第7話 事件はランチから始まりますわ!
ブルーノ=フォン=ヤッターメン。
筆頭公爵家の次男坊で、家督は長男が継ぎ、彼自身は次期宰相としてレッドモンド殿下の片腕を担うことになることを期待されている人物である。
学園での成績でも全てにおいて学年二位を納めている秀才であり、そのクールで知的な風貌ゆえ近づきづらい上の女性人気があると……シルバー談。
「でもあの手の男に限って、けっこう裏で女遊びが激しかったりするんですけどね~。ほら、お堅そうに見えることを利用するんですよ。そして連絡が途切れようとも『仕事で忙しかった』だの『そういう馴れ合いは好きではない』だの、都合のいい理由がまた似合っちゃうもんだから――」
「……それ、どこの世界のお話ですの?」
「俺の前世の話です」
シルバーの前世の世界に生まれなくてよかったと思いつつ、わたくしは食堂でシルバーの給仕を受けていた。
主と従者、それぞれ受ける授業は別である。だけど休憩時間となれば再び合流。それぞれの立場に戻り、彼らにはわたくしたちの世話をする義務があるのだ。
大きく豪奢な食堂では、仲のいい令嬢令息らは一緒に食事を摂る者もいる。王宮顔負けの料理人と食材が揃えられた食堂だ。その食事内容に文句を言う生徒などいない。
だけど入学した三か月、わたくしは一人で食事をしていた。……別に、友人がまったくいないというわけでもないのだけど! だけど彼女たちはこぞって婚約者との貴重な逢瀬にお昼休みを使っていただけ。対して、わたくしの婚約者は昼休みも生徒会の仕事や公務などで忙しくしていたから……ヤンデレ化が始まった一週間前までは。
しかし、今日わたくしと相席するのはレッドモンド殿下ではない。
「すまない。遅くなった」
「きゅるるん♡」
わたくしのはとこ、ブルーノ=フォン=ヤッターメンである。
シルバーのいう『ヤンデレ戦隊』に囲まれるのはさすがにキャパオーバー……もとい、皆様大変お忙しい方なので、わたくしなどに時間をとらせてしまうのが大変心苦しい――という名目のため、一日ひとり当番を決めさせていただいた。
そして、そのトップバッターをシルバーの提案通り、ブルーノ様にしてもらったのだ。
絶対にこんな当番、一巡で終わらせてやる……。
あと五日間で全部片を付けてやる……。
メラメラとした意気込みを「きゅるるん♡」に隠して、わたくしは向かいの席を促す。
彼の従者に椅子を引かれ、着いたブルーノ様。彼も本来はまともに食堂で食事を摂る暇もないくらい、生徒会副会長として、王太子の補佐役として忙しくされている方である。
なのに、彼ははとこからの呼び出しに一切気を悪くするどころか、うっとりするような目でわたくしを見つめてくる。
「午前中の授業はどうだったか? わからないところがあったら、俺がいつでも教えてやるぞ」
「にっこり」
「そんな遠慮しなくていい。リュミエールは数字が苦手なはずだ。専門的な会計学は基本を押さえるまでが大変だから、今が山場だろう?」
――わたくし数字は強い方ですが?
はとこと言えど、正直パーティーや冠婚葬祭で顔を合わす程度の仲である。
勉学の得意不得意など話したこともないのだが……一体それはどこの情報なのだろう?
思わず頬角をぴくぴくさせていると、シルバーが食事を並べるだてら耳打ちしてくる。
「(彼の理想の女性がそうなのでしょう?)」
「(知ったことではないわッ!)」
ふとまわりを見やれば、周囲の視線がいつもより集まっていた。
――まぁ、珍しいものね。
普段食事を一緒にとらない男女。しかも片方は学園で有名な副会長様。
それでも、わたくしたちははとこ同士でもですから。
たまに親戚同士で食事を共にしても、さほど問題があるわけではないでしょう――と堂々と並べられた食事を始めようとすると、そんな遠い兄でもあるブルーノ様が、わたくしを見て眉根を寄せた。
「本当に授業で不便はないのか? もし困っていることがあるなら、俺から教師に相談する」
――だから会計学は得意ですから。
そう言いたいものの、オノマトペだけではなんて答えればいいのやら。
思わず思案顔をしていると、シルバーがさりげなく口を挟んできた。
「それが……このような病状はブルーノ様方の前だけなのです」
「なんだと……」
――あ、そっちですか。
どうやら話はわたくしの言動に移っていたらしい。……わかりづらい。
たしかに「きゅるるん♡」「きょとん?」しかコミュニケーション手段がないと、授業を含め日常生活にも支障が出てしまうだろう。もしも、これが本当に呪いなどであるならば。
だけど、こんなふざけた真似は殿下方の前だけなので。
それに若干の罪悪感を覚えて笑って誤魔化そうとすれば、ブルーノ様が口元をおさえて、恍惚と目の端を赤く染めていた。
「そうか……そんなに俺に想いを寄せてくれているのか……」
――どうしてそうなるんですの?
