実技実習抜き打ちテスト!?
2001年8月 コミックマーケット60頒布作品
サークルWebサイトでも、同じ物を公開しております
http://vesta.sakura.ne.jp/
…んっ……誰?なんか突つかれてる気がする…
「耀子。ったく、いつまで寝てんの?耀子、授業終わってるよ」
うにゅ〜…聞き覚えがあるような…誰だっけ?
「寝起きの悪さは相変わらずね…。んじゃ、ちょっくら失礼して…」
むにゅっ
ひっ。誰か胸触ったぁ〜!
…あれ?誰だろ?ぼやけててよく見えないな。
「やっぱ、耀子を起こすにはこれが一番ね。触り心地もいいし。ヘヘヘ」
この声は…水瑠ぅ。またやったなぁ。
「おはよう、耀子さん。お目覚めはいかがですか?」
寝起きの悪い私も悪いんだけど…許せん。もう、乙女の胸を何だと思ってるの!?
あっ!ふふ〜ん、寝起きで目も潤んでることだし、仕返ししてやる。
「水瑠ぅ…」
悩ましげな声で惑わせてっと、んっと、それから…抱きついちゃえ。
「ちょっ、耀子!?寝ぼけてんの?」
よしっ、予想通り!次は耳元でささやいてやる。
「私…変だよ。水瑠のせいだよ」
これでどうだ!これで引いてくれなきゃ私が困る。
「いいの?耀子、本気にしちゃうよ?耀子…」
え?マジっすか?ちょっとちょっと、顔が近づいてきたよ。目、閉じてるよぉ。水瑠ってそういう人だったの?ヤダヤダヤダヤダー!
「キャー、嘘です嘘です。ごめんなさい、お願いだから許してー!」
みんなも好奇な目で見てないで助けてよぉ。ちょっ、水瑠、手離してよ。え?え!え!?ウソウソウソウソ、汚されちゃうよぉ。
「私をハメようなんて10年早くてよ、よ・う・こ・ちゃん」
水瑠が防御体制に入っている私の鼻をつまんだ。やられた。水瑠の方が上手だった。あれ?なんで力が抜けるの?
「何泣きそうな顔して座り込んでんの。そんなに怖かった?」
水瑠が私を見下ろしてニヤけてる…。
「水瑠のバカぁ」
もっと悪態をついてやりたいけど、今の状態じゃこれが精一杯。私は水瑠の方に手を伸ばして、手を起こしてくれるのを待った。
「何も泣くこと無いじゃない。アンタが先にやったんだから。念のために言っとくけど、私はそっちの気は無いからね」
嘘だ。先に変なことしたのは水瑠だもん。私の胸触ったもん。まあ、ちゃんと起こしてくれたからそれはいいとしても…まだ手を離さないのは何故?
「でも、耀子とならいいかも…」
一瞬にして全身に鳥肌が立った。私は腕をブンブン振って水瑠の手を振り解くと、後ずさって身を硬くした。
「アハハハハ、冗談よ。そっちの気は無いって言ったでしょ。耀子のリアクションって飽きが来なくていいわ。そんなに警戒しなくてもいいって。今日はもうしないから。それより、早くしないと間に合わないよ。お昼、Vesta行くんでしょ?」
『今日は』って何?とりあえず、これからの安全は保障されたけど…。今日は早く寝よ。また触られちゃたまんないもん。
あ、自己紹介がまだだったね。はじめまして、杉本耀子です。観月調理師専門学校の1年です。あ、あと、私がこの話しの主人公らしいです。で、さっきから私を弄んでいる悪女は、柴田水瑠。高校時代からの友達なんだけど…手癖の悪さだけはちょっとね。それさえなければ、親友と呼んでもいいんだけど。
今日は実習授業が午後からだから、外へ食べに行く日。実習が午前中の時は、授業で作った料理をお昼代わりに食べたりもするんだけど、慣れないうちは胃薬が手放せないのよね、本格的フランス料理とかって。やっぱ、味付けの基本は味噌と醤油じゃなきゃ。
3階の西の端から2番目にあるホームルームを出ると、階段の手前で待ってくれている水瑠がいた。私は小走りに追いかける。
「待ってよ、水瑠」
私が来たことを確認すると、水瑠がゆっくりと階段を降り始めた。追いつくまで待ってて欲しいな。でも、ちゃんと見える所で待っててくれるんだよね、水瑠って。
小走りすること約15秒、階段を降りた所でやっと水瑠に追いついた。
「耀子、早くしないと昼休み終わるまでに帰ってこれないよ」
そうなの、私達の行き付けの喫茶店『Vesta』はコーヒーが美味しいって評判のお店で、ランチの競争率が高い。ランチは日替わりで、限定30食の税込み500円!毎日行っても飽きないように、長めのローテーションを組んであるし、栄養バランスも考えてあって言う事無し!ただ、男の人じゃ全然足りないような量なんだけどね。
