◆《特別番外編④》 妬く心(前)
甘々な二人のお話を……という複数のリクエストにお応えして。
まだ子供が生まれる前のお話。
……しかし、甘いのかこれ。
陛下主催の異国間親睦パーティーの会場は、各国の重鎮さんたちが勢揃いしていた。
中でもとても目を引くのは、魔界で一、二位を争うほどの美女だという噂のクイーン・レティシア。
雪の国の女王様だった。
私は会うのは初めて。
見た目の年齢は人間でいう二十代後半頃。実年齢は陛下より上らしいと聞いた。
豊満な体に百人中百人が美人だと言うであろう、まるで雪像のように整った美しすぎるお顔。
白いお肌や体のラインが目立つドレスを着こなす彼女の真っ赤なルージュは、まさに妖艶の一言だという。
そんな彼女のことで、一つ気になる噂を聞いた。
クイーンはずっと昔から陛下に気があって、ヴァンパイア王国へ来る度に陛下に猛烈なアプローチをしているらしいということ。
陛下もまんざらじゃないように、周囲には映っていたということ。
でも彼女は何年かまえに結婚なさったらしいし、長く独身だった陛下も今では私の旦那様。
きっと大丈夫よね。
そう思いながら、煌びやかなホールへ足を踏み入れた。
「ねぇ、ダンスのお相手をお願いしても?」
会場に足を踏み入れてすぐ、クイーンはそう言ってきた。
近くで見ると、一層ハッとするほど美しい。
胸元が大きく開いたドレスに、豊かな胸は大勢の男性の視線を惹きつけ、スリットからはほどよい太さの白い太ももが見える。
女性である私すら目のやり場に困るほどで、一言でいえば、悩殺……だった。
「お久しぶりです、女王」
陛下はクイーンの手を取って、その甲に口づける。
彼女の細い指にはギラギラと、たくさんの指輪がついていた。
「あら、よそよそしいのね。前のようにレティシアで結構なのよ? それにしてもほんと、相変わらず素敵ね、あなたは」
クイーンがクスリと笑い、陛下の腕に置いていた私の手にギュッと力が入る。
「紹介します、我が愛しの妻、ソフィアです」
“愛しの”なんて言われて、嬉しくも恥ずかしく思う。
陛下に肩を抱かれ、クイーンを見上げた。
彼女は女性にしては背も高く、女王の名に恥じぬ堂々たる風体を見せつけていた。
陛下が傍にいなければ正直、萎縮して口も利けなかっただろう。
「へぇ、あなたが陛下の……。どうも初めまして」
「は、初めまして……ソフィアです」
握手を交わしたけれど、彼女の目つきはまるで私を品定めするかのような鋭いものだった。
長い睫毛に囲まれた力強い瞳に見下ろされ、身が縮む。
敵対心……というものをヒシヒシと感じた。
彼女が赤いルージュを引いた唇の端をゆっくり上げたのは、決して友好的な笑顔なんかじゃない。
自分の優位を確信したからなのだろう。
「今日はお一人ですか」と陛下。
「ええ、そうなの。夫はあいにく別の公務で、隣が空いてて寂しいの。だから、ね? 一曲だけでも」
甘えたような声で強請る。
「え……ええ」
陛下が申し訳なさそうにチラリと私を見たのは、私を気遣ってのことだろう。
クイーンの国、ネージュ女王国は小さくとも力のある国家の一つ。
彼女たちはとても魔力が強く、彼女らと仲違いしている国は、もう何百年も厳しい冬が続いているんだとか。
ネージュ女王国は地理的にヴァンパイア王国とも近い。陛下だって、彼女の機嫌を損ねたくはないだろうと思った。
クイーンと陛下がダンスなんて、はっきり言えばとても嫌。
「……どうぞ、いってらっしゃい」
でも、この場はそう笑顔で送り出すしかない。
「すまないソフィア、いきなり一人にして。少しだけ行ってくる」
私の頬に優しく口づけて離れた陛下に、クイーンはすぐに腕を絡めて体を寄せた。
モヤモヤとした感情が湧かないと言えば嘘になる。
二人の後ろ姿は驚くほど綺麗で、お似合いで。
まるで絵画から抜け出した対の男女ように美しい。
ダンスの時も、レティシアさんは、驚くほど体を陛下に密着させていた。
それこそ、二人の間に隙間なんてないほど。
特に、胸元なんて……。
分かってる。
陛下は微笑んでいるけれどそれは社交辞令で、下心なんて。
し、下心なんて……っ。
どうなんだろう。
男の人って、やっぱりそういうのが嬉しいんだろうか。
そうよね、あんなに綺麗でスタイルの良い女性に熱烈にアプローチされたら……。
「ソフィアさん、お久しぶりですわ」
沈んでいたところに明るい声で話しかけられ、顔を上げる。
「エヴェリーナ王女っ!」
久しぶりに会う彼女は、やっぱりとっても美人だった。
