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The Vampire Castle  作者: 二上 ヨシ
The Landing
48/81

st.ⅩⅦ      The Scenario

短いので二話同時アップ②

「レオ様……っ」

 

 開けるとすぐ、大きな牢があった。

 彼は大きな石壁にもたれかかり、両腕を頭の上で一箇所にまとめられ、鎖で拘束されていた。

 

 まるで神の受難を描いた絵画のように、凜とした静寂さを感じた。

 

 首にできた傷は癒えることも治療を施されることもなく、痛々しいまま放置されている。

 

「レオ様!」

 

「ソ、フィア……?」

 

 閉じられていた瞳がゆっくりと開き、うつろな目が私を見る。

 あんなにも、大海の水面のように輝いていたレオ様の目が、今は濁った水たまりのように光を失っていた。

 

「どうして……っ」

 

 冷たい鉄格子に触れて跪く。錆びたようなニオイが鼻腔をくすぐった。

 

「ソフィア……オレに会いに来てくれたんだ。処刑執行人かと思って、ちょっと身構えちゃった」

 

 体を動かす気力すらないように見えた。冗談めかして浮かべる小さな微笑みすらも、きっと激しく体力を消耗しているのだろう。

 

「助けに来たんです」

 

 レオ様は目を見開く。わずかに瞳に強さを取り戻したように見えた。

 

「助けに……って?」

 

「このままあなたを放ってはおけません。陛下を裏切るようなまねをしたのだって、何か理由があるのでしょう?」

 

 レオ様は嘲笑するように口角をあげた。今度こそ獣のようにギラついた目で私を射貫く。

 

「何言ってるの? オレたちはヴァンパイアなんだよ? 血を吸いたいに決まってる。兄上を裏切ったのはただそれだけの理由だよ」

「あなたは、そんな人じゃない!!」

 

 思いの外出た大きな声が、氷のような石造りの壁に反響する。

 

 この鉄格子の向こうにいる彼と、私の知っている彼の間に違いなんて無い。

 

 絶対に――

 

 

 なんて情けない、こんな緊迫している時に、涙があふれそうになるなんて。

 

 レオ様は微笑んだまま、スッと目を細めた。

 

「君の血は最高だった。甘くて、舌触りがよくて、いい香りもした……それにすごく気持ちよくなれる。君の全てを手に入れたような気がしたよ。でもやっぱりそれだけじゃ我慢できなくなってさ。君のその白くて細い首筋に牙をつきたてて、熱い血を喉へ流し込みながら君を陵辱するのがずっと楽しみだった」

 

 真っ赤な舌で白い犬歯をなぞるのが見えた。

 

「ずっと言いたかったソフィア。君の血が欲しいって。君だって心地よくなれるんだ。ねえ、今から試さない? もちろん限界値を超えて君を化け物にするようなマネはしないから。ほら、おいで、オレのソフィー」

 

「レオ君……キミなんてこと言うんだッ!」

 

 伯爵さんが鉄格子を掴んで怒った。初めて、こんなにも感情を乱す伯爵さんを見た。

 それでもレオ様は、やめない。

 

「すごく気持ちいいよ? オレなんて、あの舌触りを思い出すだけで――」

 

 それ以上、聞いていられなかった。

 

「ま、マイプリンセス? ダメだよ!」

 

 止めようとする伯爵さんを振り切り、檻の鍵を開けて中に入った。

 

 真っ直ぐレオ様へ向かって手錠の鍵を外すと、彼に向かって座る。

 

「どうぞ」

 

 手錠を外したというのに、レオ様はそこを動こうとせず、不思議そうに私を見つめる。

 

 久しぶりにそばで見るレオ様に、懐かしさと悲しみが渦を巻いて襲いかかってきた。

 

「血を飲むなり……辱めるなり。どうぞお好きにしてください!」

「ま、マイプリンセス……!」

 

 驚いた伯爵さんが飛び込んでこようとする前に、レオ様に強く腕を引かれた。

 

「へえ、その気になってくれたんだ」

 

 顔を近づけられ、キスをされるかと思ったけれど、彼はそうはしなかった。

 

 レオ様の指が頬をなぞり、首筋をおりていく。

 その間もずっと彼の青い瞳を見つめ続けた。

 彼のしなやかな指が、するりとドレスのリボンを解く――

 その直前で手が止まった。

 

「どうして……抵抗しないの」

 

 体を離したレオ様の目は、少し前までよく見たあの優しい目だった。

 

 変わってない、彼は何も。

 

 

 やっぱり信じられる。

 

 この人だけは――

 

 

 グッと胸が押し潰されそうになって、思わずレオ様の胸元を掴んだ。

 

「あなたは自分の欲望のために誰かを手に掛けるマネなんて、絶対にする人じゃありません。誰が何と言おうと、あなたが何と言おうと! 私はそう信じています……」

 

 その瞬間、背中から押し倒された。

 伯爵さんが息を呑んだのが分かる。

 