Vestaは、学校を出て5分ほど歩いた所にある。外見は派手過ぎず地味過ぎず、シンプルですっきりしたデザイン。今日は水瑠にイジメられてて、いつもより出るのが遅くなっちゃったから、ちょっと走らなくちゃ。
学校から出た私と水瑠は、人の間を縫いながら歩道を走っていく。
「耀子が寝てるから、走んなきゃいけなくなっちゃったじゃない」
「水瑠が変なことしなきゃ、こんなにも遅くならなかったよ」
とは言ったものの、遅くなった原因は私か。そんなことより、今はVestaへ急がなきゃ。
学校の東にある大きな交差点を左に曲がった2軒目がVesta。私達が交差点を曲がると、外で待ってる人達が見えた。外に2人ってことは、4人待ちくらいかな。いつもなら10分待ちくらいで入れるけど、今日はもう10分余分に待たなきゃいけないかも。
「今日は耀子のオゴリだからね」
息を切らせながらなんてことを言うのよ、この女は。でも、今日の所は仕方ないか。私が素直に起きてれば、走らなくてもよかったんだもんね。
「う〜、今日だけだからね」
「えっ?ホントにいいの?わ〜い、今日は耀子お姉さまのオゴリだー!」
しまった!水瑠の性格は解ってるつもりなのに。私ってば、どうしてこうお人好しなの。バカバカバカバカ、私のバカぁ。って、なんで抱きついてくるのよ。
「水瑠って、いつからそうなったの?まさか…」
後ろから抱きついている水瑠に小声でつぶやく。
「いつからって…う〜ん、中学生くらいかな?あ、でも勘違いしないでね。あっちの趣味は無いから。ただ、抱きつくのが好きなだけ」
中学ってことは、少なくとも4年以上まえからやってたんだ。あれ?でも…
「でも、高校の頃はそんなことしてるの見たことないよ」
あ、水瑠の顔が引きつってる。ゆっくりと私から離れた。何かボソボソつぶやいてる。
「どうしたの?私、何か変なこと言った?」
水瑠のテンションが、目に見えて下がってきてる。
「う、ううん、そんなんじゃないから。ちょっとね…」
かなりキてるみたい。こんな水瑠を見たのは、高校で赤点取ったとき以来。
「ホントにどうしたの?大丈夫?言ってよ、相談にのるから」
いつも元気な水瑠が、たまにへこんでるのを見ると、すごく心配になってくる。なんとかしてあげたい。
「大丈夫だから。ちょっと…昔のこと、思い出しちゃっただけだから」
水瑠、言いたくなさそう。そうだよね、誰だって人に言いたくないことくらいあるもんね。
「うん、わかった。もう聞かないから。とりあえず、元気出してよ。らしくないよ」
水瑠の役に立てなかった自分がちょっと悔しい。でも、仕方ないよね。無理に聞いたりしたら、逆に傷つけちゃうしね。
「そんな顔しないでよ、逆に心配しちゃうじゃない。本物だったの、クラブの後輩がね…。先輩、好きです!抱いてください!って言われちゃってさ。耀子と知り合う前のことだから、知らなくて当然」
私、どんな顔してたんだろ。なんか、悪いことしちゃったな…。でも、水瑠ってすごい過去の持ち主だったのね。
「それ以来、ボクって言うのも止めて、抱きつくのも我慢してたの」
…似合うかも。水瑠って、昔はショートカットだったし、運動神経もいい方だし、そういう子から見れば『理想のお姉さま』かもしれない。そう言えば、水瑠って面倒見のいいお姉さんタイプだから、私も甘えたりしてたっけ。引っ込みがちだった私が、今みたいになれたのも、水瑠のおかげかな。感謝感謝。
「だからね、逃げちゃヤだよ。今は耀子しかいないんだから」
そうだよね、抱きついた相手が本物だったらシャレになんないもんね。って、まて。元気になったのはうれしいけど、何でまた抱きついてくるの?
「私はいいわけ?」
「うん!」
「どうして?」
「そっちの気は無いし、かわいいし、触り心地がいいから」
「そういうのって、アレじゃない?」
「男の子も好きだよ。普通でしょ?」
「両刀って言わない?」
「言われたことはないよ」
「じゃあ、今ここで断言しよう。水瑠君、君は両刀使いだよ」
「あ〜ん、耀子がいぢめるぅ」
売り言葉に買い言葉で、取り留めなく話してるうちに、私達の番がまわってきた。時計の針は12時7分を指している。食後の軽い運動は免れないな。また水瑠に文句言われそう。
席に着くと、ウェイトレスさんが注文を取りに来た。いつものお姉さんだ。私は軽く手を振って挨拶する。
「今日はちょっと遅かったね。もう少しでなくなる所だったよ。じゃ、お約束の…御注文はお決まりですか?」
お姉さんが、クスっと笑いながらお決まりの台詞を言う。私達もお決まりの答えを返す。
