襲来
アラゾニアの冒険者ギルドから、調査隊として冒険者パーティーが出立した。
タム・アンの森における気候の変異、魔物の様子の変化などに驚きながら……道は険しくも順調に探索を続けていた彼らであったが、道中でフォレストハウンドの群れに遭遇してしまった。
せいぜいが二、三体ほどで行動するフォレストハウンドだが、彼らが遭遇したのは七体という類を見ない大所帯の群れである。
常よりも気性が荒く、火炎魔法を受けてもなお執拗にパーティーへの攻撃を続け、二人の冒険者を戦闘不能に追い込んだ。
後衛職である魔法使いも怯むことなく非戦闘員である子どもを庇いながら善戦していたが、数に劣勢を強いられ、もう駄目かと思われたその時! 子どもが草木魔法の才を開花させ、魔物の攻撃を一時的にでも防ぐ!
しかし魔物は猶も攻勢の手を緩めようとせず、二人へと襲い掛かった――。
「ここで我らがラーサ様のご登場、襲い来る魔物をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……というのは如何です?!」
「それを向こうのギルマスにまんま説明しようとするのはやめてほしいんだけど」
「そ、そうですか……?」
「お前たちはそんな都合よくどっから湧いてきたんだ、って指摘される。……転移魔術は高位の術だよ。今後はむやみやたらに使うのはナシだから」
「はい……」
東の大湿原、アラゾニア。西の大森林から地続きとなるここは、適切な湿度と涼しい気候が特徴的な湿地帯が広がっている。
雨が降り注ぐ肌寒いタム・アンの森と比べて、肌を撫でつける寒さや風がないことに、ラーサは少しの安堵を覚えていた。
歩みを進めるのは、木製の橋。人ふたりすれ違うのもやっとという幅だ。足元の橋は、橋とは名ばかりで渡り板のように簡素な作りをしていた。
枝分かれすることなく存在している橋の道。タム・アンのように小さな集落が深い森の中に点在していた国とは異なり、アラゾニアは大きな街を形成して国として治めているらしい。
「……橋、腐食したりしないのかな」
「まぁ、それは最もな疑問だよね」
人二人担いで平然と歩くラーサの横を、子どもを抱えるフェレライが一歩先を行く。
速足で少し先を歩いていくと、フェレライはくるりと振り返ってラーサとテルメを見た。
「タム・アンが手付かずの自然なら、アラゾニアは火魔法による地盤の固化、土魔法による土壌の改良で作り上げた人工的な自然だ。ご覧よ、一面に広がっていた湿地が、街に近づくにつれて川に作り替えられている」
「……まぁ! 湿地では見られなかったお魚が泳いでいます。水もだいぶ透明になっていますね」
「……住みやすく改良している、ってことか」
「水場に人間種は集まるものだからねぇ。この橋も、魔法を使って継続的に維持してるんだろうさ」
とん、と。足元の橋を踵で蹴り、フェレライは前方へと再び歩みを進める。
「で。結局、この冒険者達を拾ってきました、タム・アンの者でーす。っていう、ギルドマスターとやらへ素直に名乗りましょうってテルメの案は通じるのかい?」
「まぁ、ふつうは怪しまれるところだけど」
「えっ!? そ、そうなのです?」
「ふつうは、ね。今回はアラゾニアの冒険者ギルドに属してる、と思われる人たちをお土産にしてるわけだから……」
「お土産ですか……」
「わかった! 人間種を人質に、物資と金品を揺するんだね」
「揺すりません、人質しません、金品を集ってはいけませんッ……!」
「なるほど、そういう手もある」
「ありません!! ……ありませんよね?!」
「…………ないよ」
存分に茶化すフェレライの言葉に否定を続けた後。おずおずと尋ねるテルメに、怖いほどの間を置いてラーサが応える。
ぎゅ。ハーフリングの冒険者を抱えるテルメの腕に、力がこもった所で。
前を歩いていたフェレライが、ふと足を止めた。軽快な足音が無くなったことに、ラーサとテルメが前を向く。
「お客さんだよ」
簡潔明瞭に言い放ったフェレライ。彼の前には、鋭利な長槍を持ったリザードマンが姿を現していた。
気絶した人間種を四人連れている、この三人。存在からして怪しむほかないだろう。リザードマンが警戒を強めて槍を構える。
この者は恐らく、アラゾニアへ続く道を守る守衛のような存在だろうか。タム・アンが如何に森という自然に守られていたかがよく判ろう。
「! ど、どうしましょう……」
「………」
黙してリザードマンを見据えるラーサの背後に、テルメが身を小さくして隠れる。フェレライの表情は窺えないが、楽しそうに笑っていることだろう。
本来ならば此処で身分を明かし、通行の許しをもらうのが正当な進み方なのだが。
「……!? まさか、キウン様! ガオ様も……?!」
「ん?」
膠着状態でいたリザードマンが、フェレライ……ではなく、ラーサの姿を見て声を荒げた。正確に言うならば、ラーサが担いでいる冒険者のうち、青年にあたる方だ。
フェレライの腕の中で気絶している子どもの存在にも気付いたらしい。
酷く驚いたような表情を浮かべた直後、一転してリザードマンは怒気をその身にまとわせる。
「よもや……調査に赴かれたキウン様も、追随するガオ様までも……! やはり人間やハーフリングなんぞ、軟弱な種族共に同行すべきではなかったのだ……! 得体の知れない者どもに拐かされているのだから!!」
人間。ハーフリング。ラーサが一方の肩で担いでいるこの女性と、テルメが抱えるハーフリングを指しているのだろう。
軟弱と称するのはなんとも思わなかったが。得体の知れない者ども。あぁ、自分らのことか。ラーサが半歩遅れてリザードマンの言と現状を察する。
此方に槍を向ける所作を許した以上、交戦はやむを得ないだろうか。
「アッハッハ」
しかし。種族自体を蔑視するような物言いに引っ掛かりを覚えていたラーサと相対して、フェレライは肩を震わせ、声を上げて笑った。
「何を笑うか! キウン様とガオ様をその手から解放せんか!!」
「あーあー、暑苦しいうえ、よく吠えるトカゲだね」
リザードマンってこんな血沸き肉躍る性質でもあるのかい?
