st.Ⅴ School And A girl of Third-class
後宮には教養を学ぶための学校がある。まあ人間界から右も左も分からずに連れてこられた子たちばっかりだから、ヴァンパイア界の“一般常識”とやらを後宮の女性たちに学ばせる必要があるみたい。
学校もスクール・ファースト、セカンド、サードのランクがあって、選べる授業科目なんかが異なる。ファーストの教室はやっぱりきれいで広いし、授業で使われる器材も充実しているらしい。
ちなみにこの学校は強制じゃない。でも、ヒマだしすることはないし、王は教養のある女性を求めるようだからってみんな真面目に通ってる。
私以外は……。
そりゃ人間界にいたころは、ちゃんと学校にも行ってたわ。こんな世界の常識になんて、溶け込みたくないだけ。
「いいじゃない、行きましょうよ!」
でもリザがさっきから私の腕をグイグイと引っ張る。スクール・ファーストの授業に一緒に出ようといって聞かない。
「けど私はサードだし」
「リザの言うとおり、大丈夫よ。ハイスクールっていうよりカレッジって感じだから。出席も取らないし、誰が誰か分からないって」
ジェニファーも、二つに分けた髪の一方をクルクルと弄びながらそう言った。それはどうやら彼女の癖らしい。
「ほら、行くわよ、ソフィー!」
「ああ、ちょっと……」
というよりそもそも勉強についていけないのですが……。そんな私の心の声など届くはずもなく、ズルズルと純白の壁が美しいキャンパスの中へ引きずられていった。
***
「で、あるからスて」
さしすせそに特徴のある話し方をする、ヒゲだらけのアンデッドル先生。土色の体に、大きな歯が一本飛び出ている。身長はそう高くないけれど、やけに細くて、白衣の下からチラチラと肋骨が見え隠れしていた。時々眼が飛び出し、そのたびに慌てて仕舞うのはご愛嬌。ちょっと舌たらずなのは、寝ている間に舌の先を鼠にかじられちゃったんだって。しかもその話は今日で二十七回目らしい。
先生が空中で光るチョークを揺らすたび、後ろの黒板に光の文字が書かれてゆく。時々くしゃみをして意図しない巨大な波線が描かれてしまうけど、そんな時は掌ですぐに消せるみたい。一体どういう仕組みになってるんだろう。
それにしても、学校なんて久しぶり。先生や黒板はともかく、こうやって皆と机を並べて授業だなんて。思い出すな、故郷の友達のこと。
「はい、ではそこの君。答えなシャい」
「……」
「君、そこのニタニタスてる君」
え、私? ニタニタしてた?
「ショれだけ笑顔だったら、これ分かるでソ?」
アンデッドル先生はチョークで黒板をコツコツと叩いた。そこにはわけの分からない数式と魔方陣らしきもの。何ですか? そこから火でも出せばいいんですか?
「……えっと、その」
私がモジモジしていると、リザがスッと手を挙げた。
「先生、彼女は陛下のことばかり考えて笑っていたんですわ。代わりに私が」
クラスメートはそれに笑い、リザがウインクする。ありがとう……。でも心なしか何人かの視線が冷たい。まあ、そりゃあ一人の男性を数百人で取り合っているんだものね。私は参戦しているつもりはないんだけど、ここにいる限りは強制参加。
リザは階段状になっている教室をツカツカと降りると、先生からチョークを受け取ってサラサラと答えを書いた。
「シェい解! 君は優秀だね、えっと……アルフレッド君」
「インスティテュートですわ、先生」
「いやあシュまない、インチュチュチュート君。何せ頭に虫が湧いとるもんじゃから、ウヒ、ウヒ、ウヒ!」
先生が頭蓋骨をパカッと開けると、大きな虫が眼をパチクリとさせていた。それに皆は顔をしかめたけど、私はとっても面白い先生だと思ったわ。
***
「ごめんね、リザ」
キャンパス内のオープンカフェでお茶を飲みながら、勉強を教えてくれるというリザの好意に甘えていた。しかも私はお小遣いをもらえる人もいなかったから、この“魔女が作った最高のカフェオレ”とやらもリザが奢ってくれた。申し訳なくてならない。
「いいのよ、友達でしょう?」
