st.Ⅱ The King
「陛下……、ああ何とお美しい」
回廊は人でぎっしり詰まっていた。王が数人の衛兵と共に、美しい庭を鑑賞しているらしい。そんな王をさらに鑑賞する(失礼かしら)女性たちの脇をすり抜けて、私は庭に出た。
王がどんな姿形をしているのか確かに少し気になったけど、この群がる女性たちを掻き分けてまで見る気もなかった。
だけどシーツを頭から被って顔を隠す、怪しい私を気にする人もいなくて良かったわ。なるべく誰とも関わり合いになりたくないから。こんな暗闇の世界なんかで。
「キレイ……」
思わずそうつぶやいた。目の前に広がるのは、広い庭の敷地内にある大きな湖だった。まるで二つの空の狭間にいるように、雄大な景色が広がっている。私たちは指定された区域なら昼夜を問わず(もっとも、お昼なんてない)自由に歩くことを許されていたけれど、私は部屋に引きこもっていることが多かったから。
湖の傍にちょうどよさそうな岩を発見すると、少し触って濡れていないことを確認し、ゆっくりと腰掛けた。足元の光る愛らしいスズランに笑みを零す。
月と、水と、風と。
こんなに血なまぐさいところにいるのに、それらは変わらず私の心をくすぐる。人間界とも変わらない。紙の上をすべるエンピツが、この状況をより鮮明に写し取ろうと動いていた。
「ほう、上手いものだな」
集中していたところに、急に低い声をかけられて心臓が飛び跳ねた。その拍子に、思わずエンピツを落とす。それをその人物が、草の間に驚くほどに白い指を下ろして摘み上げた。
「どうぞ?」
「あ、ありがとうございます」
シーツの隙間からふと見上げて、息が止まるかと思った――。
切れ長の黒真珠のような目に、闇のように黒く美しい髪。彫刻のように均整の取れた面立ちに、少し意地の悪そうな笑み。月明かりに照らされたその半顔は、夢と現の区別を忘れるほどに美しかった。
そう。本当に今まで見たたことも無いほど、美麗な男性がそこにいた。
「……あっ」
受け取ろうとしたエンピツをまた落としてしまったというのに、私はそこから少しも動くことができなかった。彼は少々呆れたように息を吐くと、また屈んで拾ってくれた。
「君は私をバカにしてるのか?」
そこで初めて気がついた。彼の白い歯が僅かに尖っている。ヴァンパイアだ!
そう思うと今度は怖さで体が縮み上がった。足がすくんで震える。
話に聞いていたヴァンパイアは、恐ろしいものだった。人間の血をむさぼり飲み、人を醜悪な怪物へと変える。銃で撃っても死ぬことはない。ただ心臓に杭を打ち込み、大量の血を吐かせてのみ生を終えると。
これが、あの……。
「ああ、もしかして新人か?」
男性は手のエンピツをクルクルと回すと、物珍しそうに私を眺めていた。牛を品定めするブッチャー(肉屋)のような卑しい眼。
「私のことも知らないんだろう?」
全て見透かしたような漆黒の瞳とひしひしと感じる威圧感に、居心地の悪さが沸きあがってくる。胸に手を当て、一歩下がった。
「怖がるな。私の名はザルク・ヴィン・モルターゼフ(Zaarc Vin Morterzefz)。この城の主だ」
「え?」
だって王は――。
「庭にいるのは私の影武者だ」
ど、どうして分かるの……。
王はそれすら読み取ったように、クスクスと笑っていた。
「で? 王である私に先に名乗らせた、無礼者の君の名は?」
王の細い指が私の被っていたシーツに伸びる。
ダメ、そんな血に穢れた手で触らないで。
私は胸に抱いた絵を握りしめ、わき目も振らずに部屋へと戻った。
あとがき
王様、女の子に逃げられる。