第27話 巡礼宿
「『バーバリさん』の配給、上手く行ってると良いですねえ」
空を飛びながら、ケルビーがポツリと言う。
「彼らなら問題ないですよ」
念のため門番の琴葉にジャムを渡して、頼みごとをしておいた。揉め事が起きそうになれば止めてくれるはずだ。
残った白パン1個は私とケルビーで半分ずつ分け合いっこした。私たちはまだまだ働かねばならない。味のない白パンに、味気のないお粥だったが、それでも腹は満たせる。
「もうすっかり暗くなりましたけど、今日は休まなくて大丈夫ですか?」
ちなみに、時間的には夕方頃だ。頭上には1点の曇りもない、吸い込まれそうな漆黒が広がっている。
「『神殿』と魔晶石……その2つについて早く調べたいんです」
と、私は顎に手を当てながら言う。
「魔法の鉱石があるなら、旧世界とは違うやり方ができるかもしれない」
「早く育てれば、それだけ早く育ちますからね。でも本当は、新しい技術にワクワクしているだけじゃないですか?」
「ご名答」
そう言うと、ケルビーは呆れた顔でぐるりと目を回す。
「そうだと思いました。だけどルシエルさん、何度か徹夜して資料室に入り浸ってましたよね。この世界は天界ほど安全ではありませんし、無理はしない方がいいと思うんです」
「ああ、ご心配ありがとうございます。それでは、あっちに到着したら30分くらい仮眠を取りましょうか」
「えっ! 30分寝ると言って、本当に30分しか寝ない人なんているんですか?」
「私はできますよ。30分の仮眠には2時間の睡眠効果があるんです。逆にそれ以上寝ると夜の睡眠に影響が出ます」
「ええー……私は起きれません」
「それは困りました。ケルビーさんの力は必須ですので、起こして差し上げますよ」
「んー、絶対寝ぼけていると思いますが、お願いします」
そんなことを話しながら、暗い夜空を飛んでいく。
『ルクス』を灯していても、ほとんど何も見えないが、星を頼りに横浜から丹沢湖まで西へ一直線に飛ぶ。
やがて山の中に灯りが見えてきた。光魔法をコピーした魔晶石の灯りを、家々の軒先に吊るしているのだ。雪化粧をした瓦屋根に、淡いオレンジや黄金色の光が反射し、町全体が巨大な宝石箱のように輝いている。
冷え切った大気は光を散らす湿気を帯びていないため、遠くの灯りまで凛と際立って見える。その幻想的な光景は、一仕事終えたあとの心地よい疲労感によく馴染んだ。
その町を低空飛行しながら、幽鬼先生の指定した宿に向かう。『巡礼宿』という看板を見つける。『神殿』に巡礼する者が訪れる宿だから、そう呼ばれているようだ。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、ルシエル様、ケルビー様」
あらかじめ幽鬼先生から知らされていたのだろう。旅館の女将さんや中居さんが出迎えてくれる。鬼や、猫又や、妖狐など色んな悪魔――というか、妖怪の姿をしている。
「まずはお部屋にご案内いたします。お部屋は別々になさいますか?」
「そうですね、では別々で――」
そう言いかけると、ケルビーが首を横に振った。
「一緒で問題ありません」
彼女があっさりそう言ったことに、私は少し驚いた。
だが考えてみると、この世界に来てまだ1日目だ。どんな危険があるかわからない。別々の部屋より、同じ部屋にいた方がいざという時に対処しやすい。きっと彼女もそう思ったのだろう。
「お部屋はこちらになります」
扉が開かれると、見慣れた光景が目に飛び込んできた。
畳敷きの和室だ。障子の向こうには雪景色が透けて見え、部屋の隅には魔晶石の照明が柔らかな光を投げかけている。すでに布団が2組、丁寧に敷かれていた。
旧世界の旅館とほとんど変わらない部屋を見ると、ほっと、肩の力が抜けてしまう。
すると中居さんが、箪笥から紺色の浴衣を取り出しながら言った。
「新しいお召し物もご用意しております」
「どうもありがとうございます。今の服は汚れてしまいましたからね」
視線を下に向けると、白いズボンの裾が土で汚れてしまっている。天界の服は真っ白なので汚れが目立つのだ。
「よろしければ、汚れた服はお引き取りしましょうか。今後は幽鬼先生がお着替えもご用意してくださいますよ」
「ではお言葉に甘えて。幽鬼先生にもお礼を言いたいのですが、どちらに?」
「今はお食事中ですので、1時間後くらいにまたお声がけしますね」
「承知しました。ちなみに温泉ってあります?」
「ええ、大浴場もありますし、各客室に露天風呂も付いております」
最高だ。清潔に暮らせるだけでどれほどありがたいことか。
「他に何かございましたら、遠慮なくお申し付けくださいませ」
中居さんが退室した後、私はケルビーに先にお風呂へ入るよう勧めた。
その間に私は浴衣に着替え、正座瞑想をしながら待機する。これだけでも疲労回復の効果がある。
しばらくすると、ケルビーが「る、ルシエルさん!」と慌て声を上げた。何事かとそちらに目を向けると、浴衣の襟をぎゅっと押さえながら、ケルビーがもじもじと立っている。
「この帯、どうやって結べばいいんですか?」
「……ああ。結んであげますよ」
そこでケルビーの背後に回り、文庫結びを簡単にアレンジした、蝶結びを教えてあげた。
