第35話 エアロポニック栽培②
「その前に……培養液をじゃがいも用に改良しておきましょう」
ルシエルの言葉に、幽鬼先生は眉をひそめる。
「最高の培養液って言うてたのに?」
「ええ、葉物野菜用には最適化されています。つまり葉を茂らせるために窒素――発酵した尿を多めに配合していますよね?」
「うん、確かに……」
「しかし育てたいのは地下茎、イモの部分です」
既存の培養液の中には、発酵尿・骨粉・草木灰が含まれている。これは植物の成長に必要な3大栄養素、窒素・リン・カリウムを補うものだ。
それぞれの役割を何となくでしか覚えてないので、地下茎を育てるには何を足せばいいのか、すぐには思いつかない。
「どうすればいいんや」
「まず成長段階によって培養液の配合を変えます。植え付けから20日目までは、葉をしっかり育てる時期ですので、大きくは変えません。窒素を少し控えて、カリウムを気持ち多めに。そして微量元素を足します」
「ん、微量元素……?」
「マグネシウムの補給のために海水やにがり。鉄分補給のために錆びた鉄を酢に漬けて溶出させます。そして硫黄も少量加えるため、温泉水も足します」
「お、おう」
(あかん、農業知識のレベルが違いすぎる……!)
国で一番、農業に詳しい専門家を連れてきているが、彼もぽかんとしている。
(俺のふわふわ知識から着想を得て、植物工場にまで発展させた天才やぞ!)
そんな天才青年も、ルシエルの前では秀才に成り下がる。
その時、ルシエルがちらりと青年の方を見て微笑む。
「ちなみに、既存の培養液の完成度は非常に高いですよ。限られた素材であそこまで最適化するのは並大抵の技術ではありません。相当な試行錯誤の賜物でしょう」
「……どうも」
そう言って、青年は口元をわずかに歪ませる。その目は笑っていない。
(余計に落ち込んでるやんけ。可哀想にな。後でフォローせなあかん)
さらにルシエルは説明を続ける。
「21日目以降は、塊茎形成期に入ります。ここで培養液の配合を大幅に変えます。窒素を半分に削って、その分カリウムをがっつり増やす。リンも増量します」
「……なんでそんなに詳しいん? 実家が農家とか?」
「ああ、実は家で、個人的にエアロポニックの実験をしてましてね。社長が面白がって投資してくれたんです」
「社長、もの好きやな」
「私の人生を変えてくれた人です。会えるものなら……会いたいですね」
そこでルシエルは、ほんの少しだけ寂しげな笑みを浮かべる。
会えたとしても、前世の記憶はないから相手が気付くことはないだろう。
「実験が成功したら、食糧難の国に寄付しようかと思っていたのですが……育つ前に核兵器が落ちてきました」
「…………ああっ!」
突然、幽鬼先生が大声を上げる。
「どうしました?」
「あれ、お前の家やったんか……」
500年前、地獄のゲートが開いてから、まだ間もない頃。世界は混沌に包まれていた。
まず必要だったのは食料だ。その頃はコンビニやスーパー、民家の食料を漁って食べ物を見つけることは、比較的簡単だった。
しかし食べ物はあっという間に腐ってしまう。すぐに食料を巡って、あちこちで争いが勃発した。
知っての通り、幽鬼先生には戦う力がない。
そこでコソコソと民家を漁りながら生活していたのだが、それも限界に達し、もう死ぬのかと思った時だ――
箱の中でじゃがいもを育てている家に出会ったのは。
「最初は観葉植物かと思ったけど、ちょうどこのタンクみたいな形してたわ。開けてみたら、じゃがいもがびっしり育ってた」
「んー、私と同じことをしている人がいなければ、私の家ですね」
「しかもあれ、何回も収穫できるんやな」
「それこそエアロポニックの大きなメリットです。約2週間の間隔で、10回以上の連続収穫ができます」
「あれがなかったら俺……死んでたわ」
結局、電力インフラが途絶えたので、バッテリーで1年しか持たなかったが。その後、エアロポニック栽培を再現する方法はわからなかった。
それでもあのじゃがいもは、幽鬼先生が指導者として成り上がるのに、重要な役割を果たしてくれた。
ちょうどその時代のことを知っている傘月が口を開く。
「おいおい。あのじゃがいも、ルシエルが作ったもんなん? 先生に感謝して損したわ」
「おまっ……俺がじゃがいも恵んでなかったら死んでたんやぞ」
「嘘やって。先生には感謝してるけど、ルシエルにも感謝せなあかんな」
まさか前世から食糧難を解決するために、エアロポニックの研究までしていたとは。
(それに比べて俺は……)
そこで幽鬼先生は首を振り、煙管を深く吸い込んで、煙と一緒にその考えを吐き出した。
「こちらこそ感謝していますよ」
と、ルシエルが妙なことを言い出す。
「前世での実験の行く末を見届けていただけて。おかげで確信できました。このエアロポニック栽培は、必ず成功すると」
