st.Ⅰ The Inner Palace
長いかもしれないので二話に分けました①
「よし、できた」
噴水の縁にすわって、久しぶりに本格的に描いていた絵を満足げに空に掲げる。
それにしてもさっきから後宮全体が騒がしいような気がするけど、一体何だろう。
「ソフィア! き、き、き、聞いたかいソフィア!」
ミセスグリーンが慌てて近寄ってくると、私の肩の上でゼイゼイと息を整えた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「ここが無くなるんだって!」
「ここって?」
「ここだよ、後宮!」
「え……」
一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。
――「ねえ、聞いた? 後宮が取りつぶしになったって話」
――「待ってよ、私たちはどうなるわけ?」
――「もう陛下には二度と会えなくなるの?」
――「嫌ぁっ」
確かに、後宮の女の子たちの、悲鳴のような声があちらこちらから聞こえてくる。
「……ほ、本当に?」
「そうみたいだな」
男性の声に振り返る。
「ぐ、グレイさん! どうやってここに」
後宮は厳重な警備が敷かれてあって、陛下の許可無しじゃ入れなかったはず。
「今日から厳しい出入り口のチェックは無くなった。もはやここも、単なる城の一部だ」
ほら、と言われて見た先には、男性貴族の姿がチラチラと見受けられた。
それじゃあ、本当に本当なんだ。でも――
「わ、私たちは、どうなるんですか」
「貴族に嫁や妾、もしくは侍女として引き取られるか、奨励金をもらって城を出て行くかの二択だ。お前は陛下と婚約したんだろう?」
「こ、婚約はまだですけど……」
一応プロポーズは受け入れてないつもり……だから。
み、みんなはどうするんだろう。周囲を見渡すと、入ってきた貴族に媚びを売り始める女の子がさっそくいた。
なんだか複雑な光景。
「ソーフィー!」
「アリス。ど、どうしたの、その荷物」
アリスが大きな荷物を抱えて近づいてくると、それをドカッと地面に置いた。
「私にはお城の生活なんて、やっぱり向いてないって思ったの。きらびやかなドレスも、高い宝石も、高級なお肉もいらない。私は広い世界で、外で自由に生きて、自由に走り回って」
「アリス……」
確かに、彼女に後宮は狭苦しく息苦しい世界だろう。風みたいに伸びやかな人だから、本当は今まできっと窮屈に暮らしていたんだろう。
「そしてこの金で、魔界一のギャンブルクイーンになるわ!」
ぱんぱんに膨らんだ麻袋を誇らしげに掲げる。
ギ……ギャンブルクイーン?
それにそれって、自立支援ようの奨励金なんじゃ……。
「これを百万倍にしてやる! フフフフ」
金貨の入った袋を見つめてヨダレを垂らす。
止めるべきなのか、頑張ってと言うべきなのかすごく迷った。
「ミセスグリーンも応援してくれるでしょ」
「へえ……? ええ、まあ、あんたなら何か大丈夫な気はするね」
曖昧に答える。
ミセスグリーンも、私と同じ気持ちだったらしい。
「アリス……気をつけて」
「ソフィー。ええ」
ずっと会えなくなるわけじゃないのは分かってるけど、数少ないここでのお友達と離ればなれになるのは、やっぱりすごく寂しい。
お互い引かれ合う磁石のように抱き合った。
「ソフィー、あなたが王妃様になっても、私のことは友達だって思っていてくれる?」
「勿論、いつだって会いに来て。ありがとう、アリス……今までそばにいてくれて」
「私もソフィーといられて楽しかった。とっても!」
アリスは名残惜しげに体を離すと、ミセスグリーンと握手を交わす。
「ミセスグリーンも、ありがとう。ついでにブラックさんも、さようなら」
「アリス、グレイさんだよ」
何度も何度も、こちらを振り返りながら去って行く彼女の姿が遠ざかっていく。
「寂しいね、ミセスグリーン」
