st.ⅩⅡ The Destiny
出来上がったスープとサラダ、温かいパンをテーブルに並べた。レディエンス家の人は食卓のそれをじっと眺めている。
貴族の彼にとっては質素なものかもしれないと少し気になったけれど、こんな事態の中で豪華な料理を作る気力もなかった。
これで我慢してもらうしかない。
「一つ聞いてもいいですか」
食前の祈りをすることもなく(もちろんだけど)、おもむろにパンにかじりついた彼を見つめながら、私は立ったまま口を開いた。
「いったい誰がこんな恐ろしいことを企てているんです」
レオ様は”襲撃”だと、なるべくショックの少ない言葉を選んでくれたけれど……陛下を襲うということはつまり……暗殺、ということなんだろう。
ピタリと彼の手が止まる。
「お前に言っても分からない」
そっけない返事だった。でもそれが彼にとって、どこか聞かれては困る類のものであるかのように感じた。
目の動きがどこかぎこちない。
「大丈夫なんですよね? そうですよね」
「オレは何も聞かされていない」
そうじゃない。口止めされているんだわ。
やっぱり、レオ様に無理にでもついて行けばよかったのかもしれない。いまさらだけれど。
そう思いながら、無言で、まるで流し込むかのように料理に手を付ける彼の様子をじっと見ていた。
自然と両手に力が入る。
内側から湧き上がってくる、怒りにも悲しみともいえない感情を噛みしめた。
「自分たちの欲望のために陛下を手にかけようだなんて……勝手すぎます。最低です!」
どうして正しいことをしようとする彼を狙うの。
血を飲むことだって、完全に禁止されているわけじゃないじゃない。
なのにどうして。どうしてあの人の命まで狙うの!
「お前はヴァンパイアを理解していない」
彼の金色の瞳が私を捉える。その目がまるで何もかもを知り尽くした賢者のそれのようで、妙な居心地の悪さを覚えた。
「でもあなただって愛する人間の奥さんがいるのでしょう?」
さっき気づいたこと。
彼の左手薬指には指輪が光っていた。
でも彼はそれを、まるで私が指摘するまで忘れていたかのようにしげしげと眺める。
面倒くさそうに指から抜き取ると、ポイと無造作に床へ投げ捨てた。指輪はコロコロと転がって、壁に当たって止まる。
「――!」
信じられない。永遠の愛の証をそんなぞんざいに扱うなんて。
「女は死んだんだからつけている意味がないだろう」
私の絶句する様子に対する、彼なりの返答なんだろう。
でもだからってこんなことする? それに奥さんを“女”だなんて。
……そっか。分かった。
「血が欲しくて結婚したんですね」
ブラッド法には確か、奥さんの血ならその同意なしにもらえるとあった。考えたくないけれど、この人の態度を見ていたらそうとしか思えない。
血を得るために人間を囲い込むなんて、扱いがまるで家畜じゃない。
レディエンス家の彼は、手に持った食べかけのパンを口にしようとしてやめた。
「魔力のない人間と結婚することに、他に何のメリットがある。陛下もお前の血が欲しいからお前を愛しむふりをしているだけだ。それがヴァンパイアだ。血欲を”愛”などという言葉でごまかしているに過ぎない。お前は愚かにもそれを真に受けただけだ」
「何を根拠に……。あの人は必死にブラッド法を護っているじゃないですか!」
彼は下らないとでも言いたげに小さく笑う。
「なぜそう反乱貴族側の肩を持つんです……あなたもまさか、本心では陛下が殺されればいいと思っているんですか? 血欲を満たすためだけに!」
つい大きな声が出た。時を刻む柱時計の振り子の音がやけに大きく聞こえる。
どれだけ待っても、彼は“違う”とは言わなかった。
つまりこの沈黙は、“Yes”だということ。無言の肯定だった。
どうしてレオ様はこんな人と一緒にいさせるの……。
「もう休みます」
あふれそうになる怒りと涙を懸命にこらえて、彼に背中を向けた。
これ以上彼と話していると、何かが壊れて爆発してしまいそう。
「ヴァンパイアが血を求めて何が悪い」
投げかけられた声に足を止める。
