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七大ダンジョン-1  作者: 紙山しぎ
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流離の精霊

 タム・アンが崩壊を迎えてから、一日が経過した。

 崩壊後間もなく降り出した雨は今なお地上を叩き続けている。寒々しい風を引き連れてこの地に吹かせ、木々を濡らし、足元の花を散らしていた。

 必然と立つ鳥肌に、ラーサがフードを改めて目深に被る。

 見上げるタム・アンの空には延々と雨雲が続く。雲の切れ目を、地上から見つけることは未だ叶わない。

 数刻前までそうして物思いに耽っていたラーサだが……。現状を一言で表すならば、いま彼女は青々とした茂みに身を潜めて木の葉にまみれていた。

 同じく茂みに身を潜めた悪魔……フェレライは、木の葉をすり抜けてしとしとと降り注ぐ雨に頭部の獣耳をぴくりと震わせた。横目にラーサを見遣る。

 軽薄でいた表情が、理解の範疇を超えた動きをするラーサに対して、怪訝な面持ちを隠さず。平行にして噤んでいた唇をわずかに開いた。

「……出発はいつにするんだい?」

「……まだ」

 問われたラーサは憮然とした様子で答える。眉宇を寄せ、自身の背に下げる剣をいつでも抜けるようにと柄に手を添える彼女は……じっと、何かを目線だけで追いかけていた。

 フェレライも視線の先を探ってみる。タム・アンのダンジョンに生息していた魔物の気配がちらほら散見している。崩壊に巻き込まれなかった魔物たちのようだが、いささか騒々しいようだ。

 出発は。欠伸を交えるフェレライが小さく呟くと、途端、静かに、とラーサが諫める。

 これでもタム・アンを支配していた悪魔である。森の木々の陰に隠れたあの向こうで、何が起こっているかなどフェレライには手に取るようにわかってしまった。故にこそ、彼は幾度か出発を促す声を発していたのだ。


「わきゃあああ!だめだめ、だめです、こっち来ないでください! 転移! てんい……ほああ! なんでこっちにいるんですかぁあ! てん、っうえほ!!」


 言うまでもなく、ラーサにも何が起こっているのかなんとなくわかったようだ。冒険者たるもの、危険を予感したならばすべからくその場より逃避すべきであろう。だが。

 やや遠くから聞こえる人の叫び声のようなもの。本当に危険ならあのように賑やかに騒げるわけもない。叫び声をあげる前に、武力を持たない大抵の者は声もなくあの世に召されるわけで。

 緊急性は無いと判じて、ラーサの顔がフェレライに向いた。

 ……自分以外の人間は居ないと言わなかったか?

 刺すような視線から斯様な意が読み取れる。フェレライの首が左右にぶんと揺すられると、伴って耳の飾りがシャラリと音を奏でていた。

 アレは何か。ラーサの目が射殺すような雰囲気を内包する。彼女が背に隠す剣で、フェレライへ切りかかるのも時間の問題だった。

「……あの声は」

「てん、いっ?!」

 嫌そうに説明を始めんとしたフェレライ。そんな彼をどつき倒すようにして、先まで賑やかしく遠くで騒いでいた声の主が忽然と二人の目の前にその姿を現した。

 ふんわりとした癖を持つ碧色の長い髪に、水辺に浮かぶ花……蓮の花と思しきそれをいくつも絡ませた女性。同色の瞳は穏やかな性質を映すように垂れており、華やかな顔立ちと裏腹に、一見して優し気な雰囲気を醸している。

 ゆったりとした服装に身を包む姿からして、冒険者とは思えない。かと言って、村落に住まう市民ほどの軽装でも無く。

 神官か僧侶か、位の高さを思わせるような神秘的な印象を与えてくれる。

「あ、あぁ! フェレライ様!」

「あー」

 フェレライ様。そう呼ばれた本人は、女性の体をひらりと避けて宙にふらふらと漂い、喜色を滲ませた碧の瞳を見下ろした。

 顔は面倒くさそうにそっぽを向いていて、ラーサを伺うようにちらちらと視線を送っている。しかし目が合いそうになると、ひょいっと目を泳がせる。

 突如として現れうやうやしくフェレライの名を呼んだ女性は、雨土へ綺麗なスライディングを決めながらも、汚れていようとも決してめげることなく顔を上げ、起立し、顔を拭ってフェレライの服をわしっと掴む。