呆れかえった様子でフェレライがラーサとテルメに振り返る。見る限りでは、そうとしかとれまいが。
キウン様、ガオ様といったか。この両名は、あのリザードマンにとって特別な存在であることが知れる。
何れにしても。ラーサは二人を担いでいることから、不安定な足場では放り出すことも憚れる。テルメは怯え切っているので、今はフェレライに対応を投げるしかあるまい。
嫌な予感をひしひしと感じているが、これもまたやむなし。ラーサはリザードマンと真っ向から対立するフェレライの後姿を見守った。
「決めた! こいつは殺そう」
あ、だめだこれは。
無を表情に宿すラーサの後ろにいるはずのテルメが、いけません、とか、落ち着いてください、とか必死に叫んでいるが、ラーサのマントにしがみついているのだから。殺気を猛然と溢れさせるフェレライには、声なんぞ届きもしまい。
子どもを小脇に抱え直すと、フェレライはパチンと宙で指を鳴らす。周辺に流れていた川から魚を浮遊させると、もう一発と指を鳴らし、巨大な肉食魚へと姿を変貌させた。現存する生物を触媒にした召喚術とも捉えられるが、魔法使いが見ていたのならば、もっと高位にあたる魔術として視認出来るだろうか。
「ええい……! 面妖な術を用いるとは、やはり人に非ず! キウン様とガオ様に仇為す者め……!!」
「まぁまぁ、口上はもう十分さ。ほら、かかってきなよ。一歩でも近づいてきたその時は、この魚が――」
「フェレライ」
キウンとガオとやらを、丸呑みにしちゃうよ。
……そんな悪を凝集させたような言葉を続けんとしたフェレライに向けて、ラーサの声が飛んでくる。
瞬間、対峙するリザードマンの背後から別の気配を感じ取った。
フェレライはリザードマンの槍を前に身を翻してそれを避け、魚に掛けた術を解いて無害化する。槍の一端が派手な音を立てて橋を破壊する瞬間、音も無く飛来した何者かがリザードマンを背中から蹴り倒し、傍を流れる川へと沈めた。
賑やかに水飛沫が立つ。威勢よく叫んでいたリザードマンの声は無く、代わりに橋の上で佇んでいたのは……銀色の被毛に覆われた、直立する巨大な狼。
フォレストハウンドとは比べ物にならない覇気と、強烈な殺気を持って現れた狼は、交戦の意を示さないまま子どもを抱えるフェレライと、その後ろで待機するラーサ、半泣きのテルメ。三人を見極めて……すぐに殺気を手放した。
「迷惑をかけたらしいな」
獣の口が人語を喋る間に、狼でいた姿を人間の男へと変貌させて、その面立ちを三人に晒した。
大柄な背に、全てを睨めつけるような鋭い金色の眼光。整った顔立ちながらも、威厳さを醸す佇まい。リザードマンに気付かれることなく背後を取った様相からして、そこいらを歩く冒険者でないことは容易に判断出来る。
「推して図るべし。アラゾニアのギルドマスター」
フェレライが余計な口を挟む前にと、ラーサが淡として返す。
「手厳しいな。……ご明察、冒険者か?」
明かす前に身分を当てられた獣人……ギルドマスターが、肩を竦めて首肯する。無言のまま首を縦に振るだけに留めて、ラーサはフェレライとテルメの様子を確認する。
フェレライは利口にも口をニヤつかせたまま黙って二人のやり取りを観察している。テルメは……相変わらず怯えたままだ。相当あの殺気が恐ろしかったのだろうか。
「アラゾニアのギルドマスターは獣人。粗野な見た目とは違って、曲者だらけのギルドマスター連中の中でも道理を通せるまともな輩……前任者を叩きのめして成り上がった実力主義者」
「ほぼ悪口だな?」
「……って、……」
訥々と言葉を零していたラーサが、声を潰えさせる。
そうだ。タム・アンは無くなったんだと、ひょんなことから思い出させられる。
気難しく、ランクを問わず問答無用で冒険者をこき使うと称されていた、タム・アンのギルドマスターの顔が過ぎる。
「……タム・アンのギルドマスターがよく言っていたので」
「……通りで、タム・アンからやってきた冒険者がバカ丁寧な態度をとるわけだな……」
何を教え込んでんだ、あいつは。そう愚痴りながら、眼前のギルドマスターは額に手を当てて悩まし気に唸る。
それよりも、と。ラーサは一言添えてから、横目に打ち倒されたリザードマンを睨む。