「君を愛したのは失敗だった」

 

 私を見下ろす、ゆらゆらと儚げに揺れるレオ様の瞳は、必死に苦しみを打ち消そうとしているかのように見えた。

 声は震え、背中に感じる石よりも、頬を触れる彼の指先のほうがずっと冷たい。

 

「必要以上に巻き込みたくないのに、心の奥底でこれ以上愛する君を欺きたくないと思ってしまう。全てを吐露したいと思ってしまう」

 

「ならやっぱり……あなたは」

 

 レオ様は、戸惑ったような、困ったような笑みを浮かべていた。


「兄上には、黙っててね。知らなくていいことだから」


 この一連の騒ぎには裏があったんだ。彼はやっぱり、悪人じゃなかった。


 私は上半身を起こすと、床に座り込んでいるレオ様の腕を掴んで引っ張る。

 

「早く! レオ様!」

 

 ここを逃げないと、もうすぐ――

 

 もうすぐ処刑の時間が来てしまう。

 

 間に合って良かった。もうすぐ彼は自由になれる。こんなにも薄暗く、狭いところに閉じ込めていい人じゃない。

 

「行けない」

 

「……え?」

 

 驚きに、目を見張った。

 

「オレはここを出ることができない」

 

「どうして……。何かの魔術でですか? だったらどうすれば――」

 

 レオ様は私の手をふりほどくと、また元の位置に戻って座り込んだ。

 

「レオ様……」

 

 私の外した手錠を弄びながら、淡々とした口調で語り始める。


「オレは今日、死ななくちゃいけない」


「何を……言っているんですか」

 

「これに脚本があるとすれば、ストーリーはこうかな。昔々あるところに、王家の次男として生まれた男がいました。めったなことで死ぬことのないヴァンパイアは、長男以外を一般貴族へ落とし、王位継承争いを避ける方法を取っていました。それを不服に思うものもいる中、その次男にとっては制約の少ない一般貴族の身分はとてもありがたいことだったのです。制限の多い兄を尻目に、彼はやりたいことをやりたいようにやって生きてきました」

 

「……レオ君」

 

 伯爵さんが悲痛な声で名前をつぶやいた。

 そう。レオ様が一体、誰の話をしようとしているのか、言われなくとも分かる。

 

 レオ様は手錠で傷ついた左手首に、再び自ら手錠をかける。

 カシャン、と無機質な音が響く。

 

「でも彼は一つ、とても気がかりなことがありました。吸血を制限するブラッド法。それに怒りを鬱積させ始めている有力貴族たちを、彼は間近に見てきました。しかし、彼らは不満を持ちつつも、その王の力はとても強大で自分たちがいくら束になろうと敵わないこと知っていました。ならばどうすれば引き摺り下ろせるのか。彼らは思い至りました。“そうか、一番の弱点を狙えばいい。王の愛する女を”、と」

 

 王の愛する女……

 

 ……私?

 

 レオ様は天を仰ぐように、後頭部を壁につけて顔を上げた。

 

「王家の次男だった彼にとってそれだけは許せないことでした。ずっと何事も我慢を強いられてきた兄が、やっと愛し手に入れた人を、奴らが自分たちの欲のために奪おうとするなどと。そこで次男は考えました。どうすれば兄たちの幸せを護れるのか。彼の出した結論はこうでした。自分がその反乱の船頭となって、船ごと沈めてやればいい」

 

「――っ」

 

 呼吸が止まるかと思った。

 だったらレオ様は反乱を指導してきたんじゃなく、陛下を、私を守るために、わざと――

 

「レオ様、初めから……そのつもりで?」

 

 彼は口元に優しい笑みを浮かべる。

 

「演技派だろ、オレって。生まれ変わったら俳優になろうかな。ヒロインは君で」

 

「でもだったら……陛下だって分かってくれます! 早くここから逃げましょう」

「できない」

 

 レオ様は首を振る。

 

「どうして……! どうして逃げようとしないのですか! 檻の扉は目の前で開いているのに!」

 

「ブラッド法を護らなければならない。あの法のために反乱を起こした者がどんな末路をたどるのか。あれだけ仲のよかった弟ですら、容赦な処刑されるとあれば、奴らはブラッド法に反対することへの恐怖を強く植えつけられることになる。そしてこれに乗じて、刑罰を死刑にまで引き上げ、この法律をより強化することができる。不安定ながらも成立した先王のブラッド法が、オレの死によって完成する」

 

 彼の目は本気だった。

 今から訪れようとする死の恐怖にも勝る、強い使命感に満ちあふれていた。

 

「だからオレはここから出るわけには行かない。死ぬまでありったけの声でブラッド法の反対を叫び、王の手によって冷酷に断罪される必要があるんだ。ブラッド法強化の糸口を作るために」

 

「そうまでしなきゃいけないのですか……。あなたの命まで、捧げなければならないのですか!」

 

 みんな口をそろえて言っていたことだけれど、ヴァンパイアの血への欲望が、どれほど凄まじいものなのか、私には想像もつかない。

 

「これで兄上が冷酷な王であることを強烈に印象付けられる。オレは……いわばイケニエだ。逃げることは許されない。狂言だと勘づかれれば、ブラッド法は永遠に不完全なままになる」

 

「レオ様……!」

 

 ずっとそうやって生きてきたというの? 生け贄だなんて。そんな悲しい思いを抱えて?