「ランチ」
私と水瑠がハモって答えるもんだから、お姉さんがクスクス笑ってる。
「はい、ランチがお2つですね?パンかライス、どちらになさいますか?」
「ライス」
「パン」
私はライス、水瑠はパンを選んだ。
「かしこまりました。御注文を繰り返します。ランチがお2つ、パンとライスで?」
私達は、軽くうなずいて返事をする。
「はい。では、しばらくお待ち下さい」
お姉さんは、マニュアル通りの復唱をすると、私達に軽く手を振って厨房へとオーダーを通しに行った。
待つこと約5分。ピーク時だけのパートのおばさんが、2人分のランチを持ってきてくれた。ランチタイムだけあって、異様なまでに早い。ランチの30食分は作り置きしてあるからだろうね。
「はぁい、おまちどうさま」
おばさんがトレイをテーブルに置くと、食器がカチャっと小さな音を立てる。おばさんも私達を知っているから、―ゆっくりしていってね―と声をかけてくれる。でも、今日は遅刻しそうだから、ゆっくりできないんだよね。それに、ランチタイムにゆっくりしてると、待ってる人に迷惑だしね。
今日のランチは、エビフライ・海藻サラダ・ミネストローネ・ライスorブレッド。ドレッシングはお好みで、和風・フレンチ・中華の3種類が選べる。今日は海藻サラダだからシソ風味の和風にしよっと。水瑠は中華風みたい。
ミネストローネって言うのは、野菜がたっぷり入ったスープのこと。材料は作る人によってちょとずつ違うけど、基本はトマト・玉ねぎ・ジャガイモ・ニンジン・セロリ・キャベツってとこかな。で、Vestaでは角切りベーコンも入れてあるの。これが美味しいんだな。
「ヤバイよ、耀子。早く食べないと遅刻だよ」
水瑠に急かされてレジの所にある掛け時計を見ると、12時15分だった。午後イチの授業は12時45分からだから、もうヤバイどころじゃなくて遅刻確定。私はミネストローネを一口飲んで―美味しいね―と水瑠に語りかけた。
「そうじゃなくて…」
そう言いながら時計を見た水瑠も、ミネストローネを一口飲んで―うん、美味しい―と諦めたようにつぶやいた。
「次の授業って、何だっけ?」
これは水瑠の質問。私は時間割と担当の先生を思い出しながら、あることに気づいた。「有紀乃さん、有紀乃さん」
通りがかったウェイトレスのお姉さんを小声で呼び止める。このウェイトレスさんは、田辺有紀乃さん。さっき注文を取りに来たお姉さんもこの人。
「はい。あ、耀子ちゃん。どうしたの?」
「加藤先生って、もう帰りました?」
加藤先生は次の授業の担当講師。フルネームは加藤安代って言うの。先生もここの常連で、私達は先生に連れて来てもらってこのお店を知ったの。
「安代さんは…あそこ」
有紀乃さんは、店内を少し探してから、カウンターでパートのおばさんと話しこんでいるおばさんを小さく指差した。
「水瑠、間に合うかも知れないよ!」
「だね。急ご」
ちょっとはしたないけど、背に腹は変えられない。急いで食べはじめた私達に、有紀乃さんが―がんばってね―と声をかけて離れていった。
何故間に合うかもしれないかと言うと、あの2人が話し出すと、取り止めもなくいつまでも話してるからなの。で、午後イチの授業に遅刻してくることが年に数回あるんだって。今日がその日であることを祈ろう。
私達が半分くらい食べ終えた頃、先生が帰りそうな気配がした。もう駄目だ、遅刻決定。水瑠の顔を見つめて、力なく首を横に振ってみる。
「もう…駄目なのね」
水瑠の問いに無言で頷き、先生の方を見ると、有紀乃さんが手を振っていた。声を出さずに―まかせて―って言ってるみたい。ありがと〜、有紀乃さん。最高だよ!
有紀乃さんが先生を引き止めてくれている間に、なんとか食事を終えて、先生より早く店を出ることができた。帰りに寄ってお礼言わなきゃ。
私達が教室に戻ると、もう誰もいなかった。それもそのはず、授業開始のチャイムがなった後だもんね。
カバンから白衣と巾着袋を取り出す。ロッカーの鍵も持った。白衣をちゃんと着ている時間はないから、袖だけを通す。ダスターとサロンの入った巾着袋をつかんで実習室までダッシュ!ゴメン、急いでるから説明は後ね。
ホームルームを出て、ちょっと東よりの階段を駆け下り、2階の東の端にあるF21実習室へ急ぐ。階段を降りた所で後ろから先生の声がしたような気がするけど、無視してダッシュ。ちょっと前を走っている水瑠が、実習室の扉を空け、ほぼ同時に実習室になだれ込んだ。セーフ!