「怪我人を運んでいたら、ああだこうだと因縁を付けられたんだけど」
「それは申し訳ない。だが、皆タム・アンの異変に気が立っているんだ。タム・アンのダンジョンから逸れたと思しき魔物が、昨日今日と頻繁に境界へ出没しているのに加えて長のご子息が……いや。一先ずお前たちを、冒険者ギルドへ案内しよう。伸びている四人もこちらで引き取ろうか」
険しい態度で応えるラーサに苦笑いをすると、両腕を差し出した。
……それは確かに、抱える荷物がなくなって良いな。
遠慮なく引っ提げていた四人を預け、身軽になったラーサ達はアラゾニアの街へと再び歩を進めることとなる。
大湿原に築かれた国、アラゾニア。
不安定な湿地帯を魔法を駆使して土壌を安定化させ、豊かな水資源を持つ土地へと変貌を遂げた国。
ダンジョンを中心に栄えたこの国の景観は、清浄な水が流れる麗しき街と目される。手付かずの大自然で素朴な村落を築いていたタム・アンとは、すぐ隣にありながら何もかもが違っている。
錬金術で強化された建材によって作られる水上建築は見ものだ。水生植物を均等に配備した水路沿いには、深い青の屋根と白い壁のコントラストが美しい建築物が並んでいる。柱には細やかに水を思わせる爽やかな流線の意匠もあって、ついつい見惚れてしまいそうだ。
ドーム状の屋根が乗る一際大きな建物も点在している。豪華絢爛な装飾が施された評議会が開かれる宮殿に、武闘祭も行われるという多目的アリーナ、もちろん機能性を重視して設えられた、アラゾニアにおける冒険者ギルドもある。
目を瞠るのは歩く人々の多さだろう。多くの人々が歩く大通りは、道も広く整備されており、治安維持のために見回りを行う存在も見られる。
先のようなリザードマンもいれば、ヒトの姿を取らない獣人、腕っぷしの強そうなドワーフの姿もあった。
「この先。大通りの突き当りを右に行けば、ギルドに着く」
気絶している四人を平然と持ち運ぶアラゾニアのギルドマスターが言ってのける。
国に足を踏み入れた時からそうだが、あまりにも目立つ。目立ちすぎていた。ギルドマスターの顔は広く周知されているのか、通りすがる街の者は皆一様に彼に挨拶をしていくのだ。
少し距離を開けて歩いていても、ぞろぞろと連れ立って歩いているものだから、人々の興味はラーサはもとより、フェレライやテルメにも向けられる。
好奇の目は、好きではない。極力他者と目を合わせないように下を向き、フードを深く深くと被りなおす。タム・アンの人の少なさが恋しくなる。
「やぁギルドマスター、あれはなんだい?」
とっとと冒険者ギルドに向かいたいと願うラーサの心を知ってか知らずか、フェレライは通りの両端にひしめく屋台を見ていちいち足を止めていた。
彼が止めるのは何れも食事をメインにしたものだ。どこにでもありふれた肉の串焼きから、旅人や冒険者向けの持ち運びに特化したショートブレッドに、昼間から飲み歩く飲兵衛のためのスパイスワイン……。
暴食の悪魔、と名乗っていたが、食に関しての興味関心は想像以上だ。これではいつまで経ってもギルドに辿り着くことがままならず、牛歩となって仕方ない。
ギルドマスターも、アラゾニアに所属する冒険者達を拾ってきた恩人とでも思ってくれているのか、度々ツケで払うと称してフェレライに食べ物を持たせているのだ。自国の食文化を気に入った様子でいる彼に、気をよくしているのだろうが。
「まぁ! あれは、あれはなんでしょうかっ!」
テルメもこれときた。
フェレライほど無差別に興味を示すわけではないにしろ、ふんわり食感と爽やかな後味が美味しいレモンケーキやら、もっちり食感が癖になるローズジャムが乗ったワッフルやら。甘い匂いが鼻を突く甘味の類に、好奇心を抑えられずにいた。
意気揚々とギルドマスターの財をあてに飲食に励む二人と相反し、ラーサは傍らで黙り込んでいた。これはどうか、あれはどうか、と。テルメが気を遣って勧めようものなら、ぷいと顔をそらしてしまう始末。
「お気に召す物が無いとあれば、それは残念だな。アラゾニアの大通り屋台群は、少しばかり有名なんだが」
冒険者パーティーを組んだ者の距離感ではないな。タム・アン方面から来たとすれば、初心者パーティーだろうか?
