第18話 地獄の瘴気
雪の上で伸びているモヒカンたちは、肩で荒い息をつき、誰も立ち上がろうとしない。
さっきまでの威勢はどこへやら、糸が切れた操り人形のように雪の上に倒れ伏している。飢えた体で全力を出した反動が、一気に押し寄せてきたのだろう。
放っておいてもよかったのだが、このままではみんな凍死してしまう。
そこで私は『遠赤外線ルクス』をたくさん浮かべて、雪の上に伸びているモヒカンたちを温めてあげた。
「おおおぉお、あったけえ」
よくやくひと息つけたので、暖を取りながら周りの風景を見渡してみる。
遠くの空に、うっすらと巨大な影が見えた。あの特徴的な双塔のシルエット……あれは、東京都庁だろうか?
だが、片方は上層が大きく崩落し、もう片方も外壁が剥がれ落ちて、むき出しの鉄骨が、助けを求める腕のように虚しく寒空へ伸びている。
ということは、ここは東京・新宿か。
なんだか妙だ。元人間の悪魔たちが地球に来たのだから、普通に考えて、地球を復興しようと思うはずだ。なのに全くといって復興が進んでない。
正直、関わりたくないが、このモヒカンたちから情報を引き出してみよう。
「それで……そちらの方、お名前は?」
手近にいた、眼帯をつけているモヒカンに声をかけてみる。「ああん?」と凄んでくるが、その声には覇気がなく、疲れている様子だ。素直に名前を答えてくれる。
「俺は夏目」
意外にも日本人に馴染みのある名前なので、ちょっと安心する。
「どうも、夏目さん。私はルシエルと申します」
「お前は……天使なのか? 金の輪っかも翼もねえが」
「元人間ですが、天使に転生したのです。あなたも悪魔転生者ですよね?」
「ヘルボーンがそう言ってるが、よくわからねえ」
そこで私はサリーに向き直って言った。
「ヘルボーンって何ですか?」
「地獄生まれの悪魔のことだ。ルシファーが生み出した、魂のない操り人形さ。地獄に堕ちた罪人を苦しめるのが役目だ」
神や天使が存在するのだから、あの地獄の王・ルシファーだってどこかにいるはずだ。
私はうなずいて言った。
「でも夏目さん、自分が悪魔転生者だってわからないんですか?」
「そう言ってんだろ。気付いたらこのクソみてえな世界にいた」
「ええと……旧世界では何をやっていたんですか?」
「だから知らねえつってんだろ! 旧世界のことなんか何も知らねえ」
もしかして前世の記憶がないのか?
この仮説を確かめるために、私は他のモヒカンにも同じ質問をしてみた。
「旧世界のことを覚えていますか?」
「んなもん知るかよ」
私はまたサリーに向き直って言った。
「悪魔転生すると記憶を失うんでしょうか?」
「いや、そんなことはないはずだが……」
だが前世の記憶を失っているとすれば、この荒廃した都市にも辻褄が合う。
本来ならもっと復興して然るべきところ、記憶がないので発展が進まなかったのだ。
「では、いくつか質問に答えてください。そしたらすぐに立ち去りますから」
私は落ち着いて言った。
「まず、ここへ来た時、あなた方は2つの勢力に分かれて喧嘩をする寸前でしたね?」
「おお、そうだ。てめえらが喧嘩の邪魔をしたんだ」
「喧嘩の原因は何ですか?」
「食いモンだ」
改めて確かめるまでもなく、モヒカンたちは痩せこけている。それでもけっこう頑丈だったけれど。
「食べ物が少ない……どうしてですか?」
「冬だからに決まってんだろ。獲物が少ねえんだよ」
「毎年こうなるんですか?」
「今年は特にひでえ。瘴気嵐で、農作物がダメになっちまった」
「瘴気嵐とは?」
サリーが知っているだろうと思って、彼に視線を向ける。
「地獄の瘴気のことだ。死にはしねえが、体力を奪われる。それで地獄に堕ちた罪人は、飢餓で永遠に苦しむ」
そうだったのか。地獄に堕ちなくて良かった。
「その瘴気って、どれくらい広がっているのですか?」
「あ、それなら、飛んで見てみますね」
そう言ってケルビーが空高く飛び上がっていく。だがあまり高度を上げないうちに戻ってきた。
「もっと高く飛びたいのですが、寒すぎます!」
すると私の方に両手を差し出しながら言う。
「ルシエルさんも一緒に来てください。抱っこしますので」
「わかりました」
こういうのは恥ずかしがると逆にかっこわるいのだ。私は堂々とケルビーにお姫様抱っこしてもらう。
「ルシエルさんって軽いですねえ。筋肉ついているんですか?」
……よもやケルビーに筋肉マウントを取られるとは。
始めは腕立て伏せ3回でバテてたくせに。その成長は喜ばしいが、どうしてこんなに差が出るのか本当に解せない。
「へへっ。ルシエルって野郎、女の子に抱っこされてやがるぜ」
ひゅーひゅーと、モヒカンたちが囃し立ててくる。急にこの場が小学校の教室と化したようだ。
「真に強い男は、ちっぽけなプライドに囚われない……エレガントだぜ」
何やら感心しているサリーを横目に、私はため息を吐きながらケルビーに言った。
「さあ飛びましょう」
高度を上げるにつれ、肌を刺すような冷気が襲ってくる。
私は『ルクス』で小さな光球をいくつか生成し、自分たちを囲むように配置した。光球からは目に見えない赤外線が放射され、まるでこたつの中にいるような温もりが体を包む。
「それ、どうやるんですか?」
「『ルクス』の波長を伸ばすんです」
「……波長?」
「今度、ゆっくり教えますよ」
その時、私は息を呑んだ。
赤黒いもやが街全体を呑み込み、無限に広がる暗黒の海のように見える。瘴気の層は厚く、おそらく地上から数十メートルの高さまで立ち込めている。
そして黄金の光が、まるで結界のように瘴気を押し留めている。
その境界線は驚くほど明瞭だ。光の内側は澄んだ空気、外側は赤黒い濁流――どうやら私たちは、この光の聖域に守られているようだ。
だがこの聖域は広くない。小学校の校庭くらいだ。
瘴気は光の境界に向かって、波のように押し寄せ、押し戻され、また押し寄せる。執拗に、まるで中に入れろとせがむように境界を叩き続けている。
「ここは本当に、地球なの……?」
「すっかり地獄に侵食されているようですね」
メタトロンが目を背けるのも納得だ。この闇と混沌に飲み込まれた世界は――神がもう、この世界を見捨てたという証明に思える。
でもそうだとしたら、黄金の光の聖域はどう説明するのだ? 誰がこれを維持している?
「あっちに大きな光のドームが見えますよ」
ケルビーの視線の方向に目を凝らすと、遠く横浜の一帯が巨大な光のドームに包まれているのが見える。
東京にも小さな光の聖域が点在している。だがそれらはせいぜい数百メートル四方――まるで瘴気の海に浮かぶ小舟のように儚げだ。
対して横浜の光は、規模が桁違いだった。半透明の黄金のドームは、街全体を覆い尽くして東京湾の沿岸部にまでまたがっている。
「あそこなら……安全かもしれませんね」
ケルビーが希望を込めた声で言う。
「ええ、とりあえずあそこを目指しましょうか」




