st.ⅩⅩⅨ Once Again
「この婚約を、なかったことにしていただきたい」
それに言葉を失った。木々のざわめきがやけにうるさい。カーテン越しに影絵となっていた王は、後ろ手に組んで前を見据えていた。その姿がやけに泰然としていて美しい。
「八十年前――」と王はその場に佇んだまま口火を切った。
「幼かったあなたに無責任な求婚をし、これほどまで長きにわたってお待たせてしまったことをおわびします」と淡々とした口調で言った。
「ですが……」
それが、急に熱を帯びたように震えだす。
「私には、心から慕う女性ができてしまったのです。片時も忘れえないほどに想う女性が」
“心から慕う女性”。それに胸がトクンと高鳴った。
王の小さな吐息が耳を掠める。
「勝手なこととは重々承知しております。ですがこのまま結婚しようと、私は彼女を忘れることなどできない。あなたをそばに置きながら、私はきっと彼女を追い続ける。この命ある限り永遠に」
その、彼女って――
ざわめいているのは、森の木々だけじゃない。
さっきまで肌寒いと思っていたのに、頭から被っていたストールを取りたくなるほどの暑さを感じた。
あの人が、そこまで忘れえぬ女性。
「ソフィア・クローズ。私は彼女を愛しています、心の奥底から」
手の中の指輪を思わず握りしめた。まるで熱を帯びているかのように熱い。
“愛してる”。王が、私を。
今さら予想外だなんて言わない。けれどどこかに疑いはあった。私の勘違いなんじゃないかって、考えすぎなんじゃないかって。
はっきりとその言葉を聞いて、息が苦しくなった。何かが胸を圧迫するかのように、熱い風を吹きつけるように、私を狂わせる。
どうしよう。どうすればいいの……!
心臓までが、パニックを起こしたかのように暴れていた。
「ですが私は彼女を傷つけてしまう。愛しさのあまり、か細い腕を強く引いて滑らかな肌に爪を立ててしまう。彼女はそれをとても痛がるのに、私はいつも血が滴って初めて己の愚かさに気づく。ならばいっそ、私の手の届かないところへ行ってくれればと。他に彼女を優しく包んでくれる存在の元へ」
――『兄上の許可もあるし』
まさか、それで私とレオ様を結婚させようとしたの?
「彼女が幸せになるのなら、私は一人それを遠くから眺めるだけでいい。彼女の微笑みが見られるのなら、私は孤独の中でも幸福を見つけられる。これが私にできる精一杯の愛情表現で、精一杯の彼女への償いなのです。あなたには、愚盲な考えと一笑されるでしょうが」
陛下――
彼がこちらへ来ようとしている気配を感じたのに、焦ることもできないほどに動揺した。
「申し訳ない、王女。このような私をお許しくださ……ソフィアっ!」
バルコニーへ出てきた王は振り返った私に驚き、その拍子に滑ってしりもちをついた。
「へ、陛下!」
大きな音を立てて、成人の男性が窓枠に頭をぶつける。めったに見られる光景じゃないだろうと思った。
「あの、大丈夫ですか」
慌てて駆け寄る私とは対照的に、王自身は何が起きているのか分からないと言いたげに、両目をまん丸にして顔を赤くし、じっと私を見つめていた。冷たい冷たいと思っていた瞳が、とろけそうなほどに熱を帯びて潤んでいる。
「あ、あ、あの、いや、違、これは……」
目を泳がせ、必死に言い訳を考えているみたいだけれど、もう遅い。
手を差し伸べると、彼はおずおずとそれを掴んだ。決して私に体重をかけることなく自力で立ち上がると、それとなくお尻の汚れをはたいていた。
自然と手が離れる。
言わなきゃ。謝らなきゃ。両手をお腹の前で重ね、ぎゅっと力を入れた。
「陛下、申し訳ありませんでした」
声の震えを必死に押し隠す。
「あなたのプロポーズを、あんな風に。なぜ信じてくれなかったのかとあなたを責めたくせに、今度は私があなたの言葉を聞こうとしなかった。これだって、大切なものだったんですね。それを、あんな風に払い落としてしまって、本当にごめんなさい」
掌に載せた指輪をそっと差し出した。後悔の念が波のように押し寄せてくる。彼はどこか寂しそうな色を浮かべ、
「いや、君のせいではない。もっと早く、そして素直に話をするべきだった。“償うため”などと誤魔化すことなく。余計なプライドも捨てて」
指輪を手に取ると、魔術で私のネックレスにそれを通した。
「あの?」
どうして受け取らないの?