 逃げられてなるものかという、執念すら感じられそうな程の手の力であった。土で汚れることを嫌うよう、フェレライは距離を置こうと身じろぐ。

「フェレライ様! ご無事だったのですね、あぁよかったです、安心しました! ダンジョンの崩壊と共にお声が聞こえなくなり、あわやわたくしも消えてしまうものかと思っていたのですが、ご覧の通り永らえておりましてっ」

 グオオオ! 森中を震撼させるような獣の咆哮が、三人の鼓膜へ轟く。

 服裾を引きちぎらん勢いで握りこむ女性、その手から距離を取ろうとするフェレライ、そして他人事のフリを決め込もうとしていたラーサへ。かの存在は、自らを知らしめるように咆哮を幾度となく繰り返す。

 女性を追いかけてきていた数体の獣型の魔物が、すぐ傍まで迫ってきている。草木を掻き分ける音が、徐々に徐々にと近付いてきている。

「ふわああ! 転移、てん……あれ!? 転移魔術が、発動しない……!」

「そりゃそうだよ、僕が妨害してるから」

「ちょっと」

「どっ! どうしてです! フェレライ様、いまやこの森に蔓延る魔物たちはわたくし達の存在を理解できておりません!! 一刻も早くこの場から立ち去ることが先決です、命あっての物種と言いましょう! 気分じゃないからとか、つまんないからとか仰ってる場合じゃないですよ!」

「きこえてる?」

「九死に一生を得たと思っておりましたのに、これではぬか喜びにもほどがあります! 暖簾に腕押し、石に灸、魔物に詠唱の意を説くと同じこと! 今の今まで、いくらわたくしの要望に聞く耳を持たなかろうとも黙しておりましたが! 今回ばかりはフェレライ様であっても許容できかねます!」

「まぁそうなんだろうけど」

「あわわわ!? そうこうしている間に、すぐ傍まできております、まもの、魔物が! わたくしはあくまでも補助魔術と回復魔術しか扱えないのです、フェレライ様のような攻撃性に特化した魔術は扱えないのです! 転移魔術の行使だけでも許されるべきではございませんか? わたくしの命運、ダンジョンの崩壊という今生最大とも呼べる危機から命からがら逃れられたといいますのに、わたくしはいま現在進行形にて見捨てられてしまうのですね!?」

 よく喋るな、と。ラーサは双眸を細めて訝しげに彼女を見やる。

「きこえてないな」

 折々話しかけて対話を試みるラーサの声はあるのだが、女性は焦りのあまりラーサのことなど視界に入っていない様子で、ちっとも言葉を留めない。強いて言うなら、大変饒舌だというのがわかったくらいで。

 フェレライは縋られようが泣かれようが喚かれようが聞く耳もたず、ラーサと魔物との距離を測るように視線を行き来させている。

 役たたずめ。そう言葉にしかけて、ラーサはぐっと声を飲んだ。

「ああぁぁあ! このような不憫な状況がほかにあるでしょう、いいえ絶対にないです! ろくでもない主を持ったばっかりに……!」

「おーい聞き捨てならないこといったかーい?」

 主?

 フェレライを様付けにしている時点で怪しかったが、悪魔が他者を従えるなぞあろうか。隷属するにしても様相が違う……思案を巡らせる時間が無いので、この思考は一時中断とする。

 雨に濡れた土を抉りながら真っすぐ、直線状にやってくる魔物の気配に深く息を吐くと。ラーサは緩慢に背に隠していた剣を抜く。

 鞘から引き抜かれたその剣は、刀身が剣先にかけて鈍色から青に染まり、光を纏って淡く輝きを持ち始めた。

「見捨てるわけじゃあないんだけどさ、僕にも考えがあるんだよ」

 フェレライが力任せに握りこむ女性の手を軽く振りほどく。そこで漸く、焦燥を滲ませた碧の瞳が周囲の状況に目を配った。ターコイズブルーのフードマントを羽織ったラーサの存在に、漸くと気付いたのである。