「ミル、よーちゃんどうだった?」
クラスメイトの女の子が、遅れてきた私達を冷やかす。あ、ミルってのは水瑠のことで、よーちゃんってのは私のことね。
「いつもより激しかったから疲れちゃった」
水瑠が変な答え方するもんだから、クラスの男子が騒ぎ始めた。
「耀子は私ンだからね。手出したらひどいよ」
コラ、油を注ぐんじゃない。変なこと言うから―水瑠お姉さまにひどいことされたーい―なんて騒ぎ始める男子が…包丁持ったまま身悶えするんじゃない。
「いつからアンタのものになったんだ、私は?そんなこと言ってないでさっさと準備する!」
ちょっときつめに言い放ち、白衣のボタンを締めながら準備室へ包丁を取りに行く。
準備室には包丁がしまってある小さいロッカーが沢山並んでいる。ロッカーは全部鍵が掛けられてて、本人と合いかぎを持っている先生以外は空けられない。授業以外のときは、実習室も準備室も施錠してあって、勝手に包丁を持ち出せないようになってるの。刃物を保管しておくところだから、このくらいで丁度いいのかもね。
私がロッカーの鍵を空けていると、遅れて水瑠が入ってきた。水瑠は、素早く鍵を空けて包丁を取り出した。私はと言うと、鍵を挿すのに手間取ってまだ開けられないでいる。
「耀子、それ逆」
「へ?あっ、もとい」
思わずマヌケな声を上げてしまった。いつものこととは言え、こんなことに気づかない自分が情けない。こんなだから、水瑠に天然呼ばわりされるんだよね。
「それも解りにくいよ」
あぅっ、またやってしまった。おじいちゃんの影響で、間違えた時に時々『もとい』って言っちゃうのよ。あ〜、もう。顔、赤くなってきちゃったじゃない。恥かしいから説明は無し。辞書で調べて。
ようやく鍵を開けて、包丁セットを取り出す。実習室に戻ると、加藤先生が教壇でサロンを着けていた。そう言えば、ダスターとサロンの説明してなかったっけ。ダスターは白いタオルと思って間違いはないと思う。皿の縁に着いたソースとかを拭いたりする時に使うの。サロンは腰巻のエプロンのこと。
実習室には調理台が前後3つずつあって、私の班の調理台は前の真中で2班。水瑠は北隣の3班。
2班の調理台へ着いた私は、包丁セットを台に置いて、巾着からサロンを出した。先生が遅刻の言い訳をしている間にサロンを着けて準備をする。私がサロンを着けていると、一足先に準備を終えた水瑠が、髪を束ねているバレッタを外してオダンゴを作ってくれた。
「あ、ありがとう」
私がサロンを着け終わって少しすると、水瑠がポンと軽く頭をたたいてオダンゴ完成の合図をした。私は普段、背中の真中くらいまである髪を首の後ろで束ねているの。で、料理とか運動とかする時だけアップにまとめてオダンゴにしてる。で、髪をほどいた時に必ずと言っていいほど言われるのが…
「杉本さん、なんで髪留めてんの?ほどいてた方が絶対カワイイって」
「そう?あんまり変わらないと思うけど」
例によって例のごとく、同じ班の男子がいつもの台詞を言う。私は好きであの髪型にしてるんだからいいじゃない。そう言うアンタも茶髪が似合ってないよ、口には出さないけど。
私は髪を留める時、キッチリまとめるんじゃなくて、ふわっと軽く束ねてるだけだから、正面から見てもあまりイメージは変わらないと思う。なのに何故、男子の多数がストレートのロングヘアを好むのかがいまいち理解できない。それから、たまにポニーテールにしてみたり、髪の裾で束ねてみたりして遊んだりするけど、そういう時に限って自信過剰なクドイ男が寄ってくるから、人前ではしたくない。でも、アレで自分はカッコイイと思ってるんだから、ある意味すごいかも。
先生が言い訳を終えて今日の実習の確認をしている。細かい説明とかは前の授業の時に終わってるから、簡単な確認をしたらあとは作るだけ。説明を聞いている間に、コック帽をかぶる。
「じゃあ代表の人、材料を取りにきてください」
ここに入ったばかりの頃は、実習の時に料理番組のマネをする人が何人もいたけど、さすがに2ヶ月も経つと誰もやってくれない。声とか似てる人もいて面白かったから、ちょっと残念。
今日作るメニューは、オムレット。オムレットはフランス語で、日本語ではオムレツなんだけど、なんとなくわかるよね。『オムレツ』って名前だけ聞くと、簡単そうだけど、これが結構難しい。半熟のふわふわで、きれいな形を作るのって熟練した技が必要なんだよ?って、ちょっと大げさだったかな。でも、鍋の振りって基本だからしっかりマスターしないとね。
班の代表が卵とその他の材料、調味料を持って戻ってきた。今回使う材料は、メインの卵と、ソースに使うタマネギ、ベーコン、ホールトマト。その他の調味料は、油と塩とコショウ。調理器具は準備室に保管してあるんだけど、私達が教室に入った頃には、器具の準備は終わっていた。みんな、ゴメンね。
はじめにソース作り。今日作るソースは、トマトソース。材料は、タマネギとベーコンとホールトマト。ホールトマトは、ぶっちゃけた話ただの湯むきトマト。うちの学校では、イタリア南部のサレルノ地方から直輸した缶詰を使ってる。県内の調理師専門学校で作った組合が、一括して注文を取ってて、学校としては、組合に発注して待ってるだでいいんだって。
まずは、タマネギとベーコンをアッシェする。アッシェはみじん切りのこと。包丁セットから牛刀を取り出して、アッシェの準備をする。アッシェの時は、牛刀って言う大きめの包丁を使うのが普通なの。ちょっと意外でしょ?
手でタマネギの皮を剥いてから、ザクっと半分に切る。半分に切ったタマネギから、ヘタのところを切り取ったら、アッシェ。
半分に切った切り口の方を下にしてまな板に置く。まずは、縦に細かく切れ目を入れて、次に横にも切れ目を入れる。こうしておくと、あとは切るだけでみじん切り。簡単でしょ?
