わってくる。――索敵の失敗は、即ち全滅を意味した。
『……三時方向に感!』
トゥシェの叫びが耳に届く前に、彼女とIFレンジを共有していたオラシオン小隊の各操縦者は、一斉に舵を切り、散開していた。各機を結んでいた光神経線維が切断され、脳裏にノイズが走るが、気にしてはいられない。
4機が散開する直前に存在していた空間に、光が弾けた。一瞬にしてそれは、直径5百メートルを包む雷の網になる。亜音速で回避しなければ、確実に呑みこまれていただろう。
僅かに遅れて、炸裂、音速の衝撃波が広がる。周囲を覆っていた積乱雲は震え上がるように飛び去り、陽光と絶床空間の青さが部分的に戻ってくる。積乱雲の群れの中に、およそ5キロメートルほどの隙空が出来上がっていた。
スズは、自分のIFレンジを広げた。
そして、それは居た。
「弩級雷竜……!」
「でかい……!」
急上昇していたスズの隊長機からは、雷鳴と稲妻を引き連れ、隙空周辺にそそり立つ雲間から躍り出る、その巨体が良く見えていた。
体長、約160メートル。
体幅・体高、約25メートル。
長い首、巨大な顎、四肢と爪、尾、そして翼。
全長20メートルほどの航空騎兵とは比べ物にならない大きさだ。
その体は琥珀のような竜鱗で覆われ、雲の取り払われた隙空で、陽光に輝いている。深紅の瞳を稲光で怒らせ、巨大な雷竜は轟く咆哮を上げた。
「攻撃開始!」
恐れを振り払うように、スズは叫んだ。
急旋回し、巨大な竜に向かって急降下する。
「電磁砲射撃!」
巨竜に向き直った各機から、一斉射撃が行われる。無線通信に頼らない、オラシオン小隊の阿吽の呼吸だ。
4つの光球が弩級雷竜に迫る――。
だがそれは、雷竜が発生させた強力な電磁波によって、あっけなく目標から逸らされてしまう。しかしその間に各機は、次の戦闘行動に十分な距離まで、雷竜に迫っていた。
「拘束!」
4機の航空騎兵から、糸のようなものが射出され、巨大な竜を絡め取っていく。亜音速飛行時でも引き千切れることの無い、機能高分子繊維を拘束繊維として用い、対象を身動きできなくする戦術だった。
十分に絡め取ったところで、各機は一斉に距離を取り、三連撃の仕上げに向かう。
機体の両翼に折り畳まれていた2本の槍が、前方に向かって大きく伸びる。鋭い頂角を持つ、円錐形のその槍の長さは25メートル。――航空騎兵の由来がここにあった。
「撃槍!」
スズの叫びに応じ、オンラードが引金を引くと、右翼から超音速で撃槍が射出される。隊長機に続き、各機からも次々と、身動きの取れなくなった巨竜に向けて、長大な槍が撃ち出された。
撃槍射撃の余波で、機体が大きくぶれる。
制動しつつ、スズは固唾を呑んだ。
――弩級雷竜が咆えた。
巨大な深紅の瞳が怒りに燃え、輝く。
轟く雷鳴。
巨竜は、その身に帯びていた雷を一気に解放すると、その超電圧で拘束繊維を一気に吹き飛ばす。同時に発生させた電磁波が、超音速で迫る4本の撃槍をへし折り、爆散させる。
「効かない……」
スズは思わず呟いていた。
オラシオン小隊の連携が一瞬、乱れる。
拘束を解かれた雷竜が、その隙をついた。中空を蹴るような動作でいきなり飛び上がると、もっとも近づいていた3番機に襲い掛かる。
「レーニス! アンテット!」
オンラードが3番機の操縦手と攻撃手の名を叫んだ。同時に、スズは動力制御弁を吹かす。複雑な急旋回を繰り返す3番機を、弩級雷竜は執拗に追い、着実に距離を縮めていた。
「直接攻撃、用意!」
「了解! 隊長が狙いを、俺が炸裂を」
「了解……!」
オンラードが手早く武装制御の設定を変える。
左翼撃槍の命中操作権が、操縦者であるスズに移る。機体の速度と質量を活かした、撃槍による直接攻撃は、航空騎兵の最後の切り札だった。
隊長機の動きを見て、2番機も直接攻撃の体勢に入り、雷竜を追う。4番機は、牽制のための電磁砲乱射に移った――が、乱射のために出力を弱めた電磁砲の光球では、竜の表皮でたやすく弾かれてしまう。巨大な竜は、意に介した様子も無い。
焦りの為か、3番機の動きが単調になり始めた。
巨竜との距離がみるみる縮まる。
(間に合わない……!)
スズが心の中で悲鳴を上げた時、弩級雷竜が驚いたように、長い首をもたげる。その目前を2番機が横切ったのだ。
2番機は、急降下急旋回急上昇で加速しつつ、巨竜を狙える位置まで回り込んでいた。
(外した……!)