「……俺もそう思うで」
「さて、それでは培養液の製作に戻りましょうかね」
そう言うと、ルシエルは小皿に骨粉を盛り、その上に手をかざす。
「――『ルクス』」
針のように絞り込まれた光が骨粉に注がれる。
赤く灼熱した骨粉は、やがて白いさらさらの粉に変わった。
「骨の結晶構造を熱で壊しました。この状態なら酢に溶けます」
「焼いたら栄養壊れへんの?」
「元素は壊れません。核融合でもしない限りは」
白い粉を酢に入れると、しゅわしゅわと泡を立てて、あっけなく溶けた。
これを他の原料と合わせ、布で漉して培養液用のタンクに移す。布の上には何も残らない。
念のためサンプル用の培養液に、蛟の女がもう一度『水塵繚乱』を試すと、今度は容器に泥は残らなかった。
「あら、こんなにあっけなく解決するのね」
「いつも、もうひと工夫が大事なんです。これで噴霧ノズルが詰まることはありません」
「噴霧ノズル? 魔法で霧化するのではなくて?」
「量産するなら、ノズルの方が向いています」
そこでルシエルが蛟の女に向き直る。
「あなたの霧化は見事です。しかし栽培タンクは何十基にもなる。その全てに水魔法使いを張りつけるわけにはいかないでしょう?」
「……それは、そうですわね」
「それに噴霧は3分ごとに20秒、昼も夜も。人の手では持ちません」
「それは少々、骨が折れますわ」
その時、幽鬼先生が言った。
「で、ノズルって何なん?」
「0.3ミリほどの噴霧口です。ここに高圧で培養液を通すと、穴の形状で液が薄く引き伸ばされて、50ミクロン以下の霧になります」
そう言って、ルシエルは闇石を手に取ると、光魔法を針のように絞り込んで一瞬だけ当てた。
薄く煙が上がる。そこには微細な穴がいくつか空いている。
「闇石は内壁が滑らかで詰まりにくい。ノズルの素材としても理想的ですね」
「さすがやで、闇石ちゃん♥」
と、傘月が闇石にキスしている。
「このノズルは、エアロポニックの要です。これが詰まると、全てのじゃがいもが枯れてしまうので、培養液はしっかり溶解させてください」
「わかった」
そのノズルは根チャンバーの中にある配管に取り付ける。
その後、ルシエルは蛟の女に魔晶石を差し出した。
「加圧の魔法を魔晶石に刻印していただけますか? 単純な水押しで結構です」
「そんな簡単な魔法でいいの? 水魔法使いなら誰でもできるわ」
「約6気圧――水深60メートルの底にいるのと同じ圧力が必要です。国一番の水魔法使いなら、すぐに再現できるでしょう?」
すると蛟の女はお上品な笑い声を上げる。
「お上手ですこと。それなら造作もないことですわ」
そうして彼女は、最適な水圧を込めた魔晶石を作った。
「素晴らしい。そしてこれにタイマー設定をする必要があります。3分ごとに20秒の噴霧をするように」
ここで我が国で最高の魔導具師、鈴音と剛田が前に出た。
さらに他の魔導具師たちもしたり顔で歩いてくる。
普段は人前に出ると目を逸らして、工房に引っ込みたそうにしている連中だ。あんなに自信に満ち溢れた顔は見たことがない。
ルシエルの下でなら、自分たちの腕が存分に活きると確信しているのだろう。
「それでは複数エンチャントの時間です。幽鬼先生、しばしお待ちを」
「おう、終わったら教えてくれ」
加工方法については話を聞いてもよくわからない。鈴音と剛田が身につけてくれれば問題なかろう。
数時間後、魔導具師チームから歓声が上がった。終わったようだ。
「あとはこれを培養液タンクに取り付けて……」
魔力を流して試してみると、根チャンバーのノズルから霧がシュっと噴霧された。
「おおっ!」
と、傘月がはしゃぐ。
「完成か?」
幽鬼先生の言葉に、ルシエルは頷く。
「完成です。あと翠鏡カバーには、換気用の魔晶石を取り付けておきました」
それは既存の植物工場でも、風魔法を込めた魔晶石で実装しているものだ。
「それと根チャンバーの下に廃液回収用のトレイを設置してあります。これは再利用するため、定期的に培養液タンクに戻してください」
「管理も簡単やな」
「ええ、誰でもじゃがいもを育てられます」
「よし、そんじゃ種芋を設置するか」
そこでルシエルは『神殿』に集められた兵士や、魔導具師たちに向かって言った。
「ここからは皆さんの協力が必要です。栽培タンクを沢山製作すれば、100日後には腹いっぱいじゃがいもが食べられます」
アイマスクを外してから、ルシエルは力強い瞳でみんなを見渡す。
「――手伝っていただけますか?」
「もちろんだ!」
と、剛田が持ち前の大声で叫ぶ。続いて他の者達も盛り上がった。
まさに、ここにいる誰よりも指導者らしい。
ふと幽鬼先生は、自分が煙管をギリギリ噛んでいることに気付いた。




