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94  花時計の針はわたしを示すから


 手渡された薬物を、ジルバがどうやって手に入れたかを、アルティは知らない。

 けれど、それだけの為に彼がどれ程の事をしてしまったのかを、理解してしまった。

 いつまでも過去に囚われて憎しみを捨て切れなかった自分の為に、彼はこれを用意してくれた。

 ならば、それに報いなければ。

 彼は、自分を救ってくれた人なのだから。

 その為になら、何だってしなければ。

 ──そう、何だって。


 *


 ひゅ、と手首に向かって蹴りつけてくる脚を手斧の柄で受け止め、押し返す。

 アルティは鮮やかな緑色の瞳を瞬かせ、瞬時に後ろから襲いかかってくるナイフを、振り向きざまに弾き返した。立て続けに右、左、と手斧でテッサに切り掛かり、そのまま左の手斧を彼に投げつける。

 両手を後ろに振り、膝を曲げて跳び上がると、にこ、と笑みを浮かべたアルティはくるりと回って落下地点にあるフィスカスの頭を目掛けて足を振り下ろした。

 体重が軽いからか、蹴りの威力は然程大きくはないのは理解しているので、即座に状況を判断し、押し返される反動を使って身体を捻る。

 軽やかに地面に着地すれば、左手の斧でフィスカスのナイフを受け止め、右手の斧を地面に引き摺りながら後ろへ向き、そのままテッサへの攻撃へと転じる。彼のナイフは耳障りな金属音を立てて手斧を弾いていた。

 刃こぼれを心配しているのか、怪我の有無を心配しているのか。距離を取ったフィスカスが僅かに眉を顰めているが、テッサは気にせず軽く手を振り、ナイフを握り直すと、ぎゅうと眉を顰めている。


「……やっぱり、ヘン」


 彼の呟きに、フィスカスが不思議そうに顔を上げた。


「変? 何が?」

「……!」


 彼が何を言おうとしているのか気付いたアルティは、その先を言わせないよう、テッサに向かって手斧を横薙ぎに斬りつけるが、彼は足をアルティの手首に当てて攻撃をいなすと、飛び退くようにして距離を取る。

 嫌な気持ちがじわじわと広がって、アルティの手には汗が滲んでいた。


「アルティ、傷つけること、怖がってる。ずっと、武器の狙い、おかしい」


 真っ直ぐに見つめてくる灰青の瞳が煩わしくて、アルティは咄嗟に視線を逸らしてしまう。

 視界に映る自分の手のひらは、動揺を示すかのように、微かに震えている。


「……違う」


 無理矢理胸を切り開いて内側を暴かれているかのような、そんな不快感に、アルティは思わず顔を歪めた。

 その些細な変化に目敏く気がついたらしいフィスカスは、腰に手を当て、大きく溜息を吐き出している。

 じわ、と嫌な汗が噴き出てきて、アルティは微かに震える手を誤魔化すように、手斧の柄を握り直した。


「……もしかして、あの事件でお前の家族を殺したのは、ジルバの方か?」

「違います!!」


 声を荒げれば、途端に息が荒くなる。

 まるで自分を責め立てるかのように、嫌な記憶がばかりが途切れ途切れに再生されて、アルティはその場に蹲りたくなるのを必死に抑えて歯を食い縛った。


 ぽっかりと底が空いたような眼。

 閉じ込められた部屋の暗闇。

 手にしたメッセージカード。

 ほんのりと光る青色の液体が入った小瓶。

 血塗れの自分のちっぽけな手のひらと、それを躊躇なく掴んでくれた、大きな手のひら。


 そのくせ、大切な人がちゃんと笑った顔さえ、思い出す事が出来ない。

 あの人は、どんなふうに声をかけてくれたんだっけ? どんなふうに笑っていたんだっけ?

 わからない。わからない。わからない!