ベーコンは、ただ細かく切るだけ。こういう簡単な作業は、班の男子に任せておく。タマネギなんか切らせてたら、いつでき上がるかわかんないしね。
アッシェしたタマネギとベーコンを、オリーブオイルをちょっとひいた小さい片手鍋に入れて軽く炒める。塩と胡椒でちょっと味付けをしたら、そにへホールトマトを一缶入れる。ソースの5人分なんてたいした量じゃないから、一缶でもあまるんだよね。
ホールトマトは一旦ザルに出して水をきる。水をきったら、ザルを使って軽くこしながら、鍋に入れていく。タネが入ったままだと食べにくなるからね。
ザルでこしたホールトマトを煮詰めていく。トマトや他の野菜の水分をとばして、旨味を出すのが煮詰めのポイント。煮詰まったらソースは完成。これなら家でも簡単にできるよね?機会があったら、試してみて。
ソースができたら、今度はオムレツ。これが今日のメイン。
オムレツは、卵を3個使って作る。卵が少ないと返しにくいし、多くても作りにくい。先生とかは、卵1個でも作っちゃうんだからすごいよね。
オムレツを作る前になると、みんな作り方とかを確認しあったりして、結構ワイワイやってる。その中で、調理を始めた人達の悲痛な叫びも聞こえてくる。
あっ、殻入っちゃった。
おい、それ、混ぜすぎだろ。泡立ってんぞ。
右手を固定して、左手を上下に振って右手に当てて…
お?双子だよ双子。
杉本さん。柴田さん。ちょっといいかな?
みんなの話し声に混じって、私と水瑠を呼ぶ声が聞こえた。微妙な胸騒ぎを感じつつ、声のしたほうを向く。加藤先生だ。
隣の班にいる水瑠に目で合図すると、―バレたかな?―と目で訴えてくる。
「あなた達だけ遅刻を免れようなんて思ってないでしょうね?」
やっぱり…。教室に入る前に呼ばれたような気はしてたんだけど、気のせいじゃなかったんだ。水瑠も肩をすくめて、苦笑してる。
「ダメ?」
とりあえず抵抗してみる。
「駄目。観念しなさい」
う〜、やっぱダメか。
「先生、オムレツちゃんとできたら黙認してくんないかな?」
お?それいい、水瑠。それなら、無遅刻無欠席を守れそうだよ。
「うんうん、そうしようよ、先生。か弱い私達に愛の手をぷり〜ず?」
「耀子、キャラクター変わった?」
「あ、いや…今のはちょっと恥ずかしかった」
ちょっと顔が赤くなってるのがわかる。先生も笑ってるし。
「あなた達の漫才に免じて、愛の手をあげましょうか。ただし、二人とも成功したらね。一人でも失敗したら連帯責任。いい?」
「うぃっす。がんばります」
またハモってしまった。で、何故か陸軍式敬礼をしてる私。そして水瑠は海軍式。
なにはともあれ、無遅刻無欠席を守るチャンスはできた。あとはお互いの腕にかかってる。
「耀子」
水瑠がガッツポーズを作って―がんばろう!―って合図してる。私も真似をしてガッツポーズを作ってみる。さ、遅刻を賭けたオムレツ一発勝負!絶対負けないから!
オムレツを作るときに一番注意しなきゃいけないことは、やっぱ鍋の振りかな。これが上手くいかないと、卵が返らずにフライパンの縁をクルっと回って元の位置。3週もすれば、卵が固まってオムレツじゃなくなってしまう。あと、卵がだんだんフライパンからはみ出てそのまま落下ってこともある。
私達が先生と話してる間に、トップバッターが焼き始めていた。
「ほっ、よっと。うわ、ヤベ。2週目突入」
やめて〜。今から遅刻を賭けて一発勝負するのに、私の前で失敗しないで!
私の気持ちをよそに、そこかしこから失敗の声があがっている。逆に綺麗にでき上がったのを見ると、それはそれでプレッシャーになるし。ってことは…ダメじゃん。でも、そうも言ってらんないし。とにかくがんばらなきゃ。
調理台に残された私の分の卵を取る。卵をボウルの淵で叩いて、一つずつ割っていく。
かき混ぜる前にワンポイント。オムレツの卵は、混ぜすぎちゃダメ。ホイッパーって泡立て機のことなんだけど、あれ混ぜるとすぐに腰がなくなって、焼いた時にうまくまとまらない。腰がなくなるって言うのは、卵がシャバシャバですくい上げた時にポタポタ落ちるような状態かな。でね、ここは箸を使って軽く混ぜるのがポイント。箸で混ぜてても、誰かさんみたいに泡立つまで混ぜちゃダメだよ。
左手でボウルの端を持って、台から20度くらい傾けて卵を混ぜる。傾けた方が混ぜやすいからね。カッカッカと小気味のいい音を立てながら卵を切るように10回ほど混ぜ、その勢いで軽く卵をすくって、ボウルの縁をカンカンと箸で叩いて、箸についている卵を落とす。最後にボウルを叩くのは、なんか癖でやっちゃうんだけど、これをやる人って結構いるんだよね。
卵を混ぜたら、今度はフライパンの準備。人の使った後だから、暖めるのに時間はかからない。
ちょっと多めに油をひいて、煙が出るまで火に掛ける。煙が出るまでって言っても、火がつくまでほったらかしってのはダメだよ。火から下ろして煙が確認できるくらいでOK。
フライパンが温まったら、余分な油を油入れに戻して…イザ一発勝負!
