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The Vampire Castle  作者: 二上 ヨシ
The Landing
38/81

st.Ⅶ       The Empties

 ジャラジャラと鍵の束の中から的確に一本選び出し、ダンさんはそれを鍵穴へと差し込んだ。油の切れたちょうつがいが大きな音を響かせる。

 地下の拘置所はどこか薄気味悪く、消えかけのランプの火が大きくなったり小さくなったりを繰り返していた。

 先に入ったダンさんに続いて中へ足を踏み入れる。

 何かしら、さっきからずっと変な音が響いている。船の汽笛のような低い音と……ビリヤードのように玉がぶつかり合う音。それに重い何かを引きずるような。

 何だろう?

 

「この間保護した。覚悟して見てくれ」

 

 一番奥の檻の前でダンさんはそう言って足を止めた。”覚悟して”という言葉に引っかかりを覚えつつ、彼の隣に立って中をのぞく。

 

「――っ!」

 思わず両手で口を塞いだ。

 目の前に“モノ”を見た衝撃に胃液が喉まで上がる。

 

「大丈夫か?」と背中を擦ってくれた。

「はい……」

 

 深呼吸をして胸を押さえた。目を閉じながら思い返す。

 さっきのあれは何? 何なのあの物体は!

 ゆっくり眼を開いた。

 檻の中の“それ”は「ンンン――」と息継ぎもなしにずっと低い唸り声を上げていた。これで船の汽笛のような音の正体だったんだ。

 腐りかけのボロボロで真っ黒な体、数箇所の窪みは目や鼻や口の名残だと悟った。手や足はダラリととんでもない方向へ捻じ曲がっていて、それはどうやら誰かにそうされたのではなく痛みを感じないが故に自分自身でやってしまうのだろう。体を引きずる音や腕や足の関節がゴリゴリとこすれるような不気味な音が鳴り響いていた。思わず耳を塞いでかがみこみたくなる。

 

「これが非人間化した姿。おそらくブラッド法ができる前のヤツだ。オレたちは“エンプティーズ(空っぽの人たち)”と呼んでいる」

「エンプティーズ?」聞いたことがない。

「ヴァンパイアは血を吸うとき同時に唾液を流し込んでいる。人間に痛みを感じさせないようにすることと、快楽を与えて抵抗意欲を削ぎ性欲を満たしやすくするためだ」

 

――『異性間の吸血行為ってのは、同性間と違ってすげぇ快感が伴うんだ。お前もいつこの優しそうな面した公爵様にガブッてやられるか分かんねぇぜ?』

 

 シェイラさんの言葉が甦った。

 

「そのためにヴァンパイアの唾液には濃度の高い魔力が混ざっている。だから短時間にある一定量の血液を吸うと同時に入り込んだ唾液が細胞の内部に入り込んで定着し、あっという間に変異を起こす。それが人間の非人間化する四十パーセントの血液量、“限界値”だ」

 

 徐々に冷静になりつつあるというのに、どこかそれを他人事のように感じていた。あまりのことに、頭の理解がついていかないんだろう。ダンさんは続ける。

 

「肌や筋肉の色や形や質を変え、神経を狂わせ、脳を犯す。そうやってこんな怪物を作り上げるんだよ。血だけじゃない、魂も理性もない空の肉体。意思のあるアンデッドたちとも違う。全てを失ってその身だけになっても、死ぬことができず、苦しみだけが永遠にまとわりつき続けることになる」

 

 死んでいるようで生きている。自我はなくとも痛みはある。こんなことってあるの……。

 

「その、限界値さえ超えなければ大丈夫なのですか」


 ダンさんは神妙な面持ちで首を振った。


「非人間化することはないだけだ。多く血が失われれば当然命に関わる。吸血は本能だ。どうしたって強く求めてしまうんだろう」

 

 人間じゃない。

 そのことが、こんなにも大きな障壁になるなんて。

 ダンさんは細目で檻の中を見ていた。彼はその視線の向こうでヴァンパイアという存在を見ているような気がした。

 

「ヴァンパイアと一緒にいるということは、常にこうなる危険性を帯び続けるということだ」

 

