st.ⅩⅩⅧ The Dinner Party
食事会の行われる部屋は決して大きいとはいえない。けれどもそこが特別な部屋だということはすぐに雰囲気で分かった。
温かみのある赤を基調とした幾何学模様の壁に、平たいシャンデリアが柔らかなムードを作り出す。窓はなかったけれど、美しい草原の絵画がその圧迫感を見事に取り払っていた。
中央には十数名が座れる大きな円卓が置かれ、白いテーブルクロスの上には縁が美しく彩られたお皿が並んでいる。光沢のあるコーヒー色のナプキンが立つその下では、ナイフ、フォークなどのカトラリーが寸分のずれもなく並べられていた。それがランプの明かりをちらちらと反射し、高級レストランの個室はきっとこんな感じなのねと思わせる。
一番奥には王が座るんだろう。少しお皿の柄や椅子が違う。彼から見て左にはきっと王女様が。
その向かい側にレオ様、そしてその隣に私は座らせてもらっていた。随分と王の席に近くて居心地が悪い。顔に出なければいいけれどと、レオ様と二人きりで他愛もないことを話しながら考えていた。本当に限られたメンバーだからと、ベールもしていないし。
私たちのほかにまだ誰もいない部屋に、乾いたノック音が響く。
「ああ、ソフィア様ですね。はじめまして」
ウエイターさんに案内され、入ってきた男性はそう声をかけた。
肩まである紫色の髪を緩やかになびかせ、左手に革の手帳を持って歩み寄ってくるこの人。いかにも高貴で洗練されたこの雰囲気は、確か王の補佐官の――
「シュレイザー様」
椅子から立ち上がって握手を交わした。彼は快くそれに応えてくれたけれど、
「おや、私をご存知でしたか」
しまった! 彼を初めて見たのはこっそり後宮を抜け出したときだったわ。
「あー、あの……」
人差し指を空中でむなしく回したところで、魔力のない私からは何も出ない。
「オレが話したんだよ。ね、ソフィー」
レオ様のフォローに感謝した。それに彼は「そうですか」と何度か小さく頷く。笑顔はないけれど全体的に穏やかで、“無愛想”だとか“怖い”という印象は受けなかった。
王ともレオ様とも違う、さわやかなフレグランスの香りもその印象を強めているのかもしれない。
「陛下が色々とご迷惑をかけたようで、まことに申し訳ありません」
そうきれいに整えられた眉をひそめ、頭を下げた。さらさらと芯のありそうな髪が流れる。
「あ、いえ。シュレイザー様は悪くありませんから」
とは言いつつ、ついさっき暴言を浴びせかけられたことを思い出して苦笑いした。
――『見損なったな。そんな尻軽女のような格好を、喜ぶ男がいるとでも思っているのか』
そんなこと言って、自分はジロジロ見てたくせに。最低!
「陛下と王女様が入室されます」
数名の付き人を従えた王女様は、王にエスコートされながら天使の……いえ、ここでは魅力的な笑みのことを、“メデューサの微笑み”というらしいけれど(見た者を一瞬固まらせることから)、その形容がとても相応しい笑顔を浮かべて部屋に足を踏み入れた。何だかとっても絵になる二人。おとぎ話の王子様とお姫様みたい。
王女が座り、王が腰掛ける。
私もウエイターさんの引いてくれた椅子に座って、なるべく王の方は見ないように努めた。とは言え目の端に映ってしまうけれど。片目をつぶろうかしら。
「なんなら陛下の頭に袋でも被せましょうか」
「え?」
シュレイザーさんの言葉にハッとした。
「“顔も見たくない”という表情をなさっているようなので。どうせまた何かやらかしたのでしょう。申し訳ない」
「いえ、そんな」
鋭い。おまけに少し毒舌なのかしら。ぜひとも王がやり込められている姿を見てみたいわ、と右隣に座る彼を見て思った。
それにしたって、やっぱりヴァンパイアってすごくキレイ。レオ様とシュレイザーさんに挟まれて、緊張で吐く息にも気を遣ってしまう。
王女のお付きの人たちも皆、ここにいる三人の男性に見とれていた(私のことはたぶんカカシくらいにしかみえていない)。ときどきやけに胸が高鳴ったようになるのは、きっと彼女らのフェロモンのせいだろうと思った。男性である彼らよりも私の方がそれに酔ってしまいそう。