彼は小さく笑うと、おもむろに内ポケットから一本のエンピツを大事そうに取り出した。軽く振って私に見せつける。
あれは……。
見上げた彼は穏やかな風に髪を揺らして、とても温順な顔をしていた。
「覚えているか? これ。君のガラスの靴だ」
背景に色とりどりの星を負い、少しはにかんだように笑う。それに少し胸が高鳴った。
「私に二度も拾わせ、挙句置いていってしまったが。あの時、無理にでも君を追いかけていれば、結末はまた違ったんだろう」
そのつぶやきは彼の心を針のように刺したらしい。チクリと痛んだように眉をひそめた。
「あの月の絵を見たとき――」
王は闇夜に浮かぶ白い月を見上げた。
はからずもあの時とよく似た月。墨を流したような空に、くっきりと浮かび上がる美しき夜の住人。ヴァンパイアをより魅惑的に、そして幻想的に照らし出す。
「あまりの繊細さと美しさに震えた」
淡い月と清らかな水と涼しい風と。エンピツを紙に走らせていた、あの湖のほとりでのことが思い出された。狭い部屋に閉じこもっていたばかりのあの頃。見知らぬこんな地で、他人の関わるのも億劫だった。王のことにだって、微塵も興味が無かった。
――『ほう、上手いものだな』
その声に手を止めてそちらを振り仰いだ。
「湖のほとりで真っ白なシーツにくるまれた君を見たとき、面白そうな者がいると思った。あんなところで、あんな格好で、一体何をしているんだと」
王は私が頭から被っていたストールで、まるであの時のように顔を覆った。映画のように切り取られた世界の中で、漆黒の瞳の彼が微笑んでいる。
「皆、私を一目見ようと押し寄せているというのに、そのシーツの者は私に少しも興味がないらしい。その風変わりさに一瞬だけ目を留めた。そのまま無視しようとも思ったが、エンピツを紙に走らせるその姿がやけに私の気を引いた。顔は見えなかったが、とても楽しそうだと思った」
確かに楽しかった。暗闇の世界での数少ない安らぎだったから。
「興味本位に近づいてのぞくと、その人物は手の中にもう一つの月を持っていた。余計な脚色などない、それ本来の美しさと繊細さを湛えた月を」
黒真珠のような瞳を、反射した明かりが揺らめいた。布の間から見えるその顔は、やっぱり夢と現の区別を忘れるほどに美しかった。
今まで見たたことも無いほど、美麗な男性だと思った。胸がざわつくほどに。
――『で? 王である私に先に名乗らせた、無礼者の君の名は?』
けれどヴァンパイアだと分かると、伸ばされる手が恐ろしくて必死に逃げた。
それが今ではこんな傍にいて、恐ろしさではない感情でもって私を震わせている。
王は手の中のエンピツを寂しげに見つめた。
「その月を見て思ったんだ。彼女の瞳に映る“私”を知りたいと」
それがまるでついこの間のことのように、もしくは数十年前の昔話をするかのように、鮮明な情熱と懐古のうら寂しさを入り混じらせていた。
微笑んではいるけれど、それが物悲しく映る。まるで己の身に降りかかろうとしている、ほの暗い末路を予感しているかのように。
「私は物心がつくかつかないかの内に、すでに王としての責を担っていた。王としての礼儀を教えられ、王としての道を教えられ、王としての全てを学んでいった。優秀だと囁かれるようになったそのときには、すでに分からなくなっていた。私というものが」と目蓋を閉じる。
――『メリットは』
――『あなた方の国を助けて、我々に一体何のメリットがあるのです』
助けて欲しいと懇願する他国の王へ、せせら笑うかのようにそう言い放っていた。助ける力はあるのに、手を貸そうとはしなかった。それがどれだけ冷淡に映ったことか。
――『同じ轍は絶対に踏めないからね』
より多くの国々の平和のために下した決断が、正しいのかそれとも間違っているのか、私には分からなかった。
“あの人は、違うんだろうか”。