ギルドマスターの慧眼が光っているともいないとも出来るこの現状。好き放題に屋台料理を楽しむフェレライをよそに、テルメがうぐぐと唇をかみしめる。
なにか、なにかもっと、ラーサの心がくすぐられるものを。
テルメの瞳に、忙しなく左右の通りが映し込まれる。あぁ、美味しそうな屋台ばっかりだ。こくりと喉が鳴る気配。
「……あ! あれは初めて見ますよ、アニスとリンゴのタルトで」
す、言い切る前にテルメの横を物凄い速度で風が通り抜ける。
――否。否、あれはターコイズブルーのフードを手で抑えながら走り込むラーサであった。
屋台巡りの食べ歩きにすっかり嫌気がさしてしまったのか、そう悲しみを抱きそうになったテルメの目に、くだんの屋台を前にして懐から銀貨をじゃらじゃら取り出すラーサが飛び込む。
なんならチャリンチャリンと音を立てて数枚そこいらに落としている始末。
そんな大金いらねーよ、とあきれ返る主人の声も聞こえてくるではないか。
「速ぁ! いや、えぇ?! ラーサ様、ラーサ様!? 何をそんなに急いでご購入を……!」
おやおや。近場でのんびりと買い物をしていた老齢の婦人が、ラーサへ落ちた銀貨を手渡した。
慌てて近付いていくテルメ。その後を、延々と何かを口に入れては頬張るフェレライとギルドマスターが続く。
何の屋台にも興味を抱かなかったラーサが、ここぞとばかりに金に物を言わせて屋台料理を買い占めようとする姿は少し異様に見て取れる。
フェレライまでもが、どうかしたのか君、と声をかけていた。
「……これは、リンゴだよ」
「え、えぇ、そのようですが」
婦人に頭を下げつつ貨幣を受け取っていたラーサが、いの一番に駆け寄ってきたテルメへと顔を向ける。
常通りの無表情ながらも、彼女はどこか不機嫌そうに唇をへの字に曲げた。
「早く買わないと無くなる」
いやなくなんねーよ。
屋台の主人がラーサのために大量のタルトを持ち帰り用として紙袋に詰め込みつつ、冷静に言い切った。振り返ってみると、主人は面白いものでも見るかのように、ラーサに対して眦を緩めている。
タルトがそんなに好きかい? 屈託のない笑顔と質問に、尋ねられて、ラーサは閉口する。
「……タルト、というより」
くったりと煮込まれたリンゴが、きらきらと輝いてタルトの中にフィリングとして挟まれている。タルトではなく、重きを置くのはリンゴのほうで。
なんなら、リンゴそのままでも同じように大枚はたいて買おうとしただろう。
「……リンゴが好き」
これは幼い時からずっとそうだ。リンゴの木によじ登って、リンゴを取って、丸のままでかじるのも好きだったけど、タルトやアップルパイにして貰うのが大好きだった。
ぽつりと言葉を零したラーサの様子に、主人はこう言葉を続ける。大量購入の礼に、一個嬢ちゃんと一緒に食べてみたらどうだ? と。切り分けたタルトの大きな一切れをひょいと投げて寄越すと、テルメとラーサを交互に顎で指し、歯を見せて笑った。
「……!」
ラーサの突飛な行動についていけてなかったテルメだが、そう諭す主人の言葉に目をぱちぱちと見開き、持ち帰りのそれとは別にタルトを持たせられた彼女の挙動を見守る。
こういった時、ラーサはどのような反応をするのだろうか。無体に切り捨てられるのは、想像の範囲にあるが。
「あ、あの。ラーサ様。わたくしに構わず、食べていただいてもよろしいのですよ」
万が一にでも主人が言ったようにしてくれたら、それは凄く嬉しい。でも、誰かを介在して無理にお願いするというのは、テルメにとって気分が良くない。
これまでそう在ったように、奔放にしてもらえたらいい、けれど。
斯様な胸中でそわそわとした様子でいるテルメをよそに、ラーサは手にあるタルトにじっと見入る。
こんがりとした焼き目、さっくりとした質感、仄かな甘さと独特な香りが食欲を刺激するアニスが乗った、美味しそうなリンゴのフィリングが入ったタルト。
本来なら何も言わずに丸ごと口に投げ込む所だが……。
「……はい、テルメ」
確かに、この味を知らないで生きるのはなによりも勿体ないことである。くたくたに煮込まれて、しっとりやわらか、じゅんわりと口いっぱいに広がるリンゴの甘さを、知らないのはもったいない。美味しいと思うものは、他者にも教えてあげるべきだ。
屋台の主人に言われるまま、ラーサはタルトをテルメの口元へと差し向けた。
「食べて」
さながら、このまま手ずから食えと言わんばかりの絵面だが。
口元に迫るタルトからは、芳醇なリンゴと甘いスパイスの香りがした。テルメがそっと視線を泳がせると、ギルドマスター、続けてフェレライと視線が合う。
せっかくだ、食べてみたら?