「失礼いたしやシ」
後ろからミイラ男さんが現れ、包帯の隙間から大きな歯を見せながら、私のグラスにワインを注ごうとした。
「ああ、ちょっと待って。ソフィーお酒大丈夫?」
「できればジュースか何か」
お酒なんて飲んだことがなかったから、そちらの方がありがたい。
「っていうわけだから持ってきて」
「お言葉でシが公爵様、こリは陛下の厳選された……」
「何か文句あんの」
「い、いへ……」
ウエイターさんはすごすごと引っ込んで、なみなみと注がれたオレンジジュースを持ってきてくれた。周囲は王の選んだワインがいかに素晴らしいかを延々と褒め称えている。それを聞いていると少し不安な気持ちになった。
「あの、よかったんですか? 私だけこんな」
「ワインのこと? いいの、いいの」
「と、申しますか、私が選んだのですが」
「え?」
シュレイザーさんの小声で発せられた言葉に瞠目した。
王はまるで自分で選んだように話しているけれど、補佐官ってそういう仕事までするんだ。それとも王が彼に押し付けているだけかしら。
「シュレイザー様はずっと陛下の補佐を?」
「ええ、陛下が玉座につかれる前からずっとですね。かれこれ数百年になるでしょうか」
「大変そうですね」
それにシュレイザーさんはとても乾いた笑いをした。きっと相当な目に遭ってるのね。
「ソフィア様はこちらの生活に慣れましたか。まあ勝手に連れて来ておいて、なんですが」
「ふふ、そうですね。ですが楽しいこともあります」
「というと?」
「友人もできましたし、授業も物珍しくて。先生も優しくて面白い方ばかりです」
それにシュレイザーさんは小さく笑った。
「なるほど。あそこは随分と個性派揃いですからね。ご存知ですか、魔法陣学のゾンビの教師は体の中に防腐剤を入れているんですよ」
「ええ、本当ですか?」
「もちろん。この間、新しいものに換え忘れたものだから腐って足がもげたと、慌てて医務室へ修理に行っておりましたから。そのあいだにも色々なものがとれて、それはもう廊下は大変な様になっておりました」
想像するとすごく可笑しい。シュレイザーさんって、お堅い見かけによらず楽しい人だわ。
「それに――」
「おおおっほん!」
わざとらしい咳払いにそちらを見やると、王がものすごく鋭い目で睨みつけていた。私ではなく、シュレイザーさんみたいだけど。
「はいはい」
彼はそれが何を意図しているのか分かったのか、小さくそう返事した。
「どうかなさったんですか」
「まあくだらないことです。お気になさらず」
お気になさらずと言われても。チラッと王の方を見ると不意に目が合ってしまった。彼は一瞬頬を赤く染めたけれど、さっきの王女の部屋でのことを気にしているのか、叱られた犬のような申し訳なさそうな顔をした。
けど私は、もううんざりとばかりに目をそらす。
「ねぇ、ソフィアさん。レオナルド公爵様とはいつご結婚を?」
「え?」
王女様の問いかけに、オードブルのトマトを食べようとした手を止めた。
「だってソフィアさんは後宮の女性なのでしょう? それなのにこの場にいるということは……違いまして?」
「えっと……」
戸惑いにレオ様を見つめた。どう返答すれば。
「オレはいつでもいいよ。兄上の許可もあるし」
「まあ、ステキですわ! ねぇ陛下」
「あ、ああ」
王はうろたえたように俯いた。
“許可”? どういうこと。
「あの、レオ様――」
「マネ貝のフューネ蒸しでシ。こちらの専用ペンチで割ってお召し上がりくだシ」
それを遮るように次なる料理が運び込まれた。
「どうかした?」
「あ、いえ」
気になるけれど、ここで聞くべきことじゃないわ。
「変わった貝ですね」
ころころとまるで黒い球のような貝。
「美味しいんだけど、殻がちょっと固いんだ。だからこうやって」
「なるほど」
軽い音とともにいとも簡単に真っ二つにしてみせた。中からはアツアツのグラタンがほかほかと湯気を出している。おいしそう! レオ様をまね、さっそく同じように挟んでグリップを握った。
……って何これ! ちょっとどころじゃなくてものすごく固い!
