07.やっぱりお嬢様
メルフェでも名前くらいは知っている、仕立屋の前まで来た。
富豪に見初められでもしない限り、まず来ることのない場所だ。
上品そうな、つまり高そうなドレスが店先のショーケースに展示されている。でも、価格は表示されていない。
お金持ちって、お金のことを気にせずに買い物できるのよねぇ。
こういう店なら何か情報が……と自分で推測したものの、メルフェは来慣れない店の前で、入るのに少しちゅうちょしていた。
「どうかした?」
戸惑っている様子のメルフェに、ユーラルディが声をかけた。
「え? あ、ううん。何でもないの」
自分が服を買う訳ではない。尋ねたいことがあるだけ。答えを聞いたら、さっさと出ればいいのだ。
メルフェは気を取り直し、店の扉を開けた。
「いらっしゃいませ」
白髪をオールバックにし、グレーの背広を着こなした初老の男性が奥から現れる。店長だろうか。
穏やかな笑みを浮かべていたが、入って来たのが年若い男女だとわかると、やや怪訝な表情になった。
彼らくらいの収入では買えない服を扱っているのに、間違って入って来たのだろうか、といったところか。
「あの、お聞きしたいことがありまして」
「はい、どういったことでございましょう」
特に裕福そうには見えない、いわゆる庶民的な服を着ている年若い女性。だが、その見掛けによらず、お金を持っていたら……という意識が働いたのか。店長は丁寧な態度を崩さない。
「迷子がいるんですが、三歳くらいの女の子がいそうなおうちに心当たりはありませんか。この子なんですが」
「迷子? それでしたら、役所へ行かれては」
「ええ、保護者の方が見付からなかったら、そうするつもりです。その前に、ご存じの方がないかと思って。着ているものが高そうなので、こういったお店をひいきにされている方のお嬢さんにいらっしゃらないかと」
「この子です。名前はミィっていうんですが」
ユーラルディが、店主にミィの顔を見せる。そのミィは、ユーラルディの腕の中でぐっすりだ。
「ん? その子は……」
「ご存じなんですか」
初めて手応えのありそうな感触に、メルフェは思わず身を乗り出す。
「トライン家のお嬢様に似てらっしゃるような」
「そこのお嬢様の名前って、ご存じですか?」
「確か……ミシュリア様、だったと思います」
ミシュリアなら、周囲の人間がどう読んでいるかはともかく、本人はまだちゃんと言えなくて「ミィ」となった、という可能性は高い。
本当なら、すぐにでもミィに確認を取りたいが……まだ目を覚ます気配はなさそうだ。
しかし、今までで一番有益な情報が得られた。
ユーラルディとメルフェは顔を見合わせ、うなずく。
「あの、トライン家の方達は、どこか旅行される予定とかは」
聞かれた店主は、困った表情を浮かべた。
「さぁ。さすがにそこまでのことは、こちらではわかりかねます」
本当に知らない、ということもありえる。ただ、顧客の予定を見知らぬ人間にぺらぺらしゃべるようなことは、こういった店の人間はしないだろう。店の信用に関わるから。
「そ、そうですよね。でも、助かりました。ありがとうございます」
メルフェは深々とおじぎをしながら、店主に礼を言った。ユーラルディも礼を言い、店の外へ出る。
「ああいうお店で何々家って言うくらいだから、きっとお金持ちよね。やっぱり、ミィはいいおうちの子だったんだわ」
「まだその家だと決まった訳じゃないよ」
「だけど、可能性はかなり高いじゃない。家の場所は聞いたから、早くそちらへ向かいましょ」
眠ったミィを抱いたまま、ユーラルディはメルフェの後を歩いた。
教えられた住所へ向かうと、立派な門構えの家が見えてくる。白い壁が美しい、大きな屋敷だ。
「村にあった家三、四軒を一つにしたみたいだね」
「あんまり村の家と比べてほしくないけど……確かにそれくらいはありそう。たぶん、もっと大きいわね。こういうのを、お屋敷って言うんだろうなぁ」
少し離れた場所でもそう思うのだ、近くへ行けばその大きさにさらに圧倒されるだろう。
「門の近く、人がうろうろしているね」
簡素だが皮の鎧のような物を身に着けた男性が十人近く、トライン家の周囲をうろうろしている。みんな、大きくがっしりした体格だ。
「何かあったのかしら。……って、ミィがあの家の子なら、いなくなって騒ぎになってるんじゃないのっ? だとしたら、大変だわ」
こんな小さなお嬢様がいなくなったのだ。当然、家族は大騒ぎだろう。
普通の家の子でも、いなくなれば騒ぎになる。まして、お金持ちの家庭だ、事情も村の家庭よりずっと複雑になってくるだろう。
