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The Vampire Castle  作者: 二上 ヨシ
The Landing
39/81

st.Ⅷ       The Examination

「ブラッド法においての血液検査について……か」

 

 そう言ってレオ様はあごに手をやった。

 

「あの、ここにいる人たちをを疑っているというわけではなくて……」

「分かるよ。お兄さんがそんなことになったんだから、はっきりさせたいって思うのは当然のことだからね」

 

 けど……と言葉を切る。

 

「血液検査はヴァンパイア全員に義務づけられている。違反すれば社会的制裁や罰則もあるからね。まあ誰かが結果を誤魔化してるんじゃないかっていうのは……そうだ、ちょっとやってみようか」

 

 レオ様はそう言うと、デスクのイスを引いた。革張りの高そうなそれ。

「どうぞ」と言われ、大人しく腰かけた。

 何をするんだろうと思っていると、彼はキャビネットを開けて空の試験管数本がおさまった木製の試験管立てを取り出し、コトリと机に置いた。次に引き出しを引いて茶色い紙を一枚取り出し、それをピラリと私の前に置く。

 “血液検査結果表”と書かれていたその紙は、私がさっき抜きとったカルテと同じものらしい。

 レオ様は本棚から赤茶色の本を抜き取ると、「えーっと」と何か探すようにパラパラとページを開いて紙の隣へ置いた。

 

「これから君自身の血液検査をしてもらうよ」

「私の……?」

「そう。ちょっとゴメンね」

 

 レオ様はそういうと、私の首筋に何か冷たいものを滑らせた。万年筆のようなその器具は見たことがある。

 伯爵さんと結婚式を挙げそうになった時に使った、血液採取の道具だわ。どうするんだろうと見ていると、レオ様は中身を試験管へ入れた。

 自分の血が目の前にあるというのは、何だか変な感じ。

 

「このページの術式を、そっくりそのままこの用紙の左側の枠へ写し取ってくれる?」

「これをですか?」

「そう。一つも間違えずにね」と羽ペンを渡され、インクをつけながら書き込んでいく。本には妙な記号が踊っていた。確か魔術基本学で習ったことがあったはず。あんまり成績はよくなかったけれど……。

 ページ半分にびっしりと書かれたその術式を、間違えないよう慎重に慎重に書き込んでいく。

 

 それを確かめるためか、レオ様は私の肩に手をまわすようにして手元をのぞきこんだ。それに少しドキッとする。ヴァンパイアはあまりにキレイすぎるから。

 

「術式や魔法陣っていうのは、どちらも魔力に具体的な効果をもたせるための変換装置。それぞれに一長一短ってとこかな。魔法陣は強力に効果を発揮するけど、それだけで完成形だから効力のかけあわせがきかない。術式は魔法陣ほど強い力がないけど、記号を組み合わせれば無限の可能性が生まれる」

 

 それも授業で聞いたことがある気がするわ。

 レオ様はもう一枚同じ紙を取り出すと、話しを続けながらさらさらと長い長い術式を書き始めた。見れば私と同じものを書いているみたい。

 全部暗記してるんだ。すごい……。

 

「だから医術師は術式の開発に力を入れてる。人間界で言えば新しい治療法やクスリの研究に似てるのかな。けどこれが非常に難しい作業なんだ。術式は数万もの特殊な記号を組み合わせなければならない。どこか一箇所でも間違っていれば効果が百八十度狂ってくる。途中までうまく行ってても、効果が打ち消されてパアになることもあるんだ。だから新しい術式を見つけられるのはとんでもない強運の持ち主か、ずば抜けた頭脳とセンスの持ち主だと言ってもいい」

「な、なるほど……っ」

 

 大事なことを教えてもらっているのに、彼が何か言うたびに振動でゾクゾクとした感覚が走る。顔や耳が赤くなっていないか心配だった。

 

「で、できました」

 

 レオ様はそれをさっと流し見るように確認すると、小さく頷いた。

 

「うん。じゃあ次は手袋をして、検査対象つまり君の血液をスポイトで一滴、君の書いた検査用紙とオレの書いた検査用紙の今度は右側の上の枠に垂らしてみて」

「はい」

 

 何だかお医者さんを手伝うナースにでもなった気分。

 試験管を恐る恐る手にとって、そばのスポイトで少しだけ吸い上げた。

 ちょっとドキドキする。

 

