01「お姉さまとお呼びなさい。あなたはわたくしの妹――ですのよね?」
春の長期休暇、その最終日。学院の再開を明日に控えた夜の風呂場にて、テルマはひとつの素晴らしき思い付きを実現させようとしていた。
「まだかしら。もうすぐかしら」
広い湯船の真ん中で胸まで浸かりながら待ち遠しげに呟いていたテルマの耳に、
「テルマさまぁ~……」
おどおどとした声がようやく届けられた。テルマは、
「来ましたわねッ」
と立ち上がりかけて「おっと」と気を取り直す。んんッと咳払いをひとつして、
「『テルマさま』ではありません」
いかにも威厳ありげに偉そうに、落ち着き払っているかにみえる態度を装いながら湯けむりに浮かぶ人影に声を掛ける。
「わたくしの事は『お姉さま』とお呼びなさいといつも言っているでしょう」
「ですが……わたしは親も無い孤児で。テルマさまは公爵家のご令嬢で」
「出自など関係ありません。胸をお張りなさい。わたくしが公爵家の令嬢ならば今のあなたもまた公爵家の令嬢です」
「テルマさま……」
吐息まじりの呟きはまるで小動物の鳴き声のようで、テルマの庇護欲というか母性のようなものがおおいに刺激されてしまう。くぅ~……ッ。
この控えめが過ぎる、いつまで経っても懐き切ってはくれない少女との親睦をより深める為にテルマは「公爵家の娘として恥ずかしくないように入学前に磨き上げる」だの「姉として学院の先輩として秘密の心得を伝授する」などと適当な理由を取って付けて強引に、半ば無理矢理に彼女と二人きりでの入浴を提案したのだった。
「『お姉さま』とお呼びなさい」
口調で威厳は保ちながらもテルマの声色は柔らかかった。
「……はい。お姉さま」
と呼ばれて緩みかかる頬に力を込めながらテルマは、
「いつでそうしているつもり? 早くいらっしゃい。風邪を引いてしまうわよ」
微妙な距離で立ち止まっていたまま動かない人影に近くに来るよう促す。
「はい……」
真っ白で分厚い湯けむりから浮き出るようにゆっくりとその姿を現した長い金髪の少女は、平らな胸元を細い腕でもって申し訳程度に隠しつつもタオルやらを腰に巻いたりはしていなかった。生まれたままの姿だ。
湯船の中で待つテルマも当然、同じ姿だ。――この国の人間の髪の色は黒、栗毛、金、赤、銀、白と様々であったが血の繋がっていない「姉妹」であるテルマとクラウディウスの髪色が同じ「金色」であった事は恐らく幸せな偶然であった。
これまでは常にそばに居た専属メイド等の手前もあって互いに遠慮や萎縮があったと思うが今のこの場では他に誰の目も耳も無い二人きりだった。
文字通りの裸の付き合いで心の方も開いてもらい、テルマは彼女と解り合いたい。もっとちゃんと仲良くなりたいと考えていた。
テルマは自身の理想である頼れる姉然とした余裕のある笑みをこしらえて、少女を迎える。
「堂々となさいな。クラウディウス。あなたはわたくしの妹――」
――だと思っていたのに。
「え……?」
テルマのすぐ目の前にまで来られて、はじめて分かった。湯けむり越しでは確認が出来なかったその股間には公爵令嬢として生まれたテルマがまだまだたったの十五年ながらもその人生でただの一度も見た事がなかった異物が小さいながらも確かにぶら下がっていた。
見た事はない。見た事はないが知識として知ってはいた。
「……あなた。それ、おち――」
ぽろっとその名称を口に出しかけてしまったところでようやく、はっと気が付いたテルマの顔が真っ赤に染まる。一瞬の内だった。
「あ、はい」と口を開いたクラウディウスが、
「わたしまだ」
発した言葉を掻き消すように、
「きゃーッ!」
公爵令嬢の絹を引き裂くような大絶叫が広い風呂場内にこだました。
「お姉さま?」と状況を全く理解していない顔でクラウディウスが立ち止まる。
「ど、どうされました? あの、わたし何か」
怯えるようにテルマの顔色を伺ってくる。その表情は明らかに弱々しくて、当然のように悪意の欠片も感じ取れなかった。
いつものクラウディウスだ。テルマの妹だ。
「な、何でもありません」
妹を前にした姉は精一杯の虚勢で応えた。がその顔はまだ真っ赤なままだった。
「ですが」と心配を続ける妹に姉は、
「わたくしの事よりも」
と強めの口調で話を進めようとする。
「クラウディウス。あなた、男でしたの?」
高位貴族らしからぬストレートな物言いだった。教育係に聞かれていれば叱られてしまいそうな言葉遣いだったが今のこの場にはテルマとクラウディウスの二人だけ。言質を取られにくい代わりに分かりづらい貴族言葉では誤解の素になろうと敢えて、テルマははっきりと尋ねたのだった。……想像だにしていなかった事態に頭が働いていないわけではない。という事にしておいてほしい。姉の威厳を保つ為にも。
「はい?」
とクラウディウスは小首を傾げる。可愛らしい。……そう。可愛らしいのだ。
股間の異物をこの目で見ていなければ、とてもではないがクラウディウスを男性だなんて思えなかっただろう。股間の異物を見てしまった後の今でさえあれは見間違いだったのではないかとこの目の方を疑いたくなってしまう。
クラウディウスは現在十二歳だったがそれは少年期特有の中性っぽさでもなくて、「彼女」は完全に女性的だった。もっと言えば可憐な少女的だった。あざとさが無いのだ。少なくともテルマには感じられない。
根拠の無いただの印象ながら、クラウディウス本人に何らかの思惑があって女装をしていたとは考えにくかった。悪意は勿論、テルマを騙すつもりも何も無かったのではないか。
きっと止むに止まれぬ事情があるのだろう。
「あの……」
と重たそうに口を開いたクラウディウスの次の言葉を、
「ええ。聞かせて頂戴。何でも」
テルマは余裕ぶった表情でゆったりと待ってやったがその心情は推して知るべし。
「……すみません。わたしまだオチンチンが取れてなくて……」
「……はい?」とテルマはクラウディウスの顔を見た。彼女は申し訳なさそうに俯いていた。冗談を言っているような表情ではなかった。
テルマの聞き違いだろうか。
「え……と。クラウディウス? もう一度、言っていただけるかしら?」
「あ、はい。すみません。わたしはまだオチンチンが取れていないので。お姉さまに裸を見られる事は少し恥ずかしいです」
そう言いながらもクラウディウスがその細い腕で隠しているのは真っ平らな胸の方だけで下半身は丸出しにされていた。区別は難しいながらどうも羞恥心というよりは照れのような感情を抱いているように感じられた。……オチンチンを見られる事が恥ずかしいというよりはオチンチンが「まだ」付いているという事実が知られてしまった事を恥ずかしがっているようだった。
「……『まだ』?」
テルマは思わず呟いた。
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