03.たぶん、親じゃない
「おはよう。かわいいお嬢さんね」
「おはよーござます」
ミィが挨拶をし、少女はまた「かわいい」とつぶやく。
「あなたの妹……って感じでもないわね」
少女の頬がうっすらと赤いのは、目の前にいる少年の顔がよすぎるせいだろう。
「うん。さっき、森の中で見付けたんだ。この村の子かと思ったんだけど、違うみたいだね」
「こんなにかわいい子、いないわよ。あ、子ども達はみんな、それぞれかわいいけど」
竜のユーラルディが「かわいい」と思うくらいなので、ミィは人間の中でも「かなりかわいい子」の部類に入るようだ。
「この村の子じゃないなら、困ったな。どこから来たんだろう」
「オルジアの街の子じゃないかしら。この子……あ、名前はなんていうの?」
「ミィ」
「ぼくはユーラルディ」
少女はミィの名前を聞いたのだが、ユーラルディも同じように答える。
「あたしはメルフェ。ミィが着ているのって、ネグリジェでしょ。それも、素材や仕立てがかなりいいみたいだし、街の多少なりともお金持ちの娘じゃないかしら」
「ネグリジェ? これ、ネグリジェって言うの?」
今はどうでもいいようなことに、ユーラルディが引っ掛かる。
「た、たぶん……。ドレスじゃないと思うし」
そこ? と思う部分を聞かれ、メルフェは戸惑いながらうなずいた。改めて聞かれると、自信がなくなる。
「こんなネグリジェで、街から森の中へ来るかなぁ。ミィのような子が簡単に来られる距離じゃないよね?」
「それはそうだけど……。あ、もしかして、どこかの貴族が避暑地へ向かう途中で、ミィだけが夜中か明け方に抜け出して来た、とかじゃないかしら」
「避暑地?」
「夏の間、涼しい自然の中で過ごしたりするのよ。庶民のあたし達にはできないことだけどね」
どういう状況かはともかく、森の近くで停泊していた金持ちの娘が、興味本位に外へ出て戻れなくなってしまった……ということかも知れない。
「だとしたら、もう一度森へ戻った方がいいのかな。ミィを見付けた時、親らしい人影はなかったんだけど」
「まだ眠っていて、気付いてなかったのかもよ。今頃、捜しているかも」
ゼスディアスが言っていたように「今頃、血眼になって」という状態になっている可能性が出て来た。
「森へ行ってみるよ。ありがとう、メルフェ」
「どういたしまして。……あ、待って、ユーラルディ。裸足のようだけど、ミィの靴はあるの?」
「いや、見付けた時から裸足なんだ」
「あ、もしかして、それでずっと抱っこしてるの? 疲れるでしょ。ちょっと待ってて」
そう言うと、メルフェはどこかへ走って行く。
ミィは軽いから、別に疲れないけどなぁ。
細身の外見でも、竜の腕力は人間のそれとは桁違いだ。このままの状態で三日を過ぎても、ほとんど疲れることはない。
ユーラルディがそんなことを考えていると、すぐにメルフェが戻って来た。
「これ、あたしの弟がはいてたサンダル。捨てそびれてた物なんだけど、まだ使えると思うわ。ミィの靴が見付かるまで、よければ使って」
メルフェが差し出したのは、古びた布製のサンダルだった。汚れてはいるが、確かにまだ使えそうだ。
「ありがとう。助かるよ」
メルフェはぬれた布も持っていて、それでミィの汚れた足をささっと拭いてくれた。
地面に置かれたサンダルの上に、ユーラルディはミィをそっとおろす。ミィには少し大きいようだ。
それを見たメルフェは、小さな声で呪文を唱える。すると、サンダルが小さくなって、ミィの足にぴったりなサイズになった。
「メルフェは魔法使いなんだね」
「まだ習い始めてから日が浅いの。オルジアの街にいるデイクって魔法使いに師事してるんだけど」
母の具合が悪いと聞いて、一時的に村へ帰っていたのだと言う。その母の具合もよくなったので、準備ができたら今日のうちにオルジアの街へ戻る予定だ。
「じゃあ、もう一度森へ行ってみるよ。色々ありがとう、メルフェ」
「どういたしまして。気を付けてね」
ユーラルディはミィの手を引いて行こうとしたが、子どもの足に合わせると時間がかかると思い直し、またミィを抱き上げてキュイザの村を後にした。
☆☆☆
ユーラルディは、森の中のミィと会った場所まで戻って来た。
「やっぱり、それらしい人はいないなぁ」
見回しても、ミィを捜している人影はない。
ミィがいなくなったことに、まだ気付いていないのか。すでにこの辺りは捜し終え、今は別の所を捜しているのか。
魔法で確実に人間の気配を捜した方がいいかなぁ。
ユーラルディは竜なので、魔法を使える。目の前で魔法を使ったメルフェには言わなかったが、腕は彼女よりもものすごーく上だ。
