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06「見ざる聞かざる言わざる眠りメイド(+アルカイック・スマイル)」

 

 テルマェイチ・アムレートの瞳は青色をしていた。目頭から目尻に向かってゆるく跳ね上がって落ちる丸いアーモンド型の目をしていた。意思が強そうだという印象を与える目の形だった。


 クラウディウス・アムレートの瞳は淡褐色だった。黄色に近い淡い茶色に薄っすらと緑色が混ざっていた。その目は大きくてまんまるだった。可愛らしさと同時に幼さを覚える目の形だった。


 テルマェイチ・アムレートの髪は金色をしていた。太い直毛で色合いの濃いハニーブロンドだ。陽の光を反射させるというよりは吸収しているみたいな深い色だった。


 クラウディウス・アムレートの髪もまた金色をしていた。一本一本は細いが毛量はあって全体的にはふわふわとしていた。陽の光に同化するようなプラチナブロンドは無垢で無邪気な雰囲気を醸し出していた。


 テルマェイチ・アムレートは美しい少女だった。この年頃の女性にしては背も高く姿勢も正しかった。


 クラウディウス・アムレートは可愛らしい少女だった。遠慮がちな俯き加減から、上目遣いに相手を窺い見るその仕草には誰であろうと庇護欲を掻き立てられてしまうだろう。これから伸びる可能性は十二分にあったが今はまだ背も低かった。


「え……と。あの……クラウディウス?」


「駄目です。お姉さま。目を逸らさないでください」


 二人は今、学院へと走る馬車の中に居た。向かい合った形で座っていた。


 公爵家所有の最高級品ながらそれでも馬車の中は狭かった。斜向いではなく完全に向かい合って座っていた場合にはどうしても膝と膝とが触れ合ってしまうような狭さだった。ただでさえそのような狭さなのに、


「お姉さま」


 テルマの向かいに座ったクラウディウスは背もたれから背中を離して半歩前に出ていた。テルマにぐっと近寄っていた。


「わたしの目を見てください」


 クラウディウスは真っ直ぐにテルマの目を見詰めていた。テルマは、


「いや……その……目を見てと言われても」


 顔の正面はクラウディウスに向けながらも、その青い目は右に左に上に下にと逃げ回っていた。


 クラウディウスはクラウディウス――わたくしの「妹」だとテルマが再確認をしたのはほんの小一時間前の事だというのに。今、テルマの目の前にはテルマが知らないクラウディウスが居た。


「お姉さま」


 何でそんなに前のめり? 何か近い。下からではなくて真正面から真っ直ぐに向けられた目が強い。鼻息が荒い――と感じられるくらい近いのか。


「遠慮がちな姿に庇護欲をそそられる」の逆だ。


 強気で来られると必要以上に身構えてしまう。……必要以上? 「妹」相手に何がどれくらい「必要」なのか。分からない。


 だが事実、積極的なクラウディウスにテルマの心は引いていた。その身は固まってしまっていた。逃げ出してしまいたくなる。でも体は動かない。ぐるぐると忙しなく回ってはいる頭もまともには働いていなかった。


「うう……」


 逃げられない。狭い馬車内、妹の手前、色々な意味で。


 助けを求めるように目をやったが隣の席のロウセンは我関せずといった感じに目を閉じていた。……確実にわざとだ。何のつもりか、どんな意味でかは知らないが。


 藁にもすがる思いで斜向いの席のキルテンにも視線を投げたが彼女は彼女で非常に穏やかな――中身の無さそうな微笑みをたたえてこちらの方を眺めていた。


 ……流石は公爵家の令嬢に仕える専属メイド達だ。片や厳格、片や放任とそれぞれの主人に見合った態度を見せ付けてくれた。よくできた方達ですこと……。


 助けが望めないのであれば自分でどうにかするしかない。


 テルマは息を吸い込んだ。


「とりッ、とりあえず手を」


「放しません」


 言葉の途中でクラウディウスが拒否を示した。ありえない。あのクラウディウスが「話の途中」で「拒否」するなんて。


 二人が馬車に乗り込んですぐから、テルマの右手はクラウディウスの手に捕まってしまっていた。クラウディウスは皿にした左手にテルマの手を乗せると右手でふたをしてきた。強くはない力ながらそれでもしっかりとサンドされてしまった。


