09.誘拐犯とミィの家族
「おかしなことをして、ミィが傷付いたらどうする気よ。お金がほしいんでしょ」
「ああ、ほしいさ。だが、人質の生死なんか、俺にはどうだっていい。金さえ手に入れば、それで終わりさ」
男に「ミィを無事に帰してやろう」という気はさらさらないようだ。金のことしか頭にない。
「おい、お前。さっきはやられたが、今度はそうはいかねぇからな」
「え? ぼく?」
ミィの話では、ユーラルディもこの男に会っている……はずだが、目の前にしても男のことを思い出せない。そこへ指をさされ、ユーラルディは戸惑った。
やられた、と言っているのだから、ユーラルディが何かしたのだろう。でも、まるで覚えていない。
「二対一で勝てると思ってるの? あたし、魔法を使うわよ」
メルフェとしては、多少でも抑止力になればと思い、魔法使いであることを明かした。魔法が相手では勝ち目が薄い、と男があきらめてくれれば、すぐに事件は解決する。
「へぇ。じゃあ、この場には三人の魔法使いがいるって訳だ」
「三人?」
言われてメルフェは、ユーラルディを見る。
「ユーラルディって、魔法が使えたの?」
「えーと、それもちょっと……」
唯一覚えていたのが、名前だけ。自分が魔法を使えるなんて、ユーラルディは男に言われるまで考えもしなかった。
戸惑ったままのユーラルディを見て、メルフェはふいにミィの話していたことを思い出した。
わーっと白くなる前に、怖い男女を見た、という部分だ。
白く……って、もしかしてあたしがさっき逃げる時にやったようなことを、ユーラルディもしていたのかしら。この男に向けた魔法はわからないけど、ひるませて煙で目隠しをしてからその場を離れようとしたのかも。
メルフェはそんなことを考えたが、今は分析をしている場合ではない。
魔法使いと聞いて少しは男がためらうかと思ったのに、相手も魔法使いだった、なんて予想外だ。
しかも、こちらは習い始めてまだ一年も経っていない。偉そうに言う男の様子からして、きっとメルフェよりは上の腕だ。
「何をしらばっくれてんだよ、お前。今朝、そのガキと一緒にいた奴だろうが。そんなすかした顔の奴、そうそういねぇぞ」
言い方は悪いが「ユーラルディのような美形がそんなたくさんはいない」という意味だ、とメルフェは理解した。やはりユーラルディも、この男に会っていたのは間違いない。
「おら、ガキども。覚悟しなっ」
男が風の刃を向けてきた。本気でミィも道連れにし、目撃者を殺すつもりだ。
メルフェが防御の壁を出したが、あっさり砕ける。
ユーラルディはミィをかばうようにして、木の陰に隠れた。
「メルフェ、ケガは?」
完全な防御ではないが、壁が砕けたことによって風の刃の勢いがそがれ、メルフェに傷は付かなかった。
「あたしは平気」
同じように、メルフェも別の木の後ろへ身を隠す。
「おんやぁ? どうしたんだ、魔法使いさん達よぉ」
「うっわ、腹の立つ言い方」
男の口調に、メルフェが悔しそうに拳を握る。
「おらおら、反撃しないのかよぉ。お前ら、魔法が使えるんだろぉ?」
隠れた木に、何かが当たる音が何度もしている。恐らく、土のつぶてのようなものを当てられているのだろう。顔を出せば、無事ではいられないような土の塊が。
「ガジョット、何やってるのよっ」
突然、別の声が響いた。
「あ? 何だ、パルミーゼ。早かったな」
そっと顔を出して様子をうかがうと、男の後方から若い女がこちらへ走って来た。
ユーラルディは覚えていないが、ガジョットと呼ばれた男と一緒にいた女だ。
「お嬢様には手を出さないって約束じゃない」
「仕方ねぇだろ。あいつらがガキを渡さねぇから、脅してんだよ」
「だからって、そんな攻撃してケガでもしたら」
どうやら、パルミーゼと呼ばれた女の方は、ミィを無事に帰そうという気でいるようだ。誘拐はこの二人の仕業で間違いないようだが、対応の仕方は違うらしい。
「ちょっと、あんた達。早くその子をこっちへよこして。でないと、本当に殺されるわよ」
パルミーゼの要求は親切心も混じっているようだが、言う通りにしてもガジョットは本当に殺すつもりでいるはず。
少なくとも、ユーラルディとメルフェを。誘拐犯の顔を見た目撃者なのだから。
「そっちこそ、いい加減にしてよ。こんな小さな子をさらって、お金を要求して。恥ずかしいと思わないの?」
「金づるを利用して、何が悪い。使えるものを使う。それが、頭のいい奴がすることなんだよ」
「何が頭のいい奴よ。単に腹黒いだけじゃないっ」
「うるせぇっ。さっさとそのガキを渡しやがれっ」
また木の向こうで、ぞっとする音が聞こえる。今度はどういう攻撃をされているのやら。
「ユーラルディ……何か思い出さない?」
身を隠しながら、メルフェは頼りない声でユーラルディを呼ぶ。
