――《番外編》ソフィアの幼なじみ③
「もう飾ってくれているのか」
アーヴィンが帰ったあと、もらった花束をさっそく花瓶に活けた。
両手一杯の赤いバラは、ものすごく良い香りがしてなおかつ美しい。
「すごく綺麗だったので……。ありがとうございます、陛下」
一緒についていたメッセージカードには、朝のことの謝罪と私への愛が綴られていた。
これは大切にとっておかないと。
「さっきのことは、本当に言うべきではなかった」陛下が私を後ろから抱きしめる。「冗談としても最低だ」
とてもすまなさそうな声に、彼の手にそっと自分の手を添える。
「私こそすみません。新婚旅行で、あなた以外の男性と、あなたの分からないようなお話をしたりして」
「いや、ここから私の所へ連れ去り、君を無理にここの友人らと引き離させた。久しぶりの再会なんだ、仕方ないだろう」
そうやってあなたは、いつも私に甘い。
「でも、もっと配慮できたはずです。浮かれすぎてあなたの気持ちをなおざりにしてしまいました。ごめんなさい」
「ソフィア……」
後ろから私を抱きしめたままキスしようとして、彼はピタリと止まる。
「あの禁止令なら忘れてください」
「いいのか……?」漆黒の瞳が光る。
「ちょっと嫉妬して言ってしまっただけですから」
陛下は子供のように顔を輝かせると、では遠慮なく、とそのままの体勢で口づけを落としてくる。
まだ慣れない深いキスも、陛下は優しく誘導してくれる。とろけそうな程に甘い口づけに、全身が熱くなっていった。
陛下はそのまま耳元へ唇を滑らせ、耳たぶにも口づけた。
「……行こうか」
私の返事を待つ余裕もなかったのか、陛下はそう言うとすぐに私を横抱きにして私の部屋へ早足で向かう。
器用に扉を開けて私をベッドへ横たえ、すぐに覆い被さってきた。
「あの……こ、今夜も、ですか……? だって昨日あれだけ」
「何を言っている。夫婦なのだから、毎日朝まで愛し合うものだろう」
ま、毎日……朝まで?
そ、そうなのかな。陛下が言うならそれが普通なんだろうか。
「それに……」と、陛下は私のお腹にそっと手をあてた。
「早く君との子供が欲しいしな」
嬉しそうな笑顔にキュンとする。そんな優しい顔でそんなことを言われたら、何でも許しそうになる。
それに、私だって――
「私も欲しいです……。陛下の赤ちゃん」
陛下は時間が止まったかのようにピタリと動きを止めたかと思うと、興奮したように、着ていたシャツのボタンを引きちぎるように脱いだ。
「要望に応えさせてもらう」
浅い息を繰り返し、まるで飢えた獣のように襲いかかってくる陛下から、到底逃れることなどできなかった。
◇◇
「だーから言ってるだろ、ソフィアは別に騙されてるわけじゃねぇって。現実見ろ、現実」
野郎は、これだけ見張ってるのに何の尻尾も見せようとしない。
なんでだ。
ヒューは俺の話に呆れたように、壊れた時計の修理に勤しんでいた。次から次へとテキパキこなす。器用な奴だ。
ヒューはそう言うが、オレはどうにも納得できずにいた。
「う、うるせぇ! なんかアイツ匂うんだよなぁ。普通じゃねぇっていうか」
「貴族なんだから、少なくともオイラやお前みたいな普通さはねぇだろ」
「違う。こうもっと違う次元で」
「ああ、ソフィアの旦那が実は地方貴族じゃなくてどっかの国の王様、とかか?」
「それはさすがにねぇだろ。そうじゃなくてさ……あー何て言うか」
言いたいことが上手く言葉にできずに歯がゆい。
するとヒューが手を止めて、ぼんやり考えるように天井を見上げた。
「色白で貴族で良い男……、って言やあさ。ヴァンパイア……とかな」とヒューは自分でも寒いと思ったのか、乾いた笑いをしていた。
何言ってんだ、お前。
ヒューの言葉に、なぜかオレはそう返すことはなかった。
◇◇
「何やってんだ、オレ」
家に帰って鏡に映った、ニンニクと十字架を手に立ち尽くす自分をみると、さすがにそう言いたくもなる。
「アーヴィン、どうしたの?」
ソフィアの声にビクリとして振り返る。
「そ、ソフィア、来てたのか。ど、どうした?」
「今日で最後だから、挨拶にと思って」
「そっか……最後、か」
また会えなくなるんだな。
いや、その前にソフィアはもう、オレの手の届かない存在になってんだけど。
「ソフィーちょっとちょっと!」
「はーい、今行きます」
お袋の声に、ソフィアが返事をして遠ざかっていく。
大方、ソフィアに大量の土産でも持たせるつもりなんだろう。ったく、お袋の奴、世話焼きだから。
「アーヴィン君と言ったな。今、時間はあるか?」
ソフィアを入れ違いで、野郎がオレに声をかける。
何だよ、こいつも一緒に来てたのかよ。
「何か用っすか?」
ポケットにニンニクと十字架を突っ込み、適当に答える。
「ソフィアのご家族の墓へ案内してほしい」
奴の言葉は、とても意外なものだった。
墓場はいつも人気がなく静かで、だが日の光に包まれたそこは、どこか幻想的でもある気がした。
ソフィアの家族の墓、両親やらじいさんたちやら、その墓石一つ一つに花を添える奴の表情は、何を考えているのか読めない。
ソフィアの兄貴の墓の前に来ると、奴はそっとその前に屈み込んだ。
ヒューの言ったことを真に受けるわけじゃないけど、しみじみ見てると、本当にヴァンパイアみたいな奴だ。
だってこんな完璧に整った人間いるか?