えいと思い切り力を入れると、スポンと飛んで王の額に直撃してしまった。
「……あ」
レオ様とシュレイザーさんは笑いを堪えていたけれど、周囲は凍りつき、私は真っ白になった。
「あ、あの、すみません」
額から垂れる蒸し汁をウエイターさんが必死にふき取る。
ど、どうしよう。
とりあえず愛想笑いをすると、王の怒りを湛えた視線が突き刺さった。
「まあ陛下、大変ですわ」
王女様はウエイターさんを弾き飛ばし(ちょっと可哀想)、王の顔を薄いピンク色のハンカチでぬぐった。というか、すでにウエイターさんがきれいにし終わったあとだけれど。
「さすがは王女。お優しく、気が利く」
「まあ、そんな。手助けの必要な方へ当然のことをしたまでですわ」
「そうですか、当然のことを……」
あからさまに私を見つめ、存分に嫌味のこもった視線を送りつけた。
「ソフィア、オレたちだけだったら構わないけど、こんな席だから一応形だけでも謝っておいて。心はこもってなくていいから、ねぇ、シュレイザー」
「ええ。何なら頭を下げながら罵っていただいても結構です」
レオ様は何事もなかったかのようにマネ貝を食べ、シュレイザーさんは私の分も割ってくれている。 ありがとうございます。ではなく、そんな感じでいいの?
おそるおそる王に近づき、足元にひざまずいた。
「あの、陛下。どうか非礼をお許しください」
額の一点が赤くなっていて、さすがに申し訳なく思った。顔を直視できず俯く。
王は足元で屈む私に顔を近づけると、「私の方こそ、さっきはすまなかった」と囁いた。
「あんなことを言うつもりではなかったんだ。その、君がレオに見せるなどと言うから……」
「え?」
「あ、いや! あれは言いすぎだった。本当にすまない」
とても申し訳なさそうにする王に、さっきの貝の件で相殺にしてしまおうかなと思った。王に公の席で恥をかかせてしまったし、さっきからずっと悲しげに目を伏せている。
「陛下――」
「しかしやはり焼く前のパンのようになかなかどうして白く柔らかそうで、だがその実、焼きたてのそれのようにそそられる。大きさ的にも、くっ完全に私好みではないか」
どういう意味? 俯く王の視線を辿ると、彼はものすごく真剣な顔で私……の胸元を凝視していた。 ドレスは襟ぐりが大きく開いていたし、コルセットでかなり寄せて上げられていた。そこへ足元でひざまずいたから――
この変態! さっきのは心の声? 外に漏れ出てるじゃない!
私の視線に気づいたのか、王は何度か咳払いをしてみんなに聞こえるような声で、
「ま、まあというわけだ。レディーの失態は笑って許すのが紳士だからな」
「どうも」
紳士があからさまに胸を見ますか。あんな心の声を外に漏らしますか! 全く。
「まあ、さすがですわ、陛下」
「それほどでもない」
頬にキスされ、心なしか嬉しそうに見えた。そんなに仲良しなら、また王女様のを見せてもらえばいいのに。ああ、私がそんなこと言わなくったって今夜あの続きを――
って、な、何の想像してるのかしら! だめだめ!
「申し訳ありませんでした。あとで私の方から仕返しをしておきます」
席についたときのシュレイザーさんの言葉が心強かった。彼から「どうぞ」とお皿が目の前に置かれる。
き、キレイ! 殻の半分になったマネ貝が美しい花の形に整然と並んでいた。彼の仕事ぶりが垣間見えるよう。
「ねえ、ソフィアさん」
「は、はい」
口に放り込んだマネ貝を急いで飲み込む。クリーミーでとっても美味しい。
「ソフィアさんは、レオナルド公爵様のどのようなところがお好きですの?」
「ど、どのような……って」
そう尋ねられ、レオ様としばし見つめ合ってしまって、恥ずかしさに顔が火照った。
「あ、それオレも聞きたいなぁ。教えてよ」
光沢のある唇を優しく上げる、その笑顔に心臓がドキッとした。“好き”というかステキだと思うところでもいいのかな。
「えっと、私は――」
わくわくしているような表情のレオ様を見つめながら口を開いた。キャンドルの炎にゆれる青い瞳に、胸がとても高鳴る。
「私はレオ様の――」
「おい、別のワインを持ってきてくれ! こんなもの、料理に合わんだろうが!」
突然王が大きな声を出し、ウエイターさんを叱りつけた。
それにソムリエが慌てて走ってきて、別のワインをあけて注ぐ。
「その、レオ様――」
「この部屋暑いぞ! 何とかしろ!」
「私――」
「ナイフを落とした! 早く別のものを持って来んか!」
今わざと落としてなかった?
