08.もう一度森へ
狭い路地へ逃げ込み、メルフェは大きく息を吐いた。ユーラルディの息は、特に乱れていない。
あの大騒ぎに関わらず、ミィはまだぐっすりだ。将来、大物になりそうである。
「こんなことになるなんて……。お尋ね者になったら、師匠の所へ戻れないわ」
「困ったね。まさかぼく達が疑われるなんて、考えもしなかった」
迷子を送り届けに来た、というだけのつもりなのに。
「さっきの所が本当にミィの家なら、ミィが起きてから一人で帰るようにさせるしかないかなぁ」
一緒に行けば、またさっきみたいに囲まれてしまう。穏便に済ませるなら、ミィだけが帰れば問題はなさそうだが。
「ダメよ、そんなの」
意外にも、メルフェが反対した。
「どうして? ミィが戻れば、家の人達も安心するよ」
「それは確かにね。だけど、あたし達が誘拐犯だ、という濡れ衣を着せられたままよ。ユーラルディはどこに住んでいるかわからないけど、今のあたしはこの街に住んでるの。さっきの人達に顔も見られてるし、このままだとすぐに捕まってしまうわ」
自分達が誘拐したのではない、と言ったところで「それなら、なぜ逃げた」と問い詰められるだけ。
証人であるミィが「違う」と言っても、子どもの言うことは聞いてもらえないだろう。お菓子かおもちゃで手なづけたのでは、と疑われるのがオチ。
「これが本当に誘拐なら、誘拐した真犯人がいる訳でしょ。そいつを捕まえないと、あたし達は一生お尋ね者になるわ」
何だか、話が大きくなってきた。
しかし、メルフェの意見ももっともだ。このままでは、ユーラルディも自分の記憶を取り戻す行動に制限がかかってしまう。
「だけど、どうやって本当の誘拐犯を捜せばいいのかな。ミィは今まで、誰かに連れて来られてって話はしたことがないよ」
「そうね。ユーラルディが記憶をなくす前はともかく、なくしてからはあたしがほぼ一緒にいるはずだけど……そういう話は聞けてないわ」
意気込んだものの、ユーラルディの言葉にメルフェは考え込む。
「あ」
思い付いたように、メルフェが顔を上げた。同時に、ユーラルディも思い出す。
「こわいおじちゃんと、おばちゃん」
言葉がかぶる。それは、ミィが証言した数少ないうちの一つだ。
「ぼくは覚えていないから、転ぶ前のことだね」
未だに何も思い出せないのがもどかしいが、ミィがあれだけはっきり言ったのだ。実際にユーラルディ達は、そういう人物と森の中で出会ったのだろう。
「その二人が誘拐犯じゃないかしら。さらった方法はともかく、ミィを森へ連れて行ったけど逃がしたのよ。そこへユーラルディが来て、迷子だと思って連れて行って」
その人物が誘拐犯として、ミィがいなくなったことに焦っただろう。
その間にユーラルディは一度キュイザの村へ行ってミィのことを聞き回り、メルフェに会った。
森に親がいるのではないかと言われてユーラルディは森へ戻り、そこでその二人組と鉢合わせた……と考えられる。
「ユーラルディの記憶がないのは、その二人に何かされたんじゃない?」
「どうだろう。だけど、もしそうなら、ぼくが意識を失っている間にミィを連れて行けたはずだよ。でも、ミィはそこにいて、ぼくを起こしてくれたんだ。その二人は、近くにいなかったし」
「そっか。ユーラルディの記憶に関しては、その二人の仕業ではなさそうね」
他に糸口がないので、その件については保留にしておく。
「ねぇ、ユーラルディ。もう一度、ティコリの森へ戻ってみない?」
「まだその二人が、ぼく達を捜しているかも知れないってこと?」
「どういう状況だったか、全く想像できないんだけどね。少なくとも、ユーラルディもその二人と遭遇していて、だけど逃げ切ってる訳でしょ。だったら、二人組はまだユーラルディが近くにいるかもって思って、周辺をうろうろしてるかもよ。本人に直接会わなくても、何か手がかりになる物を見付けられるかも」
トライン家からさらわれたのが本当にこのミィなら、さっきの男達は必死になってユーラルディ達を捜そうとするはず。少なくとも、街にいたらいつかは捕まってしまう。
さっきも投降しろと言われたが、捕まれば最悪だと裁判もなしに縛り首、なんてこともありそうな……。
「そうだね。家に帰れなくてミィには悪いけど、もう少し付き合ってもらおう」
意見が一致し、ユーラルディ達はまたティコリの森へと向かった。
☆☆☆
「どこいくの?」
ティコリの森へ向かう途中で、ミィが目を覚ました。
街ではない場所を歩いていると気付き、まだ半分寝ているような顔で尋ねる。
「ぼくがミィと会った森だよ」
また森へ行くと聞き、ミィは不思議そうな顔をした。
