st.Ⅹ His Back
「わあ、すごい……」
ここはちょうど後宮と城の境目に建っている来賓ホール。ファーストクラスの棟と繋がっているけど、厳重な警備が敷かれていて普段は絶対に立ち入ることができない。たぶんお城の側もそんな風になっていて厳しく出入りが制限されていると思う。
ダンスホールは高い高い天井に巨大シャンデリアがぶら下がり、だだっ広い大理石の床が広がっている。ときどきバサバサとコウモリが飛び交ったり、給仕係のゴーストが床や壁から出てきたり、半漁人シェフが炎を上げていたり、ワインを運んでいたミイラ男さんが皆に包帯を踏まれて慌てていたり、人間界のパーティーとは少々様相が異なる。
でも食べ物に関しては全然問題ない。モンスターたちのパーティーだから、てっきり目玉スープやら怪物の丸焼きやら悪魔の腕のソテーなんかが出てくるのかしらなんて思ったけど、いたって見た目は普通なものばかりだった。……多分本当に普通だと思う……。骨付きチキンとか、チーズを乗せたお洒落なクラッカーとか、甘い甘いヌガーとか、宝石みたいなミニケーキとか。
まさか今さら“それ風の別のもの”、何て言わないわよね……?
「こういうのは初めて?」
エスコートしてくれているレオ様が、金の髪を揺らして微笑んだ。今日はいつもより華やかな衣装に身を包んでいる。雰囲気やパーティー用の服もあいまってか、王室の高貴な香り漂う、いつも以上に素敵な男性になっていた。
もちろんヴァンパイアは基本的に美形揃いだから、若い人からダンディーなオジサマまで、まるで映画俳優やアイドルたちが一堂に会したよう。でも、そんな中でさえこの公爵は引き立っていた。
だからたくさんの女性が彼に見とれて、ワイングラスやらお皿やらをガチャガチャ落とし、掃除係の毛玉鼠が足元を縫うようにせわしなく動いていた。時々くるぶしにぶつかって、くすぐったい。
「は、はい。サードクラスは交流会があまりありませんし、あっても行きませんから」
「行かなくていいよ。オレが君を支援するから。一生ね……」
レオ様の何度目か分からないプロポーズ(頬への口づけ付き)。その度に心臓がうるさいほどに脈打つけど、恋心を抱いているわけじゃない。こんなにステキな男性なのにね。
それは彼がヴァンパイアだからなのか、それとも別の理由があるのかは、私にはよく分からなかった。 これから彼を愛することになるのか、ずっと友達感覚なのかどうかも。
「あ、兄上~」
王にヒラヒラ手を振る。さすがフリーダム王子。自分の兄とはいえ、一国の王相手にものすごく軽い。
「レオ……とサードクラスの女」
大勢の人に囲まれていた王が、シャンパンを片手に近寄ってきた。その途中も度々呼び止められていたが、適当にかわす。
私をじっと見つめる王に、軽く挨拶した。王の方も今日は、いつもとは違う風格を滲ませていた。こうしてみると、王とレオ様は別格だと思った。これだけの人がいるというのに、決して人に埋もれることなどない。ざっと会場を見渡せばどこにいようとすぐに分かる。
背が高いからとかそういうことではなかった。独特の王族オーラを放ち、圧倒的な存在感を示していた。現に会場の多くの視線を彼らは集めている。
そんな二人が今わたしのすぐ傍に並んでいるのだから、その緊張感といったらない。まるでイエス様やマリア様を間近で見ているみたい。まあ、ヴァンパイアを神に例えると双方に怒られるだろうけど。
「あれ、兄上一人か?」
「ああ、リザなら今支援している貴族のところへ挨拶に」
“リザ”の名前に胸がグッと痛む。
「あれ、大丈夫? 気分が悪くなったの?」
「い、いえ。平気です」
レオ様がそっと心配そうに私の頬を撫でてくれた。ヴァンパイアとは思えないほどに優しい。そう、ヴァンパイアだから穢れてるだのなんだの思うのは、きっと間違ってるんだろう。少なくとも、彼は人間よりも純粋で穏やかなんだから。
ただ下ネタが大好きなのは、玉にキズだけど。
「本当に? よかったら休む? オレの部屋で」
「え?」
「オッホン!」
王は急にわざとらしい咳払いをした。たぶん“王である自分を放っておくな”ってことなんだろう。
「兄上、紹介するよ。こっちは――」
王に私を紹介しようとしたレオ様を手で止める。
「ま、待てレオ」
「何を?」
「いや、直接聞こうかと」
直接私の名前を聞きたい? どうして。
「いいよ、面倒だから。こっちはソ――」
「ゴホンッ! ゴホゴホ!」
王は思い切り大きな咳をして、周囲の人たちの視線を集めていた。どうしたのかしら。
「兄上、風邪か? ヴァンパイアなのに」
「いや、ちょっとワインが……」
「それシャンパンだろう? いつ飲んだのが引っかかったんだよ。腹の中で熟成中?」
「うるさい、言い間違いだ!」
「レオ様……っ」
あまり間違いを突っ込むのは哀れだと思った。ワインとシャンパンなんて、どっちだっていいのに。
「“レオ様”ぁ?」
王は怪訝な顔で私を見た。や、やっぱり“公爵様”とかで呼ばなきゃダメだったのかな……。公式な場でいきなり失態だ。
王は私がレオ様と組んでいた手を、無理やり引き剥がすように握手した。
「私はザルクだ」
繋いだ手をブンブンと上下させる。
「? 存じ上げております‘陛下’」
突然の自己紹介に私はそう返答した。
「……」
「あ、あの……?」
なぜか握手したままじぃっと恨めしそうに私を見る王に、首をかしげた。な、何? 何だろう……。はっきり言ってくれれば良いのに。
やがて王は諦めたようにため息をついて手を離した。
「ま、まあいい……君の名を聞いても? もうサードクラスの女なんて呼ばれたくはないだろう、どうなんだ、ん?」
どこか私の機嫌をうかがうような、怒りや焦りを隠したような表情に見えた。そんなに急いで私の名前を知って、何をするつもりなのかしら。まあ、この人のことだからどうせすぐ忘れるだろうし、いいか。
「私は――」
「おお、陛下~! このたびはお招き頂きありがとうございました!」
「チッ……これはこれはノランディー子爵」
今、舌うちした?