相変わらず何かしらを頬張っているフェレライが、のんきにテルメへと目で語る。精霊とはいえ、飲まず食わずでいると怪しまれるし、ここで食べる姿でもまた見せておけ。そんな思いもあるが。
でも、こんな。公衆の面前で、というか、ほかの三人に見守られている場で食べるのも、いや食べないでいるのはラーサもそうだが屋台の主人にも失礼だから、つまり。
困惑、焦り、少しの喜色……いや、きっとこれは、とても嬉しいことなのだろう。
言葉を喋らない魔物とはまた違って、人と接することから喜びを見出せたこの瞬。テルメの心に、形容しがたい感情が、波のように押し寄せてくる。
「……食べないの」
「あ、あの! よろしいのです? ラーサ様……」
「ん」
恥も外聞もないといった様相でいるラーサはと言うと、腕疲れたな、と慌てふためきながらも、恐る恐ると尋ねてくるテルメを見ながら他人事に思っていた。
――そんな時だった。街の西側から、魔物の物と思しき多量の咆哮が大通りを突き抜けて響き渡る。遅れて、けたたましい警鐘が街にいる全ての者の鼓膜を劈いた。
ハッとしたテルメが警鐘が鳴り響く西側を見る。ラーサは視線のみ向けるだけで、フェレライは食べ物を握りこむ手元を見ていた。
三者三様でいる彼らをよそに、ギルドマスターは浅く息を吐いて一言、零す。
「早いな……」
「早い、ですか……?」
ラーサの口へ放り込まれていったタルトに目が行きがちだが。テルメはその一言を復唱した。
暗に意味を問われて、ギルドマスターは言葉を選ぶように西の方角から東へと逃げ惑う人々を一瞥する。
「こいつら……碧の探索者とは別に、タム・アンの森とアラゾニアの湿地の境をリザードマンのパーティーに調べてもらっていたんだが。魔物が活発化している、常よりも凶暴化していて危険だ、と。お前らと鉢合わせするまでの道中、聞き及んでいたんだが」
「え、えぇ」
「……西から魔物が来るぞ、ってな。警告されていたんだよ」
「警告……?」
そろそろ、こいつらを冒険者ギルドへ置いてきた方が良いか。ギルドマスターが独り言ちる。
「……シャーマンか、ドルイドか」
「奴さんはその両方だ、タム・アンの冒険者。自然と調和し、自然の声が聴けるというリザードマンの長がそう警告してきてな。こんなにも早いとは思わなかったが」
「……そいつら、なんだっけ」
「キウンとガオ。あの血気盛んなリザードマンが言っていたね、様付けで」
「そう、それ」
「抜け目ねぇな。あんまりお喋りすると、叱られるんだが……まぁいいだろう。この兄弟、そうこいつら。見た目はヒトだがリザードマンの長の血を引く者でな……魔物の強襲も重ねて引き渡せとせっつかれるのは明白だが、面倒なことになったもんだ」
腕に抱く子どもと、肩に担いだ青年。溜息にも似た呼気がギルドマスターの口から吐き出される。人種間のいざこざが、溜息の裏に色濃く内包されているのだろう。
話を聞いていたフェレライが早々に興味を無くしている頃、テルメはいまいち理解しきれていない様子で左右へ小さく小首を傾げ、ラーサは面倒くさそうに眉宇を寄せて二人の兄弟を注視する。
「一先ず俺は、この四人を冒険者ギルドへ持っていく。警鐘が鳴るくらいだ、相当数の魔物がなだれ込んでいると想像がつく。お前たちはアラゾニアでなく、タム・アンに属するんだろう?」
タム・アンに属する。即ち、タム・アンの冒険者であるだろうとの確認に、ギルドマスターの視線がフェレライとテルメに注がれる。
頷くのは憚れる。正式なギルド登録者でないと知れれば、疑念を向けられる。そうともなると、他国を渡り歩くことはおろか、アラゾニアで自由に動くことも難しい。旅人と称すか? 落とし処を探るラーサを尻目に、フェレライが半歩前に出てギルドマスターに正対する。
「有事であると判断したら、僕らは勝手に動けるさ。そこのパーティーを担いで、タム・アンの森から出てきたんだからね」
「……ならば話は早い。宜しく頼むぞ」
そうか。