そう思ったけれど、彼にもきっと分からなかったんだろう。その苦しみが、刃のようになって彼の胸を貫いていたのかもしれない。あの薄暗い廊下をまっすぐに立ち去ってゆく背中の向こうで、その痛みに一人耐えていたんだろう。
王は苦しげに胸を押さえた。
「欲しいものを欲しいと言えず、したいことをすることも許されず、過つことも、泣き言を言うことも禁じられた。そうするうち何も感じず、何も求めなくなっていった。目の前に出された食事を残らず平らげ、用意された服に文句も言わず袖を通す。山積する書類にサインをして、国にとって最良の決断を下して賛美を受ける。それだけの毎日だ。時に誰かの命を奪うことがあっても、まるで事務処理のように片付けていた。何も感じず、何とも思わない……ふりをした」
――『根っから冷たいザルクじゃなきゃ勤まらない仕事さ』
「己を装い、冷酷と称され、優秀と謳われ。いつしか何が本物で何が作られたものなのか分からなくなっていった。この感情が王のものなのか、自分のものなのか。何をしたくて、本当は何を思っているのか。喜怒哀楽さえ誰のものか分かず持てあました」
――『陛下は職務を懸命にこなすうち、何か大切なものを見失ってしまったのです。そしてそれを必死になって探し求めている。ご自身でも気づかぬうちに』
それでも、彼は周囲の求める王であり続けた。苦しみを覆い隠して。
「誤解しないで欲しい。私はこの国の王であることに誇りを持っている。重責といえど投げ出したいなどと思ったことはただの一度もない。誰かに代わってほしいと思ったこともない。だが……過ちを犯したときには素直に謝って、苦しくなったときには弱音を吐きたい。時には何でもないことに笑い、甘えるのも悪くない。愛する女性を腕に抱いて、永遠を誓い合いながら存在を確かめられたらと。そんな風に生きていけたらと願っているだけなのに、私にはそれがひどく難しいことらしい」
一体どれだけの長い時間を、この人はそうやって心を孤独にして生きてきたんだろう。どれだけの長い時間、彼の中の彼は暗闇で立ちすくんでいたんだろう。
「こんな小さなことに苦しみ続けた私は、とても滑稽で馬鹿げているだろう?」
胸を締める苦しげな笑顔に、私は何度も首を横へ振った。
誰がそれを笑うことができるというの? こんなにも痛々しい、張り裂けそうな笑顔を浮かべている人を。何百年という月日を、自分を殺しながら生きてきたこの人を。
彼の嘆きが伝わって、息苦しさに胸がつまった。
「あの月の絵を描いた女性なら、教えてくれる気がしたんだ。あのような絵を描く彼女の、その瞳に映る“私”が、きっと本来のそれなのだろうと信じた。リザがそうだと思っていた時、彼女は私の背が好きだと言ってくれた。民を率いるこの背が好きだと。嬉しかった。恐れることはない、王たる私もそれで”私”の一部なのだと教えてくれた気がした。乖離が消えるような、どこか楽になったような気がした。ああこれで私は”私”を取り戻せたのだと思った。だからこそ余計に、誰の言葉にも耳を傾けなくなったのかもしれん。すまない……」
“だが”と彼は続ける。
風すら彼の切ない心を表現するかのように、低く唸ってあたりをかけてゆく。
「違和感はずっと渦巻いていた。それなのに私は、大切な女性を……失ってしまった“私”というものを教えてくれた女性を傷つけられたと思い込んで、怒りに冷静さをかなぐり捨て、真実を見抜けず君を。本当は――」
何かこみ上げるものがあったのか、一瞬声を詰まらせた。
「本当はあの時すでに、“月の絵の女性”よりも、一度会っただけの君のことが忘れられなくなっていたのに。私に近寄ろうともしない、名前も明かそうとしない、生意気なサードクラスの女を。凛とした強さとまっすぐさをその全身から感じた。彼女を前にすると、なぜだか自然と感情が溢れ出して来るんだ。“私”の感情が。わざわざ教えてもらうまでもない。ただ君を見つめているだけで自然と」
彼は悲しげに、
「だが本気の恋をしたことのなかった私は、愚かにもそれに気づかなかった。すまない」と唇を噛みしめた。