温まったフライパンに卵を入れる。ここからは手際よくやらないと、すぐに固まって、卵焼きか、最悪かき卵になってしまう。
左手でフライパンを前後に振りながら、右手で円を描くように素早く卵を混ぜる。
半熟よりちょっと柔らかめの状態になったら、フライパンの前の方に卵を寄せる。生と半熟の区別は…なんとなく。実は、私もよくわかんないんだ。
フライパンの縁を使って、卵の形を整える。ラグビーボールみたいな形に整えたら、一番の難関『反し』に入る。
反しに入る前に当たりの確認を忘れずに。当たりって言うのは焦げ付きのことで、卵がフライパンに焦げ付いてないか確かめるの。当たってると上手く反らないからね。フライパンでコンロを叩いてみて、卵が動けば当たってない証拠。
ダスターを巻いたフライパンの取っ手をしっかりと握りなおして、フライパンを持ち上げる。右手は拳を作ってお腹の前で固定して、左手のフライパンはマイナス30度くらい傾ける。
「よし、今のところノーミス!このままいっちゃえ!」
左手を上下に振って、手首のちょっと上のあたりを右手の拳に当てる。上手く反ってよ、無遅刻無欠席がかかってるんだから。
フライパンをトーントーンとリズム良く上下に振って卵を反す…はずだったのにィ。なんでフライパンの縁、回んのよぉ!あ〜、もう、一周しちゃった〜。
いつのまにいたのか、後ろから先生が―2週はアウトだよ―って脅かしてくる。内心焦ってきたのか、じわっと汗が出て来た。
もう失敗できない。これがラストチャンス!
気をしき締めて、フライパンを振る。トーントーンと一定のリズムで上下に。
卵がフライパンの先端に向かって動いていく。
フライパンを振るたびに、卵が少しずつ反っていく。いいよ、そのまま反って…よし、いった!
で、次はつなぎ目を軽く焼いてっと、もう一回反して…っと、できた!
できあがったオムレツを皿に乗せて、先に作ったソースをかける。これで完成。
「先生、できたよ。2週してないからいいでしょ?」
あ、なんかヤバそう。先生、ちょっと悩んでるよ。
先生がおもむろに包丁を持って、私のオムレツに切れ目を入れ左右に開く。やっぱバレてたかな、ちょっと固まりすぎちゃったの。
「う〜ん、どうしよっかな。見た目はよかったんだけど、ちょっと固まりすぎ…」
やっぱバレてる。下手ないい訳より、ここは正直に
「…です。はい。おまけしてください、先生」
「まあ、そんなに焦らなくてももう一人いるんだし。ね、柴田さん?」
突然話を振られた水瑠が引きつった笑顔で応えてくれる。
「え?私?うん、大丈夫大丈夫。何とかなるって。ね、耀子?」
こういうときの水瑠はちょっと信用できない。声もちょっと上ずってるし。
「はぁ…もうだめだ。無遅刻無欠席が崩れていく」
大げさに前髪をかき上げて首を左右に振ってみせる。
「ちょっと、なにそれ、耀子。私だってオムレツくらいできるもん!がんばるもん!」
ムキになって言い訳してる時の水瑠って、結構かわいいんだよね。普段の雰囲気とは違って子供っぽくってさ。そんな水瑠の両頬をやさしく手で包んで、小さい子を慰めるような感じで話しかける。
「ゴメンね、水瑠。私、ちょっと言い過ぎたよね。ちゃんとできるよ、オムレツ。がんばろうね、水瑠」
「うん。ぜったい成功させるからね。がんばるからね」
とりあえず、落ち着きをとりもどしたみたい。これをやると、何故か落ち着きを取り戻すんだな、水瑠って。でも、ああは言ったものの、水瑠の致命的な欠点は、がんばってどうにかなるものじゃないんだよね。もちろん本人もそれを自覚してるんだけど、自覚してるからって、そう簡単に直るもんじゃない。この場合、『直る』っていうより『できるようになる』って感じかな。問題の水瑠の欠点、それは、鍋を振る時に右手と左手がいっしょに動いてしまう。わかっちゃいるけど、なかなか直らないんだな、こういうのって。
私は、プレッシャーを与えないように、水瑠の斜め後ろで見物。かんばれ、水瑠!
卵を混ぜて、フライパンに注ぐ。フライパンに注がれた卵が熱で凝固されていく。水瑠が左手でフライパンを前後に振り、右手で卵を混ぜている。できてるじゃん。あ、いや、前言撤回。右手が鍋の振りに合ってきた。…あ、直った。水瑠、ちょっとずつできるようになってきてるじゃん。そろそろ、反しかな。反しは上手いから心配はいらないな。
できあがったオムレツを皿にのせて採点を待つ水瑠。私も水瑠の両肩に手を乗せて後ろから覗き込む。
「うん、形は文句無し。で、中は…」
加藤先生が、私のときと同じようにオムレツに包丁を入れて左右に開く。半熟の卵が、トロっと皿に流れ出す。
「まだちょっと生っぽいところがあるかな?混ぜ方にムラがあるんじゃない?」
さすが先生、見抜いてる。伊達に年はとってない。
「おねがいっ、おまけして!」
水瑠が片目をつぶりながら顔の前で手を合わせて、最後の悪あがきをしてる。私もしたけど。
「杉本さんは、ちょっと固まりすぎ。柴田さんは、ちょっと生っぽい。合わせて1本ってことで、遅刻決定。10分遅刻してるんだから、黙認もできないしね。ま、今回はあきらめてちょうだい」
先生、はじめから黙認する気はなかったんだ。そりゃ、遅刻した私達が悪いんだけど、こんな回りくどいことしなくてもいいのに。意地悪!