ギルドマスターは、万が一の助力が可能かどうかを尋ねていたのだ。アラゾニアの冒険者でない以上、この国を魔物が蹂躙しようが、人を殺そうが関係ない身分。それはタム・アンが逆の立場であっても同じこと。
頭数は多ければ多いほど良いのだから。
大通りの突き当りへ駆けて行くギルドマスター。その背中が見えなくなるまで見据え続けた後、ラーサは雄弁に物を語っていたフェレライに話を振る。
「お前が人の為に何かするとは思えない」
「辛辣だね君。でも好きに動くさ。この大通りにある屋台料理、結構美味しかったから。大通り以外はどうでもいいけど」
屋台の食事を提供する人間も、守ってやろう、と。
何か言いたげな視線を刺してくるラーサに、フェレライは何か問題でもあるかな? そう言わんばかり、わざとらしい笑みを湛える。
「え、えっと。あの、ラーサ様! わたくしも、わたくしも……あのタルトを食べさせてもらえるまでは……あ、いえ、そうでなく……」
屋台を営む主人を筆頭に、街の人々が一斉にギルド方面へ走って逃げて行く。慌ただしい中にある街でも、取り乱すことなく会話を重ねていた。
意気揚々と声を張っていたテルメの語尾が、ゆったりとした調子でしぼんでいく。
「……西から、ということは、きっと、タム・アンのダンジョンにいた魔物達ですよね……」
「……まぁ。そうだろうね」
ジャイアントディアー、フォレストハウンド。多種多様いる魔物達、数は把握できずとも、アラゾニアの街に警鐘が響くほどだ。多くの魔物が姿を現し、多くの冒険者を殺し、そして殺されるのだろう。
ラーサにとって、魔物を慈しむテルメの気持ちなど微塵もわかりはしない。ただ、タム・アンのダンジョンを見守ってきた者としては、譲れない気持ちというものがあるはずで。
「……決めました、ラーサ様」
「? 何を」
「あのですね! わたくしは、心を鬼にしてっ、アラゾニアを踏み荒らそうとする魔物を、倒そうとっ……?!」
ぐい、と。テルメの体に、タルトがしこたま詰め込まれた紙袋が押し付けられる。ラーサが多量に買い込んでいたそれである。
理解し難いとばかり、テルメは当惑を示して彼女に疑問を抱いた。
「あの、あの。ラーサ様、ラーサ様」
「………」
「わたくしは」
無言で押し付けられ続ける紙袋。根負けして受け取ると、ラーサが如何に無理くり押し付けていたかがわかる。中のタルトがいくつか、フィリングを溢れさせて潰れてしまっていた。
突飛な行動には未だ慣れない。テルメの言葉に、彼女は口を開かずに背中を向ける。靴先が歩まんとするのは、魔物がなだれ込んで来たという西側。
タム・アンの森がある方向だ。
「テルメはタルトを守ってて……それに。少し離れたところにいれば、弱った小さい魔物なら保護も出来る。無力化して逃がしたところで、別の冒険者や人間に見つかるかもしれないけど。……何より、やりたくない事はしない。そういう物でしょ」
淡々とでも、ぶっきらぼうでも。ラーサがそうして言葉を掛けてくるのは、テルメにとって初めてであった。
無理に取り繕って、役に立とうとテルメが焦っているのは、ラーサが気まぐれにタルトを差し向けたせいか。
人間を相手に腑抜けた様子を見せるのは、ラーサなりの氷を用いた弔いをその目にしたせいか。
……興味関心を持とうとしないフェレライが、幾久しくラーサの挙動に好奇心を寄せる。
「僕は遠慮なく殺すよ。食べられそうだったら食べるし」
「フェレライ様、フェレライ様?! いまこの場面で堂々と言ってのける神経、どうにかなっちゃっていませんか!!」
「食べて還す。一種の弔いだよね」
「うあぁ! 鬼! 悪魔! 人でなし!!」
「悪魔だよ」
「そうでございましたぁ!!」
うわああん! と。
タルト入りの紙袋をぎゅむりと抱きしめてテルメは半泣きになる。
それをぎょっとした目で覗くラーサの心境など知らぬ存ぜぬと、街の西側では大いに魔物と人々による喧騒が繰り広げられていた。
――アラゾニアへ続く橋、それを見下ろす大樹の太い枝に、人の影。それは目下で東へ東へと向かう魔物の動向を一望していた。
