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07「『傲慢』は貴族の義務である」

 

 アムレート公爵家から学院までは、速度よりも乗り心地が重視される貴族の馬車で十五分ほどを要した。十分に近いと言える距離だろう。


 この国の貴族は――地方に領地を持つ者も辺境に居を構える者だろうとも――例外無く王都の貴族街に別邸を所有しており、学院に通う生徒らはそれぞれの住まいから毎朝登校していた。隣国の「学園」のように在校生を幾つかの寮に分けて押し込めて集団生活を強いるような事はなかった。学院は貴族の学び舎だ。生徒一人につき一人の付き添いも認められていた。テルマで言えばロウセンであり、クラウディウスはキルテンを付き添わす事にしていた。


 大きな校門の前に着いた。テルマとクラウディウスを乗せていた馬車が停まる。


「――テルマお嬢様」


 ロウセンに声を掛けられてテルマははっとする。


「クラウディウス。もう良いわ。手を離して頂戴」


「え……でも。まだ……」


「もう学院に着いてしまったのよ」


 テルマはふっと笑ってしまった。クラウディウスはしゅんと眉を歪める。


「クラウディウス様」


 キルテンに声を掛けられて「はあい」と渋々、クラウディウスは馬車を降りた。


「では。テルマお嬢様も」


「ええ」


 先に馬車から降りていたロウセンの手を借りてテルマもアプローチへと降り立つ。馬車が停まったのが校門の真ん前ならテルマが降りた場所も通学路の真ん中だった。テルマェイチ・アムレートは公爵家の令嬢なのである。それらは当然の行動だった。


 公爵は王族に次ぐ最高位貴族だ。その御令嬢が御登校となれば、最上級生の主席であろうとも道を譲る。下手にテルマが校門から離れた場所に馬車を停めたりすれば、公爵よりも下の位となる貴族――つまりはほぼ全ての生徒達がそれよりも更に離れた場所に馬車を停めなければいけなくなり、テルマが広い通学路の端を歩けば他の皆は舗装されている通学路自体から外れて隣の花壇の中でも歩くしかなくなってしまう。


 上位の貴族を差し置いて道の真ん中は勿論、主従関係にも無い者がそのすぐ後ろを歩くような事も「いずれは追い付く」や「すぐに同格となる」といった意に取られて不興を買わぬようにと気を回してしまい、誰も「通学路」を歩けなくなってしまう。


 偉い立場に居る人間は偉ぶらなければいけない。そうしなければ周りが困るのだ。


「クラウディウス。そんな所に立っていないでもっとこちらにいらっしゃい。背筋を伸ばして。前を見て。堂々と歩きなさい。――あなたはわたくしの妹なのだから」


 テルマのそれは傲慢ではなく義務であった。


「おはようございます。テルマェイチ様」


「おはようございます。アムレート公爵令嬢」


「おはようございます」


 テルマ達が道の真ん中で立ち止まっている間中、その道の端を通り過ぎる生徒達に挨拶をされ続けていた。通学路であるアプローチは広い。真ん中と端でこれだけ離れていれば「通り過ぎる」事も出来ようがそれでも一部の気を回し過ぎるきらいのある家の子供達はテルマの後方――校門の辺りで立ち止まっていたりもしていた。