 言われたところへポタリ、ポタリと赤いしずくを落とした。けれど何にも起こらない。

 私は魔力が無いから、魔力を染み込ませた魔法紙がなければなにもできないみたい。

 でも二枚同時にレオ様が軽く触れると――

 

「――! すごい」

 

 まるであぶり絵のように、何もなかった右下の枠内へ浮かび上がるかのように数値があらわれた。

 けれど数字が出たのは私の書いたほうだけ。レオ様のほうには何も出てこない。

 

「実はオレの書いたほうは、途中の記号が一つだけ違うんだ」と指し示す。

 

 確かに+>というところが+<になってる。

 一箇所違うだけで、全てが狂うと言う言葉が甦る。

 

「こうやって血液検査の結果を出しているんだ。以前は検査薬を使ってたけど、二百五十年ほど前にこの術式が開発されてからは全てこれだよ。誰がどうやったって、例えば医術師にワイロを渡したって誤魔化せない。少しでも変えればこの通り結果そのものが出ないし、用紙を見ればすぐにバレてしまうんだから。これを提出して確認してもらうというわけ」

 

 そうだったんだ。それなら絶対に大丈夫だわ、よかった……。胸のつっかえが取れたよう。

 リザの言ったことはハッタリだった。

 そうよね、一番怪しいレディエンス家の検査を、一番信用の置けるレオ様が担当してるんだから間違いようがない。

 

「安心した?」

「はい」

 

 よかったと言いながら、彼は机の端に腰掛けた。

 

「けど医術師って術式に関して守秘義務があるから、本当はこういうの教えられないんだ。だから兄上には言わないでね、ここでのことは絶対に。誰にも。いい?」

「はい。そのかわりと言ってはなんですが、私の兄の話も陛下には……」

「もちろん」

「オレたちだけの秘密ということで……」

 

 誓いの印ということなのか、レオ様は頬に軽くキスを落としてやんわりと微笑んだ。

 

****

 

 ああ、やっぱりレオ様に相談してよかったわ!

 やっとモヤモヤが解消できたと羽のように軽くなった心もちで、後宮へ帰る扉に手をかけた。でも押しても引いてもうんともすんとも言わない。

 あれ?

 

「今度はどこへ行っていたんだ? ソフィア」

「――!」

 

 ドキッとして振り返る。いつの間にか王が腕を組んで後ろに立っていた。

 

「へ、陛下っ……」

 

 み、見つかった!

 扉に背をつけ、何とかごまかす方法を考える。王はそんな私に近づき、両手を扉について私をその間に閉じ込めた。

 

「その様子では私に会いに来たわけではないんだろう?」

 

 王の無理矢理な笑みに、汗がにじみ出てくる。

 

「え、っと……さ、散歩に」

「ははは、なんだ散歩かー。そんなマントをかぶって」口元に笑みを浮かべながらも、細目で私を見すえた。

 言い訳が下手すぎたらしい。

 

「……すみません」

 

 王は小さくため息をつく。

 

「全く。何をしに行っていたんだ? まさかレオに会うためではないだろうな」

 

 ドキッとした。そのつもりはなかったけれど、結果的にはそうなってしまったから。それに研究室でのことは絶対に言えないし。

 

「いえ、その……か、鏡を探しに」とっさに思いついたことを口走る。

「陛下が言っておられたアラゾークの魔鏡を見たいなと思いまして。不思議な力を持っているというのでどんなものなのかなぁと気になって。つい……」

 

 なぜか彼はそれに目を輝かせた。

 

「それは……私と結婚してくれる気になったということか?」

「え?」

 

 結婚? どうして?

