――《番外編》ソフィアの幼なじみ②
「ふあーあ。ったく、朝っぱらから何しに来たかと思ったら」
時計職人見習いで幼なじみのヒューゴが、パジャマ姿で大欠伸をかましながら工具やらネジやらが散乱するテーブルの上を適当に片付けてコーヒーを淹れ始める。
ってか自分のだけかよ、こいつ。
「ソフィアの事ならオイラも聞いた。地方貴族と玉の輿婚したんだってな。しかもその男が随分良い男だってんで師匠の奥さんも大騒ぎしてたぜ」
「け、あんな顔と金だけの男」
「女の世界じゃそれが全てだ」
「ソフィアには釣り似合わねぇ!」
渋い顔をするオレを、ヒューは眉をひそめてじっと見つめてくる。
こいつはオレの知り合いの中でも顔が綺麗だってかなりモテる方らしいけど、女じゃないオレはじっと見られても嬉しくもなんともねぇ。
「何だよヒュー、気持ち悪い」
「お前まだソフィアが好きだったのか? 確かにメチャメチャ可愛いけどさぁ。人妻だぜ? 人妻。それはそれで萌えるが」
再び欠伸をして、ごそごそ袋からパンを取り出してかじりだす。
それカビ生えかけてんぞ。
「黙れ、ヒュー! あの野郎、何かニオうんだよなぁ。あいつは地方貴族じゃねぇ。本当はもっとこう……借金まみれのろくな男じゃないはずだ!」
「はあ? 妄想だろ。男の嫉妬はみっともねぇからやめろ」とズルズルコーヒーを啜る。
「いいや。あの女受けする面でかつ、金持ちなんだぜ? だったら少なくとも女癖は悪いはずだ。行くぞ!」
「行くってどこへだよ! おいおいやめろよ、まだ飯が――」
「黙れ、アイツの正体を暴いてソフィアを助けるっ!」
ごちゃごちゃ言うヒューの首根っこをひっつかんで、オレは外へ出た。
◇◇
朝の空気は少し冷たくて、まだ眠気の残る頭にはちょうど良い目覚ましだった。
「実に新鮮だ。朝食のための食材を買いに行くとは」
陛下はやけに晴れやかで清々しい表情で空を見上げていた。
その隣で、私はそっとあくびをかみ殺す。
「すまないソフィア、あまり寝かせられなかったな」
目ざとい人。
朝はもっとゆっくりしてくれていても良かったのにと、私を気遣うように、陛下がそう言葉をかけてくれる。
「平気です。それに折角の新婚旅行ですから、時間は目一杯使いたいんです」
陛下を見上げて目が合うと、彼は白い歯をこぼす。
そんな大切そうに見つめられると、恥ずかしさに目を合わせていられなかった。
ああ、一緒に歩いているだけでドキドキする。
「君の手料理が楽しみだ」
「あ、あまり期待しないでください」
陛下は微笑みながら、俯く私の頬にキスを落とす。それも何度も。
往来でキスをするカップルは珍しくないけれど、朝っぱらからこんなに一方的なキス攻撃をされると、さすがに人目が気になった。
それだけ愛してくれているのは伝わるけれど。
「あ、あの……ちょっと知り合いに挨拶してくるので、先に向こうの市場へ行っていてください」
恥ずかしさに赤くなった顔を冷まそうと、彼から離れる。
「すぐに戻ってくるんだろう?」
キスの途中で私が手からすり抜けたからか、陛下は少し不満げだった。
「はい、す、すぐ追いつきますから」
「ああ……」
また後で、と別れる前の微妙な空気が、妙にくすぐったかった。
◇◇
「羨ましいぐらい熱々だな」とパジャマ姿のヒュー。
物陰からソフィアと野郎の様子をヒューと一緒に観察していたが、さすがに着替えさせれば良かった。
ヒュー自身はそれほど気にしてないらしいが。
「明らかに睡眠不足なソフィア。そんなソフィアを愛おしそうに、往来で朝っぱらからキスしまくる夫。諦めろ、完全なる新婚さんだ。残念だが、あの二人にはもうお互いしか見えてねぇよ」
「んなことはねぇ! ソフィアは純粋だからそうかも知れねぇが、野郎の方はボロを出すはずだ! 化けの皮はがしてやるっ!」
市場の方へ歩き始めた奴の後を、めちゃくちゃ嫌がるヒューの服を引っ張って追いかけた。
「見せてもらっても構わないか?」
露天で果物を売るミーナは、野郎の声に「はいはい」と顔を上げ、その顔を見た途端耳まで真っ赤にした。
「えっ、か、格好い……、じゃなくて、いらっしゃいませっ、どうぞ手にとってくださって、け、結構です」
嘘だろ。
普段あれだけサバサバしてるミーナが、あんな女っぽい顔するなんて!
