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第8話 人の心の「龍安寺」

龍安寺は、堂本印象美術館から徒歩7分ほどの場所にあった。わたしたちが通った道は「きぬかけの路」というそうで、宇多天皇が真夏に雪見をするため、衣笠山に絹をかけたという故事にちなんで命名されたのだという。金閣寺や龍安寺、仁和寺など、有名寺院が並ぶ道として人気が高く、「観光道路」とも呼ばれていたらしい。


山門を通り抜けたところにある青もみじは、初夏の顔をしていた。枝の先端についている葉は黄色だが、幹に近づくにつれ深い緑色へと変化している。写真を撮っていると、外国人の団体客がぞろぞろとわたしたちを追い抜いていった。


連なる木々の隙間からは、大きな池が見えた。睡蓮の葉が池の表面を覆っている。


鏡容池きょうようちというんだよ」


わたしの視線に気づいたのか、間崎教授が言った。


「かつてはおしどりの名所で、おしどり池とも呼ばれていたそうだ。鏡容池を含む庭園全体は、国の名勝に指定されている」


「龍安寺自体も世界文化遺産なんですよね」


入口でもらったパンフレットには、「世界文化遺産登録」という文字があった。どうりで外国人観光客が多いはずだ。


「龍安寺は有名だから、君でも少しは知っているだろう」


「名前は聞いたことがあるんですけど……確か、紅葉の名所として有名ですよね」


「これだけもみじが多いんだから、それは当然」


そりゃそうだ。教授の言葉に、わたしはうなずくことしかできない。


龍安寺という名前は知っている。きっとお寺に興味のない人だって、観光雑誌やテレビのニュースで見聞きしたことがあるに違いない。だけど、その程度だ。わたしたちはいつも、名前を聞いただけで知った気になってしまう。桜の名所です、紅葉の名所です。そう簡単に紹介されて、簡単に足を運んで、写真を撮って帰っていく。誰が何のためにその場所を作ったのかも知らずに、その場所に込められた意味も知らずに、満足して帰っていく。


「龍安寺は、細川勝元が妙心寺の義天玄承ぎてんげんしょうを招いたことで創建された」


受付を済ませ、わたしたちは庫裡に入った。足裏がひんやりとして気持ちがいい。少し歩いただけなのに、額や首筋がじんわりと汗ばんでいる。


歩いてすぐ、白砂が敷き詰められた庭を見つけた。いたるところに大小の石が配置されている。


「有名なのが、虎の子渡しとも呼ばれているこの石庭。石の数を数えてごらん」


「あの、小さいのも含めて?」


「そう」


「1、2、3……14個です」


「はずれ」


「ええっ」


もう一度違う場所から数え直してみたが、やはり数は変わらない。


「やっぱり14個です」


「残念。本当は15個」


「嘘だぁ」


「龍安寺の石庭は、どの角度から見ても必ず石が14個しか見えないように作られているんだ。15という数字は、月が15日で満ちることから、東洋の世界で完全を表すとされている。その数字から一つ少なくすることで、不完全な庭を表現している、なんて説もある」


「意味は分かりましたけど、理屈が分からないです」


カメラを構えて写真を撮ってみるが、どうあがいても石は14個しか写らない。昔の人は、どんな計算をしてこの石庭を作ったのだろう。


「次は、君でも知っているものがあるよ」


方丈をぐるりと回っていくと、教授の言う通り、見知ったものが現れた。


「あ、知足のつくばい!」


そこには、金福寺で見たものと同じ形のつくばいがあった。中心の部分を「口」と見立てると、「吾唯足知(われただ足るを知る)」と読める。


金福寺は、教授と初めて一緒に訪れた場所だ。1回生の春、偶然恵文社で教授と出会い、偶然金福寺に行くことになった。わたしにとって金福寺は、教授と京都を巡ることになった、始まりの場所でもある。


「教授は、どうして写真がすきなんですか」


ふと思いついて、聞いてみた。前を歩いていた教授が振り向く。


「恵文社で、写真集を見ていましたよね。カメラを始めようとしたこともあるって。写真をすきになるきっかけみたいなものがあったのかなって」


教授はすぐに答えなかった。どう答えようか迷っているようにも見えた。わたしたちは再び靴を履いて外に出た。


鏡容池の中心にある弁天島には、弁財天の鳥居が建っていた。かつて豊臣秀吉も、「鏡容池には霊力がある」として礼拝したそうだ。鏡容池には二つの島があり、もう一つは虎が伏せているように見えることから「伏虎島ふしとらじま」というらしい。昔は石庭よりも鏡容池の方が有名だったのだという。変わらないものがある一方で、年月を経て、少しずつ変わっていくものもある。


「どれだけ上手に写真を撮っても、結局実際に目で見るのには敵わない。君は以前、そう言っていたね」


境内をしばらく歩いたところで、教授が口を開いた。両脇の木々が空を覆って、教授の顔に影を落としていた。


「確かにそうかもしれないが、写真は目で見たものを正確に伝えられる。写真をよりどころに、いろいろなことが思い出せる。その場所で何があったか、どんな音が聞こえたか、何を感じたか。そういう力があるから、写真がすきなんだ」 


写真は、記憶そのもの。そう、教授は言うけれど。


教授は、何かを思い出したいのだろうか、それとも、忘れたくないのだろうか。写真について語る時の教授は、どこか遠くにいるように感じる。近づいたと思ってもすぐに離れる。


わたしはずっと、適切な言葉を探している。少し間違えたらこの関係が壊れてしまいそうで、うまく問いかけることができない。


すきな映画は何ですか。休日は何をしていますか。出身はどこですか。どうして、京都がすきなんですか。


どこまで知ることがわたしに許されているのか、今のわたしには分からない。分からないから、わたしはカメラを手放せない。カメラがなかったら、きっと隣にはいられないだろう。


「わたし、たくさん写真を撮ります」


地面に敷き詰められた小さな石が、歩くたびにじゃりじゃりと音を立てていた。


「だからこれからも、いろいろな場所に連れていってくださいね」


懇願するように、言った。年齢だって、性別だって、歩く速度だって違う。京都と写真。それだけが、わたしたちを繋いでいる。


そうだね、と教授は言った。言いながら、おかしそうに笑った。短くて軽い言葉だった。たったそれだけの答えなのに、少しだけ、泣きそうになった。 


わたしはふと鏡容池を見た。先ほどよりも雲が増え、池も沈んだ色に染まっている。


かつて、おしどり池と呼ばれていた鏡容池。おしどりはどこへ消えたのだろう。時間が流れ、景色が変わっていくように、いつかわたしたちも変わってしまうのだろうか。そんなことを思いながら、わたしはまたシャッターを切った。


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