第9話 放課後の図書館ですわ。
そして、いざ図書室。
まだ日暮れ前だというのに、図書室には司書のひとりいる様子がない。こんな私的な勉強会のために貸切るとは……さすがに権力の横暴ではなかろうか。
「珍しく一人なんだな」
「きゅるるん♡」
それでも先に待っていたブルーノ様にお辞儀とともに慣れてしまった挨拶をこなせば、彼はうっそりと目を細めた。
「そうか。俺もリュミエールと二人っきりで嬉しいよ」
――誰もそんなことは言ってません。
だけどわたくしの設定上、そんな反論はできないので。
聞かなかったことにして彼の対面に座って教科書等を出せば、ブルーノ様はわざわざわたくしの隣の席まで移動してくる。
「それで、どこがわからないんだ?」
――そういえば、どうやって質問すればいいんだろう?
それ以前に、授業でわからないところがないのだけど。
勉強さておいて彼のヤンデレ化の原因を探るべく、近況を色々とお伺いしたいのだが……「きゅるるん♡」だけでどうやって聞き出せばいいものか。
「じーっ」
「どうしたんだ?」
とりあえず隣のブルーノ様を見ていると、彼は気まずそうに視線を逸らす。
お。もしや、そのまま『俺を見つめるなど不敬だ』とか言ってくれるかと期待するも、
「少しだけ待ってくれ。初めての口づけはもっと雰囲気のある場所でしたい」
などと宣いやがったので、わたくしは「がっくり」と肩を落として。
ふと、ノートが目に入る。
――これなら……。
わたくしはペンを取り、ノートの端に書いた。
【最近おかしなことはありませんでしたか?】
「……そうか。筆談なら話せるのか」
目を見開いたブルーノ様に「こくこく」と頷けば、ブルーノ様もペンを取ろうとして……自分は書く必要がないことに気が付いたのだろう。小さく苦笑してから、ご自身の顎を撫でる。
「おかしなこと……そうだな。やはり運命がおかしいのだと思う。どうして俺とリュミエールは親戚なんだ。結婚できないわけではないのが、せめてもの救いか」
――そんなことは聞いてません。
なので、
【そうではなくて】
と前置きしてから、わたくしは再びペンを取る。
【最近、ブルーノ様の身の回りに変化などございませんか?】
「リュミエールの愛らしさに気が付いたことではなく?」
【わたくしに関すること以外で!】
感嘆符を強い筆跡で書いたわたくしに「ははっ、恥ずかしいのか」などと言ってきますが……もうそういうことでいいです。わたくしが「やれやれ」と肩を竦めたら、ブルーノ様が普通の口調でおっしゃった。
「やはり、義理の妹ができたことだな」
【アイリーンさん?】
「そうだ。彼女が家に来てから、だいぶ家の中の様子が変わったな」
正直、ヤッターメン家における噂で、あまりいい話は聞かない。
別に何か不正をしていたり……というわけではないのだが、昔から家族仲があまりよろしくないようだ。たびたびパーティーの雑談などでは、「それに引き換えラムネリア家は――」と、使用人含めて仲の良いことを褒めてもらうことが多々あった。別にうちも、朝食は必ず家族全員で集まることと、週末は使用人含めて「一週間おつかれさま」とお酒(勿論、わたくし含めた未成年はジュースで)無礼講に盃を交わしていたくらいである。わたくしとシルバーが指相撲大会で白熱しすぎて、翌日わたくしの親指が腱鞘炎を起こしたこともあったか。
ともあれ、そんな我が家に比べて淡白な家庭で育ったらしいブルーノ様が、どこか嬉しそうに苦笑された。
「まぁ、いい変化だとは思う。父上も母上も喧嘩が減ったし……こないだの連休に家に戻って、初めて家族団らんというものを経験したよ。あんなに美味しい食事は初めてだった」
【そんな義妹さんに……あんな態度をとって宜しいので?】
「それとこれとは話が別だ!」
途端、ブルーノ様がテーブルを強く叩く。思わず自然に背筋を伸ばすものの、ブルーノ様の怒気は収まらない。
「俺とリュミエールの貴重な逢瀬の邪魔をするなど、たとえ家族だろうと許せるものではない。もしも法律が許してくれるなら、あの場で打ち首に処してやりたいほどだった!」
「……うるうる」
――ぶ、物騒がすぎるッ!
そんな食堂で編入して間もない妹が、兄に話しかけたから処刑だなんて……そんな国に暮らしたくない。そもそも冗談だとしても、そんなことを容易く口にするような人が、人の上に立ってよいはずがない……!
――これは、本気でどうにか致しませんと……。
最悪彼の変化を父上に連絡して、国王陛下などに相談してもらわないと、本気で国家転覆の原因になってしまうやも。わたくしも『ぶりっこ』なんておかしな真似をしている手前、できれば穏便に解決したいところなんだけど……。
わたくしの「うるうる」の意味を履き違えたブルーノ様が、無駄に優しい手つきでわたくしの頬を撫でてくる。
「あぁ、また怖がらせてしまったな。……少し頭を冷やしてきていいか?」
「こくり」
――わたくしも一気に疲れました……。
迷うことなく頷けば、ブルーノ様が「すぐ戻る」と席を立った。名残惜し気に残していく視線に笑顔で手を振って――扉が閉まった後で、わたくしはどっとため息を吐いた。
「疲れましたわ……」
ここにシルバーがいれば、即座にお茶を淹れてもらいたいところ。
今頃、彼は何をしているのかしら……。
一瞬そんなことを考えながらも、ようやくできた解放感にわたくしは体を伸ばす。そして、今仕入れた情報に思いを馳せて――至った。
――これ、やっぱりわたくしが元凶なのでは?
今までブルーノ様の浮いたお話を聞いたことがない。あまり考えたくないことだが、ブルーノ様の女性の趣味が、こんな馬鹿っぽさ全開の『ぶりっこ女』だったとするならば。
恋は盲目、という言葉の通り、頭の栓が外れてしまったのではなかろうか。
せっかくできた家族の温かみを蔑ろにしてしまうほどに。
「つまり本当にわたくしの自業自得ッ――」
誰もいないことをいいことに、バタバタと地団太を踏んだ時だった。弾みでテーブルからノートが落ちてしまう。
ブルーノ様は本当にすぐ戻るつもりなのだろう。その落ちて開いてしまったノートはブルーノ様のもので。その乱暴かつ緻密な文字の羅列が、思わず目に入ってしまう。
――なに、このノートは……⁉
そして、思わず読みふけってしまった。
だってそのノートには、本当に王太子レッドモンド殿下の暗殺計画が、何パターンにも分けて事細かに書かれていたのだから。
――そんな、あんなのただの冗談だと……。
その恐ろしい計画書をパラパラ捲っていると、ひときわ強い筆跡で書かれた文字が目に入る。
【また負けた】
【また負けさせられた!】
【俺はこの正答を間違えてなどいなかったのに‼】
【あいつさえ、いなければ……‼】
「見てしまったのか?」
背後から、ドンと机に下ろされる腕の持ち主。
それは紛れもないノートの持ち主、ブルーノ=フォン=ヤッターメンのものだった。