「クラウディウス。行きますよ」


 歩き出そうとしたテルマに「あの……」とクラウディウスが声を掛けてきた。


「大丈夫ですか? お姉さま。歩いても。その、まだ体調が」


「クラウディウス様」


 クラウディウスがまだ喋っている途中で、その専属メイドであるキルテンがそっと耳打ちをする。侍従の行動としては中々にありえないものだった。


「貴族は他人に弱みを見せません。人前で御家族のネガティブな話はお控え下さい」


 キルテンに言われてクラウディウスは「あ」と声を漏らした。


 それはルールでもマナーでもなく高位貴族としての心構えの話だった。


 また理不尽に急な後出しで叱られているわけでもない。クラウディウスは事前に勉強させられていた。その事を忘れてしまっていたのだ。失態だった。


「あの。ごめんなさい。お姉さま」


 クラウディウスは眉を曲げながらとててと小走りで、少しばかり先を歩くテルマを追い掛ける。


「クラウディウス。走らないの」


 横に並んだ妹にテルマは軽く苦い微笑みを掛ける。


「あの。はい。ええと」


 クラウディウスは言葉を選びながら、


「言いませんし他の方には分からないようにしますから。……お手を」


 テルマの手を取った。


「く、クラウディウス?」とテルマは驚く。


「姉妹でも人前で手を繋いだまま歩く事は、その、ダメでしょうか? 貴族は」


 俯き加減からの上目遣いでクラウディウスはテルマの事を見る。……カワイイ。


「魔力ちりょ……ええと『アレ』は別に光ったりとかするわけでもないので。他の人からは手を繋いでいるだけに見えますし」


 並んで歩きながら喋りながらも、クラウディウスに握られているテルマの左手には聖属性の魔力がどんどんと流し込まれていた。


 馬車の中ではクラウディウスに手を握られているという大きな事実に気を取られてしまっていて、他の事には全く気が回っていなかったが、なるほど、聖属性の魔力を流し込まれるとはこういった感覚なのか。涼しい日に手を適温の湯の中に突っ込んでいるかのように――じんわりと温かさが体の芯まで伝わっていく。


 通学路である校門から校舎までのアプローチには現在、多くの生徒達が居た。皆、登校途中であった。公爵家の令嬢であるテルマェイチ・アムレートはただ歩いているだけで皆の視線を集めていた。特にテルマが何をしているわけではない。服装も皆と同じ制服だ。ただテルマは皆から敬われる立場の人間だった。一人が気付いて挨拶をすればその声に気が付いた別の人間がまた挨拶をするといった感じでいわば連鎖的にその存在が広まってしまっていた。


 またそれは日常茶飯事でもあった。高位貴族の令嬢として見られる事にはテルマも慣れていた。人目に怯む事はない。むしろ他人に見られていると思えば自然と背筋も伸びる。口許にも余裕ありげな微笑みが浮かぶ。足運びは余計に優雅になる。


 多くの他人の目があったこの場でならクラウディウスに手を握られても、テルマは平静でいられた――平静を上手に装えていた。


「クラウディウス。もう大丈夫だから。手を離しなさい」


「でも」


「あなたも疲れてしまうでしょう。今日は入学式なのよ。式が終われば実技のクラス分け試験もあるわ」


 テルマが今朝に思い付いた作戦――聖女候補と目されるくらいに才能溢れるクラウディウスには申し訳ないけれども試験で少しだけ手を抜いてもらって、今後の実技はわたくしと一緒に中の上ランクの授業に参加しましょうとは、朝食の時間に伝え済みだった。


「覚えていますわよね? クラウディウス。朝食の席でしたお話は」


 前を向いたままテルマは小さな声で囁いた。


「え……あ、はいっ。覚えてます。もちろんです」


「離しなさい」と言われたその手を未だに握っているままクラウディウスは頷いた。


「お姉さまと同じ授業を受けられるようにがんばりますっ!」


「声が大きいですわよ」


 冷静に注意しながらテルマはクラウディウスに握られていた手をさっと引き抜く。上手に逃れた。……流石に限界だった。他人の目が多くあろうとも。優しく強く手を握られたまま、あんな事を言われてしまっては。分かってる。でも。テルマはクラウディウスが口にした言葉の意味を勘違いしてしまいそうになる。


 どくんどくんと胸から広がり伝わってくるその熱を、テルマは「公爵令嬢」の顔でやり過ごす。熱くなり掛かる頬や頭を意識の外に置く。……いいえ。わたくしは熱くなんてなっておりませんけれども? と自己暗示を掛けて熱を逃がす。


「まあ。まあ。『お姉さまと同じ授業を受けられますように』なんて可愛らしい」


「お顔を拝見するのは初めてですが。あちらが例の養子となられた方では」


「お名前は確か……クラウディウス様だったかと。お姉さまがお好きなのね」


「でも。テルマェイチ様は今、クラウディウス様の手をお払いになったような……」


 ざわめきにも至っていない周囲の囁き声など、今のテルマには聞こえているはずもなかった――が、


「健気な事だな」


 不意に現れたその男性はわざわざテルマとクラウディウスの前に立ち塞がってから言い放った。ふんッ――と鼻息のオマケまで付けて。




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