 重々しい言葉。喉の奥へ、ごくりと唾液を流し込んだ。

 私もいつか……こうなってしまうの。

 

「分かったか? あんたは、ここにいちゃダメだ」とダンさんが私の両肩を掴む。その銀色の瞳は必死に危険を訴えていた。彼がヴァンパイアに対していい印象を持っていないから、なんてそんな単純なことじゃない。

 ヴァンパイアがいかに人間にとって害のある存在か、とても切実に伝えようとしていた。

 

「今すぐにでも逃げたほうがいい。あいつらが優しくするのは、あんたの血が欲しいからだ。ブラッド法だっていつまでも存在し続けられるか? 王だってヴァンパイアだ。血を飲むことは、乾いた喉に水を流し込みたいと思うことと同じ。自分の中から湧き上がってくる強く自然な欲求を押さえつけてまで、あの法を堅持し続けられるのか? もし王が廃案書にサインすれば、一発で……」

 

 これほどまでに大きな危険から、あの法は私たちを護ってくれている。

 それなのに、その法を生かすも殺すもこんなにも心もとないなんて。

 ダンさんが必死になるのも分かる気がした。彼はきっとすごく優しくて心配性な人なんだろう。身寄りの無いルッツ君を引き取って育てているくらいだから。

 彼の指が肩へ食い込む。私の肩よりもきっと、彼の心の方が痛んでいるんだと思う。

 

「ソフィア、早くやつらから離れるんだ。逃げたらここにはいられなくなるけど、オレも別の仕事を探すし、オレの分削ってでもお前を食べさせてやるから。絶対に苦労かけないように働くから」

 

 ”お前を食べさせてやる”? ”苦労をかけないように”? え?

 何だかそ、それって……。ドクドクと心音の高鳴りを覚えた。端整な顔の彼を見つめる。ダンさんは大きな決意を抱えているように見えた。

 

「ソフィア、オレと来い」

「――っ!」

 

 突然のことに顔が一気に熱くなった。全身から湯気が出そうなくらい。

 

「そ、そんな、あの、で、でも今日会ったばっかりで……ですから、えっと」自分でも何を言っているのか分からない。

「時間なんか関係ない。一時の気の迷いでもない。オレは本気だ」

「ダン……さん」

 

 鏡のような瞳に胸がくすぐられた。その真剣な眼差しは、決してからかっているわけではないと分かる。心配からくるものだけでないことも。

 

――『私……犯人を知ってるわ』

 

 リザの言葉に心が乱される。

 

――『オレと来い』

 

 ダンさんの言葉に揺さぶられた。

 

――『あの子は吸血鬼に殺されたのさ!』

 

 信じたいという気持ちと、信じていいんだろうかという不安。それらはまるで水と油のように弾き合い、いくら混ぜても答えが出ない。

 

「ダンさん、私――」

「ロイヤルストレートフラァァッシュ!」

 

 別の区画からなのか、大きな声が空気を震わせながらここまで響いてきた。それも……聞き覚えのある女の子の声。

 駆け足でその声の方へ向かうダンさんの背中を私も追いかけた。

 

「ぐあああ、負けたぁあ!」

「ありえんぜ、譲ちゃん!」

「丸儲け丸儲け! あーっはっはっはっは!」

 

 見えたのは大笑いしながらポケットにお金をしまいこんで、賭けに興じるアリスの姿だった。しかもこなれた感まで感じる。

 ア、アリスったら何をしてるの……!

