st.ⅩⅣ The Smell of Death
陛下の暗殺が行われるという場所へ、天空を駆ける馬に乗って向かう。その途中、色んなことが頭を巡っていた。
思えば、レオ様との出会いはとても不思議だった。
――『お探し物はこれですか? カワイイお嬢さん』
今でも覚えてる。初めての出会いを。
図書館であるお気に入りの本を探している途中、突然うしろから口をふさがれた。
てっきり蛇男司書さんか誰かだと思ったのに。
振り返った彼があまりにきれいでびっくりした。
その、宝石のように青い瞳に見つめられるのが恥ずかしいくらい。
彼はすでに私の名前を知っていて、私は彼の名前を聞いて驚いた。
――『王はオレの兄。兄弟いるって知らなかったの?』
知らなかった。この世界のことになんて、興味がなかったから。
ヴァンパイアをとても恐れていたはずなのに、明るくてどこか憎めないあの人に対しては、そんな恐怖心や忌避の心なんて忘れてしまっていた。
――『オレ、君に決めた』
あの場でプロポーズされて、抱きしめられてキスをされた。
リザたちに本をぶつけられたときにできた額の傷も、処刑されかけて瀕死だった私の体と傷ついた心までも癒してくれた。
どんなときでもいつもそばにいて、励ましてくれたのに。
思えば、初めてのキスだって。
誰からも慕われて、悪く言う人なんていないとみんなが口をそろえて言っていた。
それはきっと、
――『オレが今までこうやって自由に生きられたのは、兄上のおかげだって思ってるんだ。兄上が重責の全てを、弱音も吐かず一人で負ってくれているからだって』
そうやって、自分のことよりも、周りの人の気持ちを思いやれる優しさがあったから。自分の地位に甘んじることもなく。感謝も忘れなかった。
そんなあの人が……こんな……。
涙がこぼれてしまいそうになった。
でも泣いてはいられない。止められる可能性が一パーセントでもあるのなら、まっすぐ前を見ていなきゃいけない。
それが私のせいだというなら、なおさら。
そう思っても涙で滲んでくる瞳に、己の弱さを感じた。
しっかりしないと……しっかりしろ……!
その時ふいに、ある仮説がふわりと私の中に浮かんだ。
もしかしたら、彼は――
「確かにレオ様は、今までとても優しく接してくださいました」
突然口を開いた私に、グレイさんは黙って耳を傾けてくれる。
「でも、あの人は私に好かれたくて優しかったわけじゃない。たとえ私が男性だろうと、子供だろうと、きっと同じように接してくれたはずです。だからみんなに信頼されて……彼はそういう人です」
「何が言いたい?」
彼にまとまりのないことを話している内に、徐々に推定が確定に変わっていくのを感じた。
きっと、きっと――
「彼は、陛下を暗殺しようとしてるんじゃありません」
思ったより、張りのある声が出た。それはきっと、私の自信によるもの。
「どういうことだ。あの方は、反乱側である我々をけん引するお立場なんだ」
「それを利用して、この反乱事態を失敗させようとしてるんです。ブラッド法に反対する人たちを捕まえるために」
「――!」
グレイさんは、静かに息をのんで手綱を持つ手に力をいれる。あまり感情を表に出さない人だからこそ、それで大きな動揺と驚きを感じているのが分かった。
「なぜそう思う」
「なぜ……」
それを言われると困った。今までのレオ様の言動から推察しただけのことだから。
明確にこうだからなんて言えない。でも……
「きっと陛下もレオ様も、お互いに事情を知ってる。そう考えた方がずっと自然です。それに陛下を暗殺しようと思うほど私を愛してくれてるなら、きっと私を利用しない方法を考えます、あの方なら」
「ならオレの伯父上は、反乱のきっかけとなることを『言わされた』というのか。お前のことで怒りを見せたのも、全て演技だったのか……」
グレイさんもポツリポツリと私の考えを裏付けるかのように、言葉を紡ぐ。
「二重スパイ……」
グレイさんはすぐには納得しかねるのか、考え込むように眉をひそめた。
けれど私は自分の仮説を確信してる。
とてもあやふやなものではあるけれど、今まで見て聞いて感じてきたことや彼らを信じたい。
「ここだ」
赤い星の下に降り立つ。周囲は断崖絶壁で、けれどこの崖の上には木々が生い茂っていた。鳥も小動物さえもいない、深い谷に囲まれた一角はとても静かだった。
「とにかく探さないと」
草をかき分け、前に進もうとしたそのとき、茂みから突如として現れたものに抱きつかれた。
身構える隙もなく腕の中に閉じ込められ、一瞬何が何だか分からなくなる。
「見るな」
抱きつかれていて顔が見えないけれど、聞き覚えのある声だった。
それにこの武官のように逞しい体、と柔らかな茶色い髪は。
「ダン……さん?」
傍にいたグレイさんが、衛兵に拘束される。
「あの……」
「落ち着くまで、ここにいた方がいい」
落ち着くって? 何が起こってるの。
まさか……陛下の身に何か。私の考えは、間違ってた?
