OPENING
悲劇はただ唐突に歩み寄る。そう唐突で無慈悲に、それに救いなどなく残酷な現実が誰にも平等に容赦なく襲い掛かる。
美しく光る緑の木々はまるで夜の様な黒へと色を変え、青空はあの日の哀しみを忘れまいとするが如く虚しい灰色に。命を照らす黄金の太陽はその姿を黒く染め上げ、大地は薄紅色の砂嵐が吹き荒れる死の大地に。川を流れる透き通った水はまるで血の様に赤く染まってしまった。
全ての始まりはあの日。あの日から世界は人類を虐げ病んでしまった。
架空西暦2130年。何の前触れもなくその大地震は起こった。
地を割り、空を灰で染め、流れる水を汚泥にし、街を火の海に沈め、そして人々を無価値な肉塊へと変えてしまった。
刹那、ただその永遠とも思える苦痛に塗れた一瞬が世界を悲しみの渦へと沈めてしまった。
総死亡者数七十五億五千三百二十七人。
この大地震に伴う地盤沈下で殆どの陸地は海へ沈み、残されたのは日本という小さな島国の極々わずかな切れ端だけだった。
あとに残された人々はこの災害を「神が狂った日」と称し、神が送った災い「神災」と呼ぶようになった。
―――あの日から八年と半年程。―――
薄暗い部屋がそこには広がっている。沢山の電子機器や演算装置、凡人では何に使うのか解らないような機械の山が部屋のあちらこちらに組み上げられている。明りといえる物はモニターの光だけで、薄暗い幕を下ろしたその部屋は淡い青に包まれていた。
学者達がモニターの前でキーボードを打ち鳴らし、様々な専門用語や要請などが部屋の中を飛び交う中
「神地殻の真理・・・ですか。そんな非現実的な話信じられますか?」
白衣を着た男性が半信半疑に自分の上司に向かって尋ねた。
「別にぃー。いないならいないでもいいんだけどね。」
とその上司と思われる女性は気の抜けた声で答えた。女性なのに身長は百七十後半といったところか。完璧なモデル体型の二十代後半。見事なまでのキャリアウーマンである。
「ただねぇ・・・。見てみたいじゃない。 世界とお話しできるなんて、童話の中にしかないロマンシズム。」
学者という現実を追い求める生き物である彼女にとって、その御伽話は退屈を紛らわせるためにはちょうど良い遊びであった。一つ高い位置に作られた足場から彼女は学者達の行動を黙視していた。その姿だけで威厳・・・いや、威圧が伝わってくる。おそらく彼女はこの部屋の中で最も立場が偉い。
「班長! 地殻の中から何か来ます。」
一人の学者がモニターの前で血相を変えた。
「どういうことだ、こんな事態予測されていない!
実験中止! 今すぐ全電源を落とせ!」
「やっています! でも・・・電源が落ちません!」
何かとんでもない事態なのだろう。沢山の研究員たちが慌てふためき現状を理解、解決に導くことに必死だった。が、彼女は違っていた。
非常事態など御構いなし。鳴り止まない警報器、喚き散らす研究員たちの声、全て彼女の耳には届くことなくただ静かに今を見つめていた。不動、まさにそれ。心なしかその視線は冷たく、そしてどこか嬉しそうに頬の端を引き攣らせていた。
―――降り立つ高き者―――
突如としてその部屋の中心は青く光りだし、それは部屋を包み込んだ。そしてそこから一人の人間が現れたのだった。
ゆっくりと光の中から降り立ったそれは、見た目では男性とも女性とも取り難い一人の子供。年齢は十五以降といったところであろうか。ボロボロの服を着ており、光の無い虚ろな眼と透き通るような白い肌、色素の薄い金色の髪をしていた。
「これは・・・成功したのか?」
ある研究員がそう言い、その一声を火種に部屋中が歓声に沸いた。
長年の研究が実を結び、自分達は新たな歴史に名を刻む一人になれるのだと、愚かな彼らは勘違いしていた。そんな中一人の科学者がその子供に触れようとした時、歓声は一瞬にして悲鳴へと変わる。
その子供はただ手を翳しただけだった。腕が無い者以外には誰にでもできる極々単純な動作。たったそれだけで愚かにもそれに触れようと手を伸ばした「者」は微塵に刻まれた赤い「物」となりその場に散って逝った。肉、骨、臓物が耳障りな音を立てて床に散らばる。