 

「ああいや、違うんならいい……。別に焦ってるわけではないんだ、ゆっくり考えてくれ」

 

 赤く染めた顔を慌ててそらす王が、何だか少し可愛く見えた。

 

「……あの時の傷は大丈夫ですか?」

「あの時?」

「以前、伯爵さんと初めてお城を抜け出したとき。別の世界へとばされた私を助けてくださったのは、本当は陛下だったのでしょう?」

 

 それに王は「レオ……」と苦虫を噛み潰したかのような顔をした。

 

「レオ様は何もおっしゃいませんでした。ただ、話を聞いてあげてほしいとおっしゃっただけで。ですがこの間も陛下に助けられて、何だかそんな気がしたんです」

「あ、そ、そうか」

 

 自分自身で白状してしまったからか、気まずそうに髪を軽く払った。彼の“どこか居心地が悪い”ときのサイン。

 

「大丈夫ですか? 腕輪の痕も……」

「そうだな」とはぐらかす。どこか遊び心があるような目を向ける。

 

「いや、やはりそれは言えん」

「なぜです」

「なぜだと思う?」

 

 私の心配をよそに、唇の端をくいっとあげる王の表情はどこか挑戦的だった。

 その色気のある表情に胸の高鳴りを感じながらも、まさか本当はまだつけているんじゃ……という冷静な疑いが首をもたげた。

 

「言っておくがもうちゃんと外してある」つけてないことをアピールするためか、王は腕に手を滑らせた。凹凸なく滑る掌。

 ならなぜ? と眉をひそめる私にぐっと顔を近づけた。漆黒の双眸そうぼうに少し不安げな自分の姿が映る。

 

「そうやって君にいつまでも心配してもらいたいからだ」

 

 人の心配をよそに、嬉しそうに微笑む。全く……。

 

「そういえば月の絵は陛下が持っておられるのですか?」

 

 さっきまで穏やかに笑っていた王はその問いかけに笑顔を凍りつかせ、やけに視線を泳がせた。

 

「あ……ま、まあ」

 

 そう言って私から離れ、目を見ようとしない。また髪を払っている。

 

「どこですか? 返してください」

「それはダメだ!」強い口調で返しながらも少し困ったように私を見た。

「なぜです?」

 

 私の絵なのに。

 

「も、もう飾ってしまって取り外せない。見たいのなら、いつでも見に来ればいい」

「なら見せてください。どこにあるんです?」

「い、今か?」

 

 今ではダメだというの? 一体何をそんなにビクビクしているのかしら。

 

「いや、実はちょっと、まあ、遠いところに……」

「”遠いところ”?」

 

 しばらくじっと王を見つめていると、彼は私に引き下がるようすがないと悟ったらしい。諦めたように肩を下げてため息をついた。

 

「分かった。こっちだ」となぜか壁へと向かっていく。見たところ本棚があるだけで絵なんて一枚も見あたらない。しおりのように本に挟んで保管してるのかしら。

 王は本棚に手を掛けると、それをスライドさせるように横へやった。後ろから古びた鉄の扉が現れる。

 隠し部屋!

 

「どうぞ」それを開けて中の明かりをつける。普段から使っているんだろうか。歴史の感じる扉のわりに、ちょうつがいもさび付いた様子はない。調子よさげに音もなく開いた。

 でもなぜそんなところに絵を?

 

 おそるおそる足を踏み入れた。

 

「こ、これ!」

 

 さほど大きくはないその部屋。本が並んだ、腰の高さの茶色いキャビネットとソファー、ローテーブルと小さな本棚があるだけのシンプルな造り。ここで王が、一人静かに読書でも楽しんでいる画が頭に浮かんだ。

 そして壁一面には、ずらりと私の絵が飾られていた。リザが私の部屋から盗んだ絵のすべてがここにあるみたい。どれもがエンピツ描きのそれに似合わないほどの立派な金の額縁をつけられ、ほこり一つかぶっていなかった。

 ここはきっと彼の一番私的なスペースだろう。掃除係のゴーストさんも入ることもないほどに。ならここまできれいにしてくれているのは、おそらく王自身。

 

 真ん中にかけられたあの月の絵は、ちょうどカウチの向かい側にあった。座ったときの目線の高さにあわせるかのように。

 読書の合間にいつも見られるようになのか、それとも絵をじっと座って眺めてくれているのか。

 どのみち、とてもくすぐったい気分になる。

 

 それに……。

 

 四面ある壁の内の三面はきれいに壁紙が張られてあったけれど、一面だけ石がむき出しになっている。そこへゆっくりと近づいて、裸の石に指を這わせた。

 それは、私が死を覚悟して牢の中で描きつけたあの太陽の壁画だったから。

 

「ソフィア……」

 

