――《番外編》エドワード
アンケートでのリクエストを元に。
結婚してX年後……?
朝。
この世界の暗い朝にも、もうすっかりと慣れた。
「陛下……そろそろ起きて下さい」
隣で眠る陛下の肩を軽く叩く。
「んー……まだいいだろう……」
寝ぼけながらも、陛下はしっかりと私を抱きしめてくる。
結婚してもう何年にもなるのに、陛下は変わらず情熱的に愛してくれている。
私が一時倦怠期に陥ってしまった時なんて、陛下の落ち込みようは酷かった。
「だ、ダメです。早く起きて準備をしないと……」
「なら……キスしてくれ。そうしたら起きる」
「もう起きてるじゃありませんか」
そう言うと、陛下はわざとらしく寝息をたてはじめる。
「陛下が起きたら、します」
陛下はガバッと上半身を起こした。
「ほら、起きたぞ」
それがまるで子供のようだと笑うと、陛下は少しふて腐れたように拗ねた顔をした。
「ソフィア……約束だ」
「は、はい」
陛下からは、顔を合わせる度にしているんじゃないかと思うくらいキスをされるけれど、私からは、あまりすることがない。
今更なのに、少しドキドキして軽く唇を重ねると、陛下に後頭部と背中を固定された。
「ん……っ、んん」
すぐにキスの主導権を完全に奪われ、やっと起きたというのにまた背中から押し倒された。
途端にただのコミュニケーションのキスではなく、私を甘美な世界へ導くためのそれに変わる。
「ん……っ、だ、めです」
服の中へ入ってこようとする陛下の手を必死に押しのけようとする。けれど、私が頼りない抵抗している間に、既に胸元ぎりぎりまでむき出しにされていた。
「まだ時間はある。……いいだろう?」
陛下が妖艶に微笑みながら、肩に柔らかなキスを落とす。
この顔をする陛下の止め方を、未だ私は知らなかった。
*****
規則正しい音を奏でていたベッドが一層揺れを強めたかと思うと、しばらくして静かに収まっていった。
「はぁ……っ、最高だ」
陛下は玉のような汗を額に貼り付け、浅い息を繰り返しながらゆっくりと私の上から退くと、満足げに私にキスを落とした。
「大丈夫か、ソフィア」
「っ……はい……」
陛下も自身の荒れた息を整えながら、大きな手で優しく私の髪をとかしてくれる。
あまりの心地よさに、このまま陛下の腕の中でしばらく目を閉じていたいと思った。
でも、ゆっくりまどろんでいる時間はない。きっとそろそろ……。
コンコンというノック音に、陛下も私も慌てて飛び起きる。
「母上ー! 入っても宜しいですか」
毎朝こうして必ず、“彼”がやってくるから。
*************
エドワード・ヴィン・モルターゼフ。
僕のこの「エドワード」という名前は、祖父上の名前から取ったとかって母上に聞いた。あのサボり魔かつ超問題児だったって悪評高い奴の名前なんて、つけられた側としては正直微妙。
でもそんなとどころの心境じゃないのは、あんなやつが父親だってこと。
僕は部屋の壁にかかった立派な肖像画をじっと見つめた。
異国から取り寄せた特別仕様の椅子に腰掛け、高級調度品に囲まれてこっちを見てくる国王が僕の父上。
立派に見えるけど、こんなの見かけ倒しなのに。
父上は僕がまだ母上のお腹の中にいた頃も、何か“やらかした”って聞いた。
詳しくは知らないけど、両膝をついて母上に謝ったとか何とか。
ダサい。ダサすぎる。巨大国家の王のくせに。
僕や皆の前では威張ってても、母上の前ではデレデレなの知ってるんだからな。
母上は僕のなのにっ。
「どうかされましたか、エド王子」
じっと黙りこくって絵を見据えている僕を不審に思ったか、シュレイザーさんが黒革の手帳に何か書き込みながら僕にそう尋ねる。
シュレイザーさんは、僕が尊敬するヴァンパイアの一人。
すっごい有能なのに偉ぶってないし、淡々とクールに仕事をこなすとこがめちゃくちゃカッコイイ!