リザはそう言って、お気に入りらしいロイヤル印のアップルティーを飲みながらにっこりと笑う。本当にいい子。分厚い教科書は様々な科目があって、基本魔術書とか、王族歴史書だとか、悪魔大全とか、あとは礼儀作法書にその……夜のそういう指南書なんかもあった。ヴァンパイアの学校なんて下らないと思ったけど、あんな先生がいるなら悪くない。次からはちゃんと授業に出よう。もちろんスクール・サードの方だけど。
リザはもう基本書はいらないから、全部くれるって。私は本当に友達に恵まれたわ。
「実技がないのが本当に残念」
ルルーが黒い髪を撫でながらそう言った。彼女は黒魔術とやらが得意らしく、その豊富な知識は頭から山羊のような角が生えた、デビルド先生も長い舌を巻いているという。でも実技の授業はなかったから、それも宝の持ち腐れなんだとか。
「そりゃあそうでしょ、ヘルドラゴンでも召喚する気? こんなところで黒魔術なんか使われちゃあ、陛下だってお困りになるわ」
ジェニファーが例の如く、二つにくくった髪の一方をクルクルと指で遊んでいた。
「でも、あんただって本当はやってみたいんでしょう、ジェニー。部屋に魔法陣の書かれた紙がたくさん散らばってたじゃない」
今日も赤い短髪に豪華なカチューシャをつけたニーナに図星をつかれ、ジェニーはごまかすようにカップの中身を喉の奥へ押し流した。
楽しそうだな、なんて私はのんきに笑ってたけど、ここでも時々、冷たい視線も感じていた。そりゃあある一定の場所以外はファースト以外の者も自由に行き来しても良いけど、暗黙の了解というか、ファーストはファースト、サードはサードのいるべき場所があると思われていた。
「気にすることないわ、ソフィー。あなたが美人だから嫉妬しているだけよ」
「そ、そんなことないわ」
ミセスグリーンもそう言ってくれるけど、リザの方が数倍キレイだと思う。金髪に蒼い眼、かわいい唇に透き通るような肌。私が王だったら、彼女をきっと正室に迎える。
あ、社交辞令ってやつか……。
「お嬢さん方、相席をしても?」
低くて聞き心地のよい男性の声。
“男性”? 全員声の主をハッと見上げた。
「へ……陛下……」
テラスにいた全員が息を呑んだ。おしゃべりの口がそのままの形で止まっている。王がこんなところへ、ひょっこり顔を出したことなどないんだろう。
でもそんな私たちに構わず、王はお付の衛兵に当然のように椅子を引かせると、長い足を組んでゆったりと腰掛けた。
「どうした、みんな固まって。そんなに私が恋しかったのか?」
分かってやっているのか、それとも天性のものなのか。色気のある流し目で私たちに視線を投げかける。ヴァンパイアは人間の血を飲む薄汚い怪物だと分かっていても、その容姿の美麗さに胸が高鳴るんだから私も現金よね。
「あ……はい。もちろんですわ、陛下」
リザは頬を真っ赤にして、眼を潤ませながら王を見つめていた。そのドキドキがこっちにも伝わってきそう。王は余裕な様子でふと笑うと、運ばれてきた赤い飲み物の香りを優雅に楽しむ。
ワインよね、血じゃないよね……。別の意味でドキドキしながらそれをじっと見ていると、王の漆黒の瞳とかち合ってしまった。
あの日、湖の傍のことを思い出して体に緊張が走る。
大丈夫、名前は言ってないし、シーツで顔も見えなかったはず。
「君はサードクラスか」
王はワイングラスを置いて、私を興味深そうに見とめた。おそらく雰囲気で察したのだろう。
「はい、でもあの……帰ります」
私はここにいるべきじゃないだろうし、何よりきまりが悪い。リザからもらった教科書を持ってそそくさと立ち上がった。
「なぜ」
それに足を止めた。
「君のような者が、この私に近づくチャンスだろう?」
少しイラッとする物言い。誰もが自分に興味を持っていると思ってる。少なくとも私はヴァンパイアなんかに近づきたくない。それがたとえ、どれだけの美男でも。
「でしたら他の方にそれを譲ります」
「座るといい」
「……」
「どうした、サードクラスの女」
も、ものすごく不愉快……。でも確か王の命令に逆らうと、何かしらの処罰を受けさせられると聞いた。私はしぶしぶテーブルに戻って、椅子にストンと腰掛けた。
「名は」
王にこれを聞かれるのは二度目。でも怪物に教える名前なんかありません。怒られたって構わない。