「ちょっと兄上、うるさい。後でじっくり聞かせてね」
チラッと見た王は、どこか泣き出しそうに表情を歪めた。王女と結婚するくせに、何なのかしら一体。
「エヴェリー、今夜」
王は突然、まるであてつけるかのようにそう言い放った。
「はい、陛下」
彼女がそっと私に微笑む。
どうして。彼女の意図が掴めない。
****
「料理どうだった?」
「すっごく美味しかったです。私の舌も躍って喜んでました」
それにレオ様は「その表現いいね」と笑ってくれた。
お城のバルコニーで、少し夜風に当たっていた。目の前に広がる広大な庭を二人で眺める。皆それぞれ部屋に帰ったんだろう。王と王女様は同じ部屋かしら。
何を気にしてるの? あんな人のこと。確かに私だって彼を傷つけてしまったけど、でも今は王女様と結婚するらしいし。
それに処刑の時だって、この間ペリュトンに襲われたときだって、助けてくれたのはレオ様だわ。覚えてはいないけれど、ドレスは血が飛んで赤くなっていた。私を助けるためにひどいケガまでしたんだわ。レオ様は“大丈夫だ”と言っていたけれど。
「あの、レオ様。この間は本当にありがとうございました。もう、なんとお礼をすればいいか」
ふと見上げると、なぜか彼は物悲しい表情をしていた。それがまた妙にキレイだけれど。不意に目が合ってそらす暇もなかった。
「これはやっぱり君から」
レオ様から手渡されたのは、王から貰った指輪だった。レオ様から返すって言ってたのに。
「あの……」
「オレね。オレが今までこうやって自由に生きられたのは、兄上のおかげだって思ってるんだ。兄上が重責の全てを、弱音も吐かず一人で負ってくれているからだって。だから嫌なんだ、また兄上の心を犠牲にして何かを得るなんて」
レオ様はとても辛そうに胸を押さえた。
「オレは君をすごく好きだけど、でもそれなら兄上と対等の立場で競って君を得たい。だからもう一度兄上を見てあげて。もう一度だけ、話を聞いてあげて」
「それは、どういうことですか」
彼は一体、何を言わんとしているんだろう。
彼はとても穏やかに、けれどとても力強く微笑んだ。ワケが分からないのに、それがとても胸を締めつける。
「今言えるのはそうだな、アンフェアなことは嫌いってことだけかな」
「レオ様……」
そのとき、一瞬だけ風のうねりが止んだ。
「だからさ、ソフィア――」
「あの、ソフィアさん?」
そこで誰かに声をかけられた。レオ様は胸ポケットから出しかけた紙をスッとしまう。何だろう?
「王女様」
振り返ると、彼女が気まずそうな顔をして俯き加減でそこに佇んでいた。
「申し訳ありません、公爵様。彼女をお借りしても?」
「もちろん。彼女がいいのなら」
レオ様のことは少し気になったけれど、王女様のあまりに怯えたような表情に頷いた。彼女は腕を引いて廊下まで出て周囲を見渡すと声を落とす。
「今夜部屋に陛下がおいでになるの。でもいざとなると急に怖くなってしまって。お願い、かわってくださらない?」
「か、かわるって! でも――」
「お願い。あなたしか頼める方がいませんの。この通りですわ!」
バルコニーに立つだけでいいからと懇願する彼女は、そのガラスのような瞳からはらはらと宝石のような涙を流した。それに、それ以上の拒否をすることはできなかった。
****
「大丈夫よね」
声を中に留めることができるという、シャボン玉のような球体を持って王を待った。
別の女性と結婚しようという彼と王女の逢瀬を、こうして身代わりに迎えるのはとても複雑な心境だった。少し肌寒くて、部屋に置いてあったストールを肩にかける。
レオ様はああ言ったけれど、どうすればいいんだろう。だって王は彼女と――
何を感傷に浸っているの。あの人のことなんてどうだっていいじゃない。
けれど胸の中がとてもモヤモヤとする。自分の気持ちさえはっきりとは言い表せなくて。
情けなさにため息がこぼれた。
「エヴェリー」
き、き、来たっ! 扉を閉めると、王はゆっくりとバルコニーへ近づいてくる。急いでストールを頭から被ると、手の中の球体を強く握った。それがパチンと弾ける。
『申し訳ありません、陛下。今夜は少し疲れてしまって。どうかこのままお帰りくださいませ』
彼女の込めた声が風に乗って流れ出す。これでどうか――
「いえ、王女。少し話があるのです。明日のパーティーの前に、しておきたい話が」
ど、どうしよう。声はこれしか……。何とかごまかさなきゃ。
でも王は構わず窓のそばまで寄ってくる。ストールの中で必死に縮こまった。
お願い、そこで止まって!
「王女」
本当に足を止めてくれて、ホッと胸をなで下ろす。そこからならカーテンもあるし、よくこちらが見えないはず。
ちらりとみた影絵の王が、そっと口を開いた。
「この婚約を、なかったことにしていただきたい」
「え?」
思わず声が出てしまったけれど、ちょうど吹いた風のざわめきで彼はそれに気づいてはいなかった。