罪悪感、撤回。
わたくしは粛々と食事を進めていると、ブルーノ様が小さく息を吐く。
「でも、それなら良かった。もしも生活に支障が出ているようなら、今すぐレッドを闇に葬り、学園なんか中退させて嫁にとる手筈を進めなければならないと思っていたんだ」
ねぇ、ブルーノ様。どうして「良かった」と言いながらそんな残念そうな顔をしていらっしゃいますの?
それに……一応、わたくしはレッドモンド殿下の婚約者。とても看過できないお言葉を発せられたように思いますので……忠告くらいしなければならないでしょう。
「ぷんぷん」
「あぁ、すまない。こういう話はリュミエールの聞こえない場所でしなければならなかったな」
――ほんと頭がおかしいっ!
――わたくしも人のことが言えないけれど‼
やっぱり給仕の途中で震えて笑いを堪えているシルバーの隣で、思わず頭を抱えたくなった時だった。
「お義兄ちゃん!」
甲高い声音が食堂に響く。思わず見やれば、駆けてくるのは弾む桃色の髪が愛らしい女生徒だ。そんな彼女に対して、ブルーノ様は温度を急激に下げた眼差しを向ける。
「アイリーンか」
「もう、お義兄ちゃん酷いよぉ。今日はアイリーンとご飯食べる約束だったでしょ?」
それは、本当に「ぷんぷん」という擬音語が聞こえてきそうな愛らしさで。
頬をほどよく膨らませた美少女に、ブルーノ様はただただ嘆息するだけだった。
「それは事前に断りの連絡を入れたはずだ。それに君も公爵家の一員となったんだから、そのような口調を改めるように何度も忠告していると思うが」
「そんな堅苦しいこと言わないでよ~。あたしとお義兄ちゃんの仲でしょ?」
「きょとん?」
咳払いの代わりに、わたくしは小首を傾げるわたくし。
だって、いきなり面識のない方に割って入られて、気持ちよくはないんですもの。
すると、ブルーノ様は優しい眼差しを寄越す。
「あぁ、紹介が遅れてたな。君も噂くらいは聞いたことあるだろう。彼女は最近うちに養子入りしたアイリーンだ」
――あ~、あの。
わたくしとは違うクラスに配属されたのだけど。
当然、噂は耳にしている。一週間前に途中入学してきた女生徒がいるということを。
アイリーン=フォン=ヤッターメン。最近ヤッターメン公爵家に養子入りした少女。その理由は前国王陛下がお手付きした侍女の娘……すなわち、王家の血を引いているのだという。
お手付きにあった侍女はすぐに城をやめて田舎に戻ったものの、お腹に子供がいることが発覚。こっそりと田舎で女手一人で育てていたものの、崩御の直前に前国王が話したことがきっかけで調査が始まり――ヤッターメン公爵家に母子共に保護されることになったらしい。母親も名目上は侍女として、公爵家で生活しているのだとか。
そして年頃の娘であるアイリーン嬢は、急遽学園に入学させられることになったのである。
――つまり、わたくしとも名目上は親戚になるのよね。
だから「ぺこり」と、ブルーノ様の目の前らしく挨拶すれば。
彼女が歯ぎしりを隠さず、わたくしにずんっと近づいてきてはテーブルを叩く。
「……なに、あんた。それ可愛いのつもり?」
――そう! その反応っ‼
待ってました! その苛立ち‼
そうよね。普通はこんな態度取られたらムカつきますわよね?
馬鹿にされているのかと舌打ちくらいしたくなりますわよねぇ⁉
あまりにわたくしの望んでいた反応をしてくれた彼女に本気で「うるうる」涙を流して彼女の両手を握ると、とっさにブルーノ様が間に入ってくる。そしてなぜかわたくしの方を背中に隠して、アイリーンさんを睨みつけてしまった。
「彼女を泣かせるなど何たる狼藉だ! 二度と俺らに近づくな‼」
「なっ……あたし何も悪いことしてないじゃんっ!」
――それ、ほんとそれっ‼
わたくしは慌てて全力で「ブンブン」と首を振るのに、ブルーノ様はわたくしの髪を梳きながら優しく目を細めてくる。
「あぁ、本当にリュミエールは優しいな。でも、どうか俺に守らせてほしい。たしかに俺は腕っぷしは弱いが……人を貶める方法などいくらでもある」
いや、だから怖いですってば。
そう半眼で見つめているのに、ブルーノ様はなぜか公衆の面前でわたくしの頭を撫でている。
少し離れた場所では、やっぱりシルバーはお盆で膝を叩いて大笑いしていた。