「ごめ〜ん、耀子。失敗しちゃった」
水瑠が弱々しく謝ってくれた。でも、私も失敗してるんだよね。水瑠に非がある訳じゃない。
「私だって失敗してるよ。ゴメンね、水瑠」
私達がそんなやり取りをしている間に、ほとんどの人がオムレツを作り終わっていた。オムレツってすぐにできちゃうから、時間稼ぎにソースも作ったんだけど、それでも時間が余ってる。授業が早く終るのって、ちょっとうれしいからいいんだけどね。
実習授業はこれで終わり。遅刻して実習の準備ができなかったから、後片付けをまかせてもらった。
後片付けとかはバイトで慣れてるから、一人でも苦にはならない。食器をさっと洗ったあと、フライパンを洗う。鉄製のフライパンは洗剤をつけて洗っちゃダメなんだよ。洗剤をつけちゃうと、当たるようになっちゃうからね。で、学校のフライパンは、しっかりと油が馴染んでるから、サッと水で洗ったら、火にかけて水気を飛ばすだけでOK。ちなみに、学校で使ってる洗剤はヤシの実洗剤。一応環境のことを考えてるみたい。
洗い終わった食器と調理器具をフキンで拭いて、準備室の食器棚にかたづける。ついでに包丁セットもロッカーにしまって、鍵をかけてっと、かたづけ終了。こんどは、ちゃんと一回で鍵挿せたからね。私だって、そんなにマヌケじゃないもん。
準備室から出るときに、かたづけをしていた水瑠とすれ違った。
「ゴメン、ちょっと待ってて」
言われなくても待ってるって。水瑠が実習室に入っている間に、サロンを外して、ダスターといっしょに巾着袋にしまう。白衣を脱いで、襟首のところをもって半分に折って、巾着袋を持っている左腕にかける。教室に戻ったら、ちゃんとたたみなおさなきゃ。
私が白衣を手にかけていると、水瑠が準備室から出てきた。水瑠が歩きながら白衣を脱いで、ばさっと腕にかけた。ちょっとカッコいいかも。
水瑠も荷物をまとめ終わったから、教室へ戻ろう。今日の授業は今の実習で終わり。特に伝達事項がない限り、高校とか義務教育みたいに教室で先生の話を聞くってことがないから、授業が終わったら即解散。白衣とかをカバンにしまったらVestaにいかなきゃ。
私達は、学校を出て東の方へ歩いている。お昼に有紀乃さんが気を利かせてくれて、加藤先生を引きとめてくれてたから、そのお礼を言いに行くの。結局遅刻はついちゃったんだけどね。
交差点を曲がるとVestaが見えてくる。お昼時とは違って、店の前には人はいない。
私が店のドアを開けると、カランとドアにつけられた小さいカウベルが来客を知らせる。
「こんにちは。有紀乃さんいます?」
Vestaの従業員は、マスターと有紀乃さんだけ。他はおばさんみたいな臨時のお手伝いや、バイトでまかなっている。だから、常連の私達が入っていくと、マスターも営業無しでザックバランに話してくれる。
「ああ、耀子ちゃん。いらっしゃい。水瑠ちゃんも、いらっしゃい。有紀乃さん、今奥で休憩中なんだよ。呼んで来るからちょっとまってね」
マスターがランチタイムまでの売上の確認を中断して、有紀乃さんを呼びに行こうとした。
「あ、いいですよ。待ってますから。休憩中なんだし」
水瑠がマスターを引き止める。
「いいよ。君達がいた方が気晴らしにもなるだろうし、もうすぐ休憩時間終わりだしね」
そう言って、カウンターの奥の端にある扉へ入っていった。あそこは、従業員の休憩室になってるの。居住スペースは無くて、あくまで休憩室だけ。でも、畳で6畳間だから、ゴロゴロできるくらいの広さはあるんだよね。なんで知ってるかって言うと、体調を壊してた時にあそこで休ませてもらった事があるから。
「有紀乃さん?耀子ちゃんと水瑠ちゃん来てるよ」
ドア越しに、少しだけマスターの声が聞こえる。なんか悪い事しちゃったな。
私と水瑠が並んでカウンター席の真中辺りに座る。この時間は、ランチタイムも終わって客もほとんどいないから、どこに座っても大丈夫なんだけど、有紀乃さんやマスターと話したいから、カウンターに座る。
今は私達以外に客はいないから、雑談もし放題。休憩室から出てきた有紀乃さんが、私の隣に座る。
「有紀乃さん、お昼、ありがとう」
水瑠が、お昼のお礼を言う。私も水瑠に続いてお礼を言う。結局遅刻はついたけど、それとこれとは話が別だしね。
「ああ、安代さんの。で、どうだった?間に合ったの?」
有紀乃さんが、結果を知りたくてうずうずしてるみたい。あまり言いたくないな。
「それがね、加藤先生、知ってたみたいでさ…」
水瑠が有紀乃さんに一部始終を話している。『愛の手をぷり〜ず』まで身振り手振りをつけて。もう、そんな恥ずかしい事まで教えなくていいって。
「あ、マスター。コーヒー2つお願い」
「マスター。私のも淹れて」
私が赤面を隠すために、カウンターで突っ伏していると、水瑠がコーヒーを注文する声が聞こえた。でも、2つって?有紀乃さんも頼んでるみたいだし。
豆を挽くガリガリって音が聞こえてきた。ランチタイムとかのピーク時は、作りおきとかしてるんだけど、普段は注文してから淹れてるんだよ、Vestaって。挽きたてのコーヒーの香りが、赤面した私を落ち着かせてくれる。
「なんだ、結局遅刻付いちゃったんだ。でも、二人だけ黙認ってわけにもいかないんだろうね、安代さんも先生だし。耀子ちゃん、残念だったね。せっかくの無遅刻無欠席だったのに」
有紀乃さんが、まだ突っ伏したままの私の頭をなでている。有紀乃さんが―耀子ちゃんって、かわいい妹みたいでいいよね―とかいってる。そんなに子供っぽいかな?