 だって、あの事件が起きた日からずっと、彼の眼を真っ直ぐに見れなくなってしまって、いた、から。


「アルティが全部やったんです。全部、アルティが、あの人達を、ずっと、許せなくて……っ、だからっ!」


 それなのに、こんなにも泣きたくなる気持ちでいっぱいだなんて、どうかしている。


「師匠は、アルティを守ってくれただけです!!」


 あの人は、いつもみたいに優しく笑って、自分の代わりを果たしてくれた。

 意気地なしで怖がりで弱虫で、地面に這いつくばって泣く事しか出来なかった自分の代わりに、震える両手で握り締めていた薬物を抜き取ってしまった。


 そうすれば、自分を苦しめる人達を消し去る事が出来るから。

 そうすれば、もう二度と自分が苦しめられる事はないから。

 そうすれば、閉じ込められた部屋で蹲った子供はいなくなるから。


 あの日、自分の手を掴んでくれたかみさまは、そんないつまでも消えない願いを、叶えてしまった。

 叶えさせてしまったのは──、自分だ。


「だから、アルティは絶対に師匠の為に何でもするって決めたんです!!」


 眼を見開いたアルティは、手斧を振り上げ、勢いのままにそれを叩きつける。


 彼は傷ついた子供を守る為に、自分の手のひらが血塗れになる事さえ厭わなかった。

 そういう人だとわかっていたのに、止められなかった。

 なんで、いつも上手く出来なかったのだろう。

 何が間違っていたのだろう。


 涙が溢れてくるのを止められないまま、手斧を次々と二人へ切りつけた。

 視界が滲んで、狙いが上手く定まらない。

 それでも、動き出した手や足を、もう止める事など出来なかった。

 左手の斧でナイフを弾くと、姿勢を崩したテッサの顎を目掛けて蹴り上げる。

 だが、それを横からフィスカスが体当たりをして邪魔をして、アルティは地面へと転がった。

 砂利で擦ってしまったのか、じり、と手足に痛みが走るが、アルティは即座に体勢を立て直して、手斧の柄をしっかりと握り締める。

 痛くなんてない。

 あの人を傷つけた事に比べたら、ずっと、ずっと!

 考えて、ぐっと爪先に力を込めた、その瞬間。


「アルティ、ごめん」

「え?」


 悲しそうに顔を歪ませて、テッサは告げる。

 懐へ入り込むように斬り込んでくるテッサに、アルティは咄嗟に防御の姿勢を取るが、ナイフの代わりに目の前に飛び込んできたのは、小さな瓶だ。

 夕焼けに照らされた瓶が空中でくるくると回転して、中に入っていた液体を振り撒いている。

 空気に触れ、一気に揮発した液体は白い煙となって、アルティとテッサの周囲に散っていた。

 なに、と、思わず声を零せば、ガクン、とアルティの身体が地面へと崩れ落ちる。

 視界に映るもの全てが、酷く緩慢に見える。

 力を入れようと思っても全くいう事を聞いてくれない身体に困惑したアルティは、ぼんやりと目の前の少年を見上げた。


「──っ、痺れ、薬……!?」


 テッサがゆっくりと拾い上げた小さな瓶に入っていたのは、特殊配達員に支給される護身用の薬品の一つで、使用すれば対象を一定時間行動を押さえつける事が出来る、即効性の薬品だ。

 周囲に撒き散らせば、テッサ自身も無事ではない筈なのに、どうして。

 そんなアルティの疑問を浮かべた表情に、テッサは自嘲するかのように、口端を歪めて、言う。


「……オレは痺れ薬(これ)、効かないから」


 テッサは以前、様々な薬品を摂取させられていた、とアルティも聞いている。

 そのせいで、あらゆる薬の効果がきちんと現れないのだ、と。

 忌まわしい過去の恩恵だとしても、こうした形で役立ったのは、皮肉でしかないだろう。

 あはは、と、力無い乾いた笑い声が、アルティの歪んだ唇から零れ落ちている。

 掴んでいた手斧は地面に転がり、はらはらと、ぱたぱたと、声が、涙が、次々と地面へ落ちていく。


「……どう、すれば、よかったんですか……」


 どうしたら、アルティは正しくなれるんですか。

 どうしたら、師匠を守れたんですか。

 どうしたら、何よりも大切な人を守れるんですか。

 教えて下さい。


 アルティの弱々しい言葉に、テッサはフィスカスを振り返った。

 彼は何も言わずに小さく頷いて、ナイフをしまっている。

 どんなに求めても答えは返ってこず、それは、まるであの閉じ込められた部屋の中のようだとアルティには思えた。

 ぱたぱたと生温かい涙が地面に落ちてくるのを、他人事のように見つめる事しか出来ない。


「わからない、けど……」


 頭上から、ポツリと言葉が落ちてくる。

 長い影が自分を避けるようにして、地面に長く伸びている。


「ちゃんと、自分がした事、やっちゃいけなかった事、認める」


 テッサはしゃがみ込むと、アルティの顔を覗き込んだ。

 真っ直ぐに見つめてくる灰青の瞳は、大切なあの人の眼に似ているようで、全く違う。


「もう二度と、間違えないように。大事な人を、ちゃんと守れるように」


 ひとつひとつを確かめるように、自分自身に言い聞かせるように。

 それは、彼も自分と同じように何かに迷って苦しんできた事への贖いのように、アルティには感じられていた。


「アルティ、オレに言った。伝言局のみんな、仲間だって」


 だから、と、まるで小さな子供にでも言い聞かせるように両手を取って、テッサは優しい声で言う。


「だから、ちゃんと、謝ろう?」


 握り締めてくれる手のひらは、大切な人の手のひらではなかったけれど、あの時に触れたあたたかさを思い出すようで。

 涙が、次から次へと零れ落ちてくる。

 嗚咽混じりに呟いた言葉は、きっともう届かないけれど。

 それでも、アルティは何度だって繰り返していた。


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