「さっき、ミィのおうちじゃないかなって所へ行ったんだけどね。えーと……」
さらわれた、なんて言葉をこんな小さな子に言ってもいいものだろうか。
「ミィが本当にそのおうちの子なのか、わからなくなったの。森へ行けば、もうちょっとミィのことがわかるかも知れないから。もう一度行ってみようって決めたのよ」
メルフェが子どもによくなさそうな言葉をよけて、説明する。ユーラルディがそっと見ると、メルフェはウインクした。
「ふぅん」
わかっているのか、いないのか。それでもミィはうなずいた。
ユーラルディは最初にミィと出会った場所を覚えていないので、ミィに起こされた場所へ向かう。石を踏んで転んだ所だ。
「ミィは、怖いおじちゃんとおばちゃんに会ったって言ってたでしょ。それ、どこだったかわかる?」
「んー……」
メルフェに聞かれ、ミィは首をひねる。
「ミィが街の子なら、無理じゃないかな。村の子なら、森へも来慣れているだろうけれどね。木や草のある所、くらいの認識だと思うよ」
余程特徴的な場所ならともかく、どこも代わり映えしない森の中。ここを仕事場にしている人間でもなければ、この場所がどうこうで、とは言えないだろう。
ユーラルディは記憶こそ失っているものの、これまでにこの辺りを何度か散歩しているので身体が覚えているらしい。特に迷うことなく、転んだ場所へと戻って来ていた。
「この辺りでミィに起こされたんだ。その時には、自分の名前以外は何も覚えていなくて」
自分のことが何もわからない、というのは、精神的に重くのしかかってくる。今はそばにミィやメルフェがいるので、気が紛れてありがたい。
「その怪しい男女がミィを連れて行かなかったってことは、ユーラルディ達はかなりうまくその二人から逃げられたってことよね。何とか道をたどれないかしら」
本当はユーラルディが風で二人を飛ばし、その間にもう少し離れた場所へ逃げる、という算段だったのだが……。
結果としては、そんなに歩かないうちにユーラルディは転んだ。
なので、メルフェが魔法で来た道をたどろうとしても、あまり成果はないだろう。
だが、そんな魔法を使う間はなかった。
「へっ、まだこの辺りをうろついてやがったか」
暗い茶色の髪をざっくり束ねた、細身の男が現れたのだ。
目の下に濃いクマがあるせいか、元々の作りか。ひどく目つきが悪い。
ミィが話していた女は、どうやら近くにいないようだ。
メルフェは、この男を見掛けたことはなかった。ユーラルディは記憶を失う前に会っているが、今は覚えていない。
なので、どちらも初対面状態だ。
ミィだけが男の顔を覚えていて、大きな声を出していたことを思い出したのか、ユーラルディにしがみついた。
どういう素性かはともかく、ミィの様子と男の言葉で、相手が少なくとも「いい人ではない」ということだけはわかる。
「ミィ、あの人が怖いおじちゃんかな」
「うん……」
ユーラルディがこっそり尋ねると、ミィは小さくうなずいた。
「おら、さっさとそいつをこっちへ返せっ」
その怒鳴り声に、ミィが小さく震える。
「怒鳴らないで。大きな声を出さなくても、ちゃんと聞こえるわ。あなたがこの子をさらったの?」
「それがどうした」
隠すつもりもないのか、男はあっさり認めた。開き直りの態度に、メルフェはあきれる。
「どこからさらって来たのよ」
「トライン家に決まってるだろ。ったく、これくらいのガキなら、どうとでもなると思ったのによ。いつの間にか逃げ出しやがって」
やはり、ミィはトライン家の娘だったのだ。
ユーラルディ達が囲まれて捕まりそうになったのも、この男のせい。ミィがこの森で見付かったのも、この男がここへ連れて来たからだ。
「どうしてそんなことするのよっ。こんな小さな子を捕まえるなんて」
いけしゃあしゃあと言われ、かちんときたメルフェが語気を強める。
「金がほしいからに決まってんだろ。お貴族様なら、たっぷり持ってるだろうからな。そんなこともわからないたぁ、バカか、お前」
「何ですってぇっ」
確かに、誘拐の理由は金、というのがほとんどだろう。だからと言って、こんな言葉を向けられるいわれはない。
「バカなのは、あんたじゃない。そんなぺらぺらしゃべって」
男はこちらが全部知っている上で聞いた、と思っているのだろうか。どこからさらったかを聞いて、あっさりと家の名前を出した。
こちらにすれば、ミィの素性がわかってありがたいが、あまりにも迂闊だ。
「だから、お前はバカだって言ってんだよ。顔を見られて、そのまま帰すと思ってんのか」
「なっ……」
こちらを見据える男の様子が変わった。人殺しでもやりかねない形相だ。