賊の仕業ということも考え、何かあった時のために屈強な人員を集めたのかも知れない。
急いでミィを帰らせてあげなくては、とメルフェが思った直後。
門のそばにいた男性の一人が、こちらに気付いた。
「おい、あれはっ」
その言葉に、他の男性達もユーラルディ達の方を向く。その姿を確認した途端、あっという間にユーラルディとメルフェは囲まれてしまった。
「お前達か、ミシュリア様を誘拐したのは」
「ゆっ、誘拐っ?」
聞き返したメルフェの声が、ひっくり返った。
「ちっ、違います。あたし達はミィがティコリの森で迷子になっていたから、この子のおうちを今まで探していたんです」
「森だと? そんな小さな子が、どうして屋敷から森へ行けると言うんだ」
「知らないわよ、そんなこと。……え、屋敷から?」
メルフェは、森の近くのどこかでミィが抜け出し、ユーラルディに見付けられたと思っていた。
だが、元々ミィは屋敷にいた、というのなら、森で迷子になっていたのはおかしい。ここから森まで、ミィのような子どもが行けるとは思えなかった。
「ユーラルディ、まさかあなた……」
実は、ユーラルディがミィを屋敷から連れ出した。
そんな可能性が、再びメルフェの頭をよぎる。
もしかして、誘拐されたのでは、と一度は推測していたが、ここにきて急にその推測が真実味を増した。
前に聞いた時は、話があやふやなままで終わってしまったし、ちゃんと話せたとしても彼の証言をどこまで信じていいのやら。
今はこうして一緒に行動しているが、今日会ったばかりの相手なのだ。
「ぼくは連れ出してないよ、たぶん」
メルフェの言いたいことがわかり、ユーラルディは一応の否定をした。
「ぼくの記憶がなくなる前にも、メルフェに会ってミィのことを聞いていたんだよね? ぼくが誘拐したなら、わざわざそんなことを聞いたりしないよ」
「あ、そっか。そうよね」
確かに、メルフェはユーラルディに二度会っている。一度目は記憶がなくなったようには見えなかったし、誘拐犯が「どこの子か知らない?」と尋ねに来ることはないはず。
普通の犯人は、どこそこの家の子、と把握した上で誘拐するだろうから。
「ご、ごめんね、ユーラルディ。一瞬、疑っちゃった」
「気にしないで。ぼくの素性がわからないから、疑われても仕方がないよ」
しかも、記憶がない、という確かめようのないことを言っている。きっと、ユーラルディがメルフェの立場でも、怪しいと思う部分がいくらでも出るだろう。
むしろユーラルディとしては、ここまで一緒にいてくれたメルフェに感謝だ。
「どういうつもりか知らんが、さっさとミシュリア様を解放して投降しろ」
記憶のないユーラルディは、自分がミィに何をしたのか覚えていない。だが、自分がミィに危害を加えようとした、とは思えなかった。
メルフェにいたっては、ふたりのことが気になるから一緒にいただけ。完全なとばっちりだ。
どちらも「投降」しなければならない理由はない。
「何だか、話を聞いてもらえそうな雰囲気じゃないわね」
男性達が持っているのが剣ではなく長い棒なのは、こちらにミィがいるからだろう。剣を抜いて、もしケガをさせたら大変だから。
しかし、こちらが少しでも抵抗しようものなら、打ち据えられてしまう。
「ユーラルディ、ここは一旦逃げましょう」
何を言っても、ちゃんと取り合ってもらえない。このまま素直に「投降」したら、そのまま牢屋行きになりそうだ。
その後、ちゃんと出してもらえるかの保証もない。
メルフェは魔法使いの師匠が何とかしてくれるかも知れないが、ユーラルディは何とかしてくれる存在がいるかどうかすらもわからないのだ。
「その方がよさそうだね。だけど、どうやって?」
武器を持つ屈強な男達と、丸腰の少年少女。簡単に逃げられる状態ではない。
「あたしが何とかするわ。うまくいきますように」
メルフェが呪文を唱える。すると、周囲に煙が充満し始めた。白い煙がお互いの姿を隠してしまう。
あれ? この状況によく似た光景、どこかで見たような……。
ユーラルディの頭の中に、一瞬だけ白い景色が浮かぶ。
その光景を掘り下げようとしたが、メルフェの声でかき消された。
「今のうちよ。こっち」
メルフェはユーラルディの腕を掴むと、走り出した。
取り囲まれていたので、逃げる時に誰かと当たったが、あちらも慌てていたせいか、捕まることは何とか免れる。
「くそ、どこへ行ったっ」
そんな声を後ろに聞きながら、ユーラルディ達はとにかくその場を離れた。