03「聖女様って男性でもなれるのかしら?」
「でも。街の孤児院に居たクラウディウスは聖女の最有力候補として我がアムレート公爵家の養子となったのよね」
「はい。クラウディウス様は浄化や治療に必要な聖属性の魔力が長じておりまして、お噂を耳にした旦那様が実際にその目で確認をされた後、養子に迎えられました」
「確かに。クラウディウスの魔力治療は凄いわよね。擦り傷や切り傷程度なら一瞬で治してしまうし。断続的にでも魔力を浴びせ続ければ大抵の病魔は退けられるとか」
言いながらテルマの声は段々と小さくなっていっていた。
「…………」と少しだけ黙り込む。
テルマの母親はクラウディウスが養子となる一年前に病死していた。もしもクラウディウスがあと一年早くアムレート家にやってきていれば、テルマの母親は今もまだ健在であったかもしれない。……今更の話だ。テルマもわかってはいる。
「お嬢様……」とロウセンが呟いていた。テルマは半ば無理矢理に明るい声を出す。
「魔力の高さだけじゃないわ。優しい性格もそう。自己犠牲の精神というのかしら、我が家にやってきたばかりの頃は自分の食事を半分も摂らずに残しておいて、夜中にこっそり孤児院に持っていっていたりもしたわね」
「あの当時は幾ら栄養のあるお食事をお出ししても痩せ細ったままのクラウディウス様を見て『聖属性魔法は生命力を消費するのか』『聖女を消耗品にしてはならない』『彼女も幸せになるべき一人の人間だ』と公爵家中大騒ぎでクラウディウス様を太らせようとあれやこれやを致しましたね」
「そうだったわね」
テルマは「懐かしいわ」と微笑んだ。
「結局、クラウディウスが最初の痩せぎすな状態のままちっとも太っていかなかった理由は出されていた食事をほんの少しだけずつしか食べてはいなかったという単純なものだったけれども」
その訳を知ったテルマとテルマに聞かされた公爵家から、孤児院には十分な寄付が継続的にされる事となった。おかげでクラウディウスは自分の食事を孤児院に持っていこうとする事は止めて自身で摂るようになり現在は順調に健康的な身体を取り戻しつつあった。……いや。その生まれ育ちを考えれば「取り戻し」ではなく「はじめて手に入れる」のかもしれない。
「将来はクラウディウスが聖女様になられるのだと――いいえ。彼女が聖女様なのだとわたくしもずっと思っていたわ。……でも」
そう。またしても「でも」である。
「――聖女様って男性でもなれるのかしら?」
当然の疑問であった。
「言葉で見れば『聖女』は女性です」
ロウセンが私見を述べる。
「ただ聖女様のお役目に関して言えば性別は関係ございません」
聖女の役目。それは有事の際や年に一度の定期的な祈りであった。具体的に言えば広大な国土全てを覆う超巨大結界の要に聖属性の魔力を大量に注入する事である。
その「お役目」は今から二千年前と言われている建国時から連綿と受け継がれているとされており、当代の聖女はその七十三代目に当たる。
この「史実」はこの国で暮らす人間であれば子供でも知っている話だった。当然、テルマも知っている。
「聖属性の魔力を持つ者ならば男性であろうともお役目は行なえます」とロウセンは言ったが、
「あら。聖属性の魔力は女性にしか宿らないのではなかったかしら。だとすれば幾ら言葉で遊んでも事実上、聖女のお役目は女性にしかこなせない事になるわ」
テルマは首をひねる。
「女性にしか宿らないのではなくて『心根の優しい女性に宿りやすい』などと言われてはおりますね。ただそれも単なる社会通念と言いますか根拠の無い風評でしかありません。実際には聖属性の魔力を有した男性も相当数居るはずです」
「そうなの? 聖属性の魔力を持った男性なんて見た事も聞いた事も無いわよ? ――クラウディウスの件は置いておいて」
魔力自体は全ての人間が有しているがそれを自由に操れる者はそう多くなかった。その多くない数を更に「聖属性」「闇属性」「火属性」……といった数種類に分けるのである。「聖属性の男性を見た事が無い」と言ったテルマだったが、社会通念上は普通に居るはずの「火属性の女性」や「土属性の男性」もまた見た事が無かった。
そもそもが「何属性の誰それ」を見る機会が少ないのだ。普通に生活をしている姿を見ただけではその相手が何属性の魔力を有しているのかなんて分からない。
「聖属性の男性はとかくその事実を隠したがるのですよ」
溜め息のようなものを吐きながらロウセンは言った。
「……どうしてかしら?」
「イメージの問題でしょう。『心根の優しい女性に宿りやすい』だのと言われて『聖属性=女性』の印象は強いですからね」
「そんなの……」
「男性の多くは女性的だと言われる事を嫌うのですよ。言った側に悪気は無くとも、言われた男性にとっては――少なくとも褒め言葉とは捉えません」
