st.ⅩⅨ The Departure
同時更新②
「君には非情と思われるかもしれないけど、正直どう受け止めていいのか分かないよ」
お城の裏にある長い階段を降りながら、レオ様はそう言った。
周りに人気はなく、レオ様は黒いローブを身に纏い、右手には大きなトランクを持っていた。
「確かにあれはオレたちの父親だけど、もう三百年近く前に亡くなったと思っていた存在。それがいきなり現れてまたすぐに消えた。まるで幻か何かだったみたい。むしろ教科書の人って感じだしなぁ」
とても困惑しているようだった。肉親を失ったのに、思ったほどの悲しみが沸きあがってこないことに戸惑っているように見える。
私とレオ様の後ろを黙ってついてくる陛下も。
二人ともすごく優しい人たちだから。
もしかしてエディーさんは、それも踏まえた上で早々に王位を譲渡して姿を消したのかもしれない……と思うのは、ちょっと考えすぎなのかな。
「ここまででいいよ」
階段の途中の踊り場で、レオ様は立ち止まった。何が詰まっているのか分からないけれど、重そうなトランクを持ち直す。
「死んだことになってるオレが、ここにいることはできないからね。君と離れ離れになるなんてとても辛いけど、またいつか会えると信じてる。生きてる限り、これは永遠の別れなんかじゃないって」
「はい」
レオ様がそう言うのなら、ここで泣くわけにはいかない。きっとまた、会えるんだから。
「兄上……」
二人はがっちりと抱き合った。レオ様は何も言わないし、陛下も同じ。
ただ二人の間だけに通じる何かがあるんだろうって思った。
「じゃあね。ソフィアを泣かせたら、オレが奪いに帰ってくるから。言っておくけど、兄上には前科があるんだからね」
「お前に言われるまでもない。さっさと行け、邪魔だ」
レオ様はふと笑いを零すと、残りの階段を降りようと背中を向けた。
「あ、一個確認しておきたいんだけどさ」
一段降りて振り返る。
少し意地悪そうな顔で、私をじっと見つめた。
「ソフィアの初めてのキスの相手って……オレ?」
「え? ……あ、……えっと……」
どうしていきなりそんなことをっ!
顔が熱くなって思わず俯くと、陛下の拳が震えているのが見えた。そっと顔を上げると、目が完全に据わっている。
レオ様は勝ち誇ったように、綺麗な唇の端を上げると、
「そっかそっか。やっぱりそうなんだ。やけにぎこちないと思ったんだよね。可愛かったけど」
「レオ……ッ」
「ま、それでちょっとは気が紛れるかな。一人旅の寂しさも」
レオ様はローブのフードをかぶると、階段を降りていく。心なしか、とてもゆっくりに見えた。
名残惜しいんだろう。
長く住んできたこの地を、人々と離れるのが。
たくさんの人たちに、愛されてきた人だから。
私も寂しい、とても。
「……ソフィア」
レオ様の姿が遠ざかっていくのを見つめていると、ふいに陛下に呼ばれて顔を上げた。
風に揺れた前髪が、鼻を撫でる。
陛下が差し出したのは、大きな皮のトランクだった。一体何なのかが分からず、首を傾げた。
「ソフィア、本当は、レオが好きなんだろう?」
「……へ?」
彼は一体何を言ってるんだろう。訳が分からない。
「分かってるんだ。あそこまでのこと、好意を持ってなければできるはずない」
陛下はわずかに声を掠れさせ、苦しげに表情を歪めた。
“分かってる”って言われても。
檻に忍び込んだときは、確かに夢中になっていたけれど。それがたとえ陛下だって同じことをしていた。レオ様のことは好きだけど、そういう“好き”じゃなくて……。
「お……追うなら今だ」
「は、はあ」
無理矢理押しつけてくるトランクを、しかたなく受け取る。
「あの、陛下?」
けれど陛下は鞄の取っ手から手を放してくれようとせず、ギュッと握りしめたままだった。
「分かってる……分かってっ」
陛下は目を伏せたまま頬に光る涙を走らせていた。
勝手に思い込んで、勝手に悲しんで。
変な人。
「そうです、陛下……これ」
ポケットにしまっていた四つ折りの紙を取り出す。
以前、グレイさんに監禁まがいのことをされていた時に描いたもの。陛下の横顔を描いいた。もちろん、とびきり格好よく。
陛下はそれを別れの餞別だと思ったらしい。紙を受け取ると、胸に当ててますます悲痛に顔をゆがめて涙をこぼし始めた。私が、レオ様の元へ行ってしまうと思って。
愛しい人。とても。
「陛下……私はずっと、王たるあなたの背中が特別だと思っていました。民衆を率い、盾となる大きな背中がって。けれどその盾は鉄でできているわけじゃない。痛みも苦しみも感じる。血だって流す」
