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The Vampire Castle  作者: 二上 ヨシ
The last Landing
62/81

st.ⅩⅡ       The Necklace

 丁寧な文字の並ぶ便せんは、遠くの街の香りを運んできてくれる。

 そこには、様々な場所で、様々な人たちに出会っては流れていく旅の様子が、ありありと記されていた。

 

「またレオからか」

 

 いつの間にか部屋に入ってきたらしい陛下の声に、私は手紙から顔を上げた。

 嫉妬の混じったような、拗ねた子供のような表情を浮かべながら近づいてくると、カウチの隣に腰掛けながら、音を立てて頬に口づけてきた。

 いつもよりちょっと長くて力が強い気がするのは、多分嫉妬が入り交じっているからだろう。

 

「今回は陛下へのメッセージもありますよ。『P.S. 兄上にも元気でって伝えて』」

「……たったの一行とは何と愛想の良い弟だ。君へは便せん何枚も綴っているくせに」

 

 恨めしそうにそうは言っているけれど、陛下の顔は決して曇ってはいない。どこか晴れやかで、“元気そうで良かった”とでも言いたげだった。

 

「やっぱり心配なんですね、陛下も」

「そ……そんなことはない。あいつなら、どこへ行ってもやっていけるだろう」

 

「陛下はデリケートですもんね」

「デリケート?」

 

 不服そうに綺麗な眉をしかめる。

 

「はい。ここに書いてあるような、晩ご飯をポップコーンと安いウイスキーだけで済ましたりだとか、虫やカビだらけの安い宿場で一夜を過ごしたりなんてできないんでしょう?」

「……想像もしたくない」

 

 苦虫をかみつぶしたかのような顔をする。

 陛下はどこへ行っても、たぶん”陛下”だろうから、今レオ様がしているような生活なんて到底無理だろう。

 私もそんなことをしている彼なんて、とても想像つかないけれど。

 

「まあ、君がいるなら話は別だが」

 

 じっと、優しくも真剣な漆黒の双眸に捉えられる。

 

「どんな食事だろうと、どんな場所だろうと、君がいるなら受け入れられる」

 

 本当になんて綺麗なひとなんだろう。シルクのような肌、優しい瞳、完璧な鼻梁にシャープな顎のライン。

 傷一つ無い白い指で頬をなぞられると、恥ずかしさはありつつも自然と瞼が下りた。


 啄むような優しいキスから深みを増しながら、陛下の息が徐々に熱っぽくなっていく。

 カウチに少し強引に押し倒され、心地の良い口づけに意識がぼんやりとし始めた。ゆっくりと全身の力が抜け、まるでそれを見計らっていたかのように、陛下の手が腰へ下りていく。


 これ以上は、と抵抗しかけたその時――

 

「ダメだ!」

 

 突然大きな声を出して、飛び跳ねるように立ち上がった陛下に驚いた。

 

 何やら部屋をグルグルと回りながら、ブツブツと「落ち着くんだ……」と自分の胸に手を当てて、自分に言い聞かせるように何度も呟く。時々見える横顔が、やけに赤い気がする。

 

 外見は本当に完璧なのに、中身は……なんて言うと失礼だろうけれど、こんなところも、なんて言うか“人間”らしくて憎めない。

 

「陛下……?」

「だ、大丈夫だ、君にまだ何かしようという意思はない。いや、まだ、というのは少しはそういう気があるとかそういうものではなく、あーそうだな。そ、それより君のお兄さんは、どんな人だったんだ、ソフィア」

 

 突然、しかもあからさまに変わった話題は、きっとさっきしようとしたことが気まずくなって、早く誤魔化したいという思いの表れなんだろう。

 不器用なひと、と小さく笑みがこぼれる。

 

「そうですね。兄は……」

 

 ペンダントをギュッと握ると、あの頃の事が今でも鮮明に思い出せた。

 

 

 

 ――『すごいじゃないかソフィア、また一段と上手くなってる!』

 

 お兄ちゃんは私の描いた絵を、まるでありがたい物でも授かったように掲げて笑っていた。

 お兄ちゃんに褒められると、誰に褒められるより嬉しかった。

 もっともっと上手くなって、お兄ちゃんに褒められようとした。

 

 ――『さすがオレが教えただけあるな、ソフィア』

 

 よく似ていると言われる目元を細め、得意げにそう言っていた。

 

 ――『お兄ちゃんは、どうして最近絵を見せてくれないの?』

 