あと、チェスがものすごく強くて、シュレイザーさん相手では一度も勝ったことがない。仕事の片手間に相手をしてくれているだけなのに、隙が無いんだもん。
「シュレイザーさんはさ、昔ここに後宮があったって前に教えてくれたよね」
もう勝てないと諦めて、チェス盤を横へやった。
シュレイザーさんが「おや、もうよろしいのですか」と、手帳から顔を上げる。
だってこれ以上の手が思いつかない。
「確かに後宮は王宮の歴史の中で、長らくあったものです。大勢の女性がいて、とても華やかでしたよ、表向きは」
「表向きは……って、じゃあ、どんな裏があったの?」
「あなたが知るにはまだ早い」
「僕はもう六つなのに、子供扱いしないでよ、シュレイザーさん……」
テーブルに突っ伏す僕に、シュレイザーさんはクスリと笑う。
「……何?」
「いえ……そのふて腐れたお顔は、陛下によく似ておられると思いまして」
「あ……、あいつを引き合いに出すのはやめてって言ったろ……っ。僕は母上の方に似ている……はずなんだ」
でも、僕も黒髪に黒い瞳なのには違いない。
アイツと同じなんて最悪だ。だから似てるって皆して言う。
それでもそう言うと僕が不機嫌になるって分かったのか、最近は誰も言わなくなってきたのに。
「そんなに嫌か、エド。私と似ているというのは」
扉を開け、執務室に戻ってきた父上に肩を落とした。
あーあ、顔を合わせてしまった。帰ってくる前に、部屋を出ておこうと思ってたのに。
「……いいえ。父上」
「何だそのあからさまな嘘は。で? 勉強はもう終わったのか」
「いえ……」
「なら、遊んでいないで早く部屋に戻ってやれ」
僕はムッとした。
何だよ、偉そうに!
「今からやろうと思ってたんです! 失礼致しました!」
父上の脇をすり抜け、僕は逃げるように部屋を飛び出した。
「全く……。誰に似たんだあれは」
扉を強く閉めて出て行ったエドワードに、ザルクは嘆息した。
「少なくとも、ソフィア様ではないのでは」
「まあ……それもそうだな」
ザルクがエドワードが途中で投げ出したチェスの駒を動かし、たった一手で形成を逆転させたことを、エドワードは知る由もなかった。
***********
「勉強勉強って、子供にはもっと勉強より大事なものがあるだろっ。こう……探求心を解放する時間とか、思いのままに何かをさせる時間とか」
すごくイライラする。
いくら父上に言われたからって、すぐに部屋に戻って勉強する気にはなれない。
どうしようかと思っていると、ある人の研究室が目に入った。
軽くノックして、返事も待たずに扉を開ける。やっぱりいた!
「兄ちゃん!」
僕の呼びかけに、コーヒー片手に振り返ったのはレオナルド兄ちゃん。
「あれ、こんなところで何してるの、エド」と戸口に立つ僕を笑顔で招き入れてくれる。
兄ちゃんは出しかけていた本棚の本を引き抜き、僕にカウチへ座るよう言ってくれた。
俺が尊敬するヴァンパイア二人目! レオ兄ちゃん!
面白いし、めちゃくちゃ頭がよくてカッコイイし、何よりどっかの父上と比べて断然頼りがいがある。
「ありがとう、兄ちゃん」
兄ちゃんが差し出してくれたジュースに口をつける。
レオナルド兄ちゃんは、本当は父上の弟で僕の叔父上にあたるけど、今は“リオード”っていう名前で宮廷医師をしていて、僕らの前以外では全く別人の姿に変装してる。
ブラッド法と人間を守るために命を捧げようとするなんて、ほんと格好良くて、憧れる!
