st.ⅩⅠ The House
「何が追加資料だ。下らんものばかりよこして」
ザルクは盛大にため息をつきながら、それでも大人しく資料をめくっていた。
夜空を数十ヤードにも渡って馬車の列が駆ける。まるでパレードのように華やかだったが、軍人たちの勇ましい表情が周囲の空気を引き締め、どこか雰囲気を厳かなものにしていた。
中でもひときわ豪華絢爛な車の中は、そこが車内であることを忘れるくらいに広々としていた。
ヴァンパイア王国の君主、ザルクが柔らかなソファーにだらしなくもたれかかり、長い足を組んでも余裕がある。
愛想笑いを浮かべたゴブリンが、備え付けのテーブルの上へ紅茶を二つ用意すると、ヒョイと飛び降りて机の下の小さなイスにちょこんと腰かけた。
「文句を言わず目を通しておいてください、陛下。遊びに行くのではないのですから」
ザルクとは対照的にシュレイザーはきっちりとソファーに座り、隣から次々と書類を渡していく。
「そ、そんなことは分かっている……」
小言を並べながらもページをめくっているのは、彼の存在によるところが大きいようであった。要は頭が上がらないのだ。
「へー王様でも怒られるんすね」
その声にザルクは顔を上げた。
そう口にしたのはザルクの向かい側に座る衛兵らしい。帽子を目深にかぶり、艶やかなライフル銃を小脇に抱えている。その姿がやけにサマになっていて、熟達したエリート兵士であろう印象を受けた。
だがザルクはその声に聞き覚えがあった。それもここ最近、“城の外で”聞いた覚えが。
「お前……」
衛兵がクイッと指で帽子のつばを押し上げると、シルバーかかった瞳の端整な顔立ちの男がいた。町で会ったあのヴァラヴォルフ警官である。
「何をしている」
「転職しました」とダンは軽く手をあげる。
だがザルクには笑えない冗談だったらしい。
「嘘をつけ。入ったばかりの軍人がこんなところに護衛につけるはずないだろう。ウチの近衛隊長をどこへやった」
「大丈夫ですよ。ちょっと縛って閉じ込めてるだけなんで」
悪びれるようすもないダンに、ザルクは短い嘲笑を浮かべた。
「やることが派手すぎるな。組織ではかなり使い勝手が悪い。私なら即刻クビにしている」
だがダンは、そんな他人の評価などどうでもいいらしかった。
銃を横へやり、腕を組んでザルクを見すえる。
「ソフィアはどこに? こんな狭苦しいところでデカイ野郎三人って何かの拷問っすか」
「お前が勝手に入ってきたんだろう。それと次期王妃たる彼女の名を軽々しく呼ぶな」
「誘ったものの断られたんですよ」
「シュレイザー!」
ザルクの顔に、“言うな”という感情と“なぜ知っている”という驚きが入り混じる。
「それはお可哀想に。本当は嫌われてんじゃないすか?」ダンはわざとらしく肩をすくめる。
ザルクはそんな挑発に一瞬感情的になりかけたが、すぐさま冷静さを取り戻した。何かを思い出したかのように嬉しさを隠し切れない笑みを見せる。
「嫌われているだと? 彼女からキスされたのにか」
「キス?」
ダンの眉間にシワがよった。ザルクはチラリとそれを確認し、ますます気をよくする。
「そうだ。“朝”、“彼女の部屋から帰ろうとする私”を“わざわざ”呼び止めてこう、可愛く手招きをしてだな」
いちいち関係を深読みさせるような言葉を強調し、嬉しそうにつらつらと今朝方のできごとを語る。
「そして『陛下、昨晩はステキな夜をありがとうございました。とても愛しております』と小さな唇を自ら私に……ああ、今思い出しただけで……」
「陛下、資料二の三ですが」
「なぜ邪魔をする……」
半分妄想とはいえ、いいところだったのにと歯噛みした。
「けど陛下はソフィア以外にも行くところがおありなんでしょう? 後宮があるんですもんねぇ、ああ羨ましい」
「お前には関係のないことだ」
ザルクの声のトーンが落ちる。
「“オレ”にはそうっすね」
口調は軽かった。だがそこに幾分の蔑視の念が滲んでいることをザルクは敏感に感じ取っていた。
虚言や美辞麗句ばかりの世界で生きてきたが故に、他人の一言一句から正確に本音を読み取れる。
ソフィアに関することとなるとどうにもその能力が曇ってしまうようだが、目の前の男が何を言いたいかはすぐに分かった。他の女の元へ通うことで、一番大切な彼女を傷つけているのではないかと言いたいのだ。