「陛下とて本心ではお前の血を吸い尽くしたいはずだ。これは本能だ。誰も抗えない。陛下も暗殺以前に、反乱貴族側の主張に納得する可能性が高いはずだ」
唇を噛みしめた。
彼の言葉がとても悔しい。
陛下が本気で法を無くしてでも血を欲しがっているのなら、その機会はいくらでもあったはず。そうしたって誰も責めないはず。
でもあの人は、絶対にそんなことをしない。歯を食いしばってでも、耐えようとしている。
何の力もない、弱い人間たちのために。
なのにこの人はそれをせせら笑って、陛下が必死に護っているものを踏みにじって、揚句の果てにはあの人が死ぬことを望んでいる。
全ては血のため。それだけのために。
陛下の心が踏みにじられているようで、とても悔しくて悲しくて、そして恐ろしかった。
息を大きく吸い込んで、テーブルに座るレディエンス家の人を振り返る。
「確かに陛下もこうおっしゃっていました。血を吸いたくないといえば嘘になる。ヴァンパイアは愛する女性の血を何よりも求めるのだと」
涙も怒りも、もう抑えることなんてできなかった。
「けれどこうも言ってくれました! この喉が渇き干からびても、君を怖がらせるようなことはしない。聖書に手を置いて誓ってもいいと! あなたは気高いヴァンパイアなんかじゃない。誇りも自制心も無い、欲にまみれただけの化け物だわ! あの人と一緒にしないで!」
言うだけ言って、急いで部屋に戻って勢いよく扉を閉めた。真っ暗な部屋の中で扉に背を押し付け、ずるずると座り込む。
――『ヴァンパイアが神に誓うのですか?』
――『たとえ灰になろうと、それで君が救われるのなら』
怖い。
怖くて仕方がない。
闇の中、一人取り残されたかのように。
お兄ちゃんの遺してくれたネックレスをつかんだ。なのに、私の孤独と不安は少しも解消されなかった。
違う。これじゃない。
私のこの寂しさと恐怖を取り除いてくれるのは、このネックレスじゃない。
会いたい。今すぐ――
「陛下……っ、お願い。無事でいてください……」
もし、もし彼の身に何かあったら。
それを想像するだけで、私の心は震えて悲鳴をあげていた。
熱い涙が止まることなく流れ出る。自分で自分の体を抱きしめながら、また大切な人を失うかもしれない不安に耐えようとした。
「どういたんじゃ?」
泣きじゃくっている私を心配するように、エディーさんはそばへ寄ってきて、私の手を握ってくれた。眉をひそめて私を覗き込む。ごしごしと、少しツンとした匂いのする服のすそでぎこちなく私の涙を拭ってくれた。
「エディーさん、ごめんなさい。これは……お料理に失敗して……」
余計な心配をかけたくなくてそう言ったけれど、きっととても不自然な言い訳。
「ごめんなさい……っ」
それでもエディーさんは、何も言わず、何も聞かず。
シワシワの小さな手で私の頭をやわらかく撫でてくれた。
それが今の私にはとても心強くて、温かすぎて、逆に涙が止まらなくなってしまった。
************
「はいはい分かりました。そこまで言うんなら、信用しますよ」
ザルクの威圧を受けてから随分たって、ダンはやっとのことで口を開いた。
その久々の発言が上から目線の憎まれ口であったことにも、彼を知るものなら大して驚きはしない。
ザルクも小さく苦笑した。
「町で起こっている事件について関与しているのがヴァンパイアだとしても、警察へ引き渡してもらえると約束してもらえればオレはそれで構わないすから」
態度とは裏腹に、凛とした力のあるシルバーの双眸。彼は警察組織に相容れずとも、誰よりも警官らしいとザルクは思った。
「好きにしろ。私は同族だからといって、咎人を庇いだてなどせん」
ザルクは予定を確認するかのように、小さな手帳をしきりにめくっては真剣な表情で見つめていた。
「言ってることだけは素晴らしいですね」
そう呆れ気味に言ったのはシュレイザーだった。ザルクはそれにギクリとする。
「全く。こんな話題のさ中だというのに、さっきから何を見ておられるのです」
