st.ⅩⅠ Her name is...
「ソフィア・クローズ。お前に右手首切断、及び死刑を申し渡す」
王直々の判決に、周囲は静まり返った。何て冷たい眼。これがきっとザルク・ヴィン・モルターゼフのもう一つの顔なんだろう。
法廷は多くの貴族と判定員で埋め尽くされ、一気にざわめきたった。私の手には手枷がはめられ、鉄の柵に囲まれた証言台に立ちながらその重さと冷たさを感じていた。
王の傍に控えるリザが、右手に巻いた包帯をわざとらしく擦りながら私を見つめる。口にはあの美しい笑みを湛えて。
ここに味方なんていない。この真実なんて伝わらない。
でもこんなところでダラダラと一生を送るなら、いっそのこと――。
――『やはりあの時、もっと厳罰に処すべきだったな。まさかワーム以下の女がいたとは……』
審判を下された後のその言葉が、頭の中をグルグルと回る。あの人の残酷なほどにつめたい瞳が心をえぐった。
何度も違うと言った。何度も事実を話した。
でも彼は――冷たい瞳で見下ろすだけ。
リザの、ジェニファーの、ルルーの、ニーナの、作られたおとぎ話を信じるだけ。
だったらもういいや。何を言っても信じてもらえないのなら、もういいよ。
私は死刑を待つ檻の中で、どこか他人事のように空を見上げていた。
**********
「ソフィア」
それは何日か前のことだった。
いつものように図書館から帰る途中、私は後ろからそう声をかけられた。聞き覚えのある声。これは――
「リザ……」
だけじゃない。ジェニファーもルルーもニーナもいた。皆沈痛な面持ちで立っている。その日はやけに月が大きくて、影ができるほどに明るかった。
「な、何……」
本を握りしめて、思わず後ずさった。今度は一体何をされるんだろうって、怖かった。私が彼女らに何かされる意味が分からない。私は王にあの絵のことを言うつもりなんてない。だから放っておいて欲しかった。
「あの、逃げないで! 私たちはただ、謝りたかっただけだから」
“謝りたい”? あんなことしておいて、いまさら一体どういう風の吹き回しかしら。
「疑ってるって顔してるわね。でも嘘なんてついてない。今から陛下の所へ行って絵のことについて全部話すつもり」
王のところへ……?
リザは申し訳無さそうにお腹の前で手をそろえ、伏せ目がちに、
「私ね、あなたが羨ましかったの。美人で、優しくて、穏やかで、絵の才能にも恵まれていて……。でも気づいたの。陛下のお部屋に呼ばれて、あの方の正室になるだろうって思った時、こんな卑怯な嘘をついたままじゃダメだって。だからねソフィー、……本当にごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんね」
「悪かったわ」
そう言ってみんな、私に頭を下げた。
「みんな……」
素直に謝る彼女らに、私は責める言葉が浮かばなかった。信じて良いのか分からなかった。”いいよ”なんて言った後で、”嘘に決まってるじゃない、バカね!”なんて笑われるかもしれないと疑心暗鬼になっていた。
でもそんな様子も見られなかった。私は神様じゃないから“なかったことにして許す”なんてことはできないけど、悪魔でもないから謝っている彼女らをそれ以上に批判する気にもなれなかった。
穏やかな時間が流れ、大きな怪鳥が上空を過ぎ去ったあと、
「……分かった」
謝罪を信じて受け入れよう。そう思って、そう言った。
「ありがとう……っ」
リザは涙を浮かべてにっこりと笑う。
でもそんなリザに、ジェニファーは怒ったように胸倉を掴んだ。
「“ありがとう”じゃないでしょう!? 元はといえば、アンタが卑怯な手を使ったでしょうが!」
そう言って思い切りリザの頬を引っぱたいた。リザはどさりと地面に倒れこむ。キレイなドレスがドロだらけになった。
「ちょ……ジェニファー!」
突然のことに驚く私をよそに、ニーナも「そうよ!」と追い討ちをかけるようにドロを放り投げる。
「や……やめてッ……!」
リザは必死に抵抗していたけど、足も膝もすりむいていたし、きれいな顔は泥まみれになっていた。
「ちょっと、みんな、どうしたの? やめてよこんなこと!」
一体何が始まったって言うの?