「そうだね。でも大丈夫。友達ってものは、クモの糸よりずっと丈夫なもので結ばれているんだから」
「私とミセスグリーンとも?」
「もっちろん!」
視線を感じて顔をあげると、グレイさんがジッとこちらを羨ましそうに見つめていた。
「ぐ、グレイさんともです」
そう言うと、納得したようにこっくりと頷く。
あれ、この人ってこんな人だっけ。ちょっと可愛い……。
「ソフィア」
「――!」
ドキッとして心臓が止まるかと思った。
この声には弱いから……。
「陛下」
「ちょっと……」
ミセスグリーンとグレイさんがいるからか、陛下は柱の陰から遠慮がちに私を呼んだ。
「ああそうだ。私もそろそろお洗濯物でもしなくちゃね。ゆっくりしてきてちょうだい」
彼女が小さくウインクしたような気がした。
**********
陛下は湖の畔へ私を連れてくると、湖の方をじっと見ながら黙りこくる。ここは確か私たちが最初に出会った場所。
ここで月の絵を描いていると、彼に突然話しかけられて……それからいろんなことに巻き込まれていった。
今となっても良い思い出とは言いがたいけど、きっと意味のある試練だったんだって思いたい。
「今頃レオ様はどこで何をしているんでしょうね」
そう話題を振ったけど、陛下は押し黙ったまま何も言わない。
「陛下?」
顔を上げると、陛下は不機嫌を顔に貼り付けていた。
「私といるときに、私以外の男の話をしないでくれ」
「ああ、ヤキモチですか」
「ヤ、ヤキモチじゃない。ちょっと妬けるだけだ」
それをヤキモチっていうんですよ、陛下。
こみ上げる笑いの衝動を抑える。
「後宮、無くすんですね」
「ああ。私は君さえいてくれれば、それでいいからな」
陛下は私に気を使ったんだろう。心遣いが嬉しい。
「それで、何か?」
促すようにそう尋ねた。
わざわざここへ来て、何もないということもないだろう。それにこのどこか張り詰めた空気。
「ああ……そうだな」
彼の緊張が伝わって、私も背筋を伸ばして姿勢を正した。
「き、聞いてくれソフィア」
オホンと咳払いして陛下は気をつけの姿勢で顎をあげ、頬を少し赤くして口を開く。
「き、君は私の月だ。荒野に咲く一輪の花だ」
「…………」
「き、君の笑顔は私の虚空のような心に満ち、私の心のグラスは、君というワインでいっぱいになる。え、永遠の愛というラベルを貼ったワインボトルに、私たちの愛を詰め込もう。それが逃げないようコルクで蓋をしよう」
どこかからか拾ってきたのか、それとも自作なのか。陛下はガチガチに固まりながら、愛の詩を延々と唱え始めた。
一生懸命考えたんだろう。きっと今だって、いっぱいいっぱい。
嬉しい。気持ちはすっごく嬉しい。
でも……なんだか、穴があったら入りたいほど、とても恥ずかしい気持ちになるのはなぜ?
「いかなる栓抜きにも、私は立ち向かいましょう。そして年々深みを増すワインのように、私たちの愛も年々深みを増して――」
ああ、なんだか聞いていられないけど、耳を塞いじゃだめよね……やっぱり。
「だから、私と――」
「あのーすみません、便所どこですか。まだ来たばっかりなもんで迷っちゃって」
陛下渾身のプロポーズをそんな言葉で遮られ、陛下は鬼の形相で振り返った。
私は実のところ、ちょっと胸をなで下ろしたんだけど。
「お、お前……」
私と陛下の視線の先には、軍服姿の、がっちりとした逞しい体つきの男性が立っていた。
制帽の下から見える茶色の髪と、精悍で凜々しい顔つき。
見覚えのある人だった。
「Schoen, Sie wieder zu sehen【またお会いできて光栄です】、お二方。大抜擢の末、本日付で城内護衛第一部隊に配属されました、ダニエル・ゾイゼです」
制帽を取って軽く頭を下げる。
「ダ、ダンさん!」
そう。
伯爵さんとお城を抜け出した時に出会った、ヴァラヴォルフのお巡りさんだった。