シュレイザーがそう言うのも無理はなかった。ザルクが手帳を真剣に見ていたのは、今後のスケジュールではなく、ソフィアの隠し撮り写真であった。
「べ、別にいいだろうが! これから三日も会えんのだから……」
耳まで赤くなって慌てて手帳を閉じる。
王の威厳は粉々に飛び散っていた。
「確か写真は没収されたのでは?」
「ははは! 私を誰だと思っている。隙を見て何枚か死守した」
“誰だと思っている”という言葉の割にチンケな行動だと思ったことを、シュレイザーはそっと心の内に秘めておく。
その時、ハラリと手帳から紙が足元に落ちた。
「何です? まさかまた期限の過ぎた重要な書類ではないでしょうね」
シュレイザーが写真の間に挟まっていたらしいその紙を拾って広げた。
「カルテ……ですね。血液検査の結果の」
シュレイザーからそれを受け取りながら、ザルクは「なぜそんなものが」と眉をひそめた。
だがそれを瞳に映した瞬間、一瞬にして顔色が変わる。
「引き返せ」
訳が分からず、シュレイザーは聞き返そうと口を開きかけた。
「いいから城へ引き返せ! 早くッ!」
血相を変えてそう叫ぶザルクに、シュレイザーは急いで御者へ指示を出そうと窓を開けた。その時、一匹のコウモリが風に舞う木の葉のように滑り込んだかと思うと、羊皮紙を落として姿を消す。
シュレイザーが手早くそれを広げて読み上げた。
「『あなたの大切なものはこちらの手中にある。自ら見える位置に魔力制御の印をお刻みの上、赤く輝く星の下へおいでください』」
読み終わった直後、羊皮紙は黒い炎に包まれて灰も残さずに消えた。
「何すか、それ」
ただならぬ事態に、警官たるダンも普段は冷静沈着なシュレイザーも、冷や汗をにじませてザルクを見やった。
「陛下……」
「覚悟していた。いずれこんな日が訪れることを」
ぽつりとそうつぶやくと、天空に浮かぶ不気味な赤い星を見つめた。その横顔は、言い知れぬ怒りと悲しみをにじませているようであった。
*************
「お前は運命って信じる? 何をどうあがいても、定められたレールの上から逃れられないんだって話」
レオナルドはどこか屋敷の中で、レディエンス家の長、ジェフと共にチェスを楽しんでいた。慣れた手つきで駒を動かす。
部屋には彼らだけではなかった。殺気立った空気を隠すこともなく、レオナルドと同じ黒いローブに身を包んだ大勢のヴァンパイアたちが妖しげな木のように立ち並ぶ。
そんな殺伐とした室内にもかかわらず、チェス盤の周りはとても穏やかで優雅なひと時が包んでいた。
「運命ですか? いやあ、考えたこともありませんなぁ」
ジェフは散々迷った挙句、白いナイトをつまんで自信ありげに盤に置く。だがそれをあざ笑うかのように、レオナルドはあえてそのナイトすぐに取り払って見せた。
ジェフはまた、しきりにあごへ手をやる。
「たとえばオレがこうしてお前とチェスをしても、今までずっとそうだったように、お前がオレに勝つことなんてない。これって一種の“定め”なのかなってこと。もっといえば、オレがお前とこうしていることとか」
「あなたが王になられることとか……ですか」
ジェフは歯をのぞかせ、小さく笑う。
「陛下が目的地点へ向かい始められたとのことです!」
帰ってきたコウモリから連絡を受けた男が報告する。レオナルドはゆっくりと立ち上がった。
ジェフは駒を持ったまま、
「まあ、少なくともブラッド法の運命はきっと、誕生したその瞬間に決まっていたのでしょう。陛下と共に消滅する」
そう言ってトンと駒を盤に置き、「どうだ」とばかりにフードを目深にかぶるレオナルドを振り仰いだ。
「それじゃあお前は定めを信じるってことか」
「そうかもしれませんな。公爵様は?」
「オレ?」
レオナルドは腰をかがめて駒を動かし、キングの動きを完全に封じた。ジェフはやられたとばかりに額を押さえる。
「オレは運命なんて信じてないよ。これは間違いなく、オレ自身が選んだ道なんだから。何より愛するソフィアのためにね……」
赤く染まっていくブルーの瞳は、ゆっくりと広がる血の海のように見えた。
あとがき
暗殺計画がじわじわと実行へ――