「……サードクラスの女で結構でございます。キング・ザルク」
リザやジェニファーたちは青ざめていたけど、
「なるほど、斬新だ。幾百もある女の名前なんぞ、覚えていられないからな。あえて大きく括るとは、お前はなかなか機転が利く」
しまった、逆に気に入られてしまった。王は長い指でグラスを取ると、私の目を見ながら一気にワイングラスの中身をあおる。何か言いたいことでもあるのかしら。そう思った矢先、
「だがサードクラスの女。私はおそらく君を知っている」
「――!」
どうして? 私は掌がじっとりと汗ばむのを感じた。私のようなサードクラスの女が王に知られているということは、何か大きなことをやらかしてしまったということだろう。まさか噛み付かれるのだろうか、足も僅かに震えていた。
「“リザ・インスティテュート”……ではないか?」
「へ?」
一気に脱力した。何だ、勘違いだったのね。
「あの、恐れながら。リザは私ですわ、陛下」
自分の胸に手を当ててそう言うリザに、王は目を丸くし、心から驚いたような顔をした。
「君が?」
「は、はい。何度かお相手も務めさせていただきましたわ。名前もその際にお伝えしたかと」
記憶になかったらしい。王は少々ごまかすかのように咳払いをした。本当にひどい男。ヴァンパイア以前にね。
「すまない、あー、では君があの月の絵を?」
「ご覧いただけましたの? 感激ですわ!」
「確かクモの糸で描いた……」
「ええ、花と草を貼って作った」
そこまで聞いて、私はどこかおかしいと思った。クモの糸? 花? 草? ちょっと待って、それって……。
口を開こうとした瞬間、誰かにギッと足を踏まれた。ジェニファーもルルーもニーナも、みんな冷たい目で私を見ている。
何なの……、一体どういうこと?
「そうだったのか。どうやら私は大きな思い違いをしていたようだ」
「いいえ、陛下。構いませんの」
「実はあの絵を最優秀にしようと思ってな。私自らメダルを持って来た」
「まあ! そんな!?」
リザは口元に手をやって、歓喜したように立ち上がった。王も続いてゆっくりと立ち上がると、上着のポケットからするりと美しいメダルを取り出す。
「おめでとう、リザ。君の感性に私は感服した。これは君のものだ」
周囲から割れんばかりの拍手が巻き起こる。リザはそれを受け取ると、涙を流しながらメダルを胸に抱きしめた。
そんなリザに、王は彼女にだけ聞こえるよう、耳元に唇を近づけて何か話した。リザの顔がますます嬉しそうにほころぶ。
「では、待っている」
「はい」
「サードクラスの女、すまなかったな」
「……い、いえ」
「ではリザ、今夜」
「Yes, your Majesty」
リザはスカートを軽く掴んで膝を少し折った。
この騒動に、テラスはザワザワとどよめきが収まらない。でも私は、心に穴が空いてしまったかのようだった。
王の姿が見えなくなると、私ははじかれたようにリザを見る。リザは冷たい眼で私を見つめ、口元には薄い笑みを浮かべていた。
彼女は私の抱いていた教科書を奪い取ると、分厚いそれを私に向かって思い切り投げつける。額に当たって、火のような痛さが走った。
「さあ、この安っい本を恵んであげるから、とっとと帰りな、サードクラスの女!」
「リザ……」
「あんたはここにいるべきじゃないでしょ? サードクラスの女!」
「ジェニファー……」
「泥臭いおうちに帰りなさい。サードクラスの女」
「ルルー……」
「よかったら、コーヒーも施してさし上げましょうか? サードクラスの女さん」
「ニーナ……」
頭からコーヒーをかけられ、周囲の人のヒソヒソ声と笑い声がグルグルと渦巻く。
「友達だと……思ってたのに」
裏切られた? 違う、彼女らはきっと初めから。気づかなかった私が鈍かったんだ。カフェのひさしからぶら下がったリザのコウモリが“ケケケケケ”と体を震わせて笑っていた。
私は本を掴んで、急いでそこから立ち去った。後ろから大きな笑い声がする。
悔しくて、悲しくて。私はここへ来てから初めて涙を流した。
あとがき
ちなみにコーヒーには牛乳が入っていたので、油分でソフィアの髪がつるつるに……はならないか(笑)