お皿に、山のようにたくさんのお料理を乗せていたけれど。
「今日はたくさんシュレイザー様とダンスができて、とっても幸せですわ……っ。あとはお部屋に押し入って、既成事実を作るだ・け。この前は惜しいところまでいったのですが、あと一歩及ばず残念でしたわ」
ど、どの辺がどう惜しかったんだろう……。
エヴェリーナ王女は「陛下は?」と聞くこともなく、バルコニーにその姿を発見して、花のように美しいお顔に渋面を貼り付けた。
「あの女、結婚したというのにまだ男癖が治っていないようですわね。あんなド破廉恥なドレスを着て、陛下のお気を引く気満々じゃありませんの」
やっぱりそうなんだ……。
「王女……クイーンと陛下はもしかして、お付き合いなさってたり……していたんでしょうか」
自分で口に出しておきながら、ズキリと胸が痛む。
エヴェリーナ王女は大胆に骨付き肉を頬張りながら、
「ほえはないと思いまふわ」
失礼、と口の中のものを飲み込んで口元を拭く。
「国のトップ同士が下手に男女関係になると、後でとってもややこしいですもの。あの女に狙われ、食われた男たちは数知れず、そしてその誰もが何とも哀れな末路を辿っていますわ。その点陛下は、女慣れしている分、相手をがっかりさせない程度に距離を置かせるのがお上手ですし」
そうなんだろうか。
陛下の恋愛上手さなんて、片鱗すら垣間見たことがない気がするんだけれど。
「あの男喰いのクイーンがあそこまで夢中になるなんて、さすが外見だけは一級品の陛下ですわ。でも、今はどんなアプローチをしようと無駄ですのにね」
エヴェリーナ王女がこちらに向かってウインクしてくれる。
なんだか励まされたような気がした。
やっと曲が終わると陛下と目が合う。
にっこり微笑む彼に、ああ、やっとこちらに戻ってきてくれると胸をなで下ろして微笑み返す。
「クイーンとのことは気にすることありませんわ、ソフィアさん。陛下のあの方に対する振る舞いは、あくまで社交的な礼儀ですもの」
「ありがとうございます」
元気出してね、と囁いてくれると、彼女はお皿をテーブルへ置いて、別の女性とのダンスが終わったシュレイザーさんの元へと走り出した。
相変わらず、とっても奔放な方。
でも、とってもお優しい方。
「シュレイザー様ぁっ! お次は私とっ」
あからさまに引きつった顔をするシュレイザーさんの腕を無理矢理引っ張って、エヴェリーナ王女はまたダンスの輪の中へと突っ込んでいった。
バイタリティーもすごい……。
陛下は私の方へ来ようとしたけれど、クイーンに呼び止められ、陛下はそれに笑顔で答える。
分かってる。
エヴェリーナ王女も言っていた通り、あくまで外交的な『営業スマイル』だって。
陛下は私に向かってツイツイとバルコニーを指さす。
“バルコニーで話してくる”
そういう意味らしい。
嫌だな、と思いつつも、私が辛うじて笑顔を浮かべて小さく手を振ると、陛下は少し困ったように『またすぐあとで』と口元を動かした。
またすぐあと……なんかじゃなく、彼女から離れて今すぐ傍に来てほしいのに。
なんて我が儘よね……。
他の方たちと話していても、つい二人のいるバルコニーへ目が行く。
もう随分長い時間話してる。
陛下と彼女が二人、お酒を片手に楽しげに話す後ろ姿は、なんだか恋人みたい。
クイーンは陛下の腕に手を回したり、ついには陛下の薬指の指輪に触れているのを見て、ぎゅっと胸が締め付けられた。
もう、これ以上見ていられない。
少し、気分転換に風に当たろう。
そう思って、楽しげに話す陛下には何も言わず庭へ出た。
*************
ザルクは、クイーンの話に耳を傾けながら、もう何度目かになるため息を飲み込んだ。
彼女がずっと自分に気があったことは知っている。
いや、今もなのだろう。
百戦錬磨の女王の瞳に、時折少女のような輝きが窺える。
夫を(おそらくわざと)置いてきて、他の男に色目を使うとはと呆れて物も言えない。
おまけに大切な結婚指輪にまで無遠慮に触れてくるとは。
確かに一時はクイーンと恋人の真似ごとのようなこともしていた。
それでもキス以上のことはしていないし、キスとて自分からではなかった。
とはいえ、抵抗も抗議もしなかったが。
だがあくまで一時的なことで、本気などではない。
かなり大胆なドレスを身に纏っているが、だからといって目の前の彼女をどうこうしたい欲望に駆られることはない。
こうして話をしているのも、あくまで外交上の理由のみ。
私情など、挟む余地も理由もない。
今、自分には愛しい愛しい、やっとのことで手に入れたソフィアがいるのだ。
