第33話 闇石蜘蛛
「つーわけで、明日。『神殿』を50階層までアプデよろしく」
傘月の言葉に、幽鬼先生は煙管を落としかけた。
「……正気か?」
「え、無理なん?」
「無理とは言わんけど……」
そう言いながら、幽鬼先生は渋い顔をする。
「今の10階から50階まで拡張するとなると、かなり信仰ポイントがいる。聖域の維持費や、瘴気嵐の防御コストを考えると……」
「ああー、巡礼者も腹減って力出ないしな」
「つまり信仰ポイントを得る方法が、祭壇での祈りしかない。それじゃ足りん」
「でもボス攻略したら、拡張した分のポイントは回収できるやろ?」
「まあな」
そこで幽鬼先生はふうと煙を吐く。
「せやけど『闇石蜘蛛』って、光魔法と相性悪いんちゃう?」
「ルシエルはやる気満々やったで。知性999の男がやる気になるってことは、できるってことや」
「それはそう」
「ならええやん」
しばらくの沈黙の後、幽鬼先生は煙管をくゆらせながら言った。
「……わかった。50階まで拡張したる。『帰還の石』も持たせてるし、死ぬことはないやろ」
そうと決まると、傘月は立ち上がってぐっと伸びをする。
「いやあ……ルシエルが来てくれて良かったな。はよ飢饉解決してくれ。うまいもん食いたいわ。お粥飽きたし、味せえへん」
「わかっとる。ルシエルなら100日後にじゃがいもを大量収穫できる。それも継続的に。この先、瘴気嵐や飢饉に怯えることもない」
「まさに天から舞い降りた救世主ってところやな」
「……『指導者』じゃなければなあ」
その時、傘月の笠についた1つ目が鋭い光を帯びる。
「なあ、話変わるけど――先生に言われて床下見てきたんやけど、やっぱり虫おったわ」
「やっぱりか。デカいのか?」
「うん。黒くてデカい、嫌な虫。家の柱とか食い破るタイプ」
「……で、どうしたんや」
「潰した。巣も見つけたから、煙で燻しといた」
「他にもおったか?」
「今んところ、単独みたいやな。でもこの冬は、変な虫もぎょうさん湧きそうや」
――この会話は暗号だ。
幽鬼先生は冥門――貴族のような存在――の動きを疑い、傘月を潜り込ませていた。結果は予想通り――クーデターの芽は、早期に摘まれた。
そう、石マニアは世を忍ぶ仮の姿。傘月は忍者である。
「あっちからも虫湧きそうや。そのうち退治するんか?」
指差したのはルシエルたちがいる部屋だ。
その問いに、幽鬼先生は慎重な声色で答える。
「ああ。お前……あいつの実力、しかと見ておけよ」
★★★
翌朝、私たちは50階層の『闇石』を採掘するために『神殿』へ向かった。
幽鬼先生の坐像を見上げながら、傘月が呟く。
「……顔でっか」
「やかましいわ」
そんなほのぼのとしたやり取りを経て、私たちはダンジョンに入る。
それから昨日と同じように、レーザー掘削で50階層まで穴を開けた。
「嘘やろ!?」
どこまでも続く、深い穴を覗き込みながら、傘月が驚きの声を上げる。
「これ、50階まで開通してるんか?」
「ええ」
「……地道に50階まで潜った、うちの努力よ」
石の専門家というと学者っぽいイメージがあったが、傘月は戦闘もできるようだ。
「しかしそのおかげで、あなたはガーディアンの特徴や、ギミックの傾向、鉱石の大体の分布図を把握しているということです。私が今、最も欲しいデータベースですよ」
少し照れたように笠を押さえながら、傘月が続ける。
「へへっ……データベースって何なん?」
「旧世界の言葉で、『知識の宝庫』みたいなものですよ」
「ええやん。データベースの傘月って呼んでくれ」
「お前……知性999の男の前でよう言えたな?」
その時、ケルビーが穴の上で飛びながら口を開いた。
「傘月さんも行くんですよね?」
「そうやね……でも飛べへんしなあ」
「お二人を箱に入れて持ち上げれば、ゆっくり降下できるんですけど……」
「おっ。それならこうしようや」
そう言って、傘月が地面に手をかざす。
「――『石牢』」
地鳴りとともに、地面の石が飴のように引き伸ばされ、格子状に編み上げられていく。
数秒後、そこには大人2人が入れるほどの石の鳥籠が出来上がっていた。
「もしかして土魔法ですか?」
「そ。うちの得意魔法な」
土を操る魔法か……これまた応用しがいがありそうだ。飢饉が解決したら、いつか一緒に魔法開発もやってみたいものだ。
「籠の上に取手あるから、それ掴んでや」
「わあ。これからはルシエルさんを鳥籠に閉じ込めて運ぶのもアリですね」
「いったい何事かとみんなビックリしますよ」
そこで私と傘月は石の鳥籠の中に入る。格子の幅が広いので出入りも簡単だ。
