壬生浪士組結成
文久3年(1863年)3月10日。芹沢鴨・近藤勇ら13名が壬生浪士組を結成。同日、斎藤一を含めた11人が入隊して、京都守護職会津藩主松平容保の預りとなる。
「山口…。あ、今は斎藤だったな。」
「近藤さん?どうかしましたか?」
「君には重荷かも知れないが、副長助勤として3番隊の組長を任せたいのだが…。」
「もちろんやりますよ。まだ20歳ですが、この浪士組でやれる事はやりたいです。」
「分かった。では任せるぞ?」
「はい。」
「それから撃剣師範も任せたいのだが…?」
「何ですかそれ?」
「隊で手本となり隊士達に剣術のイロハを教える人間の事だ。私やトシは生憎やる事が沢山あってな。」
「なるほど分かりました。」
「斎藤なら間違いな。」
「あぁ、彼には隊の中心で泥をかぶってもらわねばな。」
「泥?」
「あくせく働いて貰うという意味だ。」
「なるほど。で?これからどうするんだ?」
「先ずは京都市中警護の為、隊士を集める必要がある。口説き文句は三食昼寝付きだ。」
「三食昼寝付き?いいのか?入ってから抜けるのは大変だぞ?」
「三食昼寝付きで給金も出すと言うのだから入隊者も増えるだろう。」
「言っても二束三文の給金じゃねぇか?すぐ辞めちまうんじゃねえか?」
「まぁ、こればかりはやらせてやらせてみてみねば分からない。」
「沖田君、ちょっと良いかね?」
「斎藤さん?どうかしましたか?」
「いやね。近藤さんから撃剣師範を任せたいと言われてね。沖田君も務めると聞いたから何をどうすれば良いのか全く分からなくてね。」
「いやはや、正直僕も分かっていませんよ。」
「え?」
「試衛館にいた頃の感じで良いと思いますよ?」
「なるほど。ありがとう。参考になった。」
と、斎藤一は同じ部隊に沖田がいる事の心強さを感じていた。まだ結成したばかりの壬生浪士組は新選組と言う部隊名は名乗っておらず、知名度もまだまだ低かった。
「違う違う。そうじゃない!こう突くんだ。」
斎藤一は熱心になって、自らの得意技の片手平突きを入隊してきた隊士に教えていた。それを真剣に聞き訓練していたのが、大石、島田ら京都徴募組であった。
「自分より若いのに斎藤さんは大したもんですよ。」
「馬鹿言うな。俺なぞ旗本斬りのおおたわけだぞ?」
「壬生浪士組に入ったのはそのせいですか?」
「まぁ、それもあるが近藤さん達と縁があってな。壬生浪士組に入った。」
「なるほど。」
「大石?お前は何で壬生浪士組に入った?」
「自分の場合、小作農人でして大した稼ぎもなく京都の街に出てきたんですけど、食い扶持が無くてですね。とりあえず壬生浪士組がどんな組織かも知りませんでしたけどね。」
と、大石は率直に話した。