 そして、彼女が手に持った異様な武器の存在にも気が付いた。同時、小柄な身をひくりと竦ませる。

 抜き身となったその剣を中心にして、周囲へひやりとした空気が渦巻きこの場にいる全てのモノを取り囲む。一挙に押し寄せる冷気の波に、女性は鳥肌がぶわりと立っていた。

 直後、空から降る雨が瞬時に氷の礫となって、花を飾りつける頭にころころと落ちてくるではないか。地に落ちるそれらは周囲一帯を取り囲んだ冷気によって溶けることなく、湿った土の上に転がっている。

 様子を伺っている間にも、魔物達はもう目と鼻の先まで距離を詰めていた。

「――アイシクル」

 瞬きも挟めない。此れは一瞬の出来事である。

 ラーサは獰猛に襲い掛かる魔物目掛けて、真っ向から斬り伏せた。構えた剣が上から下へと落ちる動作に合わせ、魔物達の頭上目掛けて剣と同じ形状をした鋭い氷柱が、即座に地面へ至る速さで諸共魔物の血肉を穿ち貫いた。

 絶命の鳴き声すら上げることなく地に伏せた魔物達。一様にして急所を貫かれたそれらは、程なくして力尽き、ぴくりとも動かなくなる。

「……!」

 先まで騒いでいた女性は、一言も声を上げることなく眼前の光景に黙り込む。ごくりと固唾をのみこんでラーサの動きを注視している姿から、彼女の剣が自身へ向いてしまいやしないか……そう懸念しているようにも見て取れた。

 フェレライは……特段どうと思うこともないらしく、地面にめり込み倒れた魔物へと興味関心が向かっているらしい。ラーサの横を通り過ぎ、ひやりとした空気を厭うようちらつく氷の結晶を手で払っている。

「脂身が乗っている。美味しそうだな」

 ……なんてフェレライの声が聞こえてくるが、場違いな発言を指摘する人物はここにはいない。

 ラーサは二人の挙動を眺めこそすれ、どちらの様子にも言及することなく、淡とした表情で抜いた剣を背に隠す鞘へと納め直した。

 途端、彼女が出現させた鋭い氷柱はたちまち氷解し、魔物の血に紛れて土へと吸い込まれる。頭上から落ちてきていた氷の礫も、再び雨の姿を取り戻して地上へ降り注いでいた。

「……ねぇ」

「ひゃ、は、はい!」

 倒れ伏す魔物と、それを観察するフェレライに背を向けて。

 この場にいる誰よりも華やぐ花のようでいて、相反するだろう泥の汚れを体につけた女性に、ラーサは視線を流す。

「君、誰?」

「へっ!!」

「あの悪魔を主と呼んでいたけど。事情は……ともかく、場合によっては君も危険対象と見なさなきゃいけなくなると思うんだけど」

 おずおずと尋ねていたラーサが、剣を抜くような仕草を持って女性に向き直る。淡白な物言いで発せられる彼女の言葉は、末恐ろしい。

「わ、わあ! わあ!!?」

 怯えを隠せず長く伸びた袖をすり合わせ、掌同士をぎゅっと握りこんで、剣先を寄せるラーサの挙動に再び声を荒げて。涙目となる女性。

 フェレライへ助けを乞おうと振り向けば、奴は魔物の傍に屈みこんで新鮮な肉と化したそれらをしげしげと見つめている。

 フェレライ様!! 試しにそう呼んでみたが、一切顔も視線も体すらも寄越さない。反応の無さからするに、まるで気が付いていない。こちらには微塵の興味もないらしい。……は、っとして。訝し気なラーサに顔を向ける。

「あっ、あああの! あの、あの、ああの! あなた様は冒険者様でいらっしゃいますよね、そうですよね、タム・アンにおいて生き残られた冒険者様で、わ、わたくしの命の恩人です、そうです! わたくしを地の果てまでをも追いかけひき殺そうとばかりにつけ狙っていた、魔物たちの……!」