 どうしてそんな事をされたのか。してきたのか。それは、


「駄目です。お姉さま。お顔がまだまだ赤いです。汗もかかれています。むぅ……、気のせいでしょうか。呼吸なんかは最初よりも荒くなってきてるような……」


 昨夜に風呂場で倒れて以降、翌朝の挨拶時から朝食の段になってもまだ本調子には見受けられなかった姉のテルマに聖属性の魔力を流し込む為であった。孤児院時代の幼少期からクラウディウスが得意としていた魔力治療である。


「でも大丈夫ですから」


 クラウディウスの表情は自信に満ちていた。テルマはどきりとしてしまう。それはまたテルマの知らない顔だった。


「お姉さまは治ります。わたしが治しますから。わたしに任せてください」


「……ええ。その……ありがとうございます」


 ふと彼女が公爵家にやってきた半年よりも前――クラウディウスがまだ「クロウ」だった頃の顔なのかもしれないとテルマは感じた。


 その顔が治療中の患者を安心させる為に作られた癖のようなものなのかそれとも、自身の能力を発揮している現状でにじみ得る自己肯定感から自然と浮かべられた表情なのかまでは分からないが。


 強気な慈愛とでも言おうか。頼りがいのありそうな優しさ。安心感を与える大きな表情。一年半前に母親を亡くしたばかりのテルマが思うに。それは母性というよりも父性的な顔だった。


 テルマの右手を包み込むクラウディウスの両手に柔らかな力が込められる。


 ――うひゃッ。


 何だろうか。くすぐったいともまた違う感覚だった。


 テルマの緊張が増す。


 クラウディウスの魔力治療は相手の地肌に触れていないと出来ないらしい。昔話で語られるような「癒やす効果のある光」を作り出して負傷者に当てたりや辺り一面を照らし上げるといった「治癒魔法」とは全くの別ものなのだそうだ。詳しくは実技の授業で当人がこれから学ぶだろう。「らしい」や「だそうだ」と曖昧な話ではあったが、今はまだクラウディウス本人も良く分かってはいない事を更に聞かされただけのテルマにはもっと「良く分かっていない」事だった。


 二人が「姉妹」となって半年――「まだ半年」であり「もう半年」でもあった。


 この半年の間、何事にも控えめなクラウディウスの手をテルマが引いた事は何度もあったが、クラウディウスの方からテルマの手を握られた――正確には包み込まれているといいますか、テルマにしてみれば捕まえられている感が強いのだけれどももう「握る」で良いでしょう?――のは今回が初めての事かもしれなかった。


 お父様の手のように大きくもゴツゴツもしていなかったが、何だろうか――昨夜の風呂場でクラウディウスの性別を知ってしまったせいなのだろうか、自分の見る目が変わってしまっただけなのだろうか。そう思うと何だか自己嫌悪にも似た嫌な気分となってきてしまいそうだけれどもそうではなくて――胸がどきどきしていた。


 今と今迄の違いは、テルマがクラウディウスの本当の性別を知ってしまっているという事だけではなかった。テルマの手を握るクラウディウスが自らの手にしっかりと力を込めているという事があった。


 これまでの場面では握り返される事無くためらいがちに添えられていただけだったクラウディウスの手が今は優しく力強くテルマの手を握っていた。


 思えば、公爵家の令嬢で一人っ子でもあったテルマは同世代の誰かに手を握られるという経験はした事がなかったかもしれない。忙しくしている父や病弱だった母とも数えるくらいしか手を繋いだ事はなかった。


 ダンスの練習で手を取られるのとも違う。誰かに手を握られるという事がこんなにも心をかき乱すものだったなんて知らなかった。


 初めての事だからだろうか。経験を積めば慣れるものなのだろうか。


 経験を積むという事はつまり、何度も手を握られなくてはいけないという事で……慣れて平気になる前にわたくしの心臓は爆発してしまうと思うのです。だって。今が限界。もう無理だから……。


「――大丈夫です」


 遠くからクラウディウスの声が聞こえた。手と同じ。力強くて優しい声だった。


「お姉さまが何のご病気だったとしてもゼッタイにわたしが治しますからっ」


 胸が騒がしい。熱い。まぶたが重い。足の裏からにじみ出ている汗が気持ち悪い。


「ああっ!? お姉さまのお顔がまた更に赤く――っ? だ、大丈夫ですからねっ」


 気が遠くなってきていたテルマの隣でロウセンは目を閉じていた。その向かいではキルテンが微笑んでいた。


 だから。きっと本当に「大丈夫」ではあるのだろう。どきどきのし過ぎでこの胸が壊れてしまうような事は無いのだ。安心。あんぜん。だいじょるぶ……。


 テルマはくらくらとしている頭でそんな事を考えていた。




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