今頃、2番機操縦手のアウダースは歯噛みしているだろう。だが――。
(……これで、いける!)
2番機の急襲に、雷竜の速度は急減していた。
その巨体まで、直線距離で約1キロメートル。
対象を逃がさず、亜音速で突撃するには十分な位置と距離だ。
(動力制御弁全開放!)
スズ・オラシオンの航空騎兵は、左翼に長大な撃槍を携え、超高速で弩級雷竜に迫った。
撃槍角度調整。
肉迫。
激突!
重力制御で守られているにも関わらず、操縦席を激しい衝撃が襲う。撃槍はあやまたず、巨竜の右胸に突き刺さっていた。
(やった!……そして炸裂!)
そこでスズは、期待した次の動作が行われないことに気付いた。突き刺した撃槍をタイミング良く炸裂させるのは、攻撃手の役目だった。
「オンラード? 炸裂!」
いつの間にか、前部座席と後部座席の間に、隔離壁が上がっていた。後部座席に吹き込む強烈な風、気圧の変化から前部座席を守るため、制御系統による安全装置が働いたのだ。
スズは絶句した。
信じられないことに、亜音速で迫る機体を、弩級雷竜はその右手、五本の指でつかんでいた――そして、その指の一本が、風防を突き抜け、後部座席に食い込んでいた。
「……くっ」
歯噛みをしながら、それでもスズは無意識に、武装制御権利をオンラードから自分へと強制如何する。巨竜の顎が、目前に迫っていた。
「…………炸裂!」
第一引金を引くと、撃槍を構成する超硬繊維がミクロン単位で運動し、垂直方向に伸び、雷竜の体内で、周囲の肉を抉りながら、巨大な針山のように変化する。あまりの痛みに咆え、弩級雷竜は右手を離した。スズの機体が解放される。
「…………射出!」
第二引金を引くと、竜の右胸に突き刺さり、ミクロの針山となって膨れ上がった撃槍が、その状態で航空騎兵から、超音速で射出される。撃槍射出の反動で、スズの機体は大きく後方に吹き飛ばされた。再び操縦席を襲った衝撃に、スズは呻く。
弩級雷竜が、轟く咆哮を上げた。
射出された撃槍の勢いに巨体を仰け反らせ、後方に弾け飛んでいる。その右胸には大きな穴が穿たれ、右肩から先も千切れ飛んでいるのが見える。
長く引く咆哮を残しながら、巨大な竜は、陽光が差し込む隙空の向こう、厚い積乱雲の中に消えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数分後、4機の航空騎兵は寄り添うように、青い隙空の中空で静止していた。再び、光神経線維で繋がっている。
「成果確認は無理か……」
誰に言うでもなく、スズは呟いた。
『あの損傷では、いかに竜種といえど生存は不可能でしょう』
有線通話からアウダースの野太い声がする。
普段から豪胆な彼も、その声は沈んでいた。
「確かにそうだな」
努めて冷静に、スズは言葉を返した。
「アウダース、レーニス、当機の曳航を頼む。この損傷では、基地まで持ちそうもない」
『了解』
アウダースは応答したが、レーニスから応えは無い。音声通話越しに、3番機操縦者の青年のすすり泣く声が聞こえた。
『僕が……僕のせいでオンラードさんは……』
『私がもっと早く索敵出来ていれば……』
4番機のトゥシェまで、すすり泣き始める。
『……ぐずぐず言ってんじゃないよ!』
3番機の後部座席から、アンテットの怒声が響いた。前部座席を蹴とばしたのか、ごんっ、という鈍い音まで聞こえる。
『あたしらが未熟だからオンラードさんは死んだ! お蔭で生き残ることができた! 竜はまだまだたくさんいる! あいつらをやっつけなくちゃいけない! とっとと基地戻って、機体整備して、もっと訓練して、あいつらやっつけんだよ! オンラードさんの仇を討つんだよ!』
最後の方は、涙声になっていた。
「我が小隊は良く機能した。オンラードも、おまえ達もだ。誇りを持て」
できるだけ声を張って、スズはそう告げた。
『……了解』
長い沈黙の後、レーニスが噛み締めるように言った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
隊長機に拘束繊維を絡ませながら2番機と3番機が曳航の準備をする間、索敵は4番機に任せ、スズは座席に背を預け、ぼんやりとしていた。隔離壁で隔たれた後部座席を、振り返る気にはならない。
(「信じてます」って、言われたのに)
(また、死なせてしまった)
スズは嗚咽が漏れないように、強く唇を噛んだ。
『曳航準備、完了しました』
音声通信を通して、アウダースが告げる。
その声に、スズは隊長の顔を取り戻した。
「了解、これより基地に帰還する。各機、IFレンジを報告」
一連の流れを終え、動力制御弁を開きながら、スズは言った。
「オラシオン小隊、進発!」
(つづく)
思わず書き始めてしまいました。
プロローグなのに長い!
次回「ノリト・オシロスコフ」。
さあ貴方も、絶界でフライ・ルー!(←誰だよ)