まさか、オレの血を吸って殺す気じゃないだろうな……。思わず、ポケットの中のニンニクと十字架を握りしめる。
いや、馬鹿なこと考えてる自覚はある。
「なああんた、ソフィアのこと本当に分かってんのか? どうせ可愛いからちょっかいかけただけだろ。いたんだよなぁ、そういう輩結構。玉砕に終わってたみたいだけど、あんたは口が巧そうだもんなぁ」
ソフィアがどれだけ優しいか。どれだけ繊細で思いやりに溢れているか。
それを理解せずに、外見だけでソフィアを自分のものにしたいと思う浅い野郎に、ソフィアを幸せにできるはずがない。
奴を睨むように見据える。もちろんニンニクと十字架は握ったまま。
でも、じっと墓を見つめる奴の顔は、ものすごく穏やかだった。
「ソフィアは私を救ってくれた。本当の愛や強さを教えてくれ、真の優しさを与えてくれた」
やけに周囲が、梢のざわめきさえ聞こえないほど、シンとしている。
そう思うほど、奴の言葉に聞き入った。
「私はソフィア・クローズという女性を愛している。心から」
ざあっと風が奴を撫でた。
オレの安っぽい挑発にも奴は乗らず、この男はソフィアへの真剣な思いを口にした。
その横顔が、殴ってやりたいほど格好良くて、紳士的で。
心の底からソフィアを理解し、愛しているって嫌でも分かった。
無性に腹が立つ。
オレにはとうてい敵わないって。
さすがソフィアの選んだ男だって。思い知らされたみたいで。
もう奴が何者かなんて、詮索する必要が無い気がした。
「ああ、今、姓はクローズではなく“私のもの”になっているが」
ニヤリと笑ってオレを見る。
この野郎……っ!
「ではそろそろ帰ろうか。案内ご苦労」
すげぇ上から目線の言葉なのにあまり腹が立たないのは、こいつがやけにそういう口調が板についているからなのか、それともオレが完敗だと感じたからなのかは分からなかった。
「陛下……あ、あなた。それにアーヴィン。どこへ行っていたんです?」
墓から帰ると、心配していたらしいソフィアが駆け寄ってきた。
……奴の方へ。
「ちょっと、挨拶をな」
「挨拶……ですか?」
ソフィアは知り合いでもいるのかと、小首を傾げたけれど、あえて奴はソフィアの家族の墓へ行ったことは言わなかったし、オレも口を出すようなことはしない。
何なんだよ、この妙な秘密の共有感は……。気色悪い。
「ソフィア、行くんだな」
迎えに来た馬車を見つめるソフィアに声をかける。
「うん。今までありがとう」
そう言って馬車に乗り込もうとするソフィアの背中に、オレはこみ上げてくるものがあった。
「ソフィア!」
ソフィアはくるりと振り返る。
今、どうしても伝えたいことがあった――
「あいつと……幸せにな!」
「うん! ありがとう」
その笑顔は、今まででずっとずっとソフィアと一緒に過ごしてきた中で、一番輝いて見えた。
オレがわざわざ言うまでも無い。
ソフィアは十分幸せなんだ。
旅行カバンを手にした奴がそっとオレに近づいてくる。
「アーヴィン君、一つ言っておくが、吸血鬼はこんなものでは撃退できかねる」
いつの間にオレのポケットから抜き取っていたのか、奴は十字架を手にニンマリと微笑んでいた。
「……え?」
我、々……?
オレが言われたことを理解するより早く、奴は十字架をピンと指で空へ弾き飛ばした。
「お……おい、どういう意味なんだよ! おい!」
何言ってんだ、あいつ。
あれ?
そういえばさっきソフィアがあいつを“陛下”って呼んだような……。
まさか……。
まさか、な。
カラリと、十字架が地面に落ちる乾いた音が後ろで聞こえる。
遠ざかっていく馬車を見送りながら、オレは浮かんだいくつかの疑惑の答えが分からないふりをした。
あとがき
新婚旅行の一幕でした。