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18「こいのぼうそう」

 

 公爵令嬢に睨まれれば、自分が王族でもない限りは引くのが当然だろう。同じ公爵同士でも面倒な事になる、ましてや公爵よりも格が下である侯爵家の子供ならば平身低頭して謝るべきであった。たとえ自分は何も悪くないと思っていたとしてもだ。


 実際、男爵家の子供であるクランツとスターンは自分が睨まれたわけでもないのにがたがたと震え上がっていた。


 しかし。テルマェイチ・アムレート公爵令嬢に睨まれた当事者であるホラティオ・レイショホー侯爵令息は、


「そっちこそ。俺を勝手に話題にしてたじゃねえか。公爵令嬢だか知らないが、品のある行為とは思えないねッ」


 真正面から言い返す。……蛮勇もまた勇気の内か。流石は「赤い勇者」である。


「……なんですって?」


 低い声だった。テルマの青い目が据わる。


 テルマの肩から頭から、無数の細いラインが天に向かって真っ直ぐに伸びていく。まるで降る雨を逆再生しているようだった。――魔力の顕現化である。


 テルマェイチの属性は水だった。強過ぎる感情の高ぶりによって、テルマの体内にあった魔力が水の形を取って現れていた。


「ぼ、暴走……?」と男爵兄弟のどちらかが呟いた。


 突然の魔力顕現である。状況だけを見れば確かに「暴走」なのだがテルマェイチは故意に感情を発露させていた。……現在は実技の授業中でもある。公爵令嬢が理屈をこねればお咎めは無いであろうとの打算もあった。逆に言えば、そろばんを弾く事が出来る程度の理性は保てていたのである。


「……マジかよ。ヤル気かッ!?」


 ホラティオはまた受けて立つ。肩幅に足を広げて、軽く腰を落とした。――手から腕から腰から膝から腿からアトランダムに火が上がる。全身を包み込む大きな一つの炎ではなかった。一つ一つは小さいが無数の火が噴き上がっては消えるを繰り返していた。


「…………」


「…………」


 無言で睨み合うテルマとホラティオ。その間に飛び込んできたクラウディウスが、まるで格闘競技のレフェリーが試合の開始を宣言するかのように、


「――ごめんなさいッ!」


 と叫んだ。


「ホラティオさんを話題に出したのはわたしです。ごめんなさい。下品でしたっ」


「え……」とホラティオはクラウディウスの顔を見た。……今にも泣き出してしまいそうな表情だった。


 言われてみれば……とホラティオは彼女達の会話を思い出す。


「……お姉さま。ホラティオさんはどうしてショックを受けてるんでしょう……?」


「さあ。魔力の顕現化が出来ないのかもしれないわね」


 ……確かに。先に「ホラティオ」と言ったのはクラウディウスだった。けれども。揶揄というのか侮辱というのかとにかく気に障る事を口にしたのはテルマェイチだ。その後も棘のある言葉を投げ付けられて。売り言葉に買い言葉で――。


 ホラティオはテルマェイチに怒っていた。……何と言って「怒った」んだったか。


「俺を勝手に話題にしてたじゃねえか。公爵令嬢だか知らないが、品のある行為とは思えないねッ」――だ。


「あ……」とホラティオは呟く。


 テルマェイチに対して怒っていたはずのに。ホラティオの口から出た言葉はクラウディウスを対象にしていた。誓ってわざとではない。しかし。それが現実だった。


 ――そう。だからこそテルマは瞬時にブチ切れたのだった。


 速攻で報復。それに加えてクラウディウスに向けられていた敵の矛先を自分に向けさせる為でもあった。……ホラティオは自らがしでかした行為を振り返りみて「失敗した」と認めて反省まではしたが。テルマェイチを動かした二つの理由については、そのどちらにも気が付いていなかった。そこまでは気が回っていなかった。


「いやッ。その、違う。ええと。すみませんでした。クラウディウス様」


 もごもごと口ごもりながらも慌ててホラティオは頭を下げる。ホラティオの体中にあった幾つもの火はいつの間にか全て消えていた。次の火も出てこない。


「あの。いえ。悪いのはわたしですから。その。本当にごめんなさい」


「違うんです。ホントに。こちらこそごめんなさいですから。さっきの言葉はクラウディウス様に言ったつもりはなくて。間違えました。すみませんでした」


 平謝りの応酬だった。……このままでは埒が明かない。いや。それ以上に――。


「そんな。頭をあげてください。ホラティオさん」


「いや。ホントに。俺とした事が。地元で『赤い勇者』とか言われて調子に乗って」


「え。すごい。ホラティオさんは『勇者』さんなんですか?」


「いえ。ちゃんと『認定』されたわけじゃなくて。そんなふうに言われてただけで」


 ……一歩でも間違えれば、仲良くなってしまいそうな雰囲気を醸し出していた。


「…………」


 テルマは苛々としてしまっていたその感情を率直にぶつけてみる。


 ぎろりとテルマェイチが強く睨み付けた地点に局所的な「大雨」が降り注がれた。


「のぁーッ!?」


 とホラティオが悲鳴を上げた。……ふん。こんな男のどこが「勇者」なんだか。


「雨」が降り止むと同時にホラティオが膝からがくりと崩れ落ちる。


 地に伏してしまったホラティオだったが良く見れば、その体もすぐ下の地面も全く濡れてはいなかった。


 今更ながら、ホラティオに降った「雨」はテルマの魔力が顕現したものであった。この段階ではまだ魔力に質量は伴っていなかった。水のように流れようが火のように揺らめこうが物理的には存在のしていない「幻」のようなものだった。


「幻」ならば危険は無いかというとそうでもない。


「幻」は人間の心に作用する。火の魔力で服は燃えないし催眠術よろしく「火」だと深く信じ込ませて火傷を引き起こさせるような事も出来ないが、他人の魔力――特に敵意の込められた魔力を体内に取り込んでしまうと元からあった自らの魔力と反応、反発をしてしまい、その精神に重い影響を及ぼしてしまうのだった。


 簡単に言えば――テンションが激落ちする。塞ぎ込む。ネガティブな思考に陥る。最も酷い段階では「死にたくなる」のであった。


 随分と昔の話にはなるが学院では過去に一度、たった一人の生徒が起こした魔力の暴走から結果、数十人の自殺者を出してしまっていた。


 本来、顕現化させた魔力を他人に向けて放つなどという行為は、冗談で済ましてはならない暴挙であった。




***

手直し。終盤の「「幻」は人間の心に作用する。火の魔力で服は燃えないし」のくだりを読みやすいように修正しました。

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