精神を集中させれば人間の気配を感じ取ることはできるが、確実性を求めるなら魔法の方がいい。
「ミィ、どこから来たか、全然覚えてない?」
ユーラルディは魔法を使う前に、もう一度本人に確認してみる。
「んー……おみずがたくさんあったよ。すっごくおっきなみずたまり」
「水? あ、この先にある湖かな」
ティコリの森には、小さな湖がある。ミィの言う水たまりは、恐らくそれのことだろう。
ミィが歩いて来た方には湖があるので、少なくともその近くにいたのだ。
「じゃあ、そっちを中心に探ってみようかな」
いるかも知れない、という方向を中心に探れば、見付かりやすいはずだ。
「あれ?」
魔法を使おうとしたユーラルディは、ふいに気配を感じた。人間の気配だ。通常の状態でも気配を感じ取れる距離に、誰かが近付いて来たのだろう。
ミィの関係者、かな。やっぱり迷子だった、とか。だとしたら、捨て子じゃなくてよかったってことだよね。
ユーラルディは、人間の気配を感じる方へ歩き出した。
少しでも早く、親なり保護者なりのそばへ行けた方がいいだろうと考え、ユーラルディはミィを抱っこしたまま。メルフェがせっかくサンダルをくれたが、今のところ全然使われないままだ。
あれは……違う、かな。
少し歩いた所で、ユーラルディの目に二つの人影が映った。男女のようだ。人間の視力ではまだユーラルディの姿を捉えられない距離なので、こちらには気付いていない。
今いる場所から見る限り、男は三十代になるかならないか、くらい。肩より長く暗い茶色の髪をざっくり束ね、髪色と似たような瞳をせわしくなく周囲へ向けている。細身で、目の下にクマがあった。
女の方は、二十代半ばだろう。明るい茶色の髪を、頭の高い位置にまとめている。茶色の瞳で、やはり男と同じようにきょろきょろと何かを捜している様子だ。
その二人を見ていると「もしかしてミィを捜しているのでは」とも思われる。
だが、その容姿からして、親ではない。ミィの明るい金の髪とすみれ色の瞳は、彼らとは似ても似つかなかった。
あ、メルフェが「ミィはお金持ちの子じゃないか」って言ってた。ってことは、あの二人は使用人かも。うん、それなら似てなくても当然だよね。
ユーラルディは自分で疑い、自分で納得した。
やがて、彼らの目にもユーラルディの姿が見えたようだ。こちらへ向かって走って来る。
彼らにユーラルディの抱っこしているミィがしっかり見えているのか、不明だ。陽が上ったとは言え、森の中は薄暗い。人間の目でどこまでわかるのか、ユーラルディには判断できなかった。
「いたわっ」
「やっと見付けたぞ。お前、誰だっ」
近付くと、男の顔色の悪さがさらにはっきり見えた。子どもが行方不明になったことで精神的な異変をきたした……という訳ではなさそうだ。
男からは、かすかに酒の臭いがする。昨夜から飲んでいた、というより、普段から飲んでいるので身体に染みついている、というタイプの臭いだ。クマはたぶん、そのせいだろう。
あまりきれいとは言えない生成りのシャツを、無造作に着ている。ざっくりまとめられた髪は、いつくしを入れたのかわからない。無精ひげが生え、自分の見た目に無頓着だと思われる。
この風貌からして、ミィの親であることはもちろん、使用人という線も怪しくなってきた。
竜のユーラルディだって、こんな身なりの人間を使用人として雇う気にはなれない。
女の方は、紺のシンプルなワンピースを着ている。大きな襟は白。ユーラルディには素材が何かわからないが、動きやすそうに見えた。
やや乱れてはいるものの、髪はまとめられている。彼女の方は、使用人と言っても通るだろう。
どちらも、ミィの顔を見て「ようやく発見した」という趣旨の言葉を口にしたので、ミィを捜していたには違いない。
しかし、ユーラルディは彼らの態度に不審感しか抱けなかった。
相手が少年とは言え、知らない男が小さな女の子を捕捉した状態なのだから、疑わしい目を向けられるのは仕方がない。
だが、ほんの一瞬でも「見付かってよかった」という感情が、この二人に全く見えなかったのだ。
むしろ、男の「見付けた」という言葉は、逃した獲物を見付けた、という意味に聞こえる。
ぼくの思い過ごし、かなぁ。でも、この二人からいい気はあまり感じられないし。
ユーラルディは、ミィの顔をちらりと見た。
ミィは目の前に現れた二人を見ているが、知った顔に会った、という表情ではない。これなら、ゼスディアスを見た時の方がずっと集中していたし、強い興味を持っていた。
「ミィ、知ってる人?」