ザルクの漆黒の瞳の奥が、ロウソクの炎のように揺れる。
「私はお前以上に彼女を愛し、理解しているつもりだ。もう一度だけ言う。お前には関係のないことだ、お前が彼女に気があろうとな」
「……」
ダンもまた、職業柄他人の表情を読み取ることには自信があった。
だがこの男は何を言わんとしているのか、霞がかったように見えない。何か決意を抱えているような目をしている気がするが、踏み込む余地はあっという間に遮断された。隙のない男だと思う。どこか底知れぬ恐ろしさすら感じた。
「陛下……」
シュレイザーだけは何か勘づいたようだった。何とも言えぬ、驚きの混じった表情をしていた。それが何を意味しているのか、部外者たるダンには分からない。
ザルクは小さく笑うと、再び資料に視線を落とす。
「シュレイザー、その後エヴェリーとはどうなった」
場の空気を変えたかったのか、それとも話題を変えたかったのかは分からない。声のトーンを戻してそんな何でもない話の種を振る。
シュレイザーも先ほどのやりとりなどなかったかのように、いつもの無表情さを取り戻した。
「どうなったとは?」
「交際を申し込まれたのだろう? 寝たのか」
あのあと、どうやら彼女は数十年の思いの丈をシュレイザーに吐露したようであった。
ザルクが本人たちから直接聞いたわけではなく、帰り際のエヴェリーナ王女のすっきりとした様子で悟ったのだ。
シュレイザーは呆れたようにため息をつく。
「あの方は第一王女ですよ? あの方と結ばれればニュンペー国の次の王になってしまう。私はこの国に生涯を捧げると誓った身。そのようなことはできません」
シュレイザーは何か書き込みながら書類のページをめくる。
「なんだつまらん」
ザルクは紅茶のカップを手に取り、口をつけた。
「と申し上げたところ、家を出るとおっしゃって現在私の屋敷にいるのですが」
「ブッ――」
ゴホゴホと咳き込み、驚き入った表情でシュレイザーを見つめる。テーブルの下ではゴブリンが自分の頭に降りかかった雫を上着の裾で拭いていた。
シュレイザーはザルクと目も合わせず、ただ小さくかぶりを振っていた。
「早く荷物を持って国に帰るよう陛下からも説得してやってください。ご両親からの手紙は絶えない上に――」
足元からバスケットを取り上げてみせた。
「本日もこのようなランチボックスまで持たされて。今日作ったものが四日ももつはずないでしょう」
「そこまでアグレッシブな女だったとは……」
ザルクは内心、好かれたのが自分でなくてよかったなどと失礼なことを思っていた。
「国王補佐ってのは、色々お世話が大変なんすね」
「ご理解いただけて恐縮です」
妙な連帯感を見せるダンとシュレイザーを尻目に、ザルクは面倒そうにページをめくる。
「で? 何の用だヴァラヴォルフ。下らん用事なら蹴り落とす」
ダンはそれに双眸をギラつかせた。この国の最高権力者を前に、彼はタカのような警官の目をしてみせる。
かなりの正義感の強さが垣間見えた。無茶な捜査方法も、そこから起因しているのかと思わせた。
「いえ、ちょっとした聞き込みっすよ。王に電話を取りついでくれって言ったらダメだって言われたんで。さすが敷居が高い」
「聞き込み?」
「あの時、ソフィアを襲ったやつらを全員逮捕したんですが」
一瞬の間を置く。
「消えたんですよ」
「容疑者を取り逃がすとはとんだ失態だな」
「逃げたんならまだマシ。本当に一人残らず姿を消したんすよ。煙のように」とダンはパッと指を広げた。
「シルバーブレッドやら高い魔力を含んだ印紙やら……最近どうにもオカシイんですよねぇ」
世間話などではない。彼は事件の答えを求めていた。
「ほう、我々ヴァンパイアの中に、町の人間たちを売り買いしている者がいるのではないかと疑っているわけか」
「まさか黙認してるんじゃないですよね? もしくは……」
「私を疑うのなら筋違いだ。私は誰よりもブラッド法を重視している」
淡々としているのに、酷く重苦しい会話だった。
言葉の裏で、腹の探りあいをしているかのような。
「ヴァラヴォルフのオレにはよく分からないんですがね」
ダンはクイッと帽子のツバを下げた。隠し切れない疑いの眼差しを覆うためだったのだろうが、ツバの下から僅かに見える瞳に宿る光はサーベルのように鋭く突きたてられる。