 隣でダンさんの舌打ちが聞こえた。

 

「お前ら、檻の中で何をやってんだ!」

「やべ、バレた!」

 

 男たちは慌てて目の前のトランプとお金を服の中へしまいこむ。そんなことをしても、もう見つかってしまったあとなのに。

 

「あ、ソフィー! ソフィーだ! おーい!」

 

 私のことに気づいた彼女が大きく手を振る。環境適応能力の高さに驚いた。

 

「やれやれ賭けも刺激的でたまにはいいかもね」

 

 トトトトとミセスグリーンが一人鉄格子の隙間から出てくると、私の肩へとよじ登ってきた。

 

「え、ミセスグリーンもいたの?」

「逃げ回ってたアリスと偶然会ってね」

「そうなのソフィー。何だかよく分からないけど、ソフィーとはぐれたあとケンカに巻き込まれちゃって」と鉄格子の間から顔をのぞかせる。

「いや、譲ちゃん。アンタが真っ先にけしかけてたぜ」とヒゲもじゃのおじさんに指摘され、そうだっけととぼけたように頭をかいた。

 

 け、ケンカをしかけるなんて……。無事でよかったけどと息を吐く。

 

「あ、あのダンさん。さっきのお話ですが」

 

 小声のそれに、彼の体が緊張気味にこわばったのがわかった。

 

「私、帰ります」と彼を見上げた。

 彼はため息をつきながら、どこか悲しげに頭を振った。

「ソフィア……」

「ありがたいことですが、でも私だけなんて。それに――」

 

――『聖書に手を置いて誓ってもいい。君を裏切らないと』

 

 そう言ってくれた人がいる。

 信じなきゃ。あの人だってきっと懸命に戦ってるんだから。

 キュッと唇をかんだ。

 

「そっか。ソフィア、悪い。脅そうと思ったわけじゃないんだ」と申し訳なさそうに俯く。

「大丈夫です、ダンさん。いずれ考えなければならないことですから」

 

 そう、彼らとともに暮らす以上は。

 

「何の話だい?」と小首を傾げるミセスグリーンに「なんでもない」と笑って首を振った。

 

「ダーニー! onkelにお菓子買ってもらったぁ!」

 

 地下まで下りてきたらしいルッツ君が元気よくダンさんに駆け寄る。大きなキャンディーの袋を手に彼に飛びつくように抱きついた。

 

「お、そりゃよかったな」と抱き上げる。小さな手でアメを口に入れてもらう光景は、本当の兄弟か親子みたい。

 

 その向こうで面倒くさそうに立つ王へ、しぶしぶ頭を垂れる。何はどうあれヴァンパイアのことは大嫌いらしい。


 アリスも無事に外へ出してもらって、馬車に乗り込もうとする私の腕を突然ダンさんが掴んだ。

 耳元で「医術師には気をつけろ」と囁かれる。

 見上げたその真剣な目には、僅かな不安が滲んでいるように見えた。

 

******

 

「827‐W……W」

 

 膨大な量の本から、目的の物を探す。いつもなら『あなたもできる簡単魔法』や『紙とエンピツで魔物を呼び出そう』なんてものに惹かれそうだけれど、今はそれどころじゃない。

 

「あった。『警察白書 一九六〇四年版』」

 

 かがんでパラパラとめくる。ブラッド法の違反者について調べてみた。紙の上に指を滑らせる。

 王には聞けない。ヴァンパイアが私のお兄ちゃんを手に掛けたかもしれないなんて知ったら、ヴァンパイアに疑いを持っているなんて気づいたら、あの人はそれをとても気に病んでしまう。ただでさえあの肩にたくさんのものがのしかかっているのに。

 彼にこれ以上負担はかけられない。自分でどうにか真相をつきとめなきゃ。ブラッド法がきっちりと適用されているとさえ分かれば。

 

「ない」

 

 ブラッド法ができた翌年から一番新しい情報まで調べてみたけれど、一切の記載が無かった。まるでその存在すらひた隠すかのように。

 やっぱり後宮内の図書館で得られる情報なんてたかがしれているわ。数は多いけれど、この国の内部に関することを知ることなんてできない。

 

「ソフィー」と小声で呼ぶアリスを振り返った。

「どう?」

 彼女が私の隣にかがむ。

「見て。ほらここ、この文」

 

 一緒にブラッド法について調べてくれていた彼女は、国内法全集という分厚い本を開いていた。今までにないほど細かな文字がびっしりと並んでいて目がチカチカしそうだった。よく探してくれたと思う。

 