兄ちゃんこそ国王にふさわしいよ。
「ねえ、どうしてレオ兄ちゃんが母上と結婚しなかったの? 僕は絶対お似合いだと思うけどなぁ。ねえ、母上はあんな父上のどこが良かったんだと思う?」
それに、僕の隣に腰掛けたレオ兄ちゃんが小さく笑う。
「お前は相変わらず兄上のことが嫌いだよね」
「だって格好悪いもん」
レオ兄ちゃんは吹き出した。
「民も異国の王たちも、父上に実力があるって勘違いしてるんだ。全部シュレイザーさんの力だよ。そうでしょう? なのにどうして母上はレオ兄ちゃんでもなく、シュレイザーさんでもなく、あんな父上を選んだの?」
母上に聞いたら、きっと困らせちゃうから聞けない。僕はもう子供じゃないから、それくらいは分かる。
レオ兄ちゃんは「そうだなぁ」と視線を上げた。
「兄上は、失敗から逃げない。誰よりこの国を大事に思ってるし、そのためには自己犠牲も厭わないという覚悟もある。自分の使命を理解してるし、弱音も吐かず全うしてきた。俺は兄上のそういうとこ、素直に尊敬してるよ」
そう言って兄ちゃんは、クシャリと僕の頭を撫でてくれる。
難しくて、よく分かんない。
今度、鏡のドラゴンに聞いてみようかな。
やっぱりクモのグリーンお婆ちゃんに聞いてみよう。
そうだ、お婆ちゃんなら何か知ってるかも。
僕は兄ちゃんの研究室から出て、自分の部屋のノブを回しながらそんなことを考えていた。
「母上! ただ今戻りま――」
そこで待っていたのは、大好きな母上じゃなく……。
「エド。勉強はどうした」
家庭教師の先生が座る椅子に足を組んで座り、怒ったように僕を見据える父上だった。
「あの……すみません」
「今日はもう遊び時間無しだ。早く座れ」
「……」
「どうした。早くしろ」
「……はい」
そうやって無理矢理勉強させたって、覚えられるものも覚えられないんだからな!
父上は分かってない。
父上に、まるで監視されるように山のような問題集を解く。
母上もレオ兄ちゃんもシュレイザーさんも優しいのに、どうして父上は……。
自分だって全然完璧じゃないくせに。
別に父上の頭が悪いだなんて思ってない。
僕の質問に答えられなかったことはないし、こっそり家庭教師の先生にすっごく難しい問題を作ってもらったこともあったけど、父上はそれをあっさり解いてしまった。
そうだ――
だったら、この質問にはどう答えるんだろう。
ずっと気になっていたこと。
「父上。後学のために教えてください」
鉛筆を置いて、自分と同じ色の父上の目をジッと見上げる。
「この国と僕たち家族、どちらが大切ですか。どちらかを捨てねばならぬ時が来たら、父上はどちらを捨てられますか」
国を捨てると答えたら、国王として最低だ。民を見捨ててもいいと思ってるんだから。
家族と答えたら、失望する。もう父親だなんて思わない。二度と口を利かない。
両方守るなんて、そんな前提の話はしていない。第一虫が良すぎる。
結局何と言われようと、僕は納得しない。
……ずるい質問だと思う。
僕は自分でも罪悪感を覚えているのか、父上のお顔色をうかがうようにおおずおずと見上げた。
けれど父上はびっくりするほど、落ち着いていて、全くたじろいでなんてなかった。
まるで答えなんて、聞かれるでもなく決まっていたかのように。
「エド。私はいつも言っているだろう。他人に尋ねる前に、まず自分の頭で考えろと。お前はどうするんだ」
「え? は、はい……ええっと、僕は……一旦、家族を安全なところへ隠しながら状況を観察し、安全を確保したら家臣らに指示を出して……それから……」
「家族を安全なところへ隠している間、誰が指揮を執る」
「ですから腹心の部下に」
「ならその腹心の部下はいつ自分の家族を逃がす。自分の家族だけが大事なのか、お前は」
「そ、それは……」
もごもごと言いよどむと、父上がため息をついた。
だって分からない。僕だって国王としての役割は理解してるつもりだ。でも、家族だって大事。
どっちも大事なんだ。
「エド、私は国王だ。この国の頂点に立っている以上、何があろうと絶対にこの国を見捨てない。それは王たる私の責務だ」
僕は拳を握りしめる。
……じゃあ家族なんだ。
父上は家族を捨てられるんだ。
あんなにお優しい母上のことも、子供の……僕のことも……。
俯いて両手を握りしめる僕の頭の上に、父上がポンと手を置かれた。
「だが私は一人ではない。シュレイザーや家臣にレオ、それに……お前がいる」
僕の名前が出たことに、ドキリとした。
「エドワード、誰であろうと一人では大切なものを守ることができない。だから一人でも多く信頼できる友人を作れ。勉強をして賢くなれ。己を磨け。信頼される者になれ。私はこの国を捨てることはない。だが、ソフィアやお前のことが何より大切なことに変わりは無い。だからこそ、信のおける者に愛する者を託し、私は責務を全うする。それが私の答えだ」
いざとなったら国を選ぶけれど、でも、家族を見捨てるわけじゃないってこと?
