02.捨て子じゃなくて
ぼくが……この子を育てる? でも、人間どころか、獣も育てたことはないからなぁ。それに、ここで人間を育ててもいいのかわからないし。
人間の子どもが犬やねこの子を拾って、これからどうしようか、と悩んでいる図に似ている。竜でも、経験のないことについてはそれなりに悩むのだ。
「ユーラルディ。お前、何を連れてるんだ」
声をかけられたかと思うと、急にユーラルディの視界が暗くなった。
上を見ると、黒い竜の顔がユーラルディとミィを見下ろしている。
「あ、ゼスディアス。おはよう」
声をかけてきたのは、仲間の竜ゼスディアスだ。
ユーラルディと歳が近く、人間で言うところの幼なじみである。
竜に戻った時のユーラルディと同じく、黒い身体に深い茶の瞳。サイズは、少し年上のゼスディアスの方が大きい。
そんな竜に見下ろされ、ミィはびっくりした顔をしている。紫の瞳がまん丸になっているが、怖がって泣き出す様子はなかった。
ミィが驚かないよう、人間の姿のままでいたユーラルディ。そこへ現れた、巨大な身体の竜。
ユーラルディは竜の姿のゼスディアスを見慣れているので何も思わないが、ミィが怖がらないでいることに気付いていなかった。
この辺り、のんびり……のんびりすぎる性格が出ている。
「おはよう、じゃないだろ。お前、それ……人間の子どもじゃないのか」
「うん、そうみたい」
のんきなユーラルディの返答に、ゼスディアスはあきれた。
「そうみたいって、あのなぁ。どうするつもりだよ、こんな所へ連れて来て。まさか、こっそり育てよう、なんて思ってないよな?」
竜達によって、ミィは完全に捨てねこ扱いだ。
「それは……できない、よねぇ?」
するかどうかはまだ決めていないが、こうして仲間に見付かったとなれば少なくとも「こっそり……」は無理なようだ。
「竜の世界で人間が育つ……かどうかは知らないけどな。まず、食料とかが困るだろ」
竜の世界にいる竜達は、自然の大気に充満している気を栄養として摂り入れている。だが、人間にそんな食事の仕方はできない。
この世界のあちこちには、何かしらの果実をつけている木があるが、それが人間に何の影響もなく食べられるのか。誰も試したことがないので、わからない。
「にぃに。あれ、なに?」
ミィがゼスディアスを指差す。
「竜だよ。ぼくの友達のゼスディアス」
「な、何って……竜に向かって『あれ』扱いかよ」
過去に本物を見たことがなくても、だいたいの人間は「竜」を見れば「竜だ」と認識できるはずだが……。幼い子どもに、それは通じなかったようだ。
その辺りのことがわかっていても「あれ」扱いされたゼスディアスは、むすっとなる。
「まだ小さいからね。そう言えば、ミィはいくつ?」
「んと、みっつ」
小さく細い指を、たどたどしく三本立てるミィ。やはり、見た目から推測した通りの年齢だった。
「三歳なら、竜って言われてもまだわからないんじゃない?」
ゼスディアスは小さくため息をつく。
「もう、その話はいいよ。で、どうするつもりなんだ。この子の親は?」
「ミィを見付けた場所を見回しても、それらしい人間がいなかったんだ。この子一人で歩いててさ。もしかしたら置き去りにされたのかもって。こんな小さいのに、そのまま森の中に放っておけないし」
「で、拾って来た、と。ユーラルディ、その子が間違いなく捨て子だって、ちゃんと確認したのか」
「どうすれば、捨て子って確認できるかなぁ」
のほほんとした口調で言われ、ゼスディアスは詰まる。
「それは……俺もわからないけど。でも、その場を見回しただけなんだろ? もう少し離れた所で、親が必死に捜してるってことだってあるぞ。人間は気配を探れる奴が少ないし、見当違いの方へ行ってたかも知れないだろ」
ゼスディアスにそう言われると、ユーラルディも「そうかも」と思い始める。
確かに、周囲をざっと見回しただけ。その時に人間の気配は近くに感じなかったので、ユーラルディは保護するつもりでミィを連れてきた。
しかし、もう少し離れた場所で親が捜していた、ということはありえる。ミィが来た方へ行き、ちゃんと確認するべきだった。
「人間の中には、貧乏で子どもを育てられないからって捨てる親がいるらしい。でも、その子はどう見ても、貧乏な子って感じじゃないぞ。肌つやもいいし、着ている服も汚れていないようだしな」
「そうだね。この白い服、汚れているのは裾の一部だけみたい。歩いている間に付いたのかな。これ、ドレスとかじゃないよね?」
「お、俺に聞くなよ」