「読むわね。“この法律に違反した場合、第四章にあげられる罰則が適用される。これは同時にサルタイアー・サイクル内に一度医術師の血液成分検査を受けることの義務を付与し、全てヴァンパイアは違反の有無を調査することに同意するものと見なされるものである”」

 

 難しく聞こえるけれど、それって――

 同じことが頭をよぎったんだろう。コクリとアリスが頷いた。

 

「つまり医術師が一番深くこの法律に関わってるんだわ。この判定で全て決まるんだもの」

「医術師……」

 

 “彼”の顔が浮かんで消える。

 

――『医術師には気をつけろ』

 

 ダンさんもそれを分かっててああ言ったんだろう。

 でも確かめたい、知りたいという気持ちが自分ではどうにもならないくらい膨らんでいた。これ以上疑心暗鬼な気持ちを抱えたまま、ここにいるなんてできないわ。

 

「でもソフィーのお兄さんがもしかしたらヴァンパイアにだなんて……」

 

 アリスはそれを自分自身の痛みのように感じてくれていた。明るい彼女が眉間にシワをよせて目元に影をおとす。

 本当にお兄ちゃんを手に掛けた人がここにいたら。私は一体、どうすればいいんだろう。

 

――『ソフィア! 兄ちゃんと一緒に絵を描きに行こうか』

 

 そう笑ってくれた人はもういない。

 それを奪った相手は、何の罰も受けずにここでのうのうと暮らしているかもしれないのに……。ぎゅっと拳を握りしめた。

 

「ソフィー大丈夫。きっと何かの間違いだわ」とアリスが背中に手を回してくれる。

「ありがとう」とそれに応じるように彼女に抱きついた。優しく背中を叩いてくれる。今はそれが何より心強かった。

 

 

****

 

 Leonard. V. Morterzefz

 医術師の研究室が並ぶプレートにその名を見つけた。周囲を見渡して誰もいないことを確認し、扉に耳をつける。中はとてもシンとしていて、人の気配は無かった。ノックをしても誰も出てこない。

 鍵がかかっていたらどうしよう。

 

 そう思いながらドアノブをひねる。それはあっさり開いた。ほんの少しだけ開いて体を滑り込ませるとすぐさま扉を閉める。ドアを背に小さく息を吐いた。

 はあ……、本当はすごく怖いし気がひける。

 こんな、他人の部屋に勝手に忍び込むなんて。それも王に貰ったお城の中へ続く鍵と透明マントを使って。

 とても悪いことをしているのは分かっている。みんな、本当にごめんなさい。

 

 視線を上げて部屋を見渡した。かすかに薬品の匂いがただよっている。キャビネットにはたくさんの瓶や天秤が納まっていて、壁には人体の図が書かれたポスターやお薬のリストが張られていた。

 どこかに血液検査の資料があるはず。それを見ればきっと何かわかる。

 研究室の中の扉をさらに開け、執務机とたくさんの本が並んでいる部屋へ足を踏み入れた。とてもきちんと整理された部屋。

 

 どこ。どこにあるの? あちこち乱さないように丁寧に探す。あそこ……?

 目についた茶色の戸棚を開けるとABC順にファイルが並んでた。

 やった、カルテだわ! これを見れば何かわかるかもしれない!

 頭から被っていたマントを取る。一番調べるべきなのは……。


――『レディエンス家とは関わるな』

 そう、レディエンス家のもの。

 L……L……L。

 レオ様がその担当なのかは分からないけれど。あるならそれに越したことはない。

 L……L……。

 やけに喉が渇いてきた。

 でも王が一番その存在を懸念しているレディエンス家さえちゃんとしていれば、他はきっと大丈夫である可能性が高いはずだわ。

 それさえ確かめれば、もうこの話は終わりにする。

 L……L……L。 あ……った!

 

 見つけたレディエンス家のカルテから、すばやくファイルを一つ取り出した。

 “Glaydow Aron Ladyence”

 グレイドー?