「ソフィーは優しすぎるのよ! こんな女! 悪魔にでも魂を食われればいいんだわ!」
「ジェニファーッ!」
蹴りつけようとするジェニファーの腰に抱きつき、私は懸命に止めた。彼女のしたことは間違ってるけど、これだってそう。無抵抗の彼女を殴るなんて。
「ねえ……皆ちょっとどいて」
静かな声にそちらをみると、ルルーが何やら魔方陣を書いた紙を掲げていた。彼女が得意だという黒魔術だろう。それを使うの? 実技は習ってないはずなのに。
「これでコイツを悪魔のエサにしましょうよ……! アッハハハハハ!」
「ダメ! ルルー!」
「何すんのよ! 離してよ、ソフィー!」
ルルーの手を握ると、持っていた紙を急いで取り上げようとた。その瞬間、陣が一瞬私の右手に触れてビリッと小さな赤黒の稲妻と共にとんでもない痛みが襲った。ナイフで手をグリグリとえぐられたよう。
「あ……っ」
手がしびれたように震え始めたけど、それでもルルーから懸命に取り上げた。
その時、誰かの足音が響いた。
「何をしている! リ……リザッ!」
「陛下」
王は地面にドロだらけで倒れているリザを抱き起こした。
「何てことを……お前たち! よってたかって、何てことをするんだッ!」
王の瞳孔がキッと萎縮した。その目の冷たさに凍りつく。リザを腕に抱いたまま、私たち四人を射るような視線で睨み据えた。そして、私の持っていた紙に目を止める。そこに描かれていた印形にハッと目を見開いた。
その王の様子からも、これはとんでもなく危険なものなんだろうと感じた。王の目が憎悪の闇を湛えてゆく。威嚇する狼のような表情だった。
「サードクラスの女……ッ!」
「こ、これは――」
それを地面に落とした。だが王の怒りは収まらず、憤怒に体を震わせていた。漆黒だった瞳が、徐々に赤みを帯びていく。初めて見る殺気だったヴァンパイアに、足がガクガクと震え、知らず涙が零れていた。
「お前……!」
王はいつの日かレオナルド公爵がやっていたように、素早く人差し指と中指で空中に何かを描き始めた。でもあのときのような優しい金色ではない。どす黒い血の色の線が浮かび上がり、魔法陣が描かれる。
「待って、陛下!」
リザが王の腕を下ろし、それをやめさせた。スッと印が消える。リザは涙を流し、その顔を見上げた。
「私が悪いのです。私が、彼女に酷いことを言ったから……。うらまれても仕方が無い女なのです!」
「だからといって、こんなケガまで!」
「いいえ、陛下。どうかこれを私の彼女への償いとさせてください。お願いします! お願いします!」
リザは必死に頭を下げていた。王は怒りを必死に堪え、震えるリザをそっと横抱きにして立ち上がった。
「サードクラスの女。君には失望した」
「……っ」
体の芯に氷を突き刺されたような感覚が走った。しびれる手首をそっと押さえる。
「やはりサードクラスは、サードクラス程度の女だな……! リザにもレオにも私にも一切近づくな! 近づいたら……オレはお前に何をするか分からない」
そう言い残し、王は立ち去った。
私、どうして泣いているの? 怖かったから?