 まだ幼かった私がそう尋ねると、お兄ちゃんは少し表情を硬くする。

 

 ――『……納得できるものが、なかなかできないだけだよ。よし、じゃあそろそろ行かないと』

 

 ――『またお仕事行くの? 帰って来たばっかりなのに? ご飯は食べないの?』

 

 ――『大丈夫だ、雇い主が優しくてな。いっつも働いた後にたっくさんおいしい物食べさせてくれるんだ。だから気にしなくて全部食べていいんだよ、ソフィア。じゃあな、行ってきます』

 

 ――『お兄ちゃん、今日は二人で食べよ。ね、だから早く帰ってきて、ね?』

 

 ――『分かった。すぐに帰る。約束するよ、ソフィア』

 

 不安げに見上げる私の頭を、クシャリと優しく撫でてくれる。

 

 ――『だから泣くなよ、ソフィア』

 

 ムッとして泣かないもんと、言うと、『お前は泣き虫だから』と笑っていた。

 確かに私は、転んだだの寂しいだの、よく泣いていた。

 お兄ちゃんはいつもそんな私を心配していて……。


 それが、兄との最後の会話だった。

 

 

 ――『ポケットに入ってた。あいつ、ソフィアちゃんの喜ぶ顔を見るのを、何より楽しみにしてただろうになぁ……』

 

 そう言って喪服を着た兄の同僚が差し出してくれたのは、小さなペンダント。私が欲しいって泣きながらねだったものだった。

 

 ――『腹が減ってても、雇い主に手を潰されても、文句一つ言わずに働いてたのに』

 

 ――『手を……?』

 

 ――『ああ。休憩時間に絵を描いてたのが気にくわないって。ヒデェよなあ……。見た目こそ大丈夫だったが、おかげで絵を描くとき、手が震えてもうまともに描けなくなっちまってた』

 

 確かに一度、お兄ちゃんが手に包帯をして帰って来たことがある。

 何てこと無いなんて言っていたし、見た目はすっかり治っていたのに。


 兄の同僚が渡してくれたスケッチブックのページは、途中から鉛筆で乱暴に塗りつぶされて真っ黒になっていた。

 何枚も何枚も。最後のページまでずっと。

 

 お兄ちゃんは絵が好きだった。

 いつでもどこでも、人や風景を描いては嬉しそうに笑っていた。


 私も好きだった。温かくて、優しくて。活き活きとしたお兄ちゃんの絵が。

 

 しびれる手で描いた震えた線を見て、涙が止まらなかった。

 何枚も何枚も続く、めちゃくちゃに塗りつぶされた同じ構造の風景が胸に突き刺さる。



 陛下が、じっと静かに私を見つめているのを感じた。

 

「兄が倒れたとき、私のせいだと思いました。私のために遅くまで頑張って、なのにたまの休みの日だって私と遊んでくれて。私が兄の寿命を縮めたんだって」

 

 そう、全部私のためだった。

 朝から晩まで働きづめだったのも。いつもまともに食べられなかったのも。

 なのに、まともに感謝の言葉も言えなかった。謝らなきゃいけないこともたくさんあったのに、もう謝ることもできなくなった。


 お兄ちゃん……私、ペンダントも新しい洋服も何もいらないから。

 お腹が減ったって平気だから……だからお願い、帰って来て……。


 また、一緒に絵を描こうよ。

 上手だって、褒めてよ。

 

 首からさげたペンダントを握る、手の力が強くなる。

 

「私……あのときこれを欲しいって言わなければ、もしかしてお兄ちゃんは死ななかったんじゃって。好きな絵を描き続けられたんじゃないかって、本当は思っていて……」

 

 このペンダントを見るたびに辛くなった。

 それでも、捨てられなかった。お兄ちゃんからの、最後の贈り物を。

 

「そうじゃない。ソフィア……」

 

 陛下の気遣うような声が、すぐそばから舞い降りてくる。

 

「私には、お兄さんの気持ちがよく分かる。どんな辛いことも、苦しいことも、君の笑顔で全て吹き飛ぶ。何が何でもそのペンダントを買おうと思ったのは、君のためでもあり、同時に自分のためでもあった。だから君のせいなどではない、ソフィア。だから泣くな」

 

 ――『泣くなよ、ソフィア』

 

 頭を優しく撫でてくれるその手が、お兄ちゃんのものと重なって思えた。

 いいえ、私を置いて消えていった、両親や祖父母のものとも。

 

「陛下は……いてくれますよね。いつまでも、いつまでも私の傍にいてくれるんですよね」

 

 彼の服を掴んで、涙を流して、声を震わせて。

 私は何を、子供のようなワガママを言ってるんだろう。

 バカみたい。

 

 どんな顔で見つめられているのかと思うと、怖くて顔を上げられなかった。

 哀れみ? それとも面倒だと思われているかもしれない。

 

「ごめんなさい、私……あの」

「ソフィア……夜六時の鐘が鳴ったら、あの場所へ来てくれないか? あの湖の畔に」

 

 湖の……ほとり?