ユーラルディの言葉に、ゼスディアスが少しうろたえる。ユーラルディと同じく、ゼスディアスも人間の服装には詳しくないのだ。
ここに女性の竜がいれば、少しはわかったかも知れない。
「ミィはこの格好で寝ていたらしいんだ」
「こんな服でか? あ、聞いたことあるぞ。人間ってのは、寝る時専用の服があるらしい」
「え、寝る時専用? わざわざそんな服に着替えるってこと?」
「人間ってのは、理解に苦しむことをするからなぁ。……このちびすけ、さっきからずっと俺を見てるんだけど」
竜達が会話する間、ミィはゼスディアスをずっとじっと見ている。
「ぼく達の姿って、人間にとってはやっぱり珍しいだろうしね」
「わからないではないけど、凝視されるのも居心地が悪いと言うか」
「ミィは攻撃とかしないから、気にしなくて大丈夫だよ」
「できたらすげぇよっ」
少し話がそれた。
ゼスディアスが咳払いし、本題に戻す。
「とにかく、もう一度この子がいた周辺へ行って来い。捨て子じゃなく、迷子だったりしたら、今頃親が血眼になって娘を捜してるぞ」
「あ、迷子か。それは考えなかったな」
「どうして選択肢に入れないんだよ」
親がいないというだけで、短絡的に「捨て子」と思ってしまった。竜でも、慣れない状況には判断を誤ってしまう。
いや、ユーラルディの場合は、考えがちょっと足りなかった、というべきか。
「そうだね。ちゃんと捜してみるよ」
行きかけて、ユーラルディはゼスディアスの方を見た。
「もし、本当に捨て子だったら、どうしたらいいかな」
知らねぇよ、と言いたいところだが、こうしてほんの少しでも関わってしまっては、ゼスディアスもそっぽを向きづらい。
「んー、やるだけやってわからなかったら、近くの村か街の役所にでも預ければどうだ? お前の子じゃないのかってことは、今のユーラルディの姿なら……まぁ、疑われることもないだろ」
黒髪に茶色の瞳。金髪に紫の瞳。顔も全く似ていない。年齢も若い(と思われるはず)だろうから、まず親子とは思われないだろう。
それが最善かはともかく、急に言われてはゼスディアスもそれくらいしか答えられない。
「うん、確かに全然似てないもんね。じゃあ、行って来るよ」
ユーラルディが歩き出す。
それまでユーラルディに抱っこされたままゼスディアスをじっと見ていたミィは、大きな黒い生き物に小さな手を振った。
人間の子ども、か。まぁ、かわいいところもあるんだな。
人間界へ消えて行く仲間と少女を見送りながら、ゼスディアスはこっそりそう思った。
☆☆☆
ユーラルディは、さっきミィと出会った場所へ再び出た。人間界にある、ティコリの森の中である。
「ミィはどこから来たの……って、覚えてないよね」
聞かれても、ミィは「はて?」といった表情を浮かべるだけ。わかっていれば、出会った時に言っているはず。
「確か、この森を出てすぐの所に村があったっけ。そこで尋ねてみようか」
森のどこにいるかわからない、そもそもいるかどうかも不明な人間を闇雲に捜すより、確実に人間がいる場所へ向かった方が情報を得やすい。
もし、ミィがその村の子どもだったら、きっと村では騒ぎになっているだろう。それなら、親が誰かはすぐにわかるだろうし、森へ捜しに出ていたとしても他の村人が呼び戻しに行ってくれるはず。
ユーラルディは、ティコリの森のすぐ近くにあるキュイザの村へ向かった。この森からなら、この村が一番近い。
村へ入ってすぐ、朝早くから畑仕事をしている農夫を見付けたので声をかける。
「おはようございます。この子、この村の子じゃないですか?」
「は?」
いきなりそんなことを尋ねられ、老齢の農夫はきょとんとなる。だが、ユーラルディが抱っこしているミィを見て、首を横に振った。
「いや、知らねぇなあ」
「そう、ですか。一人で森の中を歩いていたんだけど」
「この村に、そんな子はいねぇぞ」
「そうですか。ありがとうございます」
ユーラルディは念のため、他の村人にも聞いて回った。しかし、誰も知らないと言う。
残念ながら、ミィはこの村の子ではない、ということだ。そうなると、どう捜したものだろう。
「わぁ、かわいい」
やはりミィを見付けた周辺から、もう一度捜索するべきだろうか。
ユーラルディがつらつら考えていると、そんな声をかけられた。
赤い髪を三つ編みにした少女が近くにいて、ミィの姿を見て言ったらしい。
十六、七歳くらいだろう。今のユーラルディの姿と同年代くらいだ。青い瞳をした小柄な少女は、目を輝かせながらこちらへ来た。