「そんな紙に書かれた数行の文章ごときで、ヴァンパイアが血への欲望を抑えきれるとは思えないんすよね」
明らかな敵対心を持っていた。どこか憎しみにも似た感情にも思える。自分の見初めた女性が、彼女がいつかこの男の欲にまみれた毒牙にかかって化け物になってしまうのではないか。
そんな怒りや、どうにもできないもどかしさが胸の内に湧き出ているようだった。
だがそんな炎のような感情をぶつけられても、ザルクは深夜の湖のように穏やかだった。
「つまりヴァラヴォルフは、空腹になれば愛する女の肉も喰らうのか。随分と野蛮なことだ」
「話をそらすな……」
軽口を受け止める余裕も、立場をわきまえるゆとりもなかった。
あの時、彼女を無理矢理にでもこのヴァンパイアから引き離して町を出るべきではなかったのか。そんな思いがまとわりついて離れないのだ。
ザルクはそっと目を閉じる。
「お前が我々をどう言おうと勝手だが、今度あの法を“数行の文章ごとき”などと口にしたら――」
そこで空気が凍りついた。
比ゆ的ではなく、実際にダンはゾクゾクとして鳥肌が立つのを感じた。体が芯から冷え切り、シュレイザーすらも冷や汗を流し、表情をなくしていた。
「職を失うだけではすまないと思え」
目を開けたザルクのあまりの冷酷な赤い瞳と怒りに打ち震える口元に、そこにいる誰もが戦慄を覚えて言葉を失っていた。
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私がレディエンス家の人とやってきたのは、霧の中に佇む小さなカントリーハウスだった。
レンガ造りのその家は煙突があって、小さな馬小屋が隣接していて。こんな雰囲気じゃなきゃ、ドールハウスのように可愛く素敵な家。
けれど周りは断崖絶壁で、空飛ぶ馬、スレイプニールの引く馬車じゃなきゃ来られないようなところ。生き物の気配が一切なく、不気味すぎるほどに静かだった。それに少し肌寒い。無意識に腕をさすった。
こんなところで身を潜めていなきゃいけないなんて。しかも私を襲いかけた人と。
「馬車から荷を下ろして運び込んでおけ」
彼はそう言い残すと、馬車を降りて一人で家の中へ入っていく。
どうして私がと思いつつ、仕方なく下車して積んであった大きなトランクを引っ張った。
「重い……っ」
何これ、何が入ってるの?
歯を食いしばって思い切り引き出す。
「よ……っしょ! きゃっ」
とんでもない重量のそれに、思わず落としてしまった。足の指に当たらなくてよかった。だって落ちたところの土がぱっくりとえぐられてる。
「役立たずな女」
背後から突然声がしてビクリとした。
彼は地面に落ちたそれを軽々片手で持つと、一人家へ向かう。
最初から持ってくれればよかったのに。
そう唇をとがらせつつ、そのあとを急いで追いかけた。
「お前はここだ」
レディエンス家の人は、三つほどあった部屋の内の一つを開け、中に入ってトランクを置いた。
内装も愛らしく、柔らかそうなベッドに小さな丸テーブル、ちょっとしたキャビネットに小物が並んでいた。
最近まで使われていたんだろうか。緊急事態でここに来たわりにはホコリっぽさもなく、とても手入れが行き届いていている。
「なぜそこに突っ立っている」
戸口に立ったまま中に入ろうとしない私を、彼は部屋の中から振り返った。
「あなたが出て行ったら入ります」
彼は無言で私の前までくるとポケットに手を入れ、目だけでギロリと見下ろした。それに少し後ずさる。
本当に怖い。おびえを気取られないように、ギュッと両手を握りしめた。
「心配するな。お前がどれだけオレを誘おうとお前とは交われない」
「ま、交わ……」
そういうと彼はズボンからシャツを引き出して脇腹を見せた。一瞬ドキッとしたけれど、どうやら何か魔法陣が描かれてあるみたい。
「これのせいで“オレのアレ”が使い物にならないからな」
何て答えればいいの、それに……!
思わず眉をひそめた。誰にそんなことをされたのか分からないけれど、やっぱりそういうことに手の早い人なんだわと思う。
あ、あれ……がそうだからって、安心していいものなのかしら。
「何だ。そんなに“欲しかった”のか」
「違います!」
シャツを適当にしまいこむ彼に声を少し荒げる。この人って普段からこんなことしか言えないの?