ロウセンは「お嬢様もそのような機会にはお言葉に注意なさってみてください」と助言をくれたが、どのような場面で男性の女性的な一面を目の当たりに出来るのか、具体的には想像も出来ていなかった。
「聖属性と性別に因果関係はありませんので。聖属性の魔力を多く有しているのでしたら男性であっても問題無くお役目自体はこなせます」
「問題は」とロウセンは続ける。
「慣例の方ですね」
「慣例? 何かあったかしら?」
「テルマお嬢様。当代の聖女様がどなたかは御存知でいらっしゃいますか?」
「勿論。現王陛下の弟君の奥方様――王弟妃殿下よね」
「では先代の聖女様は?」
「分かるわよ。先代の聖女様は現王陛下のお母様……あ」
パッと大きく見張った目でテルマはロウセンを見る。ロウセンは頷いた。
「聖女様は代々、王族に嫁ぐ事が慣例となっております」
そうだ。忘れていた。何で忘れていたのだろう。大きな事なのに。
だからこそ孤児であった「クロウ」をアムレート公爵家の養子にする必要があったのだ。「クラウディウス」と貴族風の名前にまで変えさせて。全ては「聖女」であるクラウディウスが輿入れをする予定であった王家との釣り合いを取る為であった。
男性であっても聖女の役目は果たせる。しかし「聖女」が男性では王族に嫁ぐ事が出来ない。それは些末で大きな問題だった。
クラウディウスの確かな実力を見て彼女を聖女と認めるのか、それとも王族に取り入れられないという政治的な理由から聖女とは認めないか。
どちらに転ぶのかテルマには全く分からなかった。予想もつかない。
「公爵家が養子にまで迎えた聖女候補が実は男性でしたなんて……笑い話では済まされないわよね?」
「王家を騙したとなれば重罪――死罪は無いにしても降爵か褫爵か。今のまま公爵の地位には居られないでしょう。大事にはしたくないと王家が『実は知っていた』とか『騙されたとは思っていない』等と庇ってくださったとしても他の貴族の方々は確実に騒ぐでしょうから。貴族社会に混乱を招いたとしてそれ相応の責任問題にはなりましょうか」
ロウセンは「とてもではありませんが――笑えません」と軽く目を伏せた。
「どうしたら良いのかしら」とテルマは表情を曇らせる。
「そうですね。クラウディウス様はまだ学院にも通われていませんから。世間的にはその存在を知られておりません」
クラウディウスは現在十二歳。本格的な社交界デビューにはまだ少し早い年齢ながら高位貴族の子供ならば誕生会などの比較的小規模なパーティーを主催する事で貴族社会に対して実質的なお披露目を早めに行うという事も珍しくはなかったが、当の本人が不特定多数の人間の前に出る事に関して消極的であった事も言い訳に加えて、清廉で高潔な聖女候補としての演出といった意味合い色濃く、クラウディウスは俗世的な社交の場には未だ一度も参加してはいなかった。
「――ですが。王家を始めとした上流階級の方々は一様に耳が早くて情報には敏感でいらっしゃいますから。アムレート家が養子を迎えた事、その少女が聖女候補である事自体は広く知られてしまっているとは思います」
「ええ。ええ」とテルマはロウセンの話を咀嚼する。
「ただそれらは各家が独自に入手したあくまでも『噂話』です。公式的な文章でもなければ正式な報告でもありません」
「つまり……?」
「アムレート家が養子に迎えた少女は『ただの少女』であり聖女候補などではないとしらばっくれてしまうというのも一つの手だとは思います。今ならばまだ『聖女』の情報は先方の勝手な勘違いであり覆してしまったとしても騙した事にはなりません」
「…………」と少しだけ考えてからテルマは「でしたら」と言ってみた。
「もうクラウディウスは男性であると公表してしまってはどうかしら?」
しかし「残念ですが」とテルマの提案は即座に否決されてしまった。
「明日から始まります学院に提出済みの必要書類には女性と書いてしまっておりますし、男性用の制服を今から手に入れようとしても今夜の明日では間に合いません」
「何よりも」とロウセンは口を大きく動かした。
「クラウディウス様御当人が自身を女性であると信じておられるようですので」
「……そうね」
テルマは頷いた。
「クラウディウスはわたくしの『妹』でしたわね」
「…………」とロウセンは頷くように目を伏せた。
テルマは呟く。
「せめて学院では聖女候補だなんだと思われないようクラウディウスには出来るだけ目立たないように過ごしてもらわなくてはね」
――ふと、
「そういえば。お父様は知っていたのかしら? クラウディウスの性別」
テルマの脳裏に父――ゲルトルデ・アムレートの顔が浮かんだ。
近頃は仕事が特に忙しいようで最後に顔を合わせたのはもう十日も前になる。
「……今度、聞いてみましょう」
事が事だけで人づてや手紙では尋ねられない。
この家の中の誰と誰がクラウディウスの本当の性別を知っているのかそれとも誰も知らないのかテルマには何も分かっていなかった。