 ラーサの注意を逸らさねば、と。ころころ変わる表情が精一杯の笑み、というべきか、困惑を映し愛想笑いを混ぜつつ怯えをたっぷりと孕んだ複雑な表情をして。

 女性は長い袖をだらんと垂らしたまま、フェレライが興味を示していた魔物を指さした。

 ……が。なにやら、その辺に落ちていた枝を拾い集めるフェレライがいるではないか。

 我関せずと言った様子で脇目も振らず枝を一箇所に配置すると、まず空に手を掲げて近場の木々を魔術の力を行使して折り曲げ、簡素な屋根を作ってのけている。まるで迷いのない動きである。

「あの、もし、フェレライ様?!」

「獣肉は下手に煮込むと臭いが移るから、焼き肉しか出来ないか……」

 完全なる無視の元、彼は片手をかざして土の上に配置した枝に火をつけた。雨のために濡れそぼっていたはずの枝も、十数秒と掛からず着火される。見た目以上に強い威力で熾された火は、頭上に遮る枝葉があろうことを含めても、存分に天候や湿度を無視して立派な焚き火として機能していた。

 間も無く、フェレライが新鮮な魔物肉の解体に手をつけた。腹部分にあたる肉を薄く切り出すと、手頃な枝に突き刺し、熾した火で炙り始める。一目瞭然の光景だが、念の為と思って何をしているのか尋ねようものなら、張り倒されてしまうだろう。

 弁解の最中にあろうことか肉を焼いて寛ぎだすフェレライの姿に、女性の顔がわかりやすく引き攣る。

「フェレライ様ぁ!?」

「なに、それ」

 情けない雄叫びを無視して、今度はラーサが肉に興味を示した。剣先をおもむろに地面へ落とすと、ずるずると剣を引きずりながらそちらへ歩を進め始める。さながら、子どものような所作である。

 え? え?

 怯えを隠し切れない顔に、驚きを含ませて彼らを交互に見る。先まで殺気を帯びた声で女性を見定めていたはずのラーサは、まんまとフェレライの行動へ引き寄せられているのだから。

 ラーサの気配に気が付くと、香ばしく焼きあがった肉をふりふりと振って、フェレライは彼女に枝を見せつける。

 新鮮な肉をその枝の先に突き刺すと、ほら、こうするんだよ。と、焚き火の中に枝を突っ込ませる所作を教え込んでいた。

「やぁ、これ。ジャイアントディアーの肉を焼いてるんだけど」

「美味いのか、これは」

「きっと美味しいよ。あ、そうだ。そっちも、食べるかい? どう?」

「どう? ではなくて、あの、すみません、誠に申し訳ございませんがっ、わたくしという存在につきまして、少なからずわたくしよりも怪しまれていないフェレライ様から直接この方にご説明を頂きたいんですけれど、言っているあいだからお肉を焼き始めないで欲しいのですけれどもよろしいでしょうか、わたくしの命が永らえるかがフェレライ様の手腕にかかっておりまし……」

「食べる」

 て。

 女性を怪しんでいたはずのラーサは、すっかり肉に心を奪われているようであった。先の言動からなんとなく察せられてはいたけれど……否、ある意味では命拾いしたとも言えるのか。氷漬けか氷の串刺しを免れたとも、いえるのだから。