湿地に足を取られて進みの悪いジャイアントディアーに比べ、フォレストハウンドは人が築き上げた橋を使い、着実にアラゾニアへと向かっていた。
一足先に辿り着くだろう魔物は、空を飛ぶウィスパーオウルだろう。テレパシーに似た能力を持つそれらは、個体ごとにリザードマンの動きを把握し、分散して風を切って飛んでいた。
同じく空を飛ぶルミナスバタフライの数は少ない。凡そウィスパーオウルに捕食されたか、或いは。いまのタム・アンは雨降りの森だ。太陽や月といった眩い光を求めて、呪いの遺跡へ逃れたか。
タム・アンの豊かな自然を享受していた魔物達は荒れ狂い、雨によって凍えたその身で東を目指す。
魔物達の考えは当事者でない以上不明瞭だが、東方面で響き渡った爆発音に多くの魔物が誘因されたことは定かである。
いずれにしても。数日前の森とは、文字通り打って変わった環境のタム・アンだ。適応できずにおめおめ死んでなるものか、と新天地を目指す生存本能があるはずで。
……考えるだけ無駄だろうか。太い枝に腰を落ち着け、足を放り投げ。影は憮然として魔物の行方を追いかける。
遠く見えるアラゾニアの建物が、タム・アンの上空を抜けてすぐ、雲の切れ間から覗く陽光できらきらと光っていた。
水が流れる麗しき国。タム・アンの森と違う、ふしぎな植物達が根を張る地。
「!」
物思いに耽った影の傍を、不安定な挙動で小さなルミナスバタフライが飛んでいた。
それは手を伸ばさずとも、木の枝葉に引っ掛かって影の真横へと落ちてきてしまった。曇天の空のもと弱々しく発光する羽根は、ウィスパーオウルにでも齧られたのか、歪んだ形をしている。
魔物もそうだろうか。空を舞う虫は、二つ羽根をもがれても致命傷にならないという。それはしかし、ただ息をしているだけで、生きていることにはならないだろうに。
哀れな存在だ。……そっと手を伸ばし手中に収める、肌の上で力なく歪な羽根をパタりと動かす姿を見留めて。影はもう一方の手を緩慢にルミナスバタフライの羽根にかざした。
雨の音に、小さく詠唱の声を紛れさせる。ぼんやりと手の平から光が溢れ、それは小さな存在を温かく包み込んだ。
程なくして。詠唱を終えると同時に、歪な羽根が元通りとなる。力なく動かしていたルミナスバタフライは、自らの羽根が治っていることに気が付いたのか、急に忙しく羽ばたいて影の周りを優美に飛び始めた。
すっかり元気を取り戻すと、それは自分を治療した存在を認識しているかのように、影の周りを何度も何度も、繰り返し飛んだ。
そろそろ疲れてくるだろうに。ふっと鼻先から笑みを含ませた息を落とすと、影はゆったりと片手を擡げ、人差し指を伸ばして差し出す。
思った通り、良い止まり木と思ったらしい。ちっぽけな体は人差し指の先端に止まると、その小さな羽根を休めた。
「…………もう着いてるかな」
先頭で、多くの魔物を引き連れて東に向かった存在を思い出す。
ウィスパーオウルと同様にテレパシーに似た能力を持ち、あらゆる魔物に語り掛け東へと導いていた存在だ。
声に出した通り、そろそろアラゾニアの国へ辿り着く頃合いだ。知性を持つフォレストハウンドや、空を飛ぶウィスパーオウルを操り、行き場を失ったそれらが人間達を相手に戦いを挑むのも時間の問題か。
森がもっと寂しくなる。
……つまらなさそうにぼやいた影の肩に、指先から飛んだはずのルミナスバタフライが止まり直す。
「オレは止まり木じゃないんだけど。……まぁ、いいけど。オレもそろそろ、東へ行こうかなって思うんだよ」
呪いの遺跡から、悪魔とつるんで森を抜け、東へと向かった人間の軌跡が気になる。
居住していた場所も無くなったことだし、そろそろ世界を見に行ったって許されるだろう。
タム・アンの森にある人間の集落が、どんな風に穏やかな場所であったかを知ることは、崩壊してしまったことで永遠に叶わなくなってしまったけれど。
アラゾニアの国は、遠目から見ても綺麗だったんだ。魔物達がぐちゃぐちゃにするか、それとも人間側が守り切れるか。結末に興味はないけれど、建物の片鱗が見られたらそれでいい。
……ほんとうに?