「っ・・・うわあああああああああああ!」
その惨状を刹那に理解し悲鳴を発しながら逃げ惑う研究員達、それに向かってただ手を翳すだけの子供。
「嫌だ」
「助けて」
「死にたくない」
まるでそれは赤い花が散っている中を無邪気な子供が踊っているかのようだった。
踊る主役。露と消える人々。鏤められる赤。そして物語は静寂へと近づく。
研究所のありとあらゆる場所は赤く染まり、その惨劇という名の愉快な演劇はわずか二分足らずで幕を閉じた。もう、何も聞こえない・・・。
残る命はその場に二つ。
そうしてそれは彼女の前に降り立った。
静寂の帳が二人を包み、無言の間が一分程続いたろうか。
「まさか、あんたが出て来ちゃうなんてねぇ。」
先に静寂を破ったのは彼女の方だった。
「てっきりあの時死んだと思って泣いてあげたんだけどねぇ。お久しぶりとでも言いましょうか?」
歯に衣着せぬ物言いで彼女はそれに詰め寄った。何の恐怖も感じず先の演劇を物ともしないその姿は、仮に第三者がいたとすればその人にとってはどちらが化け物か解らなかっただろう。
「・・・その必要はない。そんなつまらない事に割く時間は無い。」
初めてそれは口を開いた。何の感情も読み取れない無機質な声。
「相も変わらず忙しない奴ね。そのまま死んでくれてたら良かったのに。」
彼女はその子供の事を知っているようだ。知っているからなのだろう。軽く笑いを含みながらの罵倒。彼女にはその子供は恐怖の対象などではなかった。
「で・・・どうする? ・・・あたしも殺してくれる?」
冗談などではない。彼女の眼は氷の様に冷たい視線を放ち、頬の両端をいっぱいに引き攣らせて笑っていた。全力で殺し合えることを本気で望んでいる。まるで獣の様な表情だった。
しかしその子供は声を発することもなく、無感情に首を横に向け視線を反らしてしまった。それを見た途端白けてしまったのか、彼女は肩を落とし
「あっそう。じゃあどうでもいいから、どこでも好きな所へ行きなさいな。」
とその子供を邪魔者扱いし、手を払って追い出す。
「元よりそのつもりだ。」
言い終えたのと同時だった。それの後ろに黒い空洞がぽっかりと開き、そこに吸い込まれるように消えて行った。それの存在の痕跡などそこには全く残っていない。あるとするのなら、演劇の結果生まれた真っ赤な立方体だけだ。
無言の部屋、彼女は紅く染まったモニターの文字をなんとか読み解く。生者が自分一人となった部屋で彼女は嬉しそうに囁いた。
「あらら、いい退屈凌ぎできちゃった♪」
そして踵を返し彼女もまた血生臭い部屋を後にした。ご機嫌だっただろう。そうでなければ鼻歌など歌いはしないのだから。
「天子は外へ飛び立った・・・♪」
―――棄てられた外―――
一方その頃「外側」と呼ばれる荒れ果てた荒野の中、存在も忘れられたとある場所。
もう使うことは決してできないであろう、砂にまみれて壊れきった不思議な機械やバラバラになったガラス管・ビーカーなどが散乱し、人の気配など全く感じられないこの場所に一人の少女が降り立った。不思議なことに彼女の体は淡い光に包まれ、もう日が沈んでいるというのに不思議と彼女の姿だけははっきりと捉える事が出来る。
一体どこから現れたのであろうか。その少女は嘗て黄金に輝いていた頃の太陽を連想させる様な美しい髪と、その光を浴びて輝く月の様な瞳をしていた。
真っ白な服の彼女は歩みを始める。パキン、パキンとガラスの破片を踏みながら、彼女は彼女にとって二度目の外を目指した。
日が沈み静けさを増す夜の中、彼女は紅い砂に吹き当てられながら進む。
当てがないわけではない。彼女の耳には探そうとする者の声が聞こえていた。それはまるで哀しい歌の様。悲痛な訴えと自らの行く末、過去を呪った嘆きをアクセントに散りばめた哀歌。その歌が彼女の耳に届く度に溢れそうになる涙を堪えていた。
「・・・・・・・・」
空を見上げ彼女は呟く。穏やかで優しい笑顔と共に・・・。
―――これが因果の紙片―――
この度はお目通しいただき誠に有難う御座います。
まだまだ文章表現の世界を勉強中です。
生暖かい目で見守ってください。(笑)