第22話 横浜の門
これで私たちの全財産は、白パン1個とジャム1瓶になった。
「これを横浜で物々交換します。ケルビーさん、一緒に来てくれますか?」
「もちろんです」
「サリーさんは、モヒカンの方々が喧嘩しないように見守ってください」
「わかった」
よほど食事が楽しいらしく、モヒカンたちはゆっくりと食事している。
だが、私たちには横浜に行く予定があった。今はお昼頃だから、日が暮れる前には戻りたい。
「ルシエル、この『遠赤外線ルクス』は残したまま行くのか?」
「そうですねえ……」
引き続き、モヒカンたちを暖めてやりたい気持ちはあるが、さすがにそこまでやるのはお人好しすぎるか。
それなら頼みごとをすることにしよう。
「モヒカンの皆さま、お願いがあるのですが」
そう言うと彼らは食事をぴたりとやめて、私の前に跪いた。そこまでしなくていいのに。
「はっ、何なりと」
「あそこのビルって空いてます?」
私の指差した先には、朽ちた廃墟がある。周りのビルよりはまだ傾きがマシで、屋根も壁も補修すれば何とか住める見た目をしている。
「空いてますぜ!!」
「では屋根や壁の穴を塞いでおいていただけると助かります。今日からあそこに住みたいので。その代わり、暖かい光はここに残しておきます」
「聞いたか、野郎ども!」
「ハッ、言われなくても家は用意するつもりでしたぜ、ルシエル様!」
「食べ物だけでなく、寒さからもお守りしてくれるなんて……マジで新宿の守護天使だぜ!」
あれよあれよという間に、彼らのリーダーのようになってしまった。まあいい。やるべきことをやるだけだ。
「すみませんが、よろしくお願いします。それでは行ってきますね」
「ルシエル様、ケルビー様! いってらっしゃいませ」
「聖域の周りには見張りがたくさんいる。気を付けてくれ!」
モヒカンたちの声援に見送られながら、私とケルビーは横浜へ出発した。
★★★
サリーによると、地獄の瘴気は『ルクス』でも避けることができるという。浄化はできないが、道祭壇がなくても先へ進むことができる。
ところで……私の靴はローファーなので、雪の上を歩くのは辛い。
そのためケルビーにお姫様抱っこしてもらい、横浜まで飛んでいくことにする。
「なぜ私には翼がないんですかねえ」
「んー……転生したばかりだから? 生まれたての天使には翼がないのかもしれません」
「生まれたて? 100年経っても?」
「地球の年齢は約46億年です。それくらい生きている天使からしたら、100年なんて赤ちゃんです。私も何年生きてるか忘れちゃいましたね。幼い頃の記憶はないです」
「じゃあ、いつか翼が生える可能性はあるわけですね」
「でも翼が生えたらルシエルさんを抱っこできなくなるので、このままでいいですよ」
「……正直、恥ずかしくないと言えば嘘になりますが」
「へえ、余裕そうな顔して、ほんとは照れてたんですね」
「まあ……。しかし、これが最も効率的な移動手段ですからね」
「はいはい、効率的ですね」
そんなおしゃべりをしながら飛んでいると、やがて前方に黄金の光が見えてきた。
横浜の聖域だ。近づくにつれ、その圧倒的な規模が実感できる。
特に圧巻なのは、光のドームの境界に沿って、大きな堀が広がっていることだ。幅は20メートル以上あるだろうか。聖域の光を映して、水面がゆらゆらと金色に輝いている。
堀の内側には土を突き固めた土塁が続き、その上に土塀が築かれていた。
ふと見ると、土塀の上にいた悪魔の1人が、その黒い翼を広げてこちらに向かってくる。
烏天狗、というのだろうか。
エルフのような尖った長耳が特徴的だが、顔立ちは人間と似ている。艷やかな黒髪を、短く切りそろえた少女だ。尾羽のある黒い翼を生やし、足は鳥脚そのもの。ゴツゴツとした硬い鱗のような質感だ。
その烏天狗の少女――見た目は少女だが、この世界の平均年齢は500歳だ――が、槍を構えながら私たちに言った。
「天使だな? 寒いから高度を下げろ――」
そこで烏天狗の少女は不思議そうに首を傾げる。
「いや、暖かいな。なぜだ?」
「光魔法によるものです」
「ふうん、便利な魔法だ……しかし、正門まで来てもらおうか」
案内された正門には、ひときわ目立つ構造物があった。
左右に2つの塔がそびえ、その間に木製の大橋が架かっている。私たちはその橋の真ん中に降り立った。
「私は門番だ。中に入れる前に、いくつか質問に答えろ。名前は?」
「ルシエルと申します。こちらはケルビー」
「どこから来た?」
「天界から堕ちてきました」
「最近、そういう天使が多いと聞くな。なんでも上司がクソだとか」
「控えめに言うと、そうですね」
「何をして追い出されたんだ?」
天界でDXを推進しようとした、と言っても通じない気がする。
「業務効率を改善しようとしたのですが、天界は旧態依然としたところでしてね。無理に進めようとして、反感を買ってしまったのです」
「組織ってのはどこも似たようなもんだな」
門番はあまり深入りせずに、淡々と質問を重ねた。
「ところで、お前には天使の翼も金の輪っかもないが、本当に天使なのか?」
「天使として生まれてから、まだ100年しか生きおらず。赤ちゃんなので翼が生えないんだとか」
「私たち悪魔も不老だが、100年はぺーぺーだな」
そうは言うが、精神年齢で考えれば100年も200年もたいして変わらないと思う。
「なぜ目隠しをしている?」
「私の顔は公共のご迷惑になると、上司に言われましてね」
すると門番は初めて同情的な視線を向けてくる。
「悪魔でもそんな酷いことを言うやつはいないぞ」
「このまま付けていて問題ないですか?」
「かまわん。そのリュックサックの中身は?」
「何もありません」
流れるように嘘を吐いたので、ケルビーがやや驚きの目で私を見上げる。
「ここへ来る前に、モヒカンの悪魔たちに襲われて、中身を奪われてしまいました。代わりに命は助けてもらいましたが」
「蛮族どもか。災難だったな」
モヒカンたちは蛮族と呼ばれているのか。
そう思っていると、門番の少女が厄介なことを言い出した。
「念のため、中身をチェックさせてもらう。そういう手順なんでな」
リュックサックはケルビーが背負っている。
さっき「何も入ってない」と嘘を吐いたので、彼女は緊張した面持ちだ。
言うまでもなく、本当は白パンとジャムが入っている。もしそれを正直に言えば、この門番は目の色を変えて奪ってくるだろう。見た目が少女だからといって、油断してはならない。
「中を見せてあげてください、ケルビーさん」
「は、はい」
そして彼女は背負っているリュックサックを下ろして、中を開けてみせた。
門番はそれを覗き込むと、あっさり言った。
「確かに空っぽだ」
「???」
動揺した様子を見せまいと、ケルビーはぎこちなくリュックサックを背負い直す。
「他にご質問は?」
「ふむ……中に入ることを許可しよう。面倒は起こすなよ」
「どうもありがとうございます。厚かましい質問ですが……何か生活のアテはありますかね? 見てのとおり何も持っておらず」
「この世界では今、大飢饉が起きている。みんな大変な状況なんだ。生活の保証はできん」
「そうですよね……承知しました。自分で何とかしてみます」
立ち去ろうとすると、門番の少女が呼び止めてくる。
それから私の傍らにふわふわと浮いている赤い光を指差した。
「その暖かい光だが、単一魔法か? 『ルクス』はただの照明魔法だと思ってた」
「『遠赤外線ルクス』と言いますが……光の波長を変えているだけですので、単一の魔法と言えるかもしれません」
「ふむ……そいつを『魔晶石』に込めてくれたら、有益な情報を教えよう」
……魔晶石だって?
なにやらファンタジー用語が出てきたな。
「『魔晶石』とは?」
「ひと言でいえば、魔法をコピーできる鉱石だ」
そう言いながら、門番の少女が懐から正八面体の結晶を手渡してくる。
ほうほう、完ぺきな正八面体だ……ダイヤモンドのような形をしているが、この虹色の光沢は何だ?
シャボン玉のような、油膜のような――薄膜干渉に似ているが、結晶表面にそんな構造があるのだろうか。
光にかざすと、内部でプリズムのように光が踊る。見たことのない鉱物だ。
「おい、楽しそうに眺めてないで、魔法を込めてくれ」
「失礼――」
こほんと咳払いしてから、私は「ルクス」と唱えてみる。本当は無詠唱でいける。だが、それすらも黙しておくことこそ、真の無詠唱というものだ。
一見、結晶の見た目に変化はなかった――少なくとも、目視できるレベルでは。
「……ん。変化がないな」
「いえ、結晶の内部構造は変化しましたよ」
そう言うと、門番の少女は眉をひそめる。
「よくわかるな? 魔導具師の中にはそういう奴もいるが……」
「光干渉断層撮影――といっても、わかりませんよね」
「わからん」
「ええと、説明すると複雑なのですが……」
「ならいい」
魔晶石をつまみながら、門番の少女は投げやりに言う。
「とにかく『遠赤外線ルクス』を魔晶石に込めたんだな?」
「ええ、魔法をコピーできるとのことですが……どうやって使うんです?」
「魔力を込めればいい。お前じゃなくても、誰でもその魔法が使える」
「それは素晴らしい! しかし直接、手に持っていると熱いですよ」
すると門番は、腰に提げていたカンテラを手に持つ。中では消えかけているが、赤い結晶が燃えているようだ。
「それも魔晶石? 炎の魔法が込められているのですか?」
「そうだ。粗悪品だからオン・オフができん。魔力が切れるまで待つしかないが……」
そこで門番は、小さなトングで炎の魔晶石をつまむと、堀の中に放り投げてしまった。
「どうせもうすぐただの石ころになる」
と言って、カンテラの中に『遠赤外線ルクス』の魔晶石をはめ込んだ。
それから手をかざして、魔力を込めたようだ。単に魔力を流し込むだけなら詠唱はいらない。
「おおっ、炎より暖かいな」
「ええ、そうでしょう。空気を暖めているのではなく、物体そのものを暖めているからです」
「しかしこっちは無色透明なのに、お前のは赤色の光だ」
「ああ、実は視覚的に暖かくなるよう赤色の光も混ぜているんですよ。本来、遠赤外線は目に見えません」
「そうか。魔晶石には2つの光を込められないからな」
「複数の魔法を込める方法はないのですか?」
「あるにはある。だが、魔導具師と呼ばれる専門家の力が必要だ」
「それはぜひお会いしたいですねえ」
いやはや、魔晶石に魔導具師か……この世界は以前の地球とは違い、異世界ファンタジーになってしまったようだ。
しかしその方が面白い。
実を言うと神様に会うことができたら、『次はゲーム風異世界ファンタジーにしてください』と頼むつもりだったのだ。
「いや、お前がまず会うべきなのは幽鬼先生だ」
出た。神奈川の王だ。
それにしても、なぜ王なのに先生と呼ばせるのだろう?
そこが気になって仕方ない。しかしここは知らないふりをするべきだ。
「……幽鬼先生?」
「この国の王だ」
「なんと。であれば、気軽にお会いするのは難しいのでは?」
「あの方には人の才能を見抜く力がある。自分のステータスを見て欲しいと言えば、一度は必ず会ってくれる」
ステータスねえ……いわゆる鑑定スキルというやつだろうか。
素晴らしい! とてつもなく面白い能力だ。もうその能力だけで幽鬼先生に会いたくてたまらなくなるほどに。
「もし何らかの才能があれば、そのまま雇ってもらえるか、仕事を紹介してくれるはずだ」
「おお、教えていただきありがとうございます。お城はどこにあるのですか?」
「鎌倉だ」
鎌倉と言えば、三方を山に囲まれ、南は海に面した「天然の要塞」として知られている。そこに城を置くのは理にかなっている。
「ただ、今は城の前に飢えた民衆が集まっていて、みんなピリピリしている。門前払いされるかもしれん。そこの門番に、『横浜の門番・琴葉から紹介された』と言えば、入れてくれるだろう。そいつとはダチなんだ」
「何から何まで感謝します」
「もし仕事を得たら、私に何か奢ってくれ」
「ええ、この御恩は忘れませんよ」
どうせ忘れるだろう、という顔をしていたが、門番の琴葉は何も言わなかった。
私たちが正門をくぐるまで案内してくれる。そしてまた、土塀の上に飛んでいった。
しばらく歩いた後、ケルビーはリュックサックの中身を確認する。
「パンとジャム、ちゃんと入ってますね」
「当然でしょう」
「でも、琴葉さんは空っぽだって。どうやったんです?」
「赤外線で屈折率を操作しました」
「屈折率……?」
「蜃気楼と同じ原理ですよ。強い光を当てると空気の屈折率が変わる――光カー効果といいます」
「それで見えなくなるんですか?」
「光の強さを場所によって変えれば、屈折率に勾配ができる。すると光はカーブを描いて曲がります。門番の視線がパンを避けるように調整しただけですよ。赤外線なら眩しくないので気づかれません」
「あ、あれ? 赤外線って熱くないですか? 暖房に使っていたでしょう」
「パルス状に照射すれば熱にはなりません。カメラのフラッシュと同じで、一瞬だけなら眩しいだけで熱くないでしょう?」
「んー……わかったような、わからないような」
まあ、出力が高すぎると空気がプラズマ化して光ってしまうので、臨界点ギリギリを維持する必要はあるけれど。これも100年の修行の成果だ。