 薄切りにされたジャイアントディアーの肉は、輝くような脂を滴らせてラーサの前へと差し出される。そう、肉焼きを始めていたフェレライの傍にいるラーサへと。

「君が素直に肉に食いつくとは思わなかったよ」

「……人間種っていうのは、活動をしているとお腹が減る。昨日の崩壊から、何も食べていない」

「あぁ、なるほど。そうだよね。魔力を糧にする僕らはつい忘れちゃうんだよね」

 どうぞ。

 無骨な料理だ。塩胡椒すらされていない肉で、食器の代わりに枝、不衛生にも程がある。けれど。

 ラーサの瞳に映るのは、焦げ付かず綺麗に焼かれて脂が滴る肉である。焼き加減が絶妙であることに、大変むかつきを覚えてしまう。

「……………」

 美味しそうな肉を前にして。不意にフィーとアッシャの顔が思い浮かんだ。

 フィーはどちらかと言えば肉より魚派で、アッシャは肉が大好物だった。それを口実に、アッシャはよくフィーのぶんの肉に手を出していたっけか。

 当初は気にも留めていなかった彼女達の行動を、居なくなってから思い出してしまうことに、得も言われぬ悔しさが脳裏に渦巻いた。

「君の獲物だ。美味しい部分を一番に食べさせようという僕の計らいを、無碍にしないでくれよ」

 横面から浴びせられる言葉に、ラーサは現実に引き戻される。

 早く食べろと暗に急かす悪魔の言葉は、最もである。

 ふんと鼻を鳴らすと、ラーサは枝の先に刺さった肉にかじりついた。

「!」

 じんわりと口の中で蕩けてゆく肉質。ひと噛みするだけで解けた肉は、少々獣臭かったが、癖のある旨味に必然と嚥下する。

 口内でもう少し味わうべきであった。そう後悔を覚えた束の間に、ラーサの手元におかわりの枝が差し出された。

 ――フェレライはおろか、ラーサからさえも。

 すっかり存在を放置された女性の目の前では、暫し肉が焼かれ続けていた。


 複数横たわっていた魔物の肉が粗方無くなったところで、改めて女性はラーサとフェレライを前に正座を余儀なくされていた。

 淡々と食事を始めた彼らを止めることも叶わず、周りで右往左往としていたら。そこに直ってよ、と言うのはフェレライからの鶴の一声だ。従わざるを得ない。

 頭上より降りしきる雨はフェレライの魔術によって作られた簡易的な草木の屋根のおかげで凌げているが、足元は雨によって濡れた土。

 立って釈明を許されたならばそうしたが。ラーサは肉を頬張り続けてなお変わらず懐疑の念を手放してはくれず、フェレライもまたそうしているのが筋であるとばかり仁王立ちしていた。

 地獄だ。拷問だ。世界はこんなにも酷いものであるのか。もくもくと湧き出る疑問に、唇を震わせつつ胸の内で自問自答を重ねる。

「説明をしてあげよう」

「ん」

 頷くラーサの姿を見て、ますます唇を噛み締めてしまう。

 平静を装っていた女性は、彼女の視線を浴びて、妙な緊張感からその身を竦みあがらせた。

「さっきまでタム・アンの魔物と楽しく追いかけっこをしていたこの子はね、僕が支配するタム・アンのダンジョン、その深部に坐す精霊なんだよ」

「は! はい、さようです! ダ、ダンジョンにおいては、たくさんの知識を持っておりまして、魔物のお世話をしたり亡くなった冒険者様を弔ったり、それ以外でも人の皆さんでも知らない様々なことを知る存在でしてッ!」

「要するに――パシリだよ」

「うわぁ!! 誰が聞いても分かりやすいうえに酷いひとこと紹介!!」

 精霊。聞いたことがない。

 冒険者ギルドが教示するダンジョンの講義において、七つの大罪を司る悪魔達が支配する七大ダンジョンの存在は把握していたが。ダンジョン内部で知性ある存在が居るなどという話は……そもそも、精霊だって?

 ダンジョン内部で死んだ魂が、魔力を帯びたことによりダンジョンに繋ぎ留められた魔物の一種。それが精霊(スピリット)……という認識でしかなかった。遭遇例のない、レアな魔物。それがラーサの知る精霊である。

 話をまとめると。ダンジョンの支配を行う悪魔、それに与してダンジョンの管理を務めるのが精霊……? 魔物のお世話やら冒険者を弔うやら、ダンジョンの制御として動いているのが彼らということか……?

