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第7話 交響「堂本印象美術館」

では美術館に行きましょう、と、間崎教授が言った。


わらび餅が功を奏したのか、教授の体調もすっかり回復したようで、講義も予定通り行われるようになった。結局あじさいはひとり近場で撮影を済ませた。梅雨真っ只中ということもあって、あまり出かけるのによいとは言えない天気が続いている。今年の梅雨明けは例年より遅くなるようです、と、お天気お姉さんが連日ニュースで伝えていた。


「教授の行きたい場所に行きたいです」


見舞いのお礼をしてくれるという教授に向かって、わたしは言った。それじゃあお礼にならないだろう、と教授は訝しそうな顔をしたが、半ば強引に押し切った。お寺や神社じゃなくてもいい。おいしい甘味でなくてもいい。普段、教授がどんなところを好み、どんな風に過ごすのか。少しでも、知っておきたいと思った。


「すごく個性的な建物ですね」


バスに乗っている時から、その独特な外観に目が釘づけになっていた。いざ近くで見てみると、白い壁にさまざまなレリーフが施されている。岩を粉砕して固めたようなものもあれば、なんと人の顔まであるから驚きだ。窓の面格子にも、枝のような装飾がなされていた。


京都には美術館や博物館が数多く点在している。今回教授が提案したのは、衣笠にある堂本印象美術館だった。最近ゆっくりと芸術を鑑賞する機会がなかったし、万が一雨が降っても楽しめる。それに、写真に通じるものがあるかもしれないよ。そう、教授は言った。


「堂本印象美術館は、外観から内装まで印象自らがデザインしているんだ。ヨーロッパで見学した宮殿や、邸宅を用いた美術館を参考にしたらしい」


無料で入ることができる庭園には、さまざまな形の椅子があった。ちょうど「野外工芸美術作家展」が開かれているらしく、現代作家の作品が展示されている。


雨が降るかと危惧していたが、梅雨とは思えないほどさわやかな青空が広がっていた。今宮神社の時といい、天候に恵まれることが多くて助かる。もちろん雨でも写真は撮れるが、髪はうねるし靴は汚れるし、あまりいいことがない。


美術館に入ろうとしたら、ガラス戸の取っ手に絵が描かれていることに気がついた。


「もしかして、これも印象の作品ですか?」


「そう。壁面の装飾も、案内板も、ステンドグラスもすべて。この美術館そのものが、一つの大きな作品と言えるだろう」


「じゃあ、わたしたちは今作品の中にいるんですね」


絵だけを鑑賞するつもりでいたが、どうやらそういうわけにもいかないようだ。見るものが多すぎて、目が二つだけでは足りそうにない。


堂本印象は、大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家だ。「伝統を打ち破って新たな芸術の創造を目指すことが真の伝統である」というのが彼の理念であり、その言葉通り、作品にはさまざまな主題や画風が見られるのだという。


「印象は61歳でヨーロッパに行ったことをきっかけに、具象画から抽象画へと画風が変化しているんだ」


教授は歩きながら、「爽山映雪そうざんえいせつ」という作品を指差した。雪が積もった壮大な山々が描かれている。そのすぐ近くには「仙人図 藍菜和らんさいわ」という、木にもたれかかった人物の絵があった。印象は30代で中国を訪れており、中国に関連する作品も多いそうだ。


しばらく歩いていくと、絵の雰囲気ががらりと変わった。「モンパルナス」というタイトルの絵にはパリの街を歩く人々が描かれているが、顔は見えず、体も記号的になっている。


「本当に、全然違いますね。同じ作者とは思えないくらい」


「それほど、彼にとって渡欧の経験が刺激的だったんだろう」


「ヨーロッパかぁ。わたしも行ってみたくなりました」


日本の文化もすきだけれど、海外の文化にも触れてみたい。お金に余裕ができたらパスポートを取って、いろいろな国を巡ってみたい。そこで撮る写真はまた、日本とは違ったものになるだろう。


3階あるサロンには、印象が使っていた画材などが展示されていた。大きな窓からは大文字と左大文字の両方が見える。すぐ近くには印象の邸宅があり、庭師が木々の手入れをしていた。


「印象は寺院との関わりも深くてね。東福寺の天井画や東寺の襖絵、大阪にある四天王寺の壁画など、いろいろな場所に印象の作品があるんだよ」


「そうだったんですか。じゃあ、気づかないうちに印象の作品を見ていたのかも」


美術館と寺社。一見まったく違う場所に見えても、実はどこかで繋がっていたりする。点と点が線で繋がる、この瞬間が気持ちいい。


わたしは堂本印象の年表を眺めた。少年時代から才覚を見せ、帝展に初出展した「深草」が入選し、その後もあらゆる分野でさまざまな功績を残した輝かしい人生が記されている。 


「教授は、絵を描くのは得意でしたか」


ふと、そんなことを聞いてみた。教授は少し考えてから、「きらいじゃなかったが、得意ではなかったな」と答えた。


「日頃から好んで描いていたわけでもないし。美術の授業くらいでしか描く機会もなかったよ」


「教授なら、上手に描けそうですけど」


学生時代の教授を想像したら、自然と笑みがこぼれた。


「わたし、小さい頃は絵を描くのが結構すきだったんです。ノートに落書きをしたり、友だちと漫画を描いたりして。でも、学校の写生大会だと、わたしよりもっと上手な子が入賞するんです。わたしの絵なんて佳作にも入らない。『あ、わたしって才能ないんだな』って、そう思ったら、いつの間にか落書きすらしなくなっちゃいました。習いごとも続かないし、趣味や特技と呼べるものって一つもなかったんですよね」


何をやってもうまくできない、何をやっても夢中になれない。カメラは、そんなわたしがやっと見つけた趣味だった。まわりの子たちが持っていない、自分だけの特別な武器だった。比べる人がいないから、勝手に得意だと思っていた。しかしコンテストで落選し、そのカメラでさえも、大して才能がないと気づいてしまった。


自分が特別だなんて、そんな大それたことを思っていたわけではない。ただ、努力をすれば結果が出ると、そう信じていたかった。神様は見ていてくれる。わたしのやってきたことには意味がある。そう、信じていたかった。


「じゃあ、君はカメラに出会えてよかったんだな」


教授は腕を組みながら、あっさりとそう言った。


「すばらしい才能だ」 


「……褒めすぎですよ、もう」


わたしは大きく伸びをして、遠くにある大文字に目をやった。初めて茂庵に行った時も、あの大文字が見えた。また今年も、オレンジ色の炎が灯るだろう。教授とふたりで、あの送り火を見るだろう。


「すぐそこに龍安寺があるから、ついでに行かないか」


美術館の外に出た途端、思いついたように教授が言った。わたしの大きなカバンを見て、試すように笑う。


「今日はまだ、全然写真を撮っていないでしょう」


「行きます、もちろん」


断る理由なんてどこにもない。すぐにカメラを取り出して、ストラップを首にかけた。


いつだってそうだ。平凡なわたしの写真に価値を与えるのは、神様なんかじゃない。


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