――『グレイドー、お前も挨拶を』

 

 あの人……! 彫刻のような美しい顔、燃えるように赤い髪は短く切りそろえられ、狼のような金色の鋭い瞳におぞましい光を宿したあの。

 激しい焦燥感に駆られるように、中をあらためた。まるでパンドラの箱を開けているような心地がする。ああ指が震える。こんなことをしているうちに、レオ様が帰ってきたらどうしよう。怒るよね、絶対。

 かさかさの指先でできるだけ早くめくる。定期健康診断表、眼科、内臓機能、聴力……どれ? ここにある保証はない。まさか別の場所? 病歴一覧、呼吸器……どれ? どれ、これじゃない。違う。循環器、消化……あった! ”血液検査結果表”と書かれたそれを急いで引っ張り出す。

 

 ずらりと術式が並んでいて、何が何だかさっぱり分からない。

 やっぱり医術の知識のない私には無理だわ。いえ、帰って図書館で調べれば何とかなるかもしれない! 敏速にそれを乱雑に折りたたんでドレスの中にしまいこんだ。他の紙を揃えてファイルを棚へ戻す。戸棚をピッタリと閉じた。これでいい。

 もう帰ろう。長居はダメ! 早く!

 

 透明マントを握りしめ踵を返したそのとたん、鼻に何かがあたった。誰かの胸元……?

 冷水を浴びせかけられたかのように全身が震えた。

 

「何をやっている」

 

 静かなのに殺気を含んだかのようにゾッとする声。

 レオ様じゃない……。ぎこちなく顔を見上げた。


 萎縮した瞳孔、ピューマのような金色の瞳のその人が立っていた。今まさにカルテから紙を抜き取った相手。グレイドー・アロン・レディエンスその人。


 どうして、どうしてここに! 全身から汗がふきだす。

 後ずさろうとした瞬間、手首を思い切りつかまれ叩きつけるように床へ投げられた。掌がすれてヤケドをしたように熱い。全身を打ちつけて痛かった。

 乱れた髪の間から彼を見上げた。

 いつからここに? ずっと見てたの? だとしたら、カルテを抜き取ったことが分かってしまう!

 どうすれば……。

 彼はなぜかジッと私の足元を見ていた。それを辿る。

 

「――っ!」

 

 倒れた拍子にドレスがめくれて太ももが露になっていた。急いでそれを覆い隠す。

 レディエンス家のその人はゆっくりと上唇をなめた。真っ赤な舌が恐怖をそそる。

 

「いや……っ!」

 

 彼は私にまたがると、とんでもない力で私を床へぬいつけた。唇からのぞく牙が怖い。なんて恐ろしい空気をまとっているんだろう。

 片手だけて私の両手を頭上で固定すると、もう一方の手で私の唇をなぞった。体が小刻みに震える。おそろしさにぎゅっと眼をつむった途端、氷のように冷たい唇を押しつけられた。

 

「んん……っ」

 

 足をばたつかせても手を捻ってもびくともしない。舌をねじ込まれそうになって、必死に口を結んで耐えた。

 彼のもう一方の手が首へ下りてくる。ゆっくりと圧力をかけられて苦しさに拍車がかかった。

 息が……!


 空気を求めて大きく口を開けた。それを見計らったかのように彼が舌を滑り込ませようとしたその時――

 

「何やってんの、グレイ」

 

 穏やかなのに、ゾワリと鳥肌がたつような声だった。恐る恐る視線を横へずらすと、白衣を着たレオ様が腕を組んで壁にもたれかかっていた。今まで聞いたことのないくらい怒気を含んだその両目で私の上の彼を見すえる。

 レディエンス家の人がゆっくりと立ち上がった。

 

「いい女がいたもので」

「だろうね。けど残念、オレのだ」


 その人は胸に手を当てて会釈すると、それ以上何も言わずに出て行った。それに全身の力が抜ける。

 怖かった……っ。

 

「ソフィー、大丈夫!?」

 

 レオ様が上半身を抱き上げてくれた。

 大きな安堵感と、残留する恐怖と、見つかってしまった罪悪感と。色々なものが混ざり合ってまともにレオ様の顔を見られなかった。

 

「ごめんなさい……勝手に」

「そんなことはいいから。こっちにおいで」

 

 フワリと体が浮く。それが横抱きにされたからだと気づいて焦りに身をよじった。

 