「カフェで君に会ったとき、私は君を知っていると言っただろう」
――『だがサードクラスの女。私はおそらく君を知っている』
「自分の直感を信じればよかった。そうすれば、君を傷つけずにすんだのに。苦しめずにすんだのに」
その痛々しい物言いに、目頭が熱くなった。
「“月の絵の女性”と“サードクラスの女”。後に水晶のように透き通った瞳の君が、私の求めていた女性と同一人物と分かったとき、嬉しくて、そして絶望した。何ということをしたのかと。君は許してくれると言ってくれたが、分かっているんだ。もう何をしても手遅れなのだと。私が初めて心から欲しいと思ったものは、自分自身の咎でこの手をすり抜けていってしまうのだと。だが、どうしても。どうしても君に聞いて欲しいことがある――」
彼が瞳を閉じると、頬をいく筋もの光の玉が零れ落ちた。そのまま、覚悟を決めたように私を見やる。
まっすぐ見つめられる、あの瞳に。
「ソフィア、誰よりも君を愛している。たとえ世界が滅びようと、星が地に降り注ごうと、この身が朽ち果てようと、私は変わらず君を愛し続ける。この腕より、足より、眼より、命より……君のことが大切だ、ソフィア」
言葉に込められた激情が、私を熱くして通り過ぎていく。
心臓の鼓動を全身に感じ、呼吸さえも満足にできない。私を愛しいと訴えてくれる、この人の全てに揺さぶられた。その濡れた瞳が、震える唇が、それを噛む白い歯が、愛し続けるとの言葉が、胸を貫いて強く締めつけた。
「陛下っ……」
「待ってくれ。君に拒絶されるのが怖い。叶わぬのならこのまま夢を見続けさせてくれ、頼む」
片耳を塞ぎ背中を向けた。“怖い”そう切実に訴えかける彼が少し愛しく思えた。
彼に近づき、そっと手を握る。
思いが言葉にならず、涙に溶けて溢れ出していった。被っていたストールを肩へ落とすと、冷たい風が頬を撫でていく。
「陛下」
それにつられるように、彼はおずおずと振り返った。
もういいんです。あなたは十分に苦しんだ。
だから、どうか――
こちらを見つめる王に、涙を拭いながら精一杯の笑顔を作った。
「申し遅れました、私の名前はソフィア・クローズ。無礼を働き申し訳ありません。このたびは落としたものを拾っていただき、まことにありがとうございました」
ドレスを持って膝を軽く折ると、彼の手のエンピツを手に取った。
あのときこうだったらと思うなら、もう一度やり直せばいい。
あなたならきっとできる。そうでしょう? 陛下。
彼の瞳が小さく揺れた。目を閉じて唇を震わせる。
「なぜ君は……。私は君に、あんなことをしてしまったのに」
王は表情を崩し、掌で口元を覆った。その手は闇に怯える子供のように震えている。私の中にあるこの掌も。
彼は嗚咽を漏らしながら背中を丸めた。ハラハラと銀の雫が舞い落ちる。
「ソフィア。やっと君の口から名を聞けた」
嬉しそうな彼の、大きな手が頬を包む。温かくて、優しい手。熱っぽく私を見つめる彼に動揺が走った。
「あの、すみません私……」
「本当は、君が私のことを愛していると言ってくれてからと思っていたんだ。だが、すまない。もう――」
「陛下っ、あの」
強い突風が吹くと共にストールが天を舞う。
満天の星空の下、流れ星と共に柔らかなキスが落ちた。
唇を優しく挟み込み何度も何度も角度を変え、そのたびに彼の熱と思いが伝わってくる。
息苦しくなりそうなほどに強い愛が。
涙が詰まって喉が震える。熱い血液が体を満たしていった。
名残惜しそうに離れていく彼に、あまりに恥ずかしくて俯いた。心臓が痛いほどに内側から打ちつけている。まともに顔を見られない。
そんな私を追いかけてくるように、王は下から押し上げるようにキスをしてきた。
「ん……あのっ」
胸を軽く押すと、あっさりと距離を置く。けれど手を重ねられ、思わず引き込まれそうなほどに情熱的なその瞳に見つめられるうち、気づけばまた柔らかく触れ合っていた。そのたびに甘い痺れが体を駆け抜けるような感覚にひどく戸惑う。
