第37話 怖い時に、思い出すのは
権力とは時に暴力だ。
「ここからは王家しか知らない隠し通路だ。たとえリュミエールの付き人だろうと、自重してもらおう」
そう王家の紋章を出されながら命じられたら、さすがのシルバーも従うしかない。
――わたくしはいいのでしょうか?
時期に王族になる予定であるとはいえ、よほどの緊急時でなければ教えられないもの。何かでわたくしがその情報を他国へ売ろうものなら、それだけ要人が暗殺される機会が増えてしまうからだ。なので、いくら婚約者であろうとも、そういった国家機密は卒業後の本格的な妃教育が始まるまで聞かされないようにされていたのだ。お互いのために。
そう不安げに殿下を見上げていると、目の前が急に真っ暗になる。布か何かで目隠しがされたようだ。頭の後ろで縛られているような気配を感じていると、また耳元に熱い吐息が吹きかけられる。
「これはリュミエールの不義を疑うわけじゃないから。ただ『おしおき』という名の余興だ」
――嫌な予感しかしない。
だけど、幸いにもここはいつもの校門前。
シルバーのみならず、大勢の生徒が目撃してくれている。
――そんな酷いことにはならないでしょ。
その時のわたくしは、そんな楽観視をしていた。
そして、連れていかれたのはどこかの地下だった。
なぜ地下かと思ったかといえば、階段を下りたから。殿下に横抱きにされていようとも、衝撃で多少の場所は把握できる。
――学園の敷地内からは出ていないようだけど……。
それでも目隠しを取られて見えた光景は、木目の荒い四面の壁。天井にひとつの光源と、最低限の家具だけが置かれた部屋で、わたくしはベッドに横たえられる。
そのままレッドモンド殿下もベッドに座った。彼はわたくしの髪を梳いてくる。
「リュミエールが浮気しているって話を聞いたんだが、本当か?」
――誰がそんな与太話を。
さしずめ一昨日の腹いせで、グリムヴァルド殿下あたりだろうか。
そんな予測をしながらも、今その犯人捜しをするのは愚策である。
だって薄ら微笑む殿下の顔からして……あきらかにヤンデレが暴走しているのが目に見えている。この地下の個室で、完全に二人きりの状態だ。早急に宥めなければ本当に身の危険があるかもしれない。
だから、わたくしは「ふるふる」と首を振った。
しかし殿下は小さく笑うだけ。
「オレが不在の間……イエーロと仲良くしていたのでは?」
仲良くなんてとんでもない。どちらといえば、仲良くなったのは彼の婚約者のコンスタンツェさんである。だから再び「ふるふる」とすれば、殿下は次に弟君の名を挙げた。
「一昨日はグリムヴァルドと逢引きをしていたとか?」
逢引き……手を繋いだり、一つのアイスを二人で食べたりしたことをデートの称すのなら、そうなるのかもしれない。だけど、不可抗力。最終的に、わたくしはきっぱりと決別を口にした。なので浮気と言われるのは不満であると「ふるふる」とすれば、次に他の殿方の名前を挙げる。
「今朝がたラグリと会ったが、吹っ切れたような顔をしていた。きみが何か施したのでは?」
それは夜通し行われたバカ騒ぎの空気に酔われてしまっただけでは? だからわたくしが「ふるふる」すれば、殿下は最後に思いがけない名を挙げる。
「それでは、シルバーとも特別な異性の間柄でないのだな?」
「ふぇ……」
――シルバー?
どうして、そこに彼の名が挙がるのか。
だって、彼はわたくしの従者だ。小さな頃からわたくしのそばにいて、それが当たり前で。これからもずっとわたくしを支えてくれる……。
そりゃあ、主であるわたくしを容赦なく笑い飛ばしてくるし、軽口も多いし、冗談だって遠慮がない、わたくしは振り回されっぱなしだけど……異性の間柄と言われるような、特別なことは……。
わたくしは躊躇いがちに「ふるふる」と首を振る。
そうだ。イエーロ様やグリムヴァルド殿下と変わらない。
決して、レッドモンド殿下に恥じるような間柄ではないはず。
「ならば、何も問題はないな?」
殿下がベッドの上に乗りあがってくる。わたくしの顔の隣に、手をついて。
殿下の長い御髪がわたくしの顔をくすぐった。それに眉をしかませれば、彼が「すまない」と髪を耳にかける。
金の瞳が憂い帯びていた。いつもあまり目立たない首筋。ゆるんだ襟元から覗く鎖骨。
固い指先がわたくしの頬を撫でて、厚い唇が近づいてくる。
――嫌っ!
わたくしが思いっきり目を瞑り、殿下の胸元を両手で押さえると。
いつもと様子が違った殿下が苦笑してくる。
「何をそんなに怖がる? 遅かれ早かれ、こういうことをする仲だろう。オレたちは婚約者同士なのだから」
――それは、そうなのかもしれないけど……。
「たまらなく心配なんだ。どうか潔白をキミ自身の身体で証明してほしい」
――シルバーだったら……。
シルバーとはベッドの上で戯れることもあったけど……こんな怖い思いなど一度もしたことがなかったのに。
――シルバー……‼
わたくしの脳裏に彼の顔が思い浮かぶ。
いつもそばに居てくれる、見てくれだけは麗しい我が従者。
容赦なくわたくしを指さして笑う、楽しげな顔。
遠慮なくわたくしに触れてくる、優しげな顔。
そして――彼にそっくりな顔つきの令嬢が何かを叫んでいる姿が。
そう、彼女はこう言っていた。
「ドSのSはサービスのSですわッ!」
わたくしはそう吐き捨てるとともに、レッドモンド殿下の頬を叩いていた。
パチン――と、軽い音が狭い部屋に響く。