 心配そうな声が耳に届く。あの時のことを思い出すのではと案じてここを見せたくなかったんだろう。

 思い出さないことはない。こみ上がってくるものがないわけがない。

 私がいなくなっても誰かが私を想ってくれればと思いながら、私の命の全てを描きつけたつもりだったのだから。

 そしてあの檻を出たとき、この絵を振り返りながら思った。

 

 もう二度と、私自身はこの絵を見ることがないのだと。

 

 それがどれだけ苦しかったか。どれだけ絶望的なことだったか。

 胸がキリキリと痛む、今でもこんなに。

 

 この絵と対面して正常でいられるのかが怖くて、気になりつつも考えないふりをしていた。

 再会は唐突。でも心は思ったより乱れないことに自分自身でも驚く。


 きっと色々な人が支えてくれて、知らず私を癒してくれていたんだろう。私の周りのみんなが。

 

 あの絵はここにあった。王の心の中たるこの部屋に。

 お気に入りの本を読んで、絵を見て静かに過ごす。そこへ彼はこの壁画を持ってきた。

 腕輪を外したからといって、彼が自責の念を忘れたわけではないのだと伝わってくる。

 この部屋に、心の奥底にまで深くあの罪を刻みつけている。

 命ある限り永遠の苦しみを覚悟して。

 

 何も言わず私の後ろに佇む王は、きっととても不安げな表情をしているだろう。自分自身ではなく、何より私の心を気づかって。

 私の痛みに何より敏感であろうとする人だから。私の背を見て彼が何を思っているのか、手に取るようにわかる気がした。

 そう、薄々気づいていたのかもしれない。

 

 そんな彼を“愛しい”と思いはじめている自分に。

 

 私の一挙一動に感情を動かし、助けを求めれば命をなげうってでも庇ってくれる彼への感情に。

 お兄ちゃんのことを知られたくなかったワケに。

 ブラッド法が適正に処理されていると知って、安心したその理由に。

 

 それは、どこか放っておけない彼に対する“慈しみの情”……なのかもしれないけれど。

  

 この絵を見て、確かにこの胸の奥にはっきりとした痛みを感じる。消えかかった命のともし火を、なんとか自分の生きた証を残そうとあえぐ自分自身が見える。

 でも、今から振り返って彼の顔を見るときには絶対に涙を見せない。

 分かるようになったのは、彼のつく分かりやすい嘘だけじゃないから。

 

「陛下、この絵の中に何が見えますか」

 

 少し震える声でそう尋ねてみた。ひどい苦しみの中で描いたものだけど、ここにあるのはそれだけではない。それに彼は気づいてくれているのだろうか。

 王は私の隣に立って、壁にそっと触れた。

 

「まっすぐに生きようとする、君自身だ」


 たった一言で、私に対する何よりも深い愛情を思い知る。

 

「陛下っ、私――」

 

 王を振りあおいだ拍子に、腕が本に当たって床へ落ちた。アルバムだったらしく、写真があたりに散らばる。

 

「すみませ……ん?」そこで言葉を失った。

「あ、いっ、い、いやこれは!」

 

 王は血相を変えて散らばったそれらを拾い集めた。けれどその写真に写っているのは全て――

 

「これ……私?」

 

 ハッとして屈んで数枚手にとってみる。授業中や、食事中、どこかを歩いているところや本を読んでいるところ。

 な、な、何これ!?

 

「い、い、いや! これは違――」と大慌てで隠しながら汗まみれで取り繕う。

「……っ!」

 

 まだ落ちていた一枚を拾い上げると、そこにはベッドへ横たわってスヤスヤと眠っている自分の姿があった。しかもネグリジェがはだけて肩や足や胸元が……。

 どうやったらこんな写真が? まさか……夜中に勝手に部屋へ忍び込んで……。

 自然と睨みつけるように王を見る目が鋭くなった。

 

「陛下っ?」

「ち、ちちち違うんだ、た、たまたま……」

 

 慌てふためく王をよそに、そばのキャビネットの扉を開けて中を調べる。

 何だか嫌な予感がする!