「危なくなったら戻ってくるんやで。俺は温泉につかりながらぬくぬく待っとるから」
幽鬼先生はこちらが問題なくできることをわかっているので、舐めたことを言っている。
「は? ムカつくな、お前も乗れよ」
「いやですぅー」
傘月は幽鬼先生に対して本当に遠慮がない。
「あ、幽鬼先生」
と、私も1人だけ楽しているのはどうかと思ったので言ってみた。
「戻ってきたら大仕事が待っておりますので、『神殿』に手の空いている兵士たちと、水魔法と風魔法の使い手をできるだけ沢山呼んでください。それと空の魔晶石も大量に必要です。ああ、魔導具師の鈴音さんと剛田さんも連れてきてください」
「うええ?」
「ではよろしくお願いします」
めんどくさそうにしている幽鬼先生の顔を眺めながら、私たちはゆっくりと降下していく。
「にしても、ケルビーちゃん。二人も支えるなんて凄いな」
「んー、さすがに重いかもしれません。石の鳥籠が」
「大丈夫ですか?」と、私が言う。
「50階まではなんとか……任せてください!」
「ええ、助かります」
すると傘月が心配そうに囁いてくる。
「ほんまに大丈夫なんか?」
「世界一安全なフライトになりますよ」
実際、49階までは順調だった。
「もうすぐ50階です」
そう言うと、傘月の笠についた1つ目がスッと細められる。
「気をつけろ……急に暗くなるからな」
その瞬間、フッと辺りが真っ暗になった。ケルビーが「きゃっ」と声を上げ、少しだけ鳥籠が揺れる。
「変な感じ……真っ暗なのにキラキラが……」
50階——そこは、闇だった。
『ルクス』を灯しても、何も見えない。光が放たれている感触はある。
だが、照らされるものが何もない。まるで世界そのものが消えたかのようだ。
なのに——きらめきがある。
針の先ほどの鋭い光点が、あちこちで瞬いている。だが、その光は周囲を何ひとつ照らさない。奥行きも方向も曖昧で、すぐ傍にあるようで、果てしなく遠いようでもある。
傘月が「光やない、別の何かや」と言った意味が、よくわかった。
ドシン、と石の鳥籠が乱暴に地面と接触する。
その瞬間はぐらりと大きく揺れて、私は慌てて格子に捕まった。
「あ、すみません……地面が見えなかったので」
その声にはわずかに怯えが滲んでいた。暗すぎるせいだ。
「いいんです。ケルビーさん、手を繋ぎますね」
私が彼女のところに行って、手首をつかむと彼女は驚きの声を上げる。
「えっ、なんで場所がわかるんですか?」
「赤外線レーダーで。狩りの時に見せたでしょう?」
「うう、本当に何も見えなくて怖いです……」
手首を掴んでいたのに、ケルビーが手を繋ぎ直してくる。しかしそのおかげで、徐々に落ち着いたようだ。
「う、うちも手ぇ繋いで? 誰かぬくもりをください」
さすがに傘月まで軽いパニックに陥っている。完全な闇と不気味なチカチカの中では、人肌を感じたくなるものだ。
「はい」
「ありがとう。上の階から硫酸流したことはあるんやけど、実際に降り立つのは初めてでな」
「……ここを硫酸の海にしたんですか?」
「まあな。全然効かなくて諦めたけど」
いったいどこからそんなに大量の硫酸を持ってきたのか?
疑問に思っていたが、尋ねている暇はない。さらに傘月が言った。
「でも赤外線ってなに? 光魔法は吸収されるんじゃ……?」
「あっ!!」
突然、ケルビーが声を上げる。
「傘月さん、言ってましたよね。炎は見えなくなったけど、熱はあったって」
「うん、そうやけど……」
「つまり可視光は吸収されてしまうけど、赤外線は大丈夫ってことですね、ルシエルさん」
「ケルビーさん、正解です」
「だから赤外線ってなに???」
説明してやりたいが、そんな余裕はない。赤外線でスキャンすると――
ここには大量の『闇石蜘蛛』の群れがいる。
形状――体長およそ30センチ。8本の脚と、丸い胴体。体表は闇石の結晶で覆われているらしく、赤外線の反射率が非常に高い。
個体数――100、200……まだ増える。壁に、天井に、床に。レーダーの範囲外にも反応が続いている。全体数は不明だ。
以上を1秒で把握して、私は内心で苦笑する。巨大なボスが1体、堂々と待ち構えている方がよほど楽だったかもしれない。
……まずは数を減らそう。
「――『赤外線レーザー』」
ちなみにレーザーは必ずしも可視光である必要はない。赤外線でも撃てる。
レーダー上で密集している壁面の群れに照準を合わせ、赤外線レーザーを薙ぎ払った。
光は見えない。だが次の瞬間――
パパパパパパパッ!!