 ――良くわからないが、とりあえず剣の錆にしておくべきか。

 斯様に結論付けると、ラーサは落ち着いた様子で浅く頷いて見せた。

「わかった」

「あぁ! ええ!? ま、待ってください冒険者様! わたくし、あなた様が徐に剣を引き抜こうとする未来が見えてしまっているのですが!?」

「気のせい気のせい」

「気のせいでは済まされませんが!!」

 ラーサはその発言を無視して枝を放り出し、剣の柄を後ろ手に握りしめる。利き手でかつ、いつでも斬りかかれるよう片足を踏み込んでいるのだから、恐ろしさはひとしおである。

 フェレライは精霊の反応を面白がるように眺めながら、新たな肉を火にかけ始めていた。まだ食べるのかとラーサが一睨を向ける。

「それで。タム・アンの精霊。君は何をしていたの?」

 視線は依然として悪魔に向けつつ。ラーサが突然、精霊に問いかける。

「え、ええと……崩壊後の後処理というか、魔物たちの整理を……」

「整理?」

「はい。タム・アンが崩壊してしまったので、行き場を失った魔物たちを……できるだけ安全な場所へ誘導しようとしていたのですが……」

 精霊の言葉に、ラーサは手の動きを止めた。そして、初めて真剣な目で精霊を見つめる。

 肩を落とし、身を縮こませ。しょんぼりと顔を俯かせる精霊の言っている内容と、あのように追いかけられていた事実との相違。

 何かしら問題が発生したことが窺えた。

「駄目だったんだろ」

「はい……」

 肉を咀嚼していたフェレライが、話に割って入った。

 精霊の話にさして興味を示さないままに、もごもごと食事を続ける悪魔と。心底から気落ちした様子でいる精霊と。

「駄目だったって?」

 ラーサのその声音は、先ほどまでの警戒心を残しつつも、幾分和らいでいた。

 正座を続けさせていた精霊の傍まで赴くと、剣の柄に添えていた手を差し出す。あまり、見下ろし続けるのも疲れてしまったから、と。

 ラーサの問いに答えるよりも前に、精霊はそっと彼女の手を掴んで立ち上がると、フェレライの手によって骨と皮だけになってしまった魔物に視線を向けた。

「冒険者様は……ダンジョンや、ダンジョン周辺に出没する魔物の特徴については、ご存知でしょうか」

「それは、一応。此の国を拠点に動いていたから」

「……そうですよね」

 獰猛に追いかけ回してきた魔物。逃げ回ることに必死でいた精霊は、今、嘆息を禁じ得ない。

「フェレライ様、もう宜しいですね?」

「あぁ、もう食べるところはないからね」

「さようですか」

 一言断りを入れる辺り、精霊は律儀な性分をしているようだ。フェレライもまた、茶化すでもなく受け答える。

 魔物の亡骸へ歩を進めると、精霊はその体を撫でるように両手をかざした。

 雨に濡れた土から植物を茂らせて、亡骸を隠すように可愛らしい草花で足元を覆い尽くした。

「ダンジョンの内部で還った魔物は、再びダンジョンの内部で生を謳歌できるのです。ダンジョンの食物連鎖に組み込まれているからこその恩恵と言いましょうか……外部で命を落とした魔物は、魔力となって世界に放出されるので……」

 そう零す精霊の顔は、辛そうに見える。精霊なりの弔いなのだろう。時間をいただきました、と、ラーサに向けて頭を下げた。

「常春の森……タム・アンに生息する魔物は、穏やかな性質でございます」

「……そうだね。危害を加えなければ、襲ってこない。他のダンジョンとは全く違う、って。ギルドマスターが言ってたけど」

 いま思うに、なぜそのような性質を持っているかすら考えたこともなかった。

 言外に伝えるラーサの意図を汲むと、精霊は柔らかに微笑んだ。

「襲う理由がないのです。フェレライ様が支配するダンジョンは、この森のように……自然に溢れ、温かな気候に恵まれ、常春の陽気が包み込む美しい森が広がっておりました。過酷な環境を知らない魔物達でした。土は草に、草は草食魔物に、草食魔物は肉食魔物にと、多少の食物連鎖はあれども、そこに組み込まれない外的存在に対しては興味も恐れも希薄でしたので」

