st.ⅩⅢ Their Tears
「自分のやっていることが分かっているのか、兄上ッ!」
レオナルドは口元を震わせ、噛み付くようにザルクへ突っかかっていた。今日がもう最後の日だった。今日がもう最後のチャンスだった。幾度となくザルクの説得を試みたが、彼は一向に決定を覆そうとはしなかった。
最初こそ冷静だったが、もうそんなことは言ってられない。彼女の命がかかっている。
「ソフィアはそんな女じゃない! 何度言ったら分かるッ!」
ダンダンダンと強く机を叩きながら詰め寄るが、ザルクは執務机に座り、淡々と書類整理していた。レオナルドの話を、聞いているのかいないのかすらはっきりしない。まるで彼を空気のように扱っていた。
「兄上ぇえ!」
バンッといっそう強く机を叩いた。
後宮への出入りが突然禁止されたと思えばこの事態。牢にいる彼女に何度会わせてくれと言っても聞き入れられず、焦りと苛立ちばかりがつのって行く。
レオナルドにはこの兄の性格を良く知っていた。一度決めたことは絶対に曲げない。誰の言葉も聞かず、己の真実だけを信じていた。
だからこそ最悪の事態しか思い浮かばない。
ザルクはため息をつくと、かけていた眼鏡を外してレオナルドを見上げた。
「レオ、いい加減目を醒ましたらどうなんだ?」
「は……?」
「いや、そんなことよりリザの手の傷を治してやってくれ。歯にマグリドスの実の精毒が塗ってあったらしくてな。私の担当医でも治しづらいらしいんだ。だが彼女は絵描きだ、後遺症が残っては可哀想だろう。医療分野の第一人者であるお前なら……」
「断る! そんな嘘つき女、そばに寄りたくもない。治してやりたいんなら、ご自分でどうぞ? ああ、無理なのか。‘あの時’から、医療系魔術が使えなくなっちゃったもんねぇ。愛する女を治してやれなくて残念だ」
ザルクはゆっくり、やれやれと首を振る。
「相当毒されているようだな」
「……何だって」
「だが、サードクラスの女のことだ。どうせ、お前の容姿や公爵としての地位だけを見ているのだろう」
あざ笑うかのような表情。
「……っ!」
レオナルドは傍にあったランプを掴んでザルクに投げつけた。ガシャンとガラスの割れる音がしたが、ザルクの前には青い魔法陣が浮かんでいる。それが壁のようにランプを食い止めていた。
「王に向かってとんでもないことをする公爵だ」
余裕の笑みを浮かべ、腕と足を組んで見つめる。
「だったらオレも死罪にすればいい。ソフィアと共に逝けるなら、オレは幸せだ……」
「叶えてやれなくて残念だ、わが弟よ」
態度を一向に変えようとしないザルクを、見限ったようにそばを離れた。「チクショウォオ!」と怒り狂ったように厚いドアを蹴り倒して出て行く。同時に彼から漏れ出た魔力で壷や本棚やキャビネットのガラスが全て崩れ落ちた。廊下からも何かを蹴り壊す音が響いている。
「で? お前は何をしに来た」
それでも冷静なザルクの言葉に反応するように、壁の隙間からクモの長い手足が伸び出た。
「よくこんなところまで忍び込めたものだな」
ザルクは鼻でハンと笑う。
「陛下、あの子は無実です。私はあの子がここへ来た頃から、ずっと傍にいました。あの子は今回のような事件を起こすような子じゃありません!」
「直訴か。意味のある行動とは思えんな。だがその勇気は称えよう」
「あの子は他人を傷つけられるような子じゃない! 繊細で穏やかで……とってもいい子なんです!」
「世の中で罪を犯すのは、その者が悪人だからか? いや、違う。悪人が罪を犯すのではなく、罪を犯したものが悪人なのだ」
ミセスグリーンは八つの瞳に涙をたくさん溜め、
「ではその罪に加担しておられる陛下は、何なのですかァ!」
「私が……? ハッ、話にならんな」
ザルクはため息をついて立ち上がると、半分なくなった出入り口ドアへ向かう。
「牢の壁画を見てやってください! ソフィアの描いた太陽の絵を! 彼女の命の輝きを! お願いします! 陛下、陛下ァア!」
「おい」
しつこく追いかけてくるミセスグリーンを振り返った。そして冷たく見下ろす。
「さっさと帰れ。踏み潰されたくなかったらな」
足を近づけられ、ミセスグリーンは怯えたように後ずさった。
ザルクは騒ぎに慌てる召使いたちに「部屋を片付けておけ」とだけ命令すると、彼はロクに話も聞かず、さっさと彼女の前から立ち去った。
「何て……無慈悲な……ッ」
僅かな希望すら断たれ、ミセスグリーンはいっそのこと、自分の上を駆け抜けてゆく召使たちに踏み潰されても構わないと思った。
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レオナルドは鉄臭い地下の小部屋にいた。天井からはとげのついた鎖やムチが垂れ下がり、不気味に血の滲んだマスクやヤリ先のついた棺が乱雑に置かれてある。彼は小さな古い箱の中に眠っていた、銀の腕輪に手をかざしていた。周囲を金色の光が柔らかく包んでいる。
その光が消えると共に、そっと手を下ろした。
それを見つめる彼の表情は、悲哀と静寂に満ちていた。
「ごめんね、ソフィア……オレはこんなことしかしてあげられなくて……、ごめんね」
レオナルドはそう言って、苦しげに頭を抱えてうずくまった。
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牢の小窓から入ってくる月明かりは、まるでスポットライトのように一点を明るく照らしていた。私はそれをそっと指で触れる。
「よく考えれば、これだって太陽の光なのよね」
すっかり冷えきってしまっているけれど、これも月の跳ね返した太陽の明かり。
「お父さん、お母さん……お兄ちゃん」
頬を雫が伝う。それらは冷たい石畳の床へ落ちてゆっくりとしみ込んでいった。
「怖い……怖いよ……」
楽しかったあの頃の、温かな太陽の日差しに触れたくて。私は震えの止まらない手で、ただひたすらに実体の無い月明かりを握りしめていた。
あとがき
タイムリミットはすぐそこ。