「え、あの!」

「異論は認めない」

 

 にこりと笑いながらも、どこか心配そうな青い瞳に申し訳なさがつのった。大人しく服にしがみつく。

 

「よくオレの研究室が分かったね」

 

 そう言って柔らかなソファーへ座らせてくれた。

 

「すみません突然」

「謝らなくていいよ。オレもちょうど君に話があったから」

 

 レオ様はカップにお湯を注いでいた。ふんわりと甘い香りがする。

 レオ様が私に話? 何だろう。

 

「どうぞ」とそのうちの一つを渡してくれる。

「ありがとうございます」

 

 湯気の立つそれにゆっくりと口をつけると、何だかじんわりと体が芯から温まる心地がした。ちょっとだけ落ち着く。

「あの、レオ様のお話って?」

 

 温かい飲み物のおかげなのか、だんだん平常心を取り戻せてきた。さっきのショックは、正直まだくすぶっているけれど。

 

「ん? オレから話していいの?」

 

 確かに訪れた側から話を切り出すのが筋だったのかもしれない。

 それでも彼はカップをソファーの前のローテーブルに置くと、私の前にひざまずいて両手を包んだ。

 

「王女のパーティーでさ、君を怖がらせちゃったかなと思って」

 

 絶妙な角度で上がっていた眉がキュッとひそめられる。

 あのことね、と思った。確かにあのときのレオ様は少し怖かった。私の知らない彼の顔を見てしまった気がして。

 

「ずっと謝りたかったんだ。血を吸いたいだとか……怖かったよね。本当にゴメン」

 

 嘘偽りの無い綺麗でまっすぐ瞳が向けられる。

 そう、これが彼。あの時は少し変だったけど、やっぱり、レオ様はレオ様よね。

 

「大丈夫ですよ」と笑うと、レオ様は心からホッとしたように息を吐き出した。

 

「そうだ。グレイのバカのせいでどっか体に異常がでてるかもしれないから一応診てあげるよ。ほら、せっかくこんな格好だし」と彼は着ていた白衣の襟を引っ張る。

「へ?」

 

 白衣……。来たときはあんな状態だったけれど、落ちついて改めて見てみると何だか変に緊張する。な、何だろう、この感覚。もしかして私って変態なの?

 

「あ、い、いいえ、結構です!」

「あれ、心臓に異常が」

 

 彼はいつの間にか私の胸に聴診器を当てていた。上目づかいの魅惑的な微笑みにさらに心臓が跳ね上がる。

 警察署でヴァンパイアの怖さを再認識したばかりだというのに、もしかしたらお兄ちゃんの死に関わっているかもしれないのに、それなのにヴァンパイアはやっぱり幻想的で美しくて。完璧だった。鼓動が強くなっていく。こんな男性から情熱的に愛を囁かれれば――

 って何を考えてるのかしら、私は……!

 

 混乱してる。

 そんな私を彼は下からのぞきこんだ。


「うーん顔も赤い。ショックによる発熱かもしれないね。大変だ」

「いえ、違うんです、これはただ」

「すぐに治さなきゃ」

「んっ……」

 

 柔らかくて温かな唇が押し当てられ、彼のいつもの香水が鼻腔をくすぐる。さっき口にした甘い飲み物の味がした。

 ゆっくり離れるとどこか戸惑い気味に「消毒……にならない?」と小首をかしげた。

 さっきレディエンス家の人にされたことを心配してくれているらしい。


「ありがとうございます」 


 こんなにも優しく気づかってくれる。

 それでもやっぱり、ヴァンパイアにとってあの法律を守るのはとても困難なものなんだろうか。

 分からない。彼らのことが。

 

「ソフィア、本当は何か知りたいことがあって来たんでしょ? 何でも答えるから言ってみて」

 

 隣に座って優しく髪をなでてくれるレオ様に少し戸惑いを覚えつつも、私は言うべきことをきちんと整理しながら口を開いた。

 王とこの人だけは、きっと信じられるはずだから。

 きっと。


あとがき

 結構むちゃするソフィアさん。

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