st.Ⅲ The Competition
「聞いたかい? 絵のコンクールのこと」
早耳のミセスグリーンが興奮気味にそう言った。私はやっぱり窓の外を見ながら、「いいえ」と首を振った。
「王が後宮の女たち全員から絵を募って、一番をお決めになるんですって。あんた絵の才能があるんだから、またとないチャンスじゃない!」
「チャンス……」
「あー、王がどうとか考えず純粋にやってみればいいわ。この状況だって楽しまなきゃ損、損!」
ミセスグリーンはいつも明るくて、言葉に温かみがある。人間で言えばきっと、真っ赤なホッペの肝っ玉母さんなんだろうなと思った。
***
大きな宮殿を出て庭に出ると、みんな真剣な顔でキャンバスに向かい合っていた。題材は“月”らしく、絵の具やクレヨンを片手に月とにらめっこしている。ちょうどアーケードになっている渡り廊下の下、メデューサの噴水前が人気スポットらしく、大勢の女の子が場所を取り合ってこぜり合いをしていた。
私はそこをさけて、なるべく人気のないところを探す。
今日はシーツを被っていなかったから、ジロジロ見られているようでやけに不安だった。でもまたシーツを被って出れば、あの人に会った時すぐに素性が知られてしまう。
あ、そういえば……。
エンピツが無いことに気づいた。部屋に唯一あった描く道具だったのに。あの時、王から受けとらずに帰ってしまったから。
「どうしたの?」
肩からひょっこりミセスグリーンが現れる。
「描くものがなくって」
「そう。アンタ支援してくれる貴族がまだいないもんねぇ」
後宮は、貴族らの賭けの場にもなっていた。数多くいる女性の中から援助する一人を選び、生活や娯楽に関する全面的な支援を行う。ドレス、香水、装飾品、住む部屋のランク。全てが貴族からの援助でまかなわれ、その代わり王の妃になるための努力を義務付けられる。
なんでも、援助した女性が妃になると、その貴族の名前が上がって爵位に影響があるらしい。
私はそんなもの下らないと思うけど、これがものすごく人気の賭けになっているらしくて、これが元で破産した貴族もいるってミセスグリーンから聞いた。
私にはその支援を頼める貴族がいない。パーティーやら交流会やらでそう言ったことをお願いするみたいだけど、私にはお金と自分を交換するようなマネはできない。おんぼろの部屋で、おんぼろのドレスだっていい。私は誰の商品にもなりたくなかった。ここの誰もそうは思わないみたいだけど、これってどこかズレてるのかしら……?
「そういう所が強情だって言うの」
ミセスグリーンはそう言うけど、呆れたようでいて納得してくれている。本当にお母さんのような存在だった。私の心の癒し。今まで虫が嫌いだったのが嘘みたい。
「で? どうするのソフィー。今回は見送るの?」
「いいえ。折角これだけキレイな月が出てるから」
「月はいつもキレイじゃない」
「そう。でも今日の私が見る月は、明日の私が見る月とは違うから」
ミセスグリーンは少しきょとんとしていた。私はフフフと笑うと、
「お美しい黒衣の貴婦人さん、少々お力を貸していただけませんこと?」とお姫様ぶってお願いしてみた。
***
「まあ、すごいのができたわねぇ。私も長年クモやってるけど、こんな月は見たこと無いわ」
ミセスグリーンはそうやって感激してくれた。褒めれるのは悪い気はしない。いいえ、正直に言うわ。嬉しい。
描くものが無かった私は、傍に生えていた花や草をちぎって絵を描いた。糊は無かったから、ミセスグリーンの糸を借りて。時々通りすがりにそれを見ては“貧乏臭い”と笑われたけど、私は満足してる。
「これは二人の共作ね」
私がそういうと、ミセスグリーンはなぜか小さなハンカチを取り出して泣いていた。涙もろいなぁ。
「ねえ」
若い女の子の声に、ハッと絵を抱きしめて振り返った。その金色の髪を丁寧に巻いた少女は、きらびやかで愛らしいドレスに身を包み、高そうな靴を履き、手には大きなキャンバスを持っていた。肩には一匹のコウモリが毛づくろいをしている。
「それ、あなたが描いたの?」
「え、ええ」
「私はリザ・インスティテュート。あなたは?」
「ソフィア。ソフィア・クローズ」
握手を交わした。すごく小さくて柔らかくて手。
「あなたの絵、とっても素敵ね」とリザは柔らかく笑う。
「ありがとう」
「ねえソフィー、私の描いたものも見てくれない?」
リザがキャンバスをこちらへ向けた。あまり手馴れた感じはしなかったけど、とっても一生懸命に描いたのが伝わる。メデューサの手の上に浮かぶ月が、青白い顔でそれを見下ろしている構図。とても幻想的で、どこか絵本の挿絵を思わせた。
絵の具を使って彩られたそれを見ていると、確かに私の絵は貧乏臭いのかもしれない。でもミセスグリーンが手伝ってくれて、やっと完成したんだもの。王にだろうと貴族にだろうと、笑われたって構いやしない。
「あら、そろそろ締め切りの時間じゃないかしら」
リザがそう言った瞬間、南の棟(午前は北のゴーンという重厚な鐘、午後は南のカーンという軽快な鐘が鳴る)の鐘が三つ聞こえた。
それを合図に青白く背の高い女性が、大きな箱を持った侍女たちと共に、青白いガラスのベルを鳴らして歩く。絵を描き終えた女性たちが、我先にと集まっていった。
「あ」
私もリザもそこへ向かおうとして足を止めた。リザが「どうしたの」と振り返る。
「私サインするものがなくって」
「なら私が書いてあげるわ。つづりは?」
「S-O-P-H-I-A,C-R-R-O-W-S」
「ソフィア・クローズ……OK」
リザはフワフワとした羽ペンを取り出すと、私の絵にサラサラと書き記してくれた。
「ついでに出してきてあげるから、待ってて。良かったらこの後お茶しましょう」
そういい残して人ごみの中へ消えてゆくリザの背中を見つめながら、こんな所で出会う友達も悪くないかもしれないと思った。
あとがき
友達一号……。