「……でも、さっきの。ジャイアントディアーは、君を襲っていたね」

「……はい」

 それも、あんな獰猛に。

 ジャイアントディアーは草食性の魔物だ。武器で傷つけたとかならともかく、何もしていないのに襲い掛かるなんて。

 言わんとしていることが手に取るようにわかったのか、精霊は表情を曇らせる。

「タム・アンのダンジョンを支配するのは、暴食の悪魔であらせられるフェレライ様なのですが……」

「散々安穏と生きてきた魔物たちだよ? 食べるところも温かい寝床も突如として取り上げられたら、ねぇ。ダンジョンが消失した今、理性を失い凶暴になった彼らを統制することはおろか、止めることも不可能さ。そんな権限、僕にはないよ」

 他人事めいて呟くフェレライ。懇願するような視線を送っていた精霊の言をにべもなく切り捨てる。

 然し。精霊もまた彼の受け答えを想定していたようで、それ以上の言葉を紡ごうとはしなかった。

「……タム・アンの魔物はもう、かつてのような初心者向けの穏やかな魔物なんかじゃなくて。危険な存在になり果てたと」

「おっしゃる通りです……いまは列挙して、東の方面へ向かう個体が多く……」

「東かい?」

 フェレライが素っ頓狂な声を上げて、精霊の言葉を反復する。

 先まで肉を貪るのに使っていた枝をそこいらにほっぽり投げ、眉宇に皴を刻んで東の空を怪訝に見上げる。

 暗い雨雲に覆われた空では、吹きすさぶ風が東へと雲を運んでいた。

 東。胸の内で、フェレライと同じくラーサもまた反復した。

 広大なタム・アンの森、その東にもダンジョンを軸として別の国が興っていた記憶がある。

「えぇ。そちらには――」

 精霊の声が、森の東側から響き渡る爆発音に因って遮られた。ぶわっと空気を切り裂くように、強烈な爆風も後を追って三人を襲う。

 そして木々の倒壊する激しい物音や、魔物と思しき存在の咆哮が後に続く。誰ぞが交戦しているらしい、雨音に交じって人の声らしきそれも耳を小突いた。

 緊急性はあるだろうか、……どうか。下手にそちらへ向かって、足場の悪い森で無用な怪我を負っても馬鹿らしい。どうしたものか。迷いを持つ足は、前へ出ることも後ろへ下がることも出来ずに立ち尽くしてしまう。

「ねぇ、ラーサ。君に悪魔として見えた事を実直に伝えたいんだけど」

 ひらひらと存在を示したフェレライが、悩むラーサに声をかける。

 彼は瞼をそっと伏せて、何がしかを探すように顔を左右へ忙しく向けていた。遠視でもしているらしい。

 精霊は二人のやり取りに耳をそばだてながらも、魔物の存在が気になるのか、東の方へ意識を削がれている。

「いま魔物と交戦しているのは、四人……いや、三人だね。それと非戦闘員が一人。で。一人は瀕死に追い込まれて、一人は健闘したけど重傷。残る二人は無事だけど……あーあ。周りを取り囲まれてる。多いねぇ、五体のフォレストハウンドだ」

「? ……数が多いな」

「……フォレストハウンドですか」

 精霊が項垂れる。それは魔物の行く末に対してというよりも、対峙する者に対しての哀れみという側面が強く表れているようだった。

 フォレストハウンド。タム・アンのダンジョンでは最上位捕食者として君臨していた存在であり、タム・アンの集落にいる家畜を襲うからと討伐依頼によく挙がっていた存在である。