「色つやがいい。良い物を揃えているんだな」と奴がしみじみ言う。
本当に分かってんのか?
「ああ、あ、ありがとうございますっ。よろしければ、試食してください」
試食だと……。オレなんか何回もあそこで買ってやってる常連なのに、未だそんなこと言ってもらったことねぇぞ!
顔か? 世の中顔なのかよっ!
「だが、たくさんありすぎてよく分からんな。君のおすすめは?」
奴の流し目にやられたのか、ミーナは爆発したかのようにますます顔を赤くした。
「あーあれは、かなり女慣れしてるな」と呑気な口調のヒュー。
こいつは自覚がないが、オレも驚くくらい勘が良い。
そのヒューが言うんだから、あの男は間違いなく女を扱い慣れているんだろう。
「だろ? やっぱお前もそう思うか。絶対一人二人手を出すはずだ!」
その証拠をつかめば、ソフィアも目を覚ます!
「え、えっと、あのっ……でしたらこれなんか」とミーナがリンゴの入った籠を持ち上げようとして取り落とす。
「や、やだ……」
ゴロゴロと地面に転がるリンゴに、ミーナは商品がと、慌てて露店から飛び出してきた。
「きゃっ」
だが転がり落ちたリンゴの一つを踏みつけたらしく、バランスを崩す。
危ない!
そう思うが早いか、奴がミーナのよろめく身体を抱きしめるように受け止めた。
「大丈夫か」
至近距離で奴にのぞき込まれ、ミーナは惚けたように奴に見とれていた。
「は……はい! もうやだ、私ったら」
とか言いながらミーナ、めちゃくちゃ嬉しそうにしやがって……っ。
しかも、ちゃっかり野郎の背中に手を回してしっかり抱きついてやがるし。
いや、あれはミーナがしがみついているように見えてそうじゃない、あの男の方がミーナを放さねぇんだ、絶対!
「すまないが、もうすぐ妻が来るから放してもらえないか。誤解されたくない」
ミーナ結構可愛いのに、眉一つ動かさずそんなことを言うとは。
野郎、なかなか格好良……いや、それだけ女慣れしているということだ、と自分を納得させる。
「え……あ、やだごめんなさーい」
ミーナが奴から手を離すより早く、運悪く……いや、オレにとっては幸運なことに、それをソフィアがばっちり見ていた。
可愛い眉をひそめ、大きく踵を返してその場を立ち去る。
野郎は慌てて追いかけていった。
ざまあみろ。
路地裏にソフィアを引っ張りこんで、拗ねるソフィアをにやついた顔でからかうように何か言っていた。
その途端、奴は何を言ったのか、怒ったソフィアが指輪を外そうと手をかける。
そうだ、ソフィア。そんなものドブにでも捨てちまえ!
◇◇
「落ち着け、落ち着いてくれソフィア、冗談だ!」
陛下は結婚指輪を外そうとする私の手を懸命に止める。
「冗談でも言っていいことと悪いことがあります。新婚旅行中に別の女性を『後宮に連れて帰ろうと思って』だなんて……。もう夫婦としてやっていく自信がなくなりました! さようなら!」
「も、もう二度と言わん! 頼む……君なしでは私は生きていけん。すまなかった、許してくれ」
額にダラダラと汗をかいて、外だというのに両膝をついて驚くほど必死に謝る陛下が少し可哀想に思った。
本当にほんの冗談のつもりだったんだろう。
アーヴィンのことで嫉妬した分、私のことも嫉妬させたくて。
さっき女性と抱き合ってたのだって、多分転びそうになった彼女を助けただけなんだろうと思う。
それは分かってる。
でもやっぱり、ショックというか、腹立たしい気持ちは残っていた。
「分かりました。でも、今日から一月、キスも含めて禁止です」
「え……あ、いや、し……新婚なのに……か?」
陛下の絶望的な顔は、まるでこの世の終わりを私が宣告したかのようだった。
「結婚しているのに、まして新婚なのに他の女性に気を取られるからです」
「取られていないっ! さ、さっきのは、本当に……。わ、……私を信じてくれないのか?」
顎を引いて、捨てられた子犬のような目で私を見つめる。
す、すぐそんな顔で拗ねるんだから。
でも今回は、まだ許さない。
「信じられるかどうかは、これから見極めます」
「……どうやって」
未だ膝をついている陛下の頬を包み、唇をそっと近づけていくと、陛下の口角が反射的に嬉しそうに上がった。
でも私が寸前でやめて顔を離すと、陛下は焦れったそうに立ち上がって私を壁に押しつけた。
先ほどキスできると期待した穴を埋めるように、自ら口づけようとした。
けれど、さっきの私の言葉を思い出したのか、もどかしそうに離れる。
それでもやっぱり諦めきれないように、顔を近づけ、悔しそうに顔を離した。
「そういうことか。君の言ったことをきちんと守れるかどうかで、私が信用できるか見極めると」
獲物を逃したライオンのような顔をしていて、なんだか面白い。
「ソフィア……君も私の扱いがこなれて来たな」なんて恨み節が聞こえたけれど、
「早く帰って朝食にしましょう」と手を繋ぐと、少し機嫌が直ったようだった。
◇◇
何をタワムレてんだああ!