「陛下っ、もう」
王はそれに少しがっかりしたように、最後に頬にキスを落として顔を上げた。
緊張気味に庭へ体を向け、目元を乱暴に拭った。
「格好悪いな、私は。好きな女にいいところの一つも見せられない」
「今後に期待します」
「だ、だが君はレオが好きなんだろう?」
「え?」
聞きにくそうに、まごまごとしてこちらを伺う。
そういえばこの人はよく、レオ様を引き合いに出しては、好きなのかとかなんとか言っていた。確かに勢いでレオ様が好きと言ったことはあるけれど、疑いもせずそう信じてたんだ。
「あの方とは一応まだお友達です。そしてこれからはあなたとも」
一瞬嬉しそうに笑った王は、それを隠すようにそっぽをむいて、
「だ、だから、なぜ友達なんだ! 君は後宮の女性だと言ってるだろう。全く君は何度言ったら――」
「では他人のままでいいです」
「友達になろう」
王に強く手を握られ、わざとらしく上下に振られた。
変な人。
思わずお互い噴きだしてしまった。
「ですが陛下、王女様は?」
今夜、私が代わりにここに立っていた事情を話したけれど、王は別段興味を示さなかった。私の腰に両手を回し、引き剥がそうとしても微動だにしない。それどころか髪にたくさんのキスを降らせてくすぐったい。
彼女は長い時を待ち続けたというのに、どうするんだろう。
「さっきのように、他に好きな女性がいるからと言えばいい。そもそも八十年前の戯言など本気にするほうがどうかしている」
そう言うと頭を押さえつけ、「好きだ」と言って唇を近づけてくる。さっき“友達になる”って言ったばかりなのに。
王の胸を押して抵抗しながら、
「戯言? そんな簡単にプロポーズなさったんですか?」
それに王は触れ合う寸前で動きを止めた。浮かれて思わず零れ出た言葉に、しまったと言いたげな顔をする。
全く。呆れて物も言えない。
「あ、い、いや、若気の至りというか。ま、まあそんなことより、ソフィア、な? もう一回」
キスしようとしてくる彼から顔を背けた。
「それだけ待たせたのなら、やはり結婚すべきです」
「は?」
「八十年ですよ? ありえません。彼女と結婚してください」
それにムッとしたように、
「嫌だ! 君と結婚したい!」
「子供みたいなこと言わないでください!」
「なら王女と結婚して、子供は君との間だけに作る」
「正妻様をないがしろになさる気ですか? 通用しませんそんなこと。それに陛下との間に子供なんて嫌です!」
「い、嫌? 何が嫌なんだ、私たちの子が可愛くないわけがないだろう!」
「そういう問題ではありません。とにかく早くご結婚の準備を」
王はそれに顔色を変えた。下目蓋を小さく震わせる。
「来い」
「あ、ちょっと……」
部屋の中へ連れ込まれ、柔らかなベッドへ乱暴に放り投げられた。手首をシーツに縫い付けられ、押し倒される。
「陛下!」
「本心か?」
「え?」
覆いかぶさる彼を見つめる。怒ってはいないようだった。ただ、とても寂しそうな色を漂わせている。
「君は本心から、彼女と結婚して欲しいと言っているのか?」
そのあまりに悲しげな顔に、私は二の句が継げなくなった。彼の気持ちをもう十分すぎるほどに知っているのに、私は。
「ごめんなさい。勝手なことを言いました」
おそるおそる見上げた彼はなぜか、嬉しそうに笑っていた。それに心臓が跳ねる。
「可愛い」
「え、あの……」
「可愛いと言ったんだ。君が」
ダイレクトにそんな言葉を投げかけられ、胸の鼓動は早さを増した。
こんな、急に素直に。
今まで色んなものを我慢して押さえつけていた感情が、湧き水のように溢れ出して私に向けられているようだと思った。不快……ではないけれど。
王は頬に軽くキスを落とすと、
「こっちへ来てくれ、見て欲しいものがある。喜んでもらえると嬉しい」
その表情は、あの月の下で見たときよりも眩しく、美しいものだった。
あとがき
王の中ではすでに彼女は自分のもの。