 

 ――『大丈夫、あの国だって立派な独立国家なんだから。王が命がけで護るよ、兄上がそうしているように。オレが君をそうするように』

 

 ふと、いつかレオ様が言っていた言葉を思い出した。あの言葉にそれほどの決意が込められていたなんて。気づかなかった。あまりにもサラリと口にしていたものだから。

 

「ごめん。せっかくオレのために来てくれたのにね。酷いことも言って怖がらせた」

 

 熱い涙が零れた。

 それをゆっくり掬ってくれる。

 

「それでもこれは、オレたち自身が護らなきゃいけないものだ。ヴァンパイアの威信と誇りにかけて。他でもない、愛する君たち人間のために」

 

 なんと言葉をかければいいのだろう。

 

 伯爵さんは、声を押し殺して泣いていた。

 

 結局、いつも守られるばかりで、何一つ、できることがないなんて――

 どうして……!

 

 爪が掌にどれだけ食い込んでも、痛みなんて感じなかった。それよりもずっと、胸の奥が痛い。

 

「ソフィア……初めて会った日のこと覚えてくれてる?」

 

 ぽつり、と彼が言葉を漏らした。

 それにつられるように、図書館で会ったことが頭をよぎる。

 

 ――『ソフィア・クローズちゃん、かな?』

 

「実はオレにとってはあれが初対面じゃないんだ。本当はもっと前からオレは君を見ていた。時々絵を描いてたろ? すごく楽しそうに」

 

 ゆっくり頷く。あの頃はしょっちゅう部屋に引きこもっていたけど、時々ミセスグリーンに促されて絵を描きに外へ出ていた。

 

 見られてたんだ。

 

「君の事をもっとよく知ろうと、君の借りている本まで調べて、名前を知った。白状するとさ、一目ぼれだったんだ。一瞬で心を奪われた」

 

 あまりにストレートな物言いに、カッと顔が熱くなった。

 

「今まで兄上が結婚することになる女を知るために後宮へ足を運んでた。その女性を反乱貴族どもの手から護る必要があったから。けど君に出会ってからは、君に会うために通うようになった。君の顔を見たくて、君の声を聞きたくて、君とのひと時を過ごしたくて。そのために足を運ぶようになった。まさか兄上と取り合うことになるなんて思わなかったけど」

 

 懐かしむような、愛おしむような表情を浮かべた。哀しげなのに、とても美しい。

 

「本当はずっと誰かを好きになんてならないって決めてた。どうせオレはその愛を貫き通すことなんてできないんだからって。けど……何度君に愛される夢を見たか。何度君を想って眠れない夜を過ごしたか。いずれはあの法のために死にゆく身だって自分に何度も言い聞かせてたのに、それでも君を愛して君に愛されたくて、そばを離れられなかった」

 

 突然、レオ様に抱きしめられる。

 とても強い、強い力だった。

 

「もう二度とこうして君を腕に抱けなくなるのが、それが一番辛くて仕方がない……。幸せになってくれるよね? 病気も怪我もしちゃだめだよ。どんなに君が辛くとも、オレは……もう治してあげられないんだから」

 

「お願いです……やめてください……」

 

 涙の熱で両目が溶け出しそうだった。胸が悲しみで押し潰されて苦しくて、まともに息が吸えない。

 

「君が兄上を愛してると分かったとき、すごくショックで……でも同時に心のどこかでは安心してた。これで君は大丈夫だって。そうだろう? 兄上ならどんなときでも君を護ってくれる。永遠に君を愛し続けてくれる。それにオレが命をかけて護るんだから」

 

「わざと……私と陛下を結び付けようとしたのですか」

 

 レオ様は答える代わりに、白い歯をこぼした。

 

「今思えば、兄上の愛した人が君でよかった。オレにとっても愛する人のためにこの身を捧げられるんだから。オレの心もいつも君の傍にあるよ、ソフィア」

 

 伯爵さんが私の腕を引っ張って、檻の外へ連れ出そうと引っ張っていく。

 

「レオ様っ……イヤです!」

 

 受け入れられない、何を言われようとも。

 

「あの王家の次男の物語は悲劇なんかじゃない。だって今オレは、とても満たされた気分だから」

 

「でも……レオ様ッ!」

 

「さようなら……オレがこの世で唯一愛した女性ひと

 

 夜露のような雫が青い瞳から零れ落ち、冷たい床にあたって弾けた。


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