 

 ――『無礼者の君の名は?』

 

「ああ。私たちが最初に出会った場所だ」

 

 思わず彼の顔を見上げる。

 陛下の漆黒の瞳は、どこか不安げで緊張ぎみで、それでも固い決意をしたような。

 そんな色に満ちふれていた。

 

 こんな表情をして私を呼び出すと言うことは、きっと彼はそこで聞かせてくれるんだろう。

 

 私への、永遠の愛の誓いを。

 ずっと傍にいるという、何よりの証である言葉を――

 

 そう思うと、彼と目を合わせているのが途端に恥ずかしくなった。

 

「ソフィア?」

 

 俯く私の髪を梳き、心地よく低い声で私に呼びかける。

 

「あの……わ、分かりました」

「必ず」

 

 陛下は私にキスを落とすと、何度も振り返って、名残惜しそうに部屋を出る。

 

 まだ胸がドキドキしてる。

 思い上がり……じゃないよね。

 

「色々あったねぇ……ここまで」

「――! み、ミセスグリーン」

 

 いつの間に!

 

「よいしょ」と彼女は私の肩を上ってくると、扉の向こうに消えた陛下を見て小さくため息をついた。

 その中に、色々な思いが詰まっている気がした。

 

「厄介な方に好かれて、好きになって……。一時はあの方をどうにかしてやりたいほど憎らしくも思った。でもね、ソフィー。今のあんたは、今まで以上に、とっても……綺麗だよ」

 

 彼女のつぶらな瞳がゆらゆらと涙に揺れ、同時にどこか凜としていた。

 娘を送り出す母の顔。例えるならそんな感じ。

 

 彼女はまるで我がことのように喜んでくれている。

 

 もし彼女と出会わず、あの狭い部屋に閉じこもったままだったら……。

 

 陛下はきっとまだとても遠い存在で、私の世界は窓枠に切り取られた小さな空間だけで。傷つくこともなく、でもこうやって誰かと喜びを分かち合うこともなく、淡々と同じ日々を生きていたんだろう。

 

「お兄さんも、お父さんもお母さんもみんな、きっと祝福してくれてるよ。だから式は盛大に挙げなくっちゃね」

 

 二本の足を大げさに上げてみせる。

 私は、なんて素晴らしいひとたちに出会ったんだろう。彼女を見つめると、そんな思いで胸が満たされていく。

 

「そのときはね、ミセスグリーン……。あなたには一番前の席にいて欲しい」

 

 彼女は一瞬何を言われたのか分からず、二本の足を上げたまま硬直した。

 

「あ、あたしなんかがかい……? ば、ばば、場違いじゃないかねぇ、身内でもない、しかもあたしみたいな一般庶民が」

「いいえ。だってあなたは私の、もう一人のお母さんだから」

 

 ミセスグリーンの八つの眼に、ゆっくりと洪水の波が押し寄せてくる。

 

「ソフィーあたし、も……」

 

 突然彼女は言葉を詰まらせたかと思うと、ものすごい勢いで飛ぶように壁の隙間へと逃げていった。

 

「ミ、ミセスグリーン!? どうしたの?」

 

 彼女が入っていった壁の隙間に声をかける。

 

「ね、ねえ、ミセス……」

「いいんですか? 本当にこれで」

 

 聞き慣れない声がした。

 跳ねるように肩越しに振り返る。

 

「だ、誰……」

 

 突然の侵入者に、壁を背にしたまま、呆然とそう尋ねる。

 

「そんなに怯えないで。私はキミの味方ですから」

 

 

 そこには、左半分を包帯で覆った、とても顔立ちのよい白銀の髪の男性が佇んでいた。白鳥のような、大きな白い翼をその背に携えて。

 

あとがき

 更新遅くなってすみません --;

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