メルフェも攻撃魔法は習った。一応。ただ、今その魔法を使っても、あっさり防御されるだろう。
攻撃された時の音を聞けば、自分との力の差はわかる。ずっと同じ木の陰にいたら、この木が倒れないだろうか、と不安にさせるレベルだ。
大勢の魔法使いがここにいれば、ガジョットの腕は下から数えた方が早い。だが、魔法を習って間もないメルフェは、さらにその下だ。まともに戦える相手ではない。
相手が本気で殺そうというつもりなら、なおさらだ。
だとしたら、頼るはユーラルディなのだが……彼は自分が魔法を使えることさえも忘れていた。これでは、一般人と一緒にいるのと同じ。メルフェは、何とか思い出してくれ、と祈るしかできない。
「うーん、そう言われても」
ユーラルディのしゃべり方は、いつも穏やかでのんびりだ。それは、こんな状況でも変わらない。
追い詰められているメルフェとしては、少しは焦ってよっ、と言いたくなる。
「そこまでだ、誘拐犯どもっ」
次の攻撃に身を縮めるしかできないメルフェの耳に、また別の声が響いた。
今度は誰よぉっ。
☆☆☆
ミィことミシュリアには、歳の離れた四人の兄がいる。
長男のベクオードは二十一歳。ミィとは親子でも通せる年の差だ。
やんちゃな弟達ばかりに囲まれていたところへ、はじめてできた妹。両親以上にかわいがっているのでは、と言われる程の兄バカだ。
彼は現在、騎士になったばかりで、王宮に勤めている。
次男のラギアーグと三男のロブエーブは寄宿学校に、四男のコルグーラも来年から兄達と同じ学校に入る予定だ。
彼らもミシュリアをかわいがり、父のレグルドと母のアゼルネも遅くにできたこの娘を溺愛している。
ミシュリアは間違いなく、トライン家の宝物だ。
そんな大切なミシュリアの姿が、朝になると消えていた。
いつもミシュリアの世話をしているメイドが、朝になってベッドの中にいるはずの少女がいないことに気付き、事態が発覚したのだ。
普段は宿舎にいるベクオードがこの日は家に戻っていたので、彼が中心になってミシュリアを捜し回る。
だが、三歳児の行動範囲内に彼女の姿はない。
そもそも、ミシュリアは自分一人でトライン家の敷地から出たことはないし、表も裏も門はしっかりと鍵がかけられていた。出て行けるはずがないのだ。
子どもなら入れそうな抜け穴の類がないかもチェックしたが、それらしいものはどこにもない。
ベッドのそばには、先端にふわふわの毛玉が付いた白いスリッパが残されていた。靴は全て残っており、現在のミシュリアは裸足だということ。
そうなると、賊がミシュリアを抱いて連れ去ったのでは、という推測がなされる。
アゼルネはその可能性を聞いて、倒れてしまった。レグルドもいつ倒れてもおかしくない、という顔色だ。
ここは自分がしっかりしなければ、とベクオードは己に言い聞かせる。両親と同じようにショックを受けていては、大切な妹を捜し出すことはできない。
トライン家専属の警備兵に屋敷周辺を厳重に警備するように言い付け、ベクオードはもう一度妹の部屋へ入った。
「兄さん、俺も手伝うよ」
四男のコルグーラが入って来た。
両親は落ち込んで動けなくなり、他の兄二人は不在。長兄を助けられるのは自分だけだ、とコルグーラも必死だった。一回り近く歳が離れた妹が心配でならないのは、両親や兄と同じ。
「ああ、頼むよ」
子どもの部屋らしく、棚にはかわいらしい人形やぬいぐるみが並ぶ。ベッドやソファには、淡いピンク色のシーツやカバーがかけられ、同じような色合いのクッションが置かれていた。
そのベッドには、ミシュリアのお気に入りである白いうさぎのぬいぐるみが、さみしそうにぽつんと残されている。
「まさか早朝からかくれんぼなんて、してないよな?」
ベクオードがこの実家を出たのは、半年前。たまに帰って来ているが、自分がいなくなってから妹がどんな遊びをするようになったか、なんて把握できていない。
「んー、どうかなぁ。だいたい、かくれんぼなんて一人じゃできないよ」
「起こしに来るメイドをびっくりさせようと思った、といったことはないか」
小さな子どもは、何をしでかすかわからない。今までしなかった、できなかったことを突然したりする。
そのあたりは弟達を見てきて、ベクオードにも想像できた。
そんなベクオードが目を付けたのは、タンスだ。
いないと聞いて、誰もが部屋の中や屋敷の外などは捜したが、衣装タンスの中は確認していない。
子ども用の服を入れるにはいささか大きく、ミシュリアくらいの子どもなら入って隠れることができる。
ここに隠れてそのまま寝てしまっていた、ということであれば、どれだけいいだろう。どうしてこんな所に、と両親は怒るかも知れないが、後になれば笑い話になるはず。
祈るような気持ちで、ベクオードはタンスの扉を開けたが……服以外の物は何もなかった。
「そんなにうまくはいかない、か」