 複数体で狩りを行う大型の狼の姿をした魔物だ。群れで行動するこの魔物は、優れた嗅覚に加えて、連携して獲物を狩る知性を持っている。

 初心者向けダンジョンなどと揶揄されるタム・アンでも、討伐には一定の技量を要する魔物である。

 ……凶暴性も併せているならば、遭遇したが最後、タダではいられまい。フェレライの見立てでも、現に瀕死者と重傷者がいるというではないか。

「ラーサ」

「……なに」

「どうする? 僕は君の判断に従うよ。精霊は僕に従うわけだから、実質君がリーダーってことになるんだけど」

 捨ておいて行こうか? 言葉尻に碌でもない提案をするフェレライに、ラーサは呆れを示すべく顔を背ける。

 冒険者は、否。知恵を持ち考えることの出来る人間種とは、自らに降り注ぐだろう危険を前にした時、その性質が如実に顕現するものだ。

「捨ておくって選択肢は十分に魅力的だけどね」

「……えっと、えぇっとぉ! 冒険者様、冒険者様? いまの流れ、確実に助けに入るそれではなく!?」

「私は人見知りするタイプだから」

「言うに事欠いて言い分が自分は人見知りだから、ですか?!!」

 精霊が渾身のツッコミを入れる。足を向ける気皆無の悪魔、フェレライがどうでもよさそうに欠伸をしているのはこの際見なかったことにして。

 ……威勢よく声を発していた精霊の顔を見る。今にも泣きだしそうな顔をしていることに、ラーサは怪訝の色を表情に乗せた。

「タム・アンの精霊……そう呼ぶのも煩わしいな……君はどうしたいの?」

「わ、わたくし、ですか」

 鋭く告げるラーサの一声に、精霊は躊躇うように口を噤む。

 魔物に追いかけられていたものの、死んだ魔物に対して弔うような行為を行っていた存在だ。本来ならば、お世話をしていたというタム・アンの魔物が害されることに、建前はどうあれ心に痛みを覚えていただろう。

 ……ラーサは、精霊へ問いかけた自身に対して、らしくないなと心底から思った。

 こうしている間にも、魔物に抵抗する者が放ったと思しき魔術に因る爆発音が聞こえてくる。だが……それから派手な爆発音は鳴りを潜めてしまった。もう、一向に聞こえてこない。

「……今ので魔力が切れたね。無事だったうちの、一人」

「!」

 フェレライは随分とお楽しみである。必死にあがく人間の姿でも捉えているのか、面白いショーでも愉しんでいるかのように、その唇に笑みを湛えていた。

 性悪め。悪魔だから致し方無いか。ラーサが独り言ちる。

「聞いてる場合じゃないか……」

「あ、あの!」

 いつの間にか。再びフェレライの服を握りこむと、精霊はラーサへそっと片方の手のひらを差し出した。

 長い袖から覗く手指は細く頼りなく、華奢だ。精霊と自称するくせ、神々しさなんか感じられない。不安そうに眉を下げる表情は、ひどく人間くさかった。

「冒険者様……ラーサ様。わたくしは、未だ人よりも自分が世話をしていた魔物のほうが大事だと、思っております。でも、今や魔物たちは凶暴化し、苦しんでおります。ですからこれは、わたくしは……苦しんでいる魔物を救済するという名目で……」

 悪魔に与する存在が、人間へ肩入れするというのは、複雑な心境なのだろう。

 言葉を選びたがる精霊に首を振り、ラーサは続くだろう言葉尻を食わんと唇を開く。

「急ごうか」

 伸べられた手を取り、軽く握りこむ。

 もう一方、ラーサの利き手はすぐさま敵を斬りつけられるようにと、後ろ手に剣の柄を確りと握りしめている。

 ……そんなラーサの目に、精霊が魔物を弔った場所に茂る草花の存在が留まる。あれは、このタム・アンにおいて良く見かける花であった。

 優しい香りに、清楚な佇まい。小ぶりな花弁がいくつも咲き乱れる華やかで可愛らしい花。テルメの花だ。

「君は魔物を、私は人間を助けに行こう、テルメ」

「! はい……!」

 タム・アンの精霊などと呼び続けるのは、いささか面倒だろう。

 はっと目を見開いた一寸。精霊……テルメは、ラーサに首肯を示すよう大きく頷く。

 フェレライが振りほどかないのを見とめてから、テルメが転移の魔術を発動した。

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― 新着の感想 ―
フェレライとラーサとの温度差がすさまじい精霊だなぁと持っていたら、優しい子でしたね。応援したくなるキャラです。気に入りました。
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