陛下はゆっくり顔を上げた。濡れた瞳に私が映り込む。たぶん、私の顔は彼に負けず真っ赤だろう。それでも、彼から目をそらさなかった。
これから彼に告げることは、とっても大切なことだから――
「私は、そんなあなたの後ろではなく、あなたの隣に立っていたいと思ったのです。でないと、あなたの喜んだり苦しんだりする顔が見えませんから。共にそれを分かち合うことも」
陛下の表情が徐々に変わり始めた。
まるで何かを期待するかのように目を見開き、じっと私を凝視する。
「それ、は、つまり……?」
先を促す陛下に、私は息を深く吸って吐いた。
震える手を握って、声を絞り出す。
「それはつまり……これから先もあなたとずっとずっと一緒に生きていきたいということです。あなたに一番近いところで。あなたの隣で。泣いてもいいですよ。心に血を流したって。私が拭いますから。とても微力だけど……。あなたは理解してくれなくてもいいと言いましたが、私はあなたを理解したいです。それが他の人にとってどれだけ納得のいかないものでも。私だけは、あなたと一緒に喜んで、一緒に苦しんでいきたいですから」
彼の涙をぬぐうと、トランクが陛下の手からこぼれ落ち、代わりに私が抱きしめられた。髪の間に指を滑り込まされ、これ以上ないほどに強く抱きしめられる。
「私の稚拙なプロポーズよりよほど上等だな」
「私は陛下の真っ直ぐな言葉が好きです」
「何度でも言う」
陛下はそっと体を離すと、はにかむように微笑んだ。
「ソフィア、結婚しよう」
「は」
“い”と続けようとして、ふと思いとどまった。
「な、な何だ、何がダメだった!」
陛下は急に焦ったように冷や汗を流し出した。
「いえ、ただ……リザのときも同じことを? と思って」
陛下の動きがわかりやすいほどにピタリと止まった。
意外と柔らかそうな髪をかき上げる。
「し、正直なところ、あまり……というか全く覚えていないんだが……多分そんなようなことを言ったかもしれん。いや、だが木の葉と月の如く、重みは全く――」
「陛下は……本気で私を愛しておられるのですか」
心の片隅にあった、小さな不安。陛下の顔が真剣なそれに変わる。
「本当は、あのときのことで私を哀れんでいるだけではないのですか」
「あのことをなかったことにしたくて、私が君を妻に迎えようとしていると?」
陛下は大きなため息をつくと、少し怒ったようなまなざしを向けた。
「なら試しに他の男とキスでもしてみるがいい。本気で怒り狂う私が見られるはずだ」
本気で怒り狂う陛下……。どうしてか、あまり怖そうに思えないと言ったら、拗ねるかな。
「分かりました。やってみます」
「……え」
「他の男性……シュレイザーさんとか」
「待て、今のはものの例えだ! 絶対に許さんからな! 本気でこの辺りが荒野になるからなッ!」
怒ってるというより、涙目になってる。疑うなんてかわいそうだったかな。
彼がどれだけ私を愛してくれているのかなんて、私が一番よく分かっているはずなのに。
「冗談です」
「本当に冗談か?」
「もちろん。でもプロポーズは別の言葉がいいです」
「それはそうだな、当然だ。プロポーズの使い回しなど言語道断……ああ、ではえっと……まあ、そのあー、この国の妃として……ではなく、私の生涯の伴侶……イマイチだな。だからその」
「では考えておいてください。お休みなさい」
「ちょ、ちょ」
陛下の手を引き離して、階段を上っていく。
「ソフィア」
足を止めて振り向いた。
「次は必ず『はい』と言わせてやる」
闇の中のヴァンパイアは、これほどまでに美しいのかと思った。こんなにも美しい獣なら、牙を突き立てられようとも、抵抗せずに受け入れてしまうかもしれない。
挑戦的なその瞳には、飲み込まれそうなほどに大きくて白い月が映りこんだように輝いていた。
「待っています」
階段を駆け上がった。
心臓が痛いほど早く脈を打っている。冷たい風が、熱く火照った頬には気持ちよかった。
私を大切に思ってくれていた人が遠くへ旅立って、私が大切に思っている人に告白をして、受け入れてくれてプロポーズされた。
風も穏やかで雲ひとつない空だったのに、私の人生の中で一番刺激的な、嵐のような夜だと思った。
「ソフィー、見てたよ。ぐふふふ」
「マイプリンセス……っ、大王様と結婚しちゃうの……?」
「――え」
木の陰に隠れていたミセスグリーンとアリス、伯爵さんたちにも、追い打ちをかけられて、後はもう、逃げるように部屋に帰った。
あとがき
レオ君さようなら……(ノД`)/・゜・。
というわけで、これにて「ブラッド法」編はおしまいです。
次回からは最終章編スタート。