「は、放してくださいっ……! あの人のところへ行かせてください!」
「ダメだ。ソフィア……」
「ダメ?」
「ヴァンパイアは、身内同士でも容赦しねぇんだな」
少し距離を置いたダンさんの顔は、いつもの凛々しいそれとは違って真っ青に青ざめていた。
心臓が冷えていくかと思った。
どういうこと?
あの人に会ってはいけないの? それとも会えない――
鼓動が激しくなる。心臓が震えて、勝手に涙がゆっくりとあふれてくる。
「陛下! 陛下ぁあ!」
「ソフィア!」
違ったんだ! 二人は手を組んでたわけじゃなかったんだ。間に合わなかったんだ。間に合わなかったッ!
私をダシにして、陛下は呼び出された。そして……そして――
ダンさんの手を振り切り、一直線に走って目の前の草をかき分けた。
「――ッ!」
目の前の惨状に息をのんだ。
赤い星の下らしく、あたりは緋色に包まれていた。むせかえるような血の香りに包まれて濡れたように真っ赤な景色が広がっていた。
「こ、んな」
指先が震える。足も中から冷え始めていた。
まるで捨てられたゴミのように点々と倒れているのは、黒いローブをまとったヴァンパイアたちだった。岩に叩きつけられ、手足があらぬ方向に曲がっている人もいる。
折れた木の幹が、棘のように体を貫通している人もいる。
重なりあうように倒れている人もいる。
明らかに亡くなっているだろうと思われる人たちは、小さな光の泡を出しながら消えていく。そんな人たちが、あちらこちらに転がっていた。
何という地獄絵図だろうと思った。ダンさんが止めるはずだと。
でも、この中に陛下がいるんじゃないかと思うと、目がその恐ろしい光景を追ってしまう。
その瞬間――陛下を見つけた。
出血のせいか、服がどす黒い。
後ろ姿だけど、あれは間違いなくあの人。
あちこち服が破れているけれど、木に向かって、ポケットに手を入れて凛と立ってる。よかった。無事だったんだ。
それならやっぱりレオ様と手を組んでたのね。だったら彼も無事なんだ。
「陛……!」
駆け寄ろうとしてすぐに足を止めた。声を引っ込めた。
衛兵さんが陛下のそばを退いた途端、ある人の姿が見えた。
のど元に鋭い剣を突き立てられ、木に串刺された人。
口からは大量の血を流し、足元には大きな血だまり。
ピクリとも動かない彼の姿が。
「レオ、様……」
息が止まる。
何が……どうなってるの。
「まだ起きているか」
陛下の冷たい声。それに反応するかのように、レオ様は咳込んだ。
彼は生きてはいた。でも、それを素直に喜ぶべきなのか分からない。ひどい状態であるのは変わらない。
どうして?
手を組んでたんでしょう?
そうやってブラッド法を反対する貴族を捕まえようとした。そうなんでしょう?
なのにどうして……レオ様が傷だらけにならなきゃいけないの。
「やっぱ……兄上には敵わないか……」
レオ様の声はとても掠れていて、今にも消え入りそうだった。
「血に狂って徒党を組み、国にまで反旗を翻すとはな」
陛下の怒りを含んだ声がとてもはっきりと聞こえてきた。
私の想像した計画とは、全く違うストーリーと共に。
「三日やる。それまでに洗いざらい吐いておくことだな。王家の恥さらしが」
「はっきり言えよ。三日後、何……?」
濡れた瞳の光を、陛下に向ける。こんな状況なのにどこか挑発的なのは、きっと気のせいじゃない。
陛下が首に突き刺さっていた剣を乱暴に引き抜くと、レオ様の体は地面に崩れ落ちた。木の幹が真っ赤に染まる。
私の傷を癒してくれたレオ様が、今傷だらけになって倒れている。
理解できない。目の前の光景が。
「三日後、お前を……死刑に処する」
「――ッ!」
体に電流が走ったかと思った。
レオ様が……
死刑――
「兄上……」
顔を上げる気力もないのか、レオ様は振り絞るように陛下を呼んだ。
「何でも、ない」
何が言いたかったのかは分からない。けれどそれきりレオ様はぐったりとしてしまった。
「連れて行け」
陛下の命令で、部下たちがレオ様の両脇を抱えて引きずるように運び始める。
崩れそうになる私の体を、誰かが支えてくれているようだった。
けれど、何だか頭の中が真っ白で何が何だか分からない。これは現実?
夢なら覚めてと願いつつも、頬を伝う涙はとても熱い。自分が処刑宣告を受けた時よりもっと、ずっと胸が苦しい。胸が押しつぶされて息ができない。
「レオ様…………レオ様ぁぁァ!」
バカみたいに叫ぶ自分の声すら、聞こえなくなっていた。
ここに充満する死の香りが、全ての感覚を遮ってしまったかのように。
ただ苦しみという感情だけを残して。
あとがき
次回、処刑執行日。