 

「ソフィアぁあ!!」

 

 王の声にも耳をかさず、瞬時に両腕に抱えるほどの箱を手に取った。

 けれど蓋に手をかけ何かが見えそうになったところで、王にそれを取り上げられた。

 

「ダメだ! これだけは絶対にダメだ!」

 

 高々と持ち上げられては届かない。でも確実に怪しいと第六感が告げている。

 

「なぜですか? 何が入ってるんですか?」

「ぷ、ぷ、プライベートなものだ!」王は耳まで真っ赤で、何とかこの状況を逃れようと必死さが垣間見えた。

「プライベートなものとは何ですか!」

「プライベート、じ、重要な書類だ! 国の機密に関わるものだからいくら君にでも見せられん!」

「書類? プライベートなものではないではありませんか! それにそんな風には見えません!」

「そう見せかけているだけだ!」

「だったらチラッとだけでも見せてください。それで納得します」

「絶対にダメだ!」

 

 何をそんなかたくなに!

 ふと私のものじゃない絵が目に留まった。王が描いたんだろう、ミカンをたてに二つ重ねたような姿のものに目や鼻がついていた。

 私の視線に気づいたのか、王は箱を高々と上げたまま体でそれを隠した。

 

「いや、これは……イヤらしい感じではなく芸術的なあれで、あの時の記憶を残しておこうと」

 

 “あの時”?

 それで直感した。その絵はエヴェリーナ王女に無理矢理つけられた下着姿の私だと。

 

「……っ」

 

 勝手に撮られた大量の写真。

 怪しすぎる箱の中身。

 王の絵。

 

 太陽の壁画のほうじゃなくて、本当はこっちを見せたくなかったのね?

 ふつふつと怒りが込みあがってくる。

 複雑に絡み合っていたはずの感情のほとんどが吹き飛んで、今残っているのはシンプルな憤りと呆れだけ。

 最ッ低!

 

「陛下の変態ッ!」

 

 王の頬をはたく乾いた音が響いた。

 

************

 

「陛下、失礼します」

 

 シュレイザーが部屋に足を踏み入れると、魂を失ったかのように机に突っ伏す男の姿があった。

 

「私の心の癒しが……」とブツブツつぶやいている。

 シュレイザーはそれにハアと少々おおげさにため息をついた。大方の事情は読める。

 

「隠し撮りでもバレたんですか?」

「ああ。コレクションが全部没収され……なぜ知っている!」と体を起こしたがすぐに「いや、……オホン」と咳払いをして誤魔化した。

 

 シュレイザーとしても、今まで女性に不真面目だった彼がこれほどまでに一途に心変わりしたのはありがたいところだった。それほどまでに彼女は純粋で、擦り切れた彼の心を癒し、引きつけてやまないのだろう。

 だが、最近はそれどころではないような。どこか言い知れぬ胸騒ぎを感じていた。

 何かが動き出しそうな不穏な空気を。

 その原因は分かっている。

 

「これが届きました」

 

 シュレイザーの差し出した真っ赤な封筒に、ザルクはスッと無表情になってそこから目を離した。

 

「捨てておけ」興味なさげに言い放つ。

「中身のご確認はなさならいんですか」そう言うだろうと予想はあった。あくまで念押しのため。

 

 案の定ザルクは下らないとでも言いたげに、唇を歪めた。その目は今の今まで机に伏せていた情けない男のものではない。強大な国を取り仕切り、そのためには手段を選ばないような冷たいオーラを漂わせる王の顔をしていた。

 彼女の前では二度と見せないであろう、獣のような残酷さのにじむその表情。

 

「私の在任中だけで何百通同じものが届いたと思っている。どうせ貴族どもからの署名入り嘆願書だろう。内容にかわりばえもなく面白くもない」目を飢えた狼のようにギッと瞳孔を萎縮させた。

 

 常人ならば恐れおののいて二言目を発することもできないだろう。だが長年彼のそばで手腕を奮ってきたシュレイザーにとっては、何ら障壁にならないようだった。ただいつものように淡々と返す。だからこそ、ザルクも厚くこの側近を信頼していた。

 

「ええ、ですが――」と封筒を立てて側面を見せた。

 

「徐々に厚みが増しております」

 

 これが意味するもの。

 ザルクは軽く息を吐いて立ち上がると、後ろで手を組んで窓から外を望んだ。

 

「だからどうした。あの法が気に食わないなら数ではなく力で私をねじ伏せればいい。できるなら……の話だがな」

 

 窓ごしに鋭い眼光でそれを睨みすえる。

 ガラスに映り込んだ封筒が放射状に割れた。


あとがき

箱の中身は……?


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