無理やり作ったような笑顔で、陛下はでっぷりとしたオジサマヴァンパイアと挨拶を交わす。
「行こう。邪魔してもなんだし」
「はい」
「あ、ちょ……」
王は何か言いかけたみたいだけど、私はレオ様の手に引かれて人ごみに紛れ込んだ。
***
「ふう……」
外のベンチに座って息を吐いた。白い満月と星が浮かんでいる。遠くににぎやかな話し声と音楽を聴きながら、やっぱりこういうのは慣れないなと思った。お世辞の飛び交う会話、きついコルセット、歩きづらいヒール。これをくれたレオ様に文句があるわけじゃないけれど、きっと私にはこんな場所は向いていないんだろうな。何といっても私は、一般庶民なんだから。
レオ様は飲み物を取ってきてあげると言い残して、会場へ戻った。ここへ連れてきてくれたのも彼。苦しそうにしている私に気づいてくれたんだろうなと思うと、感謝の気持ちで一杯になる。
庭の冷涼な風に体の熱を冷まし、そっと目を閉じた。時々遠くで狼の遠吠えや、ガイコツさんの歩く骨の音が聞こえる。ここが人間界じゃないというのは、とっても不思議な感覚だった。
人間界……か。
昔のことを思い出していると、涙が溢れそうになって眼を開いた。するといつのまにか、湖上にある休憩スペースに誰かが佇んでいるのが見えた。じっと湖を見つめるその背中は、肩から上が影になっていて、誰かは分からない。
でも私はそのまっすぐな後姿に心を奪われた。
広く、大きく、獅子のように力強く。刃のような凛とした情緒、何者をもその前にひざまずかせる威圧感。英雄とは、カリスマとは、このような人のためにある言葉だろうと思った。
そこからは微塵の弱さも不安も感じることができない。この背中の後ろにいるだけで、彼がその両腕を広げるだけで、すべての風雨から守られるような気がした。
「サードクラスの女?」
「陛下……」
私は花の蜜に吸い寄せられる蝶のように、気づかぬうちにフラフラとそちらへ歩いていた。
私の気配を感じて振り返った背中は、この国の王のものだった。
ザルク・ヴィン・モルターゼフ。
ヴァンパイア王国始まって以来最も優秀な王であり、最も冷酷な王。そんな王が月明かりを反射する湖面を負い、私の姿に穏やかな笑みを浮かべている。夢幻的で、どこかおとぎ話の中のようだった。
「どうかしたのか?」
「いえ、ただ……」
言葉を切った私を、王は不思議そうに見つめる。
「陛下の背は……特別なんです」
「? 特別、とは?」
「なんでもありません」
私は誤魔化すように笑って首を振った。こんな恥ずかしいこと言えるはず無いもの。王は笑みを忘れ、じっと私を眺めているようだった。
「陛下?」
「……レオは?」
「飲み物を取りに行かれました」
「そうか。ではチャンス到来というわけだな」
王は再び頬を緩めてゆっくりと私の方へ近づくと、緩慢な動作で掌を差し伸べた。私が震えながら手を添えると、王は手の甲へ柔らかな口づけを落とす。王が今さらなぜそんなことをしたのか。そしてヴァンパイアに触れられるのをあれだけ嫌だと思っていたのに、私はなぜそれに心を震わせているのか。
全てはこの頭上に浮かぶ満月のせい。きっと、そう。
だって、それをリザが影から憎しみを込めて見つめていたなんて、全く気づかなかったんだもの。
あとがき
一番早く出会った王が未だソフィアの名前を知らないという……。カワイソ。
次回『Her name is …』、王は予想外の場所で彼女の名を知ることに――。