それだけでザルクは身も心も満たされていた。
あの国へ行ってあんなものを食べただ、何を買っただと、クイーンの話がつまらなさすぎて、隙あらばソフィアの笑顔や、あられもない姿を想像してしまう。
今もクイーンの官能的なドレスを前に、これをソフィアに着せたら、どんなにそそられるだろうと妄想をして軽く興奮していた。
今度こっそり似たようなものを作ってソフィアにプレゼントしてみよう。もちろんこんな公の場などでは着せず、二人きりの時に、自分だけが目の保養をし、楽しむために。
密かにそんな計画を立てる。
ドレスを着せ、開いた胸元を恥ずかしそうに隠す真っ赤な顔のソフィアの姿を、きっとそうなるだろうと想像して思い浮かべる。
そんな彼女をなだめすかしながらゆっくりベッドへ押し倒し、ドレスをそっと脱がしながら、いや、ここは着せたままドレスの中へ手を入れて太ももを撫で、白い首筋に顔を埋めて下着を少しずつ下ろして、柔らかな彼女の胸元を攻め――
――『あっ、ん、陛下……っ』
ゴクリ――
危うく鼻血でも吹きそうになって、慌てて別のことを頭に浮かべる。
ソフィアが手に入るとは想像もしていなかったあの頃、どれだけ彼女との濃厚な夜の妄想に明け暮れたか。
妄想癖は、彼女が妻になった現在も健在であったが、今ではその妄想を現実のものにできるのだ。
そう思うと、余計にカラダが期待して熱く反応しそうになる。
いかんいかん、と必死に気を散らした。
「……という、ことなの。すごいでしょ?」
「ええ、それはすごい。それから?」
ザルクは頭の中を桃色一色に染めながら、顔にはそれを一切ださず、まるでクイーンの話をおもしろおかしく聞いているかのように振る舞っていた。
まさかこれほど涼しげな顔の裏で、自分の妻をどんな風に襲って夜を楽しもうかという妄想をフルスロットルでしているなど、クイーンは思いもよらないだろう。
「もういやだわ、ザルク……、そんなに熱っぽく私を見つめて……。奥様もいる身だというのに」
クイーンは何を勘違いしたのか、恥じるように胸元に手をやる。
「失礼。あなたの話についのめり込んで」
真実はソフィアとの濃密な夜の妄想にのめり込みすぎて、目が血走ってきただけとも言えない。
もう、いい加減ソフィアが恋しい。
彼女の細い腰を抱いて、身を寄せ合いたい。
バルコニーへ来てから、クイーンに気取られない程度に、チラチラと何度もソフィアの様子を見守っていた。
過保護だとか、ストーカーだと呼ばれてもいい。
ソフィアを視界に入れていると癒やされるし、とにかく彼女の動向が気になってしかたがない。
遠くから見ても、ああやっぱりソフィアは魅力的だとほくそ笑む一方、他の男どもと話している所を見るのはやはり癪であった。
自分が彼女の傍にいないのをいいことに、ソフィアに言い寄る男どもも多い。
ワインに口を付けながら、またチラリと癒やしを求めてソフィアを眺める。
だが、先ほどまでそこにいたはずの彼女の姿はもうどこにもない。
純粋な彼女のこと。
まさか、どこぞの異国の貴族に騙され、どこかへ連れ込まれたのでは――
「ソフィア……」
思わず口にしたソフィアの名前に、楽しげに話していたクイーンの表情が強ばる。
「ど、どうしたの?」
焦ったようにホールを見渡すザルクに、クイーンは引きつった笑みを浮かべる。
「すみませんが、これで」
「待って、ザルク。お話の途中なのに……どこへ」
クイーンに腕を掴まれ、そのしつこさにザルクはいい加減イライラした。
「妻の姿が見えないもので。もしかすれば気分が悪くなったのかもしれませんので、ここで失礼させていただきます。楽しい時間をありがとうございました。また後ほど」
いらつきを微塵も感じさせないよう、白い歯を見せ、完璧すぎる微笑みを浮かべる。
そんなザルクにクイーンは一瞬惚けたように見とれたが、すぐに正気を取り戻した。
「待って。奥様ならきっと平気だわっ。それよりもう少しここでお話しした後、二人きりで……ね?」
二人きりで何をする。トランプか? とでも言ってやりたかった。
美女に誘うような目つきで見つめられ、肘に豊満な胸をぐいぐいと押しあてられたところで、何も感じるものはない。
ザルクの頭の中は、姿を消したソフィアのことで一杯だった。
「申し訳ありません。少し探してきます」
「ザ、ザルクっ! ……ちょ……何よ、あれ」
今夜こそ落とせると思った愛しの男が、妻を探すためだとあっさり自分から離れたことに、クイーンは唖然とした表情のまま固まっていた。
あとがき
なにげに続きます(笑)