違う。それだけじゃない。
あの人に、真実を見てもらえなかったから。
*******
「ソフィア」
あの後王が、リザに正式にプロポーズしたらしい。正室になることが決まったリザの登場に、スクール・サードのキャンパス内は驚きと羨望に満ちた視線で溢れていた。
私はベンチに座りながら、まだかなりしびれの残る手であのとき彼女に貰った教科書を開いていた。 これを見るたびに色々なことを思い出すけれど、物に罪があるわけではないし、何より貴重な勉強道具だった。
「リザ……」
私の隣に、彼女はそっと腰をかける。居心地が悪かった。
「色々ごめんね。迷惑、掛けちゃって」
あの事件の後、レオ様もぱったり来なくなった。多分私に愛想を尽かせたんだと思う。そりゃあそうだろうな。王の婚約者を集団で襲ったんだから。しかもおそらく、私が主犯格だと思われてる。
でも王からも特に処罰等の話は来ていない。リザが王に事実を話してくれたのかも知れないと思った。
「うぅん。それよりリザ、正室入りが決まったんだってね。おめでとう」
「ありがとう!」
花が零れるような美しい笑みを浮かべる。頬を赤く染めて、本当に嬉しそう。でも私はなぜか、ひどく寂しかった。彼はまだ、私に怒っているんだろうか。
「実はね、ジェニファーたちとも仲直りしたの。あなたに嫉妬して酷いことをするように言ったのは私だから。そんな私を、皆がよく思わなかったのは当然だもの」
リザは悲しげに顔を伏せた。口元にはどこか自嘲気味な笑み。
「でもね、ジェニファーたちも謝ってくれたの。やりすぎたって。今からアトリエで仲直りパーティーをしようと思ってるの。ねえ、ソフィーも一緒に行きましょう! 私が王妃になったら、もうこんなことできないだろうし。ね?」
「リザ……。うん、行こう」
私はどこかヤケになっていた気がする。あの日のことがまだ尾を引いていたからかもしれない。
リザは嬉しそうに目に涙を溜めて、にっこりと微笑んだ。その笑顔の裏で、何か考えていたなんて、愚鈍な私は気づかなかった。
***
「あそこに皆いるわ」
ファーストクラスの棟の外れにある、小さなログハウスへ案内された。元々昔、誰かがアトリエとして使っていたものを、王がリザのためにと改築したらしい。大事にされてるんだな、と思った。ヴァンパイアは人を襲うけれど、だからと言って全てのヴァンパイアが悪いわけじゃないってことは分かってるつもり。
まるで心臓のような形の実が鼓動するたび、内部から蛍のような淡い光を放っていて、ログハウスは幻想的な雰囲気の中心に佇んでいた。光る蝶が、星屑のような金の粉を撒き散らして池の上を滑るように飛んでゆく。花の甘い香りが喉元を落ちてゆく。
「ここよ」
三段ほどの階段を上がって、リザが扉を開けた。キイという蝶番の音と共に、座っていた三人の顔が見えた。
「ソフィア……いらっしゃい!」
「今日は楽しむわよぉ~」
机の上にはどこから持ってきたのかと思うくらいに、たくさんのお菓子。
乾杯をして私たちだけの仲直りお菓子パーティーが始まった。ジェニファーがにっこりと笑って、
「ねえ、聞いたソフィー? 今度リザ、陛下の絵を描くんですって。言っておくけど、高級な絵の具を使ったからって上手くかけるわけじゃないわよ、ねぇ?」
そうかもね、と頷く。
「最優秀賞を取ったあなたなら、どういう絵を描くのかしら」
ルルーは興味深そうに、瞬きもせずにジッと私を見つめる。観察されている昆虫の気持ちがよく分かった気がする。
「そうね……王のことはよく知らないけど、私だったら正面は描かないかな」
「どうして。折角あんなにキレイなお顔なのに」
ニーナがお菓子をほお張りながら首をかしげた。
「うん。でも、あの人の背中は特別だと思うの。大勢の人たちの期待を背負って、国の全てを背負って、それでも負担なんて感じさせずに堂々と先頭を歩いてる。王のそんな背中を見て人々は“ああこの人になら国を任せられる”“ついて行こう”って思うだろうから……。なんて偉そうだけど」
でも、思わず引き寄せられる魅力をたたえていた。
「ねえ、ちょっと描いてみてよ」
ジェニファーに紙を差し出された。でも、私は――
「ごめんなさい。手に痺れがあって、上手く描けないの」
あのとき魔法陣に触れてしまった後遺症がまだ。
「手に痺れ……か」
リザはゆっくりと息を吐き出すと、「そう、よかった」と言った。
「これで私も安泰ね」
「え? それはどう――ッ、リ、リザ……!」
私は椅子からガタリと立ち上がった。その拍子にグラスが落ちて割れる。
テーブルの下から現れたリザの手には、小さな銀のナイフが握られていた。それを持って、ゆっくりと近づいてくる。皆お菓子を食べながらくすくす笑っていた。
何? 何なの?!
逃げようにも出口は一つ。それも彼女の側にあった。
「どういうことなの……ねえ! ねえ! リザァ!」
リザはカッと目を見開いた残忍な表情でニタリと笑うと、ナイフを振りかぶる。
怖い……。誰か……!
そんな思いが誰かに届くこともなく、彼女はナイフを勢いよくズブリと突き立てた。
「キャアアアアアアアアアアアアアア――ッ」
鮮血が滴り落ち、悲鳴が夜の闇に響き渡った。