いえ、ここの住人は確かそういうお話が好きだったわね。忘れてた。それを加味してもストレートすぎるけれど。
彼とすれちがうようにそそくさと部屋の中へ入った。
「あの、これはいつおさまるのですか」
彼の背中に問いかける。
「さあな」
そうよね、分かるはずない。
陛下が他の国に入ってしまっていては、多分反乱貴族たちも手を出せないはず。
ならお城に帰ってくるときを狙って……? でもそれなら十分対策を練る時間があるわ。
大丈夫よね、……絶対。
窓の外を見つめた。霧の向こうに険しい山脈がうっすらと見えるだけ。ここからは何の情報も得られない。私にできるのは、陛下とレオ様をここで信じているだけ。
陛下……。大丈夫なんですよね。レオ様がいるんですものね。
「お前は絵を描くのが得意なんだろう」
まだ戸口付近にいたらしい彼が、キャビネットの引き出しから紙とエンピツを取り出して丸テーブルの上へ乱暴に置いた。
「描け」
「何を……ですか?」
彼の金色の瞳を見つめる。彼もまっすぐ私を見た。
「女の裸」
この人、頭の中どうなってるのかしら!
口を開けばそんなことばかりで、こんな状況なのにと怒りすら芽生える。
「勝手に好きなものを描いていろ」
私が半ばにらみつけるような視線を送ると、彼はそう言って部屋を出て行く。
冗談だったの? 分かりづらい。
不安が厚い雨雲のように心を覆っていたけれど、何とか落ち着かなきゃと椅子に座ってエンピツをとった。
こんな状況で何を描けばいいのか分からない。
――『むしゃくしゃしているときや、悲しくてしかたないときは、そのままそれを描き込めばいいんだよ、ソフィア』
お兄ちゃんのそんな言葉を思い出した。
そうね。その通り。
ただエンピツの赴くままにまかせた。
「ほえ~、ソフィアたんは王様と違って絵が上手いの」
それに思わず笑みがこぼれる。
「ありがとうございま……」
え?
思わず手が止まる。
この部屋には私しかいないはず。ハッと声の方を見やると、向かい側の椅子に座って私の絵を覗き込んでいる小柄な人がいた。
「え、エディーさん! どうしてここに?」
見失って探していた人の登場に息を呑んだ。
「あれに入ってきたんじゃ!」
彼はシワシワの指でトランクを指す。
あんなところに? だからあんなに重かったんだ……。
「あの男とアバンチュールかい! ぐふふふふふふ!」
両手で口を押さえて肩を震わせる。
「ち、違います。少し……事情が」
「じじょう?」
エディーさんが首をかしげたとたん、グルルルルと音が響いた。
私じゃない。
「お腹しゅいた」と彼はシュンとしてお腹を押さえる。
あんなにたくさん朝食を食べていたのに、もう? と思って時計をみれば、もうお昼はとっくにすぎていた。気づかないうちに、こんなに時間がたっていたんだ。
なら少し早い夕食でもいいかもしれない。
何も喉を通る気はしないけれど、気は紛れるわ。
「分かりました。何か食べ物を探してきます。エディーさんは絶対にここを出ないでくださいね」
「ほーい!」
部屋を出て扉を閉める。確かこの家の出入り口あたりに台所があったはず。
レディエンス家の彼はどこにいるのかしらと考えていたそのとき、ダイニングから何か硬いものをかじるような音が聞こえた。
まさか……と足を止める。
ひ、人の骨か何か食べてるんじゃ……。いいえ、まさか。
でも相手はモンスター。何をしてたっておかしくない。
思い切って中を覗いた。
「何だ。腹が減ったのか」
クッキングストーブの前の大きなダイニングテーブルに座って、レディエンス家の彼が生のニンジンをほお張っていた。
食べろとばかりに木箱に入ったたくさんの野菜を差し出してくる。もちろん、そのまま。多分皮もむいていないんじゃないかしら。洗って……もなさそう。
「あの、それおいしいですか」
彼はニンジンで頬を膨らませたまま、かじったところをじっと見つめた。
「硬い」
「……そう、ですか」
何だろう。
この人が怖くなくなった気がする……。
「貸してください。あるもので何か作ります」
野菜の入った箱を抱えて流し台へ向かう。
棚には調味料もあるみたいだし、水も出る。料理をするのに問題はなさそうだわ。
「お前はシェフだったのか」
真面目にそんなことを尋ねてくるものだから、少し可笑しくなった。
けれどそうね。貴族たる彼からすれば、そんなことができるなんて普通じゃないのかも。
「そんな大層なものでは。でも料理は久々で楽しみです。こんな状況ですけど……」
鍋やらまな板やらを用意しながら、少し油断すれば、マイナスに傾きそうになる心を取り直す。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせて。
「お前は――」
不意にかけられた声に振り返る。
「お前はなぜ陛下だったんだ」
「え?」
なぜ陛下だった? なんのこと?
「あの、何がおっしゃりたいんですか?」
そう尋ねたけれど、レディエンス家の人はそれ以上何も言おうとはしない。
宙ぶらりんになった疑問に首を傾げながら、私はダイコンに包丁を入れた。