「あの……父上は、僕のことも、信頼してくださっているのですか」
さっき父上は、僕の名前をシュレイザーさんやレオ兄ちゃんと並べてくれた。
「私に何かあったら、誰がソフィアを守る。それとも、ソフィアに守られたいのか?」
「嫌です! 母上のことは僕がお守りします」
「さすが私の子だ」
父上が零した優しい微笑みに、なぜか胸が躍った。
父上に僕の頭を撫でられて、嬉しくて口元が緩む。
どうして僕は喜んでるんだろう。こんなに嫌いな父上に頼りにされることに。
僕は置いた鉛筆を再び手に取る。
「父上……僕は頑張ります」
べ、別に僕は父上に褒められたからやる気になったわけじゃない。
ただ……もっともっと周囲に信頼されるために、己を磨くために、父上のような王になるために。
ちょっとだけ勉強も頑張ってみようと思っただけなんだ。
****************
「珍しいですね、陛下がエドを寝かしつけるなんて」
私は、シャワーを浴びてからエドワードの部屋へ足を運んだ。
貴婦人会のあった今日はずっと忙しく、エドワードに構ってあげられなかったから。
そう思ってエドの寝室を覗いて驚いた。
添い寝する陛下の姿があったから。
「勉強で疲れたんだろう。今日は頑張りすぎたようだからな。普段は君やレオにべったりで、私には寄りつきもしないというのに」
「この子はとても優しくて賢い子です。でもまだまだ子供。本当は甘えたいんですよ、父親に」
「甘えたい? 私に……?」
不思議そうな顔をする陛下に、ゆっくりと頷いて見せた。
ベッドに腰掛け、愛しい人の隣ですやすやと眠る、愛しい我が子の髪をすく。
「この子は寂しいんです。陛下はいつも仕事に忙しくて、時間があっても勉強勉強と言うばかり。甘えたくても、あなたはそれを許してはくれない。だからエドはあなたを嫌いだって言って、突っぱねる振りをしているだけなんです。本当は認められたいんですよ、誰よりあなたに」
「そうか……」
陛下がエドを見る目が、驚くくらい優しい。
エドを初めてその腕に抱いたとき、うっすら涙を浮かべていたあの時と同じ眼差し。
「身勝手なものだな。生まれたときは、健康にさえ育ってくれればいいと思っていたのに、今ではあれやこれやと押しつけてしまう」
「それも我が子への愛情です。独り立ちしても、自分の力で幸せに生きていって欲しいと願う私たちの」
陛下はエドに厳しいと思う。
でも、それはきっとこの子にとって必要なこと。
ここは、優しくされるだけの甘い世界ではない。
特にエドは、いずれ王となる身。
陛下自身がその道の険しさを知っているからこそ、自分の全てを彼に教えようとしている。
――でも、たまにはちょっと優しくしてあげて欲しいと思うのが、私の本音。
「今夜は久し振りに、親子三人で休むか」と陛下が布団に潜る。
「あの、陛下、実は……」
「ん?」
貴婦人会が終わってからお医者様に診てもらって、分かったこと。
最近身体がだるい気がしていたら――
どうした、と顔を上げる陛下に、私はそっと自分のお腹に手を当てた。
はにかんで微笑むと、悟った陛下の瞳が輝き、表情がみるみるうちに綻んでいく。
「ソフィア……っ、まさか」
「……はい」
ベッドに腰掛けていた私を、陛下は満面の笑みで抱きしめ口づけた。
「明日エドにも報告しよう! 何と言うだろうな」
興奮を隠しきれない陛下が、「お前も兄になるんだ」と眠るエドの頭をクシャクシャに撫でる。
私も布団に潜ると、
「ふにゃ……ははうえ……」
寝ぼけながらも、途端に私の方を向いてすがりついてくるエドに、陛下は「やはりそっちか」とちょっぴり肩を落とした。
陛下はエドワードごと私を抱き、“四人”で眠りについた。