「……どうだろう」
ほんとのことは、自分の心に聞いてもわからない。素直じゃないからな。
肩に止まっていたルミナスバタフライが、ふわりと飛ぶ。
さぁ、そろそろくすぶってないで、何処かへ旅立つ時期だ。
……そいつに向けたはずの言葉が、まるで自分に言っているような気がして。影はひとつ、賑やかしくくしゃみをする。
くしゃみに驚いたルミナスバタフライは、大きく空へふわっと飛びあがり、空の彼方へと飛んでいく。
ウィスパーオウルも気付けない、空の向こう。雨を降らす雲を抜けて、太陽か……月を、目指して。
「……月……」
タム・アンが崩壊したあの日。呪いの遺跡の傍で休んでいた冒険者を思い出す。
めったに人が訪れない遺跡では、本当に久しぶりの来客だった。
もちろん持て成すわけでもなし。遺跡とタム・アンの森の境に植わるアンシエントトリーの、雁字搦めになった枝や葉を剪定する姿をひっそりと見ていただけで。
最初は何をしているんだろうという好奇心と、遺跡になにかいたずらでもしようかってんじゃないかという警戒心から様子を探っていたんだ。
ただ、それは次第に変化した。
月の光を帯びた髪に、青とも碧ともつかない綺麗な瞳。フードの影から覗く物憂げな表情が、もっと見ていたいと。目が勝手に追いかけていた。
彼女の姿は、本当に、手を伸ばしても届かない夜空に輝く月のようだと思った。
「……………」
何をしていたのか。何をしようとするのか。これから何処へ行くのか。
滞在していた彼女に顔を見せて聞きに行こうかと、何度も思った。でも、遺跡の影から日の当たる場所へ歩を進めようとすると、此処から出てはいけないという戒めの声が脳裏に再生されたから。
だから今、こうして森の外を出ようとしても進めない自分の勇気の無さに嫌気が差しているんだ。
「……あ。もう皆、行っちゃったのか」
雨降りの森。
目下を走る魔物達が途絶えたことに気が付くと、影は静かに大樹を降りる。ぬかるんだ地に意識が傾く。
緩慢に一歩、足を出して大地を踏みしめる。水を含んだ土。たくさんの魔物が付けた足跡に、人の靴跡を残してみる。
大小問わずに乱雑に入り混じった足跡に、人の靴跡がもうひとつ、付けられる。
重たい足取りは、素直に前へと進みたがらない。
人が大勢いるであろう国を目指そうとする足取りは、決して軽くはならない。
「……月……」
もう一度、先に零した言葉を口にする。
何のために靴先を人のいる国へ向けようとしていたっけか。
「いや、ええと。そう、だ。綺麗な国を、見るだけ。それで、帰って……」
帰る場所は無くしてしまっただろ。ぼうと吐き捨てる冷静な己が、心の中でせせら笑う。
そーだ、そうだったな。では、どうするって。どうしよう。
鉛のように重たくなった自らの足を、訝しげに覗き見る。
「……!」
視界の隅で、何かが動いた。
顔を上げると、先ほどと同じ個体……と思しき、ルミナスバタフライが再び顔の前で飛んでいた。
ふわりと漂い、淡い光を羽根に宿して飛ぶその姿に、口角が少しだけ上がる。
「空の光か、月でも探しに行ったんじゃ、ないのか」
月――。綺麗な羽根で空を飛ぶそいつへ、調子よく喋りかけた唇が固まる。
ルミナスバタフライがそうするように、オレが輝く物を追いかけたって、良いだろう?
「あ!」
……何をしにきたのだろう。ふらりと飛んできたそれは、影の目の前で通りがかったウィスパーオウルに咥えられて、どこか遠くへ運ばれていく。
胴体をガッシリと嘴に齧られていたから、直に羽根をもがれては、あの腹の中へと収まるだろう。もしくは、子どもに羽根をもがれて与えられるか。ばらばらにされて……。
「食うか食われるか、だもんな……」
タム・アンの森を伝って到来した地響きによって、住処の遺跡が崩壊した時。
もともと壊れかけみたいな遺跡だったから、帰る場所がなくなったところで悲しくもなんとも無かった。だけど。
崩れていく遺跡に巻き込まれ、月が落っこちてきたあの瞬間、血の気が引く思いがした。
たくさんの瓦礫と一緒に空を舞って、たくさんの砂埃がその姿を隠していく。
遺跡の崩壊が落ち着いた頃に探しに行くと、何かの下敷きにこそなっていなかったが、無情にも瓦礫の破片に頭を打ち付けたらしく、頭から血を流して倒れていた。
辛うじて息はしていたけど、ほっておけば死ぬのは明白だった。だから、あのルミナスバタフライにそうしたように、手をかざして治癒を施した。
人に使うつもりはなかった。でも、言葉を交わすこともできないままで、黙って死んでいくのを見るのは嫌だった。
「……オレは見る、月を見に行く」
あんな風に、月を見られず、ましてや知らない魔物に食われるなんてことこそ、まっぴら御免だ。
月を見に行って。もしまた死の淵を彷徨っているようなら、また手を添えて助けてやるんだ。
それに落ちかけた月を助けても、輝いているのはまだ見ていないのだから。
月の……いや。あの人間の様々な表情を傍で見てみたいと思ったんだ。みすみすこの機会を逃すなんてことは、しない。
――足元に広がる水たまりのなかに、影の姿が判然と映り込んだ。
太陽のような温かな金色の髪と、黄金色の瞳を持つ少年の姿。青年とするにはまだ幼い、けれど子どもだとは言わせない。
背伸びをするように吊り上がった目は、魔物が目指した東の地を真っ直ぐに見据えていた。