「わあ。可愛いですね!」
「よくお似合いですよ」
それから私も露天風呂に入る。ふうー。
怒涛の1日だったが、天界にいた時よりもずっとやりがいがある。
風呂から上がると、ケルビーがすでに布団の中で横になっていた。私が先に寝ておくよう言ったからだ。
タオルで髪を乾かした後、私も仮眠を取る。
そしてきっかり30分後に目を覚ました。ちょうどその時、中居さんが部屋の外から声をかけてくる。
「お休みのところ失礼いたします。幽鬼先生がお呼びです」
「ええ、すぐ行きます」
ケルビーはというと、深い眠りに落ちてしまっていた。
「ケルビーさん」
と、声を掛けると、「ううううん」と言いながら起き上がる。しかし寝ぼけているようだ。フラフラして危なっかしい。
「……仕方ありませんね」
そこで私はケルビーを抱っこしてあげる。いつものお返しだ。といっても、子供を抱っこするような片手持ちだが。
そのまま幽鬼先生がいるという、旅館の入口まで行く。
彼は抱っこされているケルビーを見ながら言った。
「……あんたら仲ええな」
「すみません、今は寝ぼけていて。でも力持ちなので、後で役に立ちますよ」
「ああ、ステータス見たけどビビったわ」
それから私たちは旅館の外に出た。
「何から何までご用意いただき、ありがとうございます」
「当然や。飢饉を終わらせに来た男やで? 寒空の下に放り出すわけにはいかん」
「石鹸や歯ブラシまで置いてあって、感動しましたよ」
「いやあ……別に潔癖症ってわけやないけど、あんまり汚いのとかはムリ」
「私もです。感染症予防にもなりますしね」
そんな会話をしながら歩いていくと、暗い湖にぼんやりと建物の影が見えてきた。
「今、明るくするわ」
そう言って、幽鬼先生が手をパンパンと叩く。
おそらく部下の1人が、どこかにあるレバーを引いたのだろう。一斉に魔晶石の照明が灯る。
湖面の先に、それは浮かんでいた。
白亜の神殿だ。ギリシャ神殿を思わせる列柱が闇の中に浮かび上がり、柱の合間には青い魔晶石が規則正しく配置されている。その光は水面に映り込み、神殿全体が湖に浮かぶ蒼い宝石のように揺らめいていた。
当然ながら、旧世界の丹沢湖にこんなものはない。
「ほう、これが『神殿』ですか……自然にできたものなんですか?」
「ん? いや、『指導者』の力や」
そこで私は、幽鬼先生の微妙な反応に違和感を覚える。
どうやら私は不自然な質問をしたようだ。『神殿』の作り方について、『指導者』は当然知っているはずだと思っているのか。
「あんた、どこまで説明受けてるん? この世界に来た時に聞いたやろ。ルシファーから」
「え、ルシファー?」
思わず驚きの声を上げる。
ルシファーと言えば、地獄の王だ。きっと悪魔なら誰もが恐れる存在だ。私は子供の頃からの偏見で、メンヘラの王だと思っているけれど。
「……ルシファーがこのシステムを作ったのですか?」
「お前、最初に説明受けなかったんか?」
「信者を集めれば『小さな報酬』を貰えると聞きましたね」
「へ? 何の話?」
どういうわけか幽鬼先生は目をぱちくりさせる。
「ルシファーって、女性なんですか?」
「いや、お前だけ違う奴に絡まれとる」
これではっきりした。私だけチュートリアルを端折られている。
「では最初になんと説明受けたんです?」
「……『指導者』に関するルールや。祭壇の立て方とか、信仰ポイントのこと。『神殿』のことも」
「私には教えてくれませんでしたけどねえ」
でも『小さな報酬』については私だけのようだ。あの声は、神のものだったのだろうか?
「まあ、あんただけ途中参加やし、他の『指導者』に聞けってことなんちゃう?」
薄々思っていたことだが、『指導者』の使命が信者を増やしたり、聖域を広げることなら、私には500年のハンデがあるようだ。
「それなら、この『指導者』システムの目的について教えていただけませんか」
だが幽鬼先生は答えず、静かに煙管をくゆらせるだけだった。
「あのな、ルシエル。俺たちは言わば、ライバルみたいなもんや」
やはりこうなったか。今や幽鬼先生は、情報の優位性に気付いたようだ。肝心の情報を教えなければ、私が『指導者』としてコツを掴むまで時間稼ぎができる――そう考えているのだろう。
最初に会話が噛み合わない違和感を覚えた時、知ったかぶりをして、できる限り情報を引き出してやっても良かった。
だが、私は別に幽鬼先生とは敵対したくない。下手な嘘を吐いて彼の信用を失う方が、長期的に見ると不利になる。それで正直に、説明を受けてないことを話したのだ。
大体、『指導者』として成り上がりたいかと言われるとそうでもない。信者を集めて、聖域を広げて、それで?
最終的に何を目指せばいいのか。目的地のわからないレースに全力を尽くす気にはなれない。今はせいぜい『小さな報酬』に興味があるくらいだ。
「今は飢饉を乗り越えるっちゅう、共通の目的がある。そのための協力はするが、それ以上は教えられん」
そこでいっとき息詰まる沈黙があったけれど、やがて私はこう言った。
「ええ、仰るとおりです」
それから満面の笑みを浮かべながら言う。
「構いませんよ――自分でルールを探っていくのも楽しいものですから」