何でそうなる。
何でそうなる?!
あの温厚なソフィアが怒ったってのに、何でまたすぐイチャイチャしてやがんだ!
分かった。あいつは根っからの詐欺師に違いない。
ソフィアは純粋だから、弄ばれてんだ!
「夫婦仲もよさそうだし、お前のつけいる隙はないって」
「つ、つけいる? オレはただあいつが怪しそうだって思っただけだ」
「ああそうかい。オレは仕事あるから、じゃあな」
ヒューは寝ぼけたツラをひっさげてさっさと帰って行った。
この薄情者っ!
オレは一人でもやるからなっ。
手を繋いで、仲良く家に帰っていく二人の後ろ姿は正直微笑ましい。
でも、あいつから漂う異常なものを、オレの第六感センサーが感知して仕方ない。
そうこうしている内に、ソフィアん家から良い匂いがしてきやがる。
ソフィアの手料理か。くそっ! オレは朝食まだなのに……っ。
朝食を終えたのか、野郎が一人でどこかへ出かけていくのが見えた。
大方、さっきのことでソフィアに追い出されたんだろう。絶対そうだ。
意を決して、ソフィアの家の扉を叩いた。すぐに扉が開かれる。
「あれ? アーヴィン。おはよう、どうしたの?」
「あの……傍まで来たから」
そう言うと、何の警戒心もなしにオレを中へ招き入れてくれた。
幼なじみの特権だな。既にソフィアは結婚してるが……。
食事用のテーブルの椅子に座らせてもらい、オレはソフィアとやっと二人きりになれたドキドキ感に支配されていた。
緊張して喉がカラカラになる。
「どうぞ」
湯気の立つ温かい紅茶を差し出してくれた。
優しいなぁ、ソフィアは。
「ごめんね、さっきまでたくさんお料理もあったんだけど、陛……じゃなくて主人が全部食べちゃって」
「い、いい、いい! 気にするな。もう食ってきたし!」
そう言いつつ、部屋の中にまだ残る旨そうな朝食の香りに、危うく腹の虫が鳴きそうになった。
「あ、あいつとはどうやって知り合ったんだ? あいつ、貴族なんだろう? 俺たち庶民とは違うのに、どうやって?」
空腹を誤魔化すように振った話題に、なぜかソフィアは少し困ったように視線を泳がせた。
何でだ?
なれ初めなんだから、もっと楽しそうに話せるはずだろう?
「彼とは、偶然……街で会って」
偶然街で会った?
オレは悟った。
街でソフィアを見かけたあの男が、金と権力に物を言わせてかっ攫うかのように連れ帰ったんだろうって。
まさか……そこで手籠めに遭って、奴と結婚せざるを得ないように仕向けられたんじゃ……!
オレの脳内に、シーツで身体を隠しながらグスンと泣く裸のソフィアと、そんな彼女の肩を抱いて「これで君は私のものだ」とめちゃくちゃ意地悪く笑う野郎の姿が浮かんだ。
あの野郎ッ! やっぱりろくな奴じゃない!
……全部妄想だが。
「ソフィア、悩んでることがあったら何でも相談しろ? オレ……お前のためなら何でもやる! オジサンもおばさんも兄貴も亡くして、色々苦労してきただろう」
「ありがとう。でも平気。今はあの人がいるから……」
なんでそんな可愛く顔を赤らめて、可愛いこと言うんだよ!
既に何度目かの絶望に苛まれていると、遠慮がちに扉がノックされた。
「すみません、お届けものです」と変にくぐもった声。
「は、はい!」
ソフィアが慌てて扉を開けたが、そこには誰もいない。
だがその足元には、大きなバラの花束が置いてあった。
「これ……」
花束を拾い上げてメッセージカードを読み、ソフィアが顔を上げると、その視線の先には角にある店の壁に凭れながら、不安げにソフィアを見つめるあの男の姿があった。
ソフィアは嬉しさを隠しきれない様子で微笑むと、奴もどこか安心したように微笑んで、そのまま道を挟んで見つめ合っていた。
何が書いてあったのかは知らん。
けど、明らかなことがひとつ。
オレ…………、邪魔じゃね……?