22「鶏も卵も無い世界で」
老教師が曰く――。
「――イメージが重要なのです」
的に小石を投げ当てる時、指先から遡って手首、前腕、肘、上腕、肩、肩甲骨、背筋、更には腰から下半身へと体中の筋肉や関節を駆使して小石を投げるが誰もそれを意識しながら行っているわけではなかった。
人間は「的に小石を投げ当てる」事をイメージするだけで実際の動作は無意識的に行っているのだ。自然と。体が勝手に動く。
「顕現化させた魔力の魔法化も同じ事です」
幻の如き魔力に質量を持たせて現実の現象としたものを魔法という。だが「魔力に質量を持たせよう」と意識したところで簡単に出来るものではなかった。そもそもが「質量を持たせる」という事から通常の人間には解らない。
「ですので。イメージをするのです。水属性のテルマェイチ様はその魔力を本物の水らしく、火属性のホラティオ様なら御自身の魔力を本当の火と同じものだとイメージしてください」
「本物の水らしく……」
「……本当の火と同じ」
名前を挙げられたテルマとホラティオの二人がそれぞれに呟いた。
老教師はにこりと静かに微笑んでから話を続ける。
「例えば。本物の水ならば浴びせる事で火を消せますね?」
「……本物でしたら」とテルマは肩をすくめて答える。
「水属性の魔力を浴びせて、ろうそくの火でも消させようという事でしょうか」
「おっしゃりたい事は分かりますが」とテルマは首を横に振る。
「単純なお話ではありますけれども、簡単なお話ではありませんわよね」
「そうなんですか?」
横からクラウディウスが口を挟む。……「聖女候補」のクラウディウスならばそれこそ「簡単」にやってのけてしまいそうだが。少なくとも今のテルマには無理だ。
「実際の火に魔力の水を浴びせたところで何も起こりませんから」
「あの、テイン先生が言っていたみたいに『火が消える』事をイメージすれば……」
「そう都合良くいくとは思えませんが。仮に全てがイメージ通りになるとするならば余計に『難しい』かもしれないわね」
テルマが口にした言葉の意味がよく分からずにクラウディウスは「お姉さま?」と小首を傾げる。
「『水属性の魔力を浴びせても、ろうそくの火は消えない』――それを、わたくしは『知っている』のよ。実際に試してみた事があるの」
魔力を顕現化させられた者ならば誰もが試すであろう事の一つだ。
「ホラティオ・レイショホー。あなたもその『火』で何かを温めようとしてみたり、燃やしてみようとした事があるのでは? そして、燃えも温まりもしなかった」
顕現化されたその魔力で何が出来るのか。もしくはその顕現化させた魔力に質量を持たせた「魔法」も自分ならば簡単に放てるのではないか。
「まあ。そうだな」とホラティオも頷いた。そう。誰もが思うのだ。
テルマは、ほんのほんのほんの……少しだけホラティオ・レイショホーに親近感を覚えてしまった。苦笑する。
「テイン先生に倣って言えば――『水属性の魔力を浴びせても、ろうそくの火は消えない』という『イメージ』がわたくしの中にあるのよ。その『事実』を無かった事として『ろうそくの火が消える』事をイメージするのはとても『難しい』わ」
「お姉さま……」とクラウディウスは何故だか寂しげに呟いた。
……「寂しい」のはこちらの方よとテルマは唇を尖らせてしまいたくなる。ただの「魔力に関する実体験」だ。そんな程度の事でも、テルマから見てクラウディウスをホラティオ・レイショホーごときよりも遠くに感じている事実に寂しさを覚える。
「そうですな」
テルマやホラティオの反論や反応は想定内だったとばかりに老教師は、
「まずはそのイメージを塗り替える所から始めましょうか」
穏やかにだが少しも引かずに話を進める。
「塗り替える? どうやって?」とホラティオが尋ねる。素直な男だ。
「簡単な話です。実際にやってみれば良いのですよ。水で火を消すのです。火で水を温めるのです」
「……それが出来れば苦労はしねえ――ませんよ」
同感だ。
「鶏が先か、卵が先か――みたいな話ですわね」
テルマは息を吐く。
すでに鶏も卵も存在している世界からすればそれはただの言葉遊びに過ぎないが、実際にそこから始めようとするならばこれ以上の難問は無いだろう。
「すでに魔法を扱える人間の戯言ですわよ」
とてもではないが学院の教師が口にするに相応しい言葉だとは思えない。
「確かに。現実の火を魔力の水で消す事は出来ませんが、その『火』が魔力で出来たものであればどうでしょうか」
「……それなら」とテルマは口を閉じる。
「ホラティオ様。『火』を出して頂けますかな。体から離して、地面に置く事は……――はい。結構です。素晴らしい」
言われるがまま「火」を出すもホラティオは何をさせられているのかよく分かっていない様子であった。それでも「素晴らしい」と褒められた際には「へへ」と素直に喜んでいた。……素直が過ぎる。単純な男だ。
「テルマェイチ様。こちらの『火』に『水』を浴びせてみてください。それらは同じ魔力ですので、より強く濃い魔力を当てる事でもう一方を打ち消す事が出来ます」
ホラティオの作った「火」よりも強くて濃い魔力、か。
万が一にも消せなかったら――。
「…………」
テルマは思い切り魔力を込めた「水」を、ホラティオの出した「火」に浴びせた。
すると――ジュッといった消火音は無かったが見事にその「火」は消え失せた。
だが、
「んー……少し力が入り過ぎてしまっていましたかね」
老教師には見抜かれてしまっていた。
テルマはその「理由」まで見透かされてしまったような気がして、
「……お恥ずかしい」
軽く目を伏せた。
「ほっほっ。何も恥ずかしい事はありません。次からは『水』の魔力をギリギリまで抑えてみてください。魔力の強さで無理矢理に打ち消したのではなくて『水』として『火』を消したのだとイメージするのです」
フォーブラス・テイン先生はまるで優しく教え諭すように言った。
「同じ魔力の強さでも『水』ならば『火』を消せる」
すり込むように言い聞かせてくる。
「少し弱いくらいの魔力でも『水』ならば『火』を消せる」
「先生……」とテルマは返事の代わりに呟いた。
残念ながら。テルマェイチ・アムレートはホラティオ・レイショホーほど素直ではなかった。
フォーブラス・テインは「おっと」と気を取り直す。気を取り直してみせた。
「少々、先走ってしまいましたね。まずは強過ぎない適当な魔力で『火』を消して、消して、消して、その『水』で『火』を消せるという事を実感してください」
「……はい」とテルマは頷いた。
「完全にそのイメージを自分のものとする事が出来れば、テルマェイチ様の『水』で実際の火も消せるようになるでしょう」
「それはつまり……?」
「ええ。『質量を伴った魔力』――『魔法』が扱えるようになります」
テイン先生は「なります」と言い切った。
それは老教師が携えているただのテクニックかもしれないが。それでも、テルマの耳には残ってしまった。……「まんまと」なのかもしれないが。それでも。
「わたくしが『魔法』を……」
テルマェイチは「魔法」に対して何か特別な思いを抱いていたわけではなかったのだがアムレート公爵家の令嬢として――だろうか。その向上心は人一倍に強かった。
この世界に於いては一握りの人間しか使えない「魔法」を「扱えるようになる」と断言されて、否は無かった。テルマの胸のその奥が密かに熱くなる。