ポップコーンが一斉に弾けるような破裂音が、闇の中で炸裂した。蜘蛛の甲殻が熱膨張で弾け飛ぶ音だ。それが閉鎖空間の壁に反響し、何倍にも増幅されて鼓膜を叩く。
直後、熱風が吹き荒れた。
「な、なになに!?」
「なんの音や!?」
ケルビーと傘月が悲鳴を上げるのも無理はない。
真っ暗闇の中で、突然、爆竹を束にしたような轟音と熱風に襲われたのだから。
「遠くの蜘蛛を焼きました。ただ、近くのには撃てません。衝撃波で私たちがやられます」
その後、すぐに私は2人の手をぐいと引っ張って後ろに下がった。
「うわっ」
「すみません、蜘蛛が飛びかかってきたので。後ろに下がって」
足元にいた蜘蛛は、出力を絞ってレーザーで一匹一匹、処理していく。
「ケルビーさん、傘月さん。近くの蜘蛛は、お二人にお願いしたいのですが」
「見えへんって言うてるやろ!」
「それについては、いい方法があります」
この暗闇で2人に戦ってもらうには、敵の位置を共有しなければならない。
私は2人の手を握ったまま、微弱な電流を流した。レーダー情報を電気信号に変換し、視神経を刺激する。旧世界の人工網膜と同じ原理だ。
「……何か見えます。ぼんやりした光の点」
「それが蜘蛛の位置です。近い点が明るく、遠い点が暗い」
「おおっ、いいなこれ」
「ただし、手を離すと見えなくなります」
「つまり、うちらは片手で戦うってことか」
「精密に制御しないと、意味のない光の粒にしかなりません。手を繋いでいるのは、電気の通り道を作るためです」
その時、ブンっと何かを振り回す音がする。ケルビーの方からだ。槍を横薙ぎにしたのだろう。
「ルシエルさんの言う通り、当たった感触がしました!」
「その調子です」
「よーし。ようわからんけど、やったるで」
そこで傘月が呪文を叫ぶ。
「――『岩牙』!」
ガギギギッ——足元から突き上げるような振動と、石が石を食い破る音が走る。
続けて、バキッ、バキバキッと何かが砕ける鈍い音が闇の奥で連鎖した。
レーダー上で、前方の光点が3つ、4つと消えていく。
呪文から推測するに、地面から牙のように岩が生える魔法だろう。
「おっしゃ。光の点が消えてくのが気持ちええわ!」
これはまさしく、全方位シューティングゲームだ。自機の周囲360度から迫ってくる敵を、3人で分担して撃ち落としている。
ケルビーが槍で薙ぎ払い、傘月が『岩牙』で中距離攻撃、私がレーザーで遠距離を掃射する。よくできたパーティ編成だ。
次々と、光の点がレーダー上から消えていく。
しかもレーダー共有のおかげで、2人の動きがみるみる洗練されていく。
最初はおっかなびっくり振り回していたケルビーの槍が、今では光点が近づいた瞬間に正確に叩いている。
傘月に至っては、複数の光点をまとめて『岩牙』で貫く効率的なプレイを始めた。
「カカカッ! 楽しくなってきたで!」
数分後。レーダー上の光点は、すっかり消えている。
――ステージクリア。
思わずどこかでファンファーレが鳴らないか、期待してしまった。
その代わりに――ミシッ、と空間が軋んだ。
たちまち足元から亀裂が走る。闇石の床を、一筋の光が割っていく。
光だ。可視光の、本物の光。
亀裂は蜘蛛の巣のように広がり、闇石の壁を、天井を、四方八方に裂いていく。割れ目から黄金色の光が溢れ出し、完全な闇だった空間を少しずつ侵食していく。
やがて、空間の中央に光が集まり――帰還のゲートが浮かび上がった。
「眩しい……けど、やっと見える……!」
ケルビーが目を細めながら、それでも嬉しそうに声を上げた。
「おおっ……やっと50階をクリアできたわ」
しみじみと傘月が呟く。
床には砕けた蜘蛛の残骸が散乱し、壁面にはまだ闇石がびっしりと残っている。
「さて、これを切り出して持ち帰りましょうか」