有紀乃さんに遊ばれてる間に、コーヒーがはいったみたい。マスターがカウンターテーブルの一段高くなってるところにコーヒーを3つ並べる。マスターも、自分の分のコーヒーを飲んでるみたい。
「コーヒー、お昼のお返しね。耀子、遅刻、そんなに気にしてるの?もう過ぎた事なんだし、スパっと忘れようよ。なんなら、私が慰めてあげるからさ」
コーヒーって私の分だったんだ。ありがとう。でも、なんか勘違いされてる気がする。それに、慰めるっていったい。
「あ〜、水瑠だけずるーい。私もやる!やっぱ耀子ちゃんがネコだよね?でさ、私が後ろからで、水瑠が前から攻めてさ。ねえ、マスター、休憩室借りていい?」
ウソぉ!有紀乃さんって、有紀乃さんって!え、ちょっと、それマズイよ!
「ゆ、有紀乃さん!?それって、冗談だすよね?ね?」
びっくりして起き上がった私は、冗談である事を祈りつつ、必死に問いただす。日本語が変だし、声も裏返ってるけど、もうそんな事は気にもならない。
「あー!マスターが吹いた!」
水瑠の叫び声で2度びっくり。思わずマスターの方を見ると、マスターがむせ返ってた。どうやら、琥珀色の霧を噴出したらしい。コーヒーの香りが強くなってるし。
「汚いなぁ。マスター、ちゃんと拭いといてよ?食器とかは洗い直し。食べ物は大丈夫だよね?これからは気をつけてよ。お客さん減っちゃうから」
有紀乃さんが、ちょっと怒りながらマスターに指示を出してる。マスター、尻にしかれてない?
「有紀乃さんが変な話するからじゃないですか。それこそ、お客が減りますよ。それから、男がいる前でそういう話はよした方がいいですよ」
マスターが弱々しく言い返してる。女同士でそういう話をするのもやめて欲しいよ。それに、なんで私ってそうやってイジメられるの?
「耀子ちゃんだって困ってるじゃないですか。あんまりイジメちゃ駄目ですよ」
マスター、いいこと言うね。私の中で、マスターの株が1ランク上がったよ。
「そうだよ、なんでイジメるんだよぅ」
マスターに便乗して私も言ってみる。
「え?だって、かわいいんだもん。ね、水瑠」
「うん。それに、イジメてる訳じゃないよ。猫とか触ったり抱っこしたりするのと同じだよ、たぶん」
水瑠と有紀乃さんが、当然と言わんばかりに堂々と答える。イジメられてばかりじゃシャクだから、水瑠にも話をふってやる。
「水瑠だって、時々子供っぽくてかわいいかなって思えるときあるじゃん」
予想通り、有紀乃さんが興味を示してきた。
「ふ〜ん、水瑠がねぇ。どれ、お姉さんにも子供っぽいとこ見せてみ?かわいがってあげるから」
意味ありげな含み笑いをして、有紀乃さんが水瑠に詰め寄る。作戦成功。
「バカ、余計な事は言わなくていいって。あ〜もう、この話は止め。コーヒー飲んじゃわないと冷めちゃうよ」
水瑠が無理やり話を戻そうとした。話題を変えたかった私とマスターもそれにのって、閑話休題。有紀乃さんだけが、ちょっと残念そうにしてる。
そんなこんなで、なんとか平穏を取り戻したVesta。やっとコーヒーが飲める。…ぬるい。
改めて有紀乃さんにお礼を言った私達は、お金を払って店を出た。今日は水瑠のオゴリだから、払ったのは水瑠なんだけどね。お釣りを渡す時に、―今度はホントにやろうね―って有紀乃さんが水瑠の手を握ったりしたもんだから、帰り際にも一騒動あったんだよ。
今日の賑やかさは、いつもの20%増(当社比)だったからもうヘトヘト。今日は寝る前の読書もやめて早く寝よう。また触られるのヤだしね。水瑠といい、有紀乃さんといい、私の周りって変な人ばっか。有紀乃さんなんか、冗談か本気かもわかんないし。でも、それはそれで楽しかったりするんだけどね。
それはそうと、遅刻のいい訳どうしようかな。黙ってて後でバレるってのもヤだし、親にはそれっぽい理由つけて言っておこう。胸触られてたからなんて言えないもんね。
第一話 完
のーまる!いかがでしたでしょうか?
次は2を公開します。
2を読んだ方の感想で一番多かったのが「これ、同じ人が書いたんですか?」でした。
そのくらい、作風が変わっています。
乞うご期待