第19話 聖域と祈り
地上に戻った後、私はさらに夏目に質問をする。
「あの瘴気を防いでいる光は何ですか? どうやって維持しているんです?」
「マジで何もしらねーんだな。天使ってのは、この世界のことを気にもかけてねえんだ」
その文句はメタトロンに言って欲しいが、天使のイメージがこれ以上、悪くなってもいいことはない。
「大変申し訳ない。この世界に来て、自分が恵まれた環境にいたことを痛感しましたよ。少なくとも、天界では餓死しませんからね」
その言葉に、夏目は目を丸くした。周囲のモヒカンたちまでもが動きを止め、
「おい、今……天使が謝ったぞ?」
「マジかよ、耳がおかしくなったか?」
などと小声でざわつき始める。
どうやら天使というのは傲慢で、下界の者に謝罪などしないという固定観念があるらしい。まあ、確かにメタトロンは一度も謝ったことがなかったが。
「おい、そろそろ祈らねえとやべえぞ!」
「先に祈ったやつが次のリーダーだぜェーーー」
急にモヒカンたちがよろめきながらも立ち上がり、光のドームの中央へ向かっていく。
祈り、という言葉が気になる。私もついていこう。
そこには大量のお地蔵さんがいた。小さな子供くらいのサイズで、無造作に地面に置かれている。ざっと数えて、70体ほどいらっしゃる。
するとモヒカンたちは、お地蔵さんの周りで奇妙な踊りを踊り始める。
「幽鬼のクソ野郎ォォォ! 『聖域』だけは出しやがれェェーー!」
「てめえは大っ嫌いだがよォ! 死にてえわけじゃねえんだァァ!」
「おい野郎ども! ちゃんと祈らねえと効果ねえぞ!」
「もっと拝め、拝め!」
「ふざけんな! 俺達を追い出しやがった野郎に頭下げるなんてよォ~~!」
「バカが! 今日も生き延びてえなら祈りやがれ!」
「くっそォォ……幽鬼先生、どうか……どうか俺達を見捨てねえでくれェェ……!」
祈っているのか、罵倒しているのかどちらなんだ?
どうやら幽鬼先生という対象に祈っているらしいが……
その時――お地蔵さんの一体が、ふわりと淡い金色の光を帯び始めた。
たちまち、その光は他の地蔵たちへ呼応するように伝播していく。一体、また一体と、70体すべてが柔らかな光に包まれていく。
そして地蔵たちを中心に、黄金の波紋が同心円状に広がっていった。波紋は地面を這うように進み、私たちの足元を通り過ぎ、光のドームの境界へと到達する。
するとドームの表面に、水面に落ちた雫のような波紋が走った。瘴気と光がせめぎ合う境界線が、一瞬、強く輝く。
押し寄せていた赤黒い瘴気が、わずかに後退した。
ドーム全体が息を吹き返したかのように、光の密度が増していく。さっきまでは薄く透けていた聖域の壁が、今はより強固な輝きを放っている。
「ヒャッハー! 俺の祈りが届いたんだ」
「いや、俺だ!」
「俺の方が幽鬼先生を褒めてた!」
その様子を眺めながら、私は今、わかったことを整理してみる。
なるほど、瘴気を防ぐ光のドームは『聖域』と呼ばれている。お地蔵さんに――正確に言うと、幽鬼先生とやらに祈ると、『聖域』を維持できるらしい。
「あの……幽鬼先生って誰ですか?」
「神奈川の王だ」
なかなか面白い響きだ。
「口減らしに俺達を追い出したクソ野郎だ」
「それでも、祈りを捧げるんですね」
「ムカつくが、『指導者』がいなきゃ生きていけねえからな」
「待って、今……『指導者』と言いましたか? それは何者なんです? 何ができるんですか?」
思わず矢継ぎ早に質問を重ねていた。モヒカンはやや面食らった様子だったが、答えた。
「聖域を作れる特別な存在……それが『指導者』だ」
「具体的にはどのように? このお地蔵さんは、ただの石でできているのですか?」
見たところはただの石のように見える。だが、手に持っている青い結晶はなんだろう?
「おい、触るんじゃねえ!」
「『道祭壇』が1個でもぶっ壊れたら、ここを維持できなくなる」
「盗みすぎて見張りも増えたしなあ」
これは『道祭壇』と呼ぶのか。
おそらく信者を得るにはこれを作らねばならない。
「この結晶は……見たことのない鉱石ですね。どこで採れるんです?」
「ああ、霊石なら神殿で採れるぞ」
神殿というと、教会のような場所を思い浮かべるが……鉱石が採れるだって?
「その神殿はどこにあるのですか?」
「丹沢湖にでけえのがあるが、腹減ってんのに巡礼するやつなんかいねえぞ」
いったいこの世界はどうなってしまったのだ?
まあいい。とにかく横浜に行けば色々とわかるはずだ。
それに彼の言うとおり、今は信者集めより食料の確保だ。この世界ではみんなお腹を空かせているので、先にその問題を解決すれば、おのずと信者獲得の道も開くだろう。
「さて。私たちの全財産は……白パン30個とジャム瓶が5つですね」
「ずいぶん盗んできたな、ケルビー」
そう言って、サリーは感心したように笑う。
「だって荒廃した地球ですよ? 食べ物をどうやって調達するのか、全くわかりませんでしたし」
そう言えば天界ではお腹が空かなかったが、地球に来ると空腹になってしまうらしい。それは事前に聞いていたので別にショックはない。
最も厄介だと思ったのは、世界が瘴気に覆われていたことだ。
瘴気がなければ動物はたくさんいただろう。赤外線レーダーで獲物を見つければ、ご飯に困ることはないと高をくくっていたのだ。
だからケルビーが機転を利かせて、食べ物をくすねてきてくれたのは本当にありがたい。盗みは良くないことだが、天界では誰も飢えないので別に構わないだろう。
「大手柄ですよ、ケルビーさん。おかげで選択肢が広がりました」
「えへへ。でも選択肢って、食べる以外にあるんですかね?」
「この国では今、飢饉が起きています。この状況において、白パンとジャムは金塊にも等しい価値がある。他に有用なものといくらでも交換できるでしょう」
「うーん……何と交換するのがよいんでしょうね?」
その時、モヒカンたちが話に割り込んできた。
「頼む! 俺らに食べ物を恵んでくれ!」
「さっきは襲って悪かった!」
突然、モヒカンたちが土下座をしながら懇願してくる。
「調子がいいな。オレ達は、お前らのせいで無駄に疲れた」
しかし、サリーが冷たく言う。
「つまりその分、多めに食わなきゃいけないわけだ」
「それは……分けてくれねえと思ったからさ」
「空腹で苛々するんだ。許してくれよお」
私にも人の心があるので、目の前でお腹を空かせている人間がいたら、分けてやりたいとは思う。
だが物事には残念ながら、優先順位というものがある。私はケルビーとサリーのことを第一に守る。彼らの食料は必ず確保せねばならない。
どのみち白パン30個とジャム瓶5つでは150人全員を生かせない。せっかく分け与えてもいずれは食料が尽き、全滅ということになる。
でも、もし私の考えていることが上手く行ったら?
100日――最低でも100日あれば窮地を脱することはできる。それも150人全員が。
顎に手を当てながら少し考えた後、私は眼帯のモヒカン――夏目に言った。
「食べ物を分けるかどうか考えるために、まずは現状を把握させてください。1週間のうち、どれくらいの食べ物が手に入りますか?」
「運が良ければネズミが数匹だ。さっきもそのネズミで揉めてた」
「おい、ネズミはどこに行った?」
「ここにいるぞ」
モヒカンの1人が、だらりと死んだネズミをかかげる。
ドブネズミだったらどうしようと思ったが、野ネズミのようだ。しっかり火を通せば病気の心配はないはず。たぶん。
「……それも後で仲良く分けましょう。他には?」
「虫だな。掘れば少し見つかることもある」
するとケルビーが「虫……」と顔を青ざめさせる。昆虫なら高タンパク質で栄養価が高い。とはいえ、心理的抵抗感が強いのはわかる。
「他には?」
「そんだけさ。何も獲れない週もある」
だいぶ厳しいが、まったく生きていけないわけではない。
「それはどこで獲っているのですか?」
「森の聖域だ」
「ほう、森があるんですね」
「小さいけどな」
「その森に案内してくれませんか」
「ああ、かまわねえが……食べ物分けてくれるのか?